栄通記

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2010年 09月 15日

1370) CAI02 「山本雄基・個展 『プレインバブル』」 9月11日(金)~9月25日(土)


○ CAI企画展

   山本雄基・個展
     プレインバブル



 会場:CAI02 raum1
    中央区大通西5丁目 昭和ビル・B2 
    (地下鉄大通駅1番出口。
    注意⇒駅の階段を下りてはいけません。
        昭和ビルの地下2階です。)
    電話(011)802-6438

 会期:2010年9月11日(金)~9月25日(土)
 休み:日曜日
 時間:13:00~23:00

 主催:CAI現代美術研究所 CAI02

ーーーーーーーーーーーーーーー(9.11)

 (以下の会場写真は直射照明と暗がりの背景ということで、とてもムードを伝えるものにはなっていません。色や形が何層にもあるのが、よく表現されている。明るく楽しいわかりやすい絵画群です。)

 (以下、敬称は省略させて頂きます。)

1370) CAI02 「山本雄基・個展 『プレインバブル』」 9月11日(金)~9月25日(土)  _f0126829_10111128.jpg



1370) CAI02 「山本雄基・個展 『プレインバブル』」 9月11日(金)~9月25日(土)  _f0126829_10114613.jpg

1370) CAI02 「山本雄基・個展 『プレインバブル』」 9月11日(金)~9月25日(土)  _f0126829_1012156.jpg



 お気に入りの順番にピン・ポイント作品です。


1370) CAI02 「山本雄基・個展 『プレインバブル』」 9月11日(金)~9月25日(土)  _f0126829_11205141.jpg
          ↑:「曖昧のあわ、みえ得るところ」・2009年 145.5×145.5㎝ 木製パネル アクリル ニス。
 (写真の廻りの黒い部分を消去して、中央の部分のようにして見て下さい。)


1370) CAI02 「山本雄基・個展 『プレインバブル』」 9月11日(金)~9月25日(土)  _f0126829_112568.jpg
     ↑:左側、「プレインバブル(タンポポの色を借りた)」・2010年 110.5×135.5㎝ 上記と同じ。
       右側、「プレインバブル(なくした中心から)」・2010年 130×162㎝。

 「日の丸」絵画だ。昔、真ん中に満月を写真のようにして描いていた。そういう意味では欠けているのではなくて、白い巨大な丸を描いているのだろう。一種の真剣な遊び心だろう。その意味する所は・・・。
 上掲の2作は色がくすんでいる。半透明色で重ねられているとのことだ。絣の現代版のよう。


1370) CAI02 「山本雄基・個展 『プレインバブル』」 9月11日(金)~9月25日(土)  _f0126829_1135376.jpg
          ↑:「プレインバブル(果ての向こう側)」2010年 22×25㎝。

 ちょっと抜けた感じを大胆に挿入。泡も入れないアワワワワ・ゾーンみたい。


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          ↑:「曖昧のあわ、みえ得るところ」・2009年 23.2×21㎝。

 高貴色の紫を可愛く山本雄基風に染めている。深みはないがふくよかだ。紫バージョンで4点位の小品組み作品が見たくなった。


1370) CAI02 「山本雄基・個展 『プレインバブル』」 9月11日(金)~9月25日(土)  _f0126829_11404736.jpg
          ↑:「プレインバブル」・2010年 10.3×12.7㎝。




 「プレインバブル」、僕は「プレ・イン・バブル」と誤解していた。「本格泡展に先立つ、小泡展・・・(30歳直前の個展)」と。
 ところが、「plain bubble」だ。それは「明白な泡(幻想)」ではなくて、「明白かつ確実でない現象」ということだった。

 だが、作品は明白確実な存在として見える。明るく楽しき気分一杯の少年心だ。目鼻立ちスッキリの透き通るような少女を見て・・・その髪型はどんなのだろう?おかっぱ?お嬢さん髪?・・・初恋心で出てくる出てくるシャボン玉ホリデーだ。確かに初恋心は実ることはないだろう、そういう意味では確実でない結果になるわけだが、その夢心地は余りに強く心に沈殿する。切ない泡として消えた月日に反していつまでも残る。甘く酸っぱく苦い想い出だ。
 苦さなどの知らない健康的なエネルギーが作品に満ちている。

 山本雄基は乙女に初恋をする年ではないだろう。29歳なのだから。「絵画」という女性に恋をしたようだ。29歳にしてようやくだ。
 ラブレターなど書く勇気のない青年が、字を知って、言葉を知って、ポエムを書こうとしている。丸や三角四角という形とその重なり、いろんな色が見え始めて、その組み合わせと重なりの美に目覚めたみたいだ。絵を描こうとしている。
 確かに「美の乙女」を口説く術は身につけてはいないが、訴える術の自覚と自信が湧いてきて、とにかく誰でも彼(彼女)でもにラブレターという絵を描こうとしている。
 「描こうとしている」ので、「描ききった」わけでも「描いたことの意味」を反芻しているのでもない。その作業は「メイン・バブル展」からだろう。


 隣室では同年齢同郷の女性の展覧会が開かれていた。全くの偶然だ。山本雄基・展がつぼみの開花展ならば、そちらはつぼみのただよい展と言えるだろう。
 山本青年はその空間を逍遙した後に、自身の作品の詩情の無さをつぶやいていた。確かにその人のような詩情はない。三岸好太郎のような詩情はない。古典的大家の詩情も薄いだろう。
 だが、僕らは人類の知らない時空に立っているのだ。まさに泡のように消え失せた多くの詩情がかつて存在しただろう。己の詩情を見つめること、そして詩情や雅品や美をも不問にする「現代美術」の発信者になること、それしかないのだろう。
 

by sakaidoori | 2010-09-15 12:05 | CAI02(昭和ビル)


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