栄通記

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2010年 09月 08日

1362) 旅行記 「① 2010年9月道北旅行  ①遠軽 ー瞰望岩 市街地風景」 9月1日(水) 晴れ時々大雨


 遠軽には30年前に3年間だが住んだことがある。以来、3回目の訪問になる。今回を含めて通りすがり的なものだが、いつも何かしかの思い出に浸っている。
 この文章を書いている今も「想い出」に浸っていると言っていいだろう。


 2年間、4度の職場に勤めた。設備の営繕会社、化粧品や雑貨品を売っている中での書籍部門の管理担当職、アルバイトの金物屋の配達員、そして最後はマッチ工場。金物屋は確認していないが、他の職場は今は見あたらない。
 どの職場もそれなりに一所懸命に働いた。圧巻は最後のマッチ工場だ。マッチ用のロシア輸入原木が敷地に山積みにされていた。その原木を50㎝位の長さに切って、ベルトコンベアーで乾燥室に運ばれる。午前中の仕事は、その乾燥室で待機して切断された丸太を部屋の両脇に天井まで積んでいく作業だ。ベテラン社員と2人組で積んでいくのだが、相棒を「ガッチャマン」と勝手に綽名していた。細い丸太は僕が受け取って積んでいくのだが、やたら太い原木が流れてくると、ここぞとばかりに気合いを入れて、二本の腕に挟んでムンズと持ち上げては積むのだ。まさしく、これをするためにオレがここにいるのだという気合い一杯の姿がアッパレであった。
 そのガッチャマン、自宅が会社の傍だから昼にはちょっくら帰って昼食なのだが、それで物足りないと見えて25度の焼酎をあおってくる。そんなことは許されないのは当然なのだが、日々の繰り返しの職場だからなかなか注意しても直らない。そうこうしているとかのガッチャマン、原木をベルトコンベアーから取り損ねて足先に落として骨をバラバラに折ってしまった。
 おかげで僕が一人で作業をすることになったのだが、特に大変ということはない。もともとは安全管理の問題で二人作業なのだ。

 そしてアルバイトの契約切れの年末が近づいた。帳場の小柄な老職員が、午後のノンビリ作業中に近づいて、「少ないけどボーナスを用意しました。○○○円です」と耳打ちしてくれる。機会の音で金額が聞き取れない。語りながら、手のひらを開いて五本の指を振っていた。『そうか、約束にはないボーナスを5千円くれるのか』と嬉しくなってしまった。
 今とは違って給与等の支給はニコニコ現金払いだ。ボーナス袋を開けると何と五万円!!!我が人生最大の喜びの一コマであった。おそらく、ガッチャマン離脱後の職場を一人でこなした報酬だろう。
 マッチの需要は個人ではなく銀行等のサービス品が主流とのことだった。だから、マッチ工場の存続は風前の灯火だったのだ。いつ会社が閉ざされたかは知らない。遠軽を離れてから、初めて再訪した時に真っ先にマッチ工場を探し出した。しっかりと敷地や工場跡は残っていた。今はその跡地はどうなっているのだろう?

 遠軽の想い出としては留岡幸助が開いた「家庭学校」の存在が大きい。日本唯一の民間教護施設で、司法とからみながらの児童福祉施設だ。僕はそこに二週間の実習の体験がある。通うのではなくて、住み込みであった。
 その時の体験の細かい記憶はほとんど無い。印象が薄いからではない。あまりに強くて、こちらの意識を無にしていたからだろう。家庭学校のことはまた書く機会があるでしょう。簡単に書くには少しシンドイものがあるので今回は省略です。


 長屋の借家が解体するということで立ち退きを強いられた。それから再び札幌で住むことになった。 





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 遠軽を代表する瞰望岩。
 30年前、この岩にはしめ縄を結んでいた。あまりに人為的な行為に興ざめして魅入っていた。思えばしめ縄を結ぶ意欲のある時代と言えなくもない。いつ頃止めたのだろう?

 この岩の上部が公園になっている。上部というよりも、平地にそのまま続いていると言ったほうがいいだろう。僕がいる頃から公園化し始めて、その頃は「サンヒルパーク」と名付けていた。今はその呼び名を捨てて「太陽の丘」と命名しているようだ。ここにコスモス畑や芝桜公園などが広く大らかに拡がっている。

 岩の下は大半は何もない空き地だ。昔のままだ。わずかに機関車や忠魂碑を並べ、一部を子供用の公園にしているだけだ。この余裕、気持ちの良いものです。


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 瞰望岩を紹介したのですから、そこからの街の風景も載せないと片手落ちでしょう。
 歩いても登れますが、ここはショート・カットで車で頂上付近まで行くことにしましょう。
 そして、最後は徒歩にて展望場所へ。ここの良い所は柵がない。だから危ない。だからというわけでは無いでしょうが、自殺の名所にもなりやすい。なりやすいが、柵を無用とする自治体の管理を賞賛したい。


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     ↑:市街の中心地。
 線路をたどれば駅がわかる。遠軽駅はスイッチバックという特殊な駅だ。真っ直ぐ延びる湧別に行く路線は廃止された。逆方向に戻る形で北見に向かう路線はしっかり生きている。日本でも数少ない特徴ある駅だ。その駅は一段高い場所に作られていて、体の不自由な人にはやや難儀だ。だが、昔のままの姿に思わずニッコリしてしまった。
 駅より北側に郊外店や病院などの大型建物が並んでいる。


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     ↑:右から東に川が流れている。左上の方に赤くて長い橋が見える。この橋を越えた先に自衛隊の駐屯地がある。本の棚卸しのために、毎週々通った。
 将棋好きの隊員とも知り合いになった。彼の休みの日に、時々我が家で将棋三昧の時間を過ごすことがあった。寮生活だから夕食の手配を聞いてみたら、「今日の夕食はお国に返しました」との返事が帰ってきた。あまり聞き慣れない返事に、妻と目を交わして驚いたものだった。
 強い人だった。アマ二段位か。僕は初段前後だった。だからいつも彼の方が勝率が高い。意気揚々と満足気分で自転車で帰っていった。


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     ↑:流れている川は湧別川。川の向こう側は昔はもっと寂れていたが、今では住宅街に変貌している。




 コスモス畑を載せるつもりが長くなりすぎました。②に続くということで。

 本文との関係上、遠軽家庭学校の正門の様子を載せます。
 敷地内は散策は自由です。子供達の元気な「コンニチハ」に出会うでしょう。適当に写真を撮ったのですが、掲載承諾を取ってはいないので今回は割愛ということにします。


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by sakaidoori | 2010-09-08 20:25 | 2010年旅行記


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