栄通記

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2010年 07月 25日

1312) ①コンチネンタル 「交差する視点とかたちvol.4 (4名参加)」 7月16日(金)~7月25日(日)


○ 交差する視点とかたち  vol.4

    
 会場:コンチネンタル・ギャラリー
    南1条西11丁目 コンチネンタルビル・B1F
    (西11丁目通の西側)
    電話(011)221-0488

 会期:2010年7月16日(金)~7月25日(日)
 時間:10:00~18:00
     (最終日は、~17:00まで)

※ イベント ⇒ ○内田鋼一ワークショップ&スライドショー
           7月18日(日) 10:00~ 13:30~

          ○伽井丹彌クロージングパフォーマンス 「傀儡」
            最終日  於・当会場   15:00~15:40


※ 同時開催 ⇒ 内田鋼一・展 於・ギャラリー門馬

 【参加作家】
 伽井丹彌 内田鋼一 下沢敏也 阿部典英
  
ーーーーーーーーーーーーーーーーー(7・24)

 早めに見に行きたいと思っていたが、結局は最終日前日の訪問になった。
 そして今日で終了する。その最終時間近くに参加作家の伽井丹彌さんがパフォーマンス舞踊を催す。宣伝的には遅い記事ですが、会場風景と簡単な雑記を載せます。興味を抱かれた方は足を運んで下さい。
 (以下、敬称は省略させて頂きます。)

 (展覧会が今日までです。公開しながら記事を進めていきます。誤字等がかなりあるかもしれませんが、追って訂正します。


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 常連の陶・下沢敏也と立体・阿部典英、招待として本州の陶・内田鋼一と帯広の人形・伽井丹彌の4名による立体作品展。

 全体の展示スタイルは内田鋼一がインスタレーション的だが、無理に一つの世界として見る必要もなく、個々の作品・作家の集合立体展として観たほうがいいだろう。交差・錯乱・バトル展としてではなく、あくまでも個々の主張に耳を傾け、「あー、君はこういう主張か。どれどれ次は・・・」という風に足が進んでいく。交差せず、連動せず、協調せずにそこに立体作品がある。運動の時代では無い今を反映している。唯一の気配りは、全体の空気感を損なわないこと、その為に一定の緊張感と不用意に他者の領域を侵さないことを暗黙の前提にしている。そのことによって、主催者なり参加作家が意図しない「何かの連動」を期待しているようだ。あえて一点の高みに意識を登らせないこと。波風少なく、心ざわめく場にすること。この態度の良し悪しを言っても始まらない。それがこの展覧会だ。


○ 内田鋼一の場合

 なかなか個々の作品は楽しめさせてくれる。やはり初見の作家の内田鋼一が気になる所だ。

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 全て陶による作品群。

 滑稽と言うべきか、何とも妙な味わいがある。味わいといっても、あまりに今風で「滑稽な可笑しさ」とか「大らかな洒落」のようなものだ。

 「人生細身は面白くない。ごろんと角材根性で勝負しよう。角を切って、ごろんごろんと並べて・・・、オッ抽象風でカッコ良いじゃないか。四角があれば円もなければ。黒に茶に白だ。やっぱ陶だから角を焼き物風にしよう。何、あんまり機械的だって?わかった、形は抽象っぽく、表面は鉄錆や墨色にして人間好みにしよう・・・」そんな風な声が聞こえる。

 壁面の作品は間違いなく絵画だ。特に写真に掲載した、「窓」のような作品が良い。陶を見ているのか、黒と茶の色を見ているのか、窓を見ているのか、窓の向こうの闇を見ているのか・・・あまりにもあっさりした「風景」にとまどう。人の心の境界と区切られた絵画の領域が重なってくる。色が深みを見下ろしていく。


○ 伽井丹彌の場合

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 5年前、旧テンポラリーで初めて伽井・関節人形を見た。以来、久しぶりに伽井人形を見ることができた。
 困ったことに、今作品の白い3人形は「見る」ものであって、語るには不向きのようだ。とりあえず、部分なりを含めて写真を載せます。この写真が困ったもので、「見たとおり」に撮れない。当然見た「目」の方が良くて正しい。白さの丸みの違い、顎のわずかな角度違いが、「人」という印象を変えてしまっている。恐ろしき「カメラ目」です。


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 ↑:「プシュケ(精霊)の系譜 Ⅰ Ⅱ Ⅲ」・2010年 150×40×50㎝ 磁器 化繊 水晶。


 挑発的な姿態だ。細身の体をねじらせ、舌を出して水晶をもてあそんでいる。舌の肉の色に隠れて、口紅の朱が鮮やかに手招いている。ナルシズムに陥った唇、眼、乳房。磁器は白い。さらにさらにこすって。滑らかさ柔らかさは更に増し、「女の挑発的な美」を無意識に深めていった。

 関節人形自体がエロス的だ。観念のエロスだ。
 女、それは肉欲の対象であり、ロマンの対象だ。恋に恋する対象でもあり、「理想美」とつながる。哲人になぞらえてプラトニック・ラブと言う。むろん、これは男である僕の言葉だ。ならば女は「女」をどう思っているのか?女である伽井丹彌はどう思っているのか?関節人形に何を作家は求めているのか?

 同時に並べられた旧作(2004年・2006年)2体は、標本の様に立てられている。顔は可愛いが、体は豊満で、関節部分が強調され過ぎて見える。服を着せられるのだから体は隠される。だから、その裸体に異常な美や性を表現しなくてもいいのか?女体を人体として見れ、そんな作家の気構えを感じる。「男か女か、それは服を着なければ分からない」、そんな諺を思い出す。だが、見られる髪は「人毛」だ。「女の髪」の持つ情念・情欲・生命力を人形に託している。作家としては象徴的方法だ。
 それは女体に対する一つ態度だ。理知的態度だ。
 だが、今展の作家は何故だかは知らないが、「エロスに迫り、エロスに溺れる人達」に直接迫ろうとしている。それは作家自身のエロス感を通して、エロティシズムに溺れる人達を求めているようだ。
 少なくとも、作家は服を一枚脱いだ。女が服を脱ぐと怖い。怖いが見たくなるのが「エロス」の世界だ。
 

  (②に続く。)

 
 

by sakaidoori | 2010-07-25 10:20 | コンチネンタル


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