栄通記

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2010年 07月 19日

1303) ⑥ロシア旅行(3日目) 「⑥ハバロフスク(3日目ー其の二)・6月18日(金) 市内観光」


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     ↑:河を見下ろす展望台広場のムラヴィヨーフ・アムールスキーの銅像。

 1847年にニコライ一世の命令により東シベリア総統に任命される。
 1858年に中国とアイグン条約を締結し、アムール河以北をロシア領に編入することに成功した。その時に「ハバロフスク」は誕生したのだ。明治維新の10年前であり、この地がシベリアの行政中心地として発展していくわけだ。「日本の北都・札幌」と似た歴史を持つ。実際、両者の都市比較論は有益だろう。


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     ↑:アムールスキーが見下ろすアムール河。
 実際、観光船に乗って船の人になったが、灯台のように高台に彼の腕くむ姿を見ることができた。


 この日は全くの快晴。
 滞在したホテルはアムール川の傍で、直ぐ近くに展望台がある。河の崖の上になっていて、建物の裏側にあるので見つけにくかったが、見つけるとたいした観光スポットだ。
 写真の塔は入場不可で、何となく頼むと、仁王だとした警備員が「仕方ないなー、特別にサービスだ。100ルーブルよこせ」そんな会話をして落ち着き無くベランダに廻り河を見下ろした。狭いベランダには四隅に隠れるようにして若者がたむろしていた。警備員のダチだろう。

1303) ⑥ロシア旅行(3日目) 「⑥ハバロフスク(3日目ー其の二)・6月18日(金) 市内観光」 _f0126829_9343832.jpg 儀式としての100ルーブル展望を終え、普通に見晴台をたむろしているとロシア人が声をかけてきた。

 「日本人か?良い機会だ、写真を撮らせてくれ?」
 朝から良い巡り合わせだ。こちらも記念写真をパチリ、それが左の写真です。老夫婦にお孫さんでしょう。気合いの入った立ち姿に気後れしそうです。

 午前中は展望台に面した、郷土博物館と美術館を回った。(昼からは前回紹介したダーチャ訪問。)施設巡りの紹介は後日にして、時系列に書いていきます。


1303) ⑥ロシア旅行(3日目) 「⑥ハバロフスク(3日目ー其の二)・6月18日(金) 市内観光」 _f0126829_9402766.jpg ←:郷土資料館の中に
大砲が備えてある。
 新婚さんだ。
 彼等の写真を撮っていると、「お前も中に入れ」と誘われた。この大砲の手前にドーンと座らされて撮ったが、余りに僕の姿がバカでかくて滑稽だから、その写真は割愛します。
 やはり、新婦は気合いが入っている。大砲はまさに男で、侍りかしずいている。新郎は笑顔を絶やさず良い人だった。大きな体躯のブーケが可愛い。女は大砲、男は小さなブーケ。




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 さて、アムール河沿いの公園から豪壮な階段を昇ると、教会と広場がある。そこから幅広の一本の道が、先日紹介したレーニン広場に走っている。つまり、船を利用していた時代はここが街の始点だったのだろう。公的な大目抜き通りでもある。シベリア鉄道が開通しても、その初期は船運の果たす役目は多かっただろう。軍人なども、象徴的に川岸に到着して、階段を昇り、広場で隊列を整えて、レーニン広場へと行進したのだろう。

 以下、河を昇った広場付近の景色です。ここからの風景はまさに「公的ヨーロッパ」の町並みでしょう。

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     ↑:「ウスベンスキー大聖堂と大聖堂広間」。

 ソ連時代はこの教会は壊されて無かった。2001年に昔の設計図を基に再建されたもの。だからきらびやかに輝いている。中は出入り自由だ。入ってみたが、狭くて薄暗い。中と外とは大違い。ロシア正教は中に座る場もない。信徒でない僕は正面の壁一面の宗教画を、ただ眺めるだけだ。近くに寄って絵画を見ていたら、警備員に「近づきすぎる!!」と注意された。

 石碑は十月革命から続いた国内戦争の祈念碑で、赤軍とバルチザンということ。


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 レーニン広場に通じる道は、「ムラヴィヨフ・アムールスキー通り」と呼ばれている。この道は何度も歩いた。「まだ行けずに想うヨーロッパの町並み」で、何度歩いても飽きなかった。車は多いのだが、道幅も広く、スピードも出していないので騒音を気にすることなく歩けた。

 以下、適当に市内のスナップです。


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     ↑:左は建物内の喫茶店。右は街中に沢山ある「お店」。いろんな店が市内の公道に並んでいる。市民には便利なことだが、言葉の分からない観光客にはなかなか利用しづらいものです。


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     ↑:あんまり可愛い果物屋さんなので、ついバナナを買ってしまった。量り売りでだ。四本量って、電卓で金額を教えてもらっての支払い。


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     ↑:バス・ストップの裏側。



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     ↑:街角の公園風遊園地。入り口には門はあるが、無料で出入り自由。面積的には大通公園の一丁区画ぐらい。


 遊び場ばかりでは何ですから、市内の労務者をパチリ。

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     ↑:何のお店だろう?
 ロシアは広告看板は極端に少ない。建物の窓も小さく、あまり商品を外部に誇示しない。ウインド・ショップによる店の探索もできない。その分、一様な壁面建築の落ち着いた街のたたずまいが見れる。だが、観光客の買い物なりの楽しみには不便だ。



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by sakaidoori | 2010-07-19 11:24 | (旅)2010年 ロシア旅行


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