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栄通記

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2010年 07月 14日

1297) ④ロシア旅行(2日目) 「④ハバロフスク(2日目ー3)・6月17日(木) 市街地」


 さて、だらだらと写真日記をつづけていきます。

 小学校からホテルに戻る形で、ハバロフスク市内中心地のレーニン公園へ。市街観光の始まりです。
 市街地の地図など、街の外形なりを大雑把にでも紹介したほうが分かりやすいのですが、それはおいおいと。


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     ↑:歩道橋からのレーン広場の全景。中央に噴水があります。何ともヨーロッパらしい雰囲気で、満足気分一杯だ。

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     ↑:新婦が広場内を力を込めて闊歩していた。新郎は見えない。関係者なのか、道行く人なのか、少年といきなりツーショット。
 今回、3度ほど純白のウエディング・ドレス新婦を見たが、服装といい表情といい、彼女達は皆一様な顔立ちで気合いが入った「喜びスタイル」だった。完全に新郎というか、結婚式をリードしていた。

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     ↑:広場を一周している道路の向こう側に「レーニン像」が対峙している。その背景の建物といい、広場を囲むように重厚な建築物が構えている。いずれも公共性の強いものだ。
 この公園は何度も行ったので、廻りの建物写真は今後登場するでしょう。

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     ↑:レーニン像からの眺め。

1297) ④ロシア旅行(2日目) 「④ハバロフスク(2日目ー3)・6月17日(木) 市街地」_f0126829_15121610.jpg 公園の向こう側に一本の幅広の目抜き道路が、真っ直ぐにアムール川に向かっている。
 アムール川を下り当地に上陸した人々は、真っ直ぐ進み、だんだんとレーニンの姿を仰ぎ見るわけだ。レーニンは「人民の指導者」として、彼等を迎えるわけだ。もっとも。ハバロフスク誕生は1860年頃だから、19世紀に銅像があったとしても、軍か皇帝関係者であったろう。







1297) ④ロシア旅行(2日目) 「④ハバロフスク(2日目ー3)・6月17日(木) 市街地」_f0126829_11305570.jpg 息子に意訳してもらった。
 「共産主義は社会主義の高度に発展したもので、労働は社会の求めに応じてなさなければならない」
 ソビエトは社会主義であり、より進んだ最高(理想)の共産主義をめざすものだ。その為には労働は必携のもので、強固な社会性を帯びている・・・そんな風にこの言葉を理解する。
 この理想主義は「社会」が「為政者」を意味し、利他主義が共産党主義であったのを歴史が明らかにした。言葉は美しかった、「美しい言葉には嘘がある」のだ。建前やロマンは一時の良薬になるが、永久の真理と思いこんだとたんに、話がややこしい方に向かっていく。言葉に人は支配される。
 資本主義の労働は欲望に奉仕する。「欲望」とはどこか嫌らし響きがあるが、嘘は少ない。今や欲望は内側から涌いてくる必然性を打ち破って、求めもしない多くの欲望が他者によって誕生している。「欲望」、悲しむべきか楽しむべきか、イヤ、身を任せるべきか拒否すべきか・・・それが問題だ。

 レーニン後のスターリンが、あまりにも凄い粛正を断行して独裁体制を敷いた。そのことによって、もし「レーニン長生きせば」という過度のよりよい期待感がレーニンに付きまとっている。おそらく、それはマルクス・レーニン主義の美化の反映だろう。スターリン的粛正はなかっただろうが、レーニン的粛正を実行しただろう。レーニンのソビエト革命そのものが、わずかなチャンスを最大限生かした所産だったのだから。廻りには「敵」だらけだった。まさに「革命」だ。明治維新の柔な変革主導者とはわけが違う。政敵「徳川慶喜」も貴族に列せられ、多くの「徳川家」ゆかりの者が財をなした。


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     ↑:極東国立人文大学。
 この正門は道路に面していて、大学という重々しい雰囲気はない。入ると警備員が改札口の職員然として座っている。何のチェックもなく素通りした。

1297) ④ロシア旅行(2日目) 「④ハバロフスク(2日目ー3)・6月17日(木) 市街地」_f0126829_122367.jpg 左の銅像はプーシキン。上の写真の左側にあり、歩道に面している。
ロシア人は詩を愛する民族らしい。だからプーシキンの人気は抜群だ。僕も若かりし頃少しばかり翻訳詩を読んだが、眠くて眠くて理解以前にロシア詩入門を放棄した。翻訳に問題があったのか、詩の感性が合わなかったのか?




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     ↑:大学内の風景。光燦々で清潔感あり、あっさりしたものだ。

 息子は、この大学の外国人の為のロシア語教育機関で学んでいる。3年弱の留学期間であり、この6月30日で帰国する。
 敷地内に寮があり、その部屋にも行った。日本人、中国人、韓国人が在籍している。
 彼は私費留学だ。一年の予定でお金を貯めて通った。折角のロシア滞在だから、その後の2年間の学費と寮費は仕送りした。その間の生活費は日本語教育のアルバイトがあったので、それで賄った。月1,000~15,000ルーブル(1ルーブル=約3円)ほど稼いだという。現地の人の月給が15,000~20,000ルーブルらしいので、相当の稼ぎだ。彼は日本語教育の資格など持っていない。初体験だ。日本語の有能なロシア人や日本人自体が少ないので、お声がかかったのだろ。教育能力も確認せず、雇ってから考えようということか。長く続いたのだから「良い先生」だったと思う。
 大学自体に日本語学科がある。そこのロシアの卒業生なりが高度の「日本語能力」を持っていれば、身内で賄えるはずだ。教育者を育てるまでにはなっていないのだろう。もっとも、日本人による日本語教育の方がより良いことには間違いない。そういう配慮かもしれないが・・・。

 以下、大学内の様子。

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     ↑:廻りの建物のどこからどこまでが大学かは分からない。

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     ↑:左は寮の鉄門。重い。古くさいというよりも、貧乏っぽいムードだ。
 狭い通路で監視員のおばさんとすれ違う。きつい顔。
 珍しく笑顔ですれ違う美人がいた。息子の知っている大学職員とのこと。見ず知らずの土地での見知らぬ人からの笑顔の会釈、不思議な感覚だが、何か幸せな気分。
 室内は本来は3人部屋だが1人で独占。2重窓だが、窓枠に大きな隙間隙間・・・、ベタベタと新聞で目張りしている。さぞ冬は寒いだろう。


 公園の散歩など、その後もみっちりと歩いた。
 ランダムに写真紹介です。

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     ↑:ビルの地下のマーケット。日本で言えば百貨店地下のマーケットにあたるのだろう。
 妻がトイレというので散歩途中で立ち寄る。
 地下にあるということで、天井が低く圧迫感がある。その近代的綺麗さが、不気味なくらいに寒々観を与える。場所柄、高級感があり高値みたいだ。


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     ↑:極東国立鉄道大学。

 妻がトイレだというので大学にお邪魔する。
 残念ながら中の警備員に断られる。外の鉄柵といい、「人文大学」と「鉄道」大学とは随分とムードが違う。「書物」は軽し、「鉄」は重し。


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     ↑:カフェ。

 仕方なく、妻の用足しの為に近くのカフェに入る。ムードはアメリカンでロシアっぽく無いのが残念。


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          ↑:散歩中の集合住宅。
 ベランダは物置場になっている。整理整頓とは無縁なようだ。


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     ↑:廻りは新興住宅街みたい。落書は雑然としているが、異国ムード一杯で、絵になっている。


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     ↑:極東フィルハーモニー・コンサートホール。

 夜はホテルの近くの音楽会に行く。写真は公演終了後の建物前の風景、会場内部、ホール。
 この日の演奏はバイオリン、チェロ、ピアノの三重奏。やや素人的な調べで迫力不足。独奏ではそれなりの技量を発揮していたのだが、重奏になるととたんに個性の無い音だった。
 満席に近い聴衆。婦人方はしっかり正装している。小学生も何人かいたが、子供のざわめき声が全くしない。こういうイベントに対するしつけはしっかりしているようだ。何より、大人が気合いを入れて音楽ホールにきているのだろう。


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     ↑:(22:13)アムール川に陽は沈んだ。川の向こう側の陸地は広大な中洲。その向こうに水の流れが見えるが、それが中洲の反対側のアムール川。この中洲はダーチャ(家庭菜園)があり、市民は畑作りに一所懸命になる。


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     ↑:川筋は市民の夏の祭り場だ。長い夜がまだまだ続く。

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     ↑:(22:36)大きなアムール川だ。ホテルは川に近い。2人だけで夕闇をのんびりそぞろ歩いた。


 

by sakaidoori | 2010-07-14 15:26 | (旅)2010年 ロシア旅行


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