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栄通記

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2010年 02月 05日

1185) ②エッセ 「6人の女流画家 『春への序奏』展 企画者・柴橋伴夫」 終了・1月19日(火)~1月31日(日)

○  「春への序奏」展
    ーいのちの形、そして色ー
       (6人の女流画家展 企画者・柴橋伴夫)
       

 会場:ギャラリー・エッセ
     北区北9条西3丁目9-1 
       ル・ノール北9条ビル1階
     (南北に走る片側2車線道路の東側。)
     電話(011)708-0606

 会期:2010年1月19日(火)~1月31日(日)
 時間:10:00~19:00
     (最終日は、~17:00まで)

 【参加作家】
 新出リヱ子 阿部正子 秋山久美子 古畑由理子 塚崎聖子 斉藤順子

ーーーーーーーーーーーーーーーーー(1・19 30)

 (1163番の①の続き。)

 (以下、敬称は省略させて頂きます。)

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 日が暮れて当館の前を人が歩む。何もない真新しい空間に、黄色の作品が飛び込んでくる、新出リヱ子の作品だ。ほとんどの通行人は行き過ぎるばかりだが、何程かの影響を与えたのは間違いない。それがたとえ大きなお世話であっても良いではないか。所詮、画家は自分勝手な美学を恥じらいを込めて他人に見せているのだから。

 阿部正子・作品の写真がピンボケだったので、再訪問。色は踊り空気は澄んでいる。外にも開かれていて、何度来ても楽しめた。


◎ 阿部正子の場合

1185) ②エッセ 「6人の女流画家 『春への序奏』展 企画者・柴橋伴夫」 終了・1月19日(火)~1月31日(日)_f0126829_20453223.jpg
     ↑:道展会友・阿部正子、「予感 Ⅱ」・162.1×162.1㎝。

 入り口の脇の展示。

 一年前の今頃に、3人展で画家のおおよその全貌を知ることが出来た。
 907番の記事に、その時の様子を書いている。そこに、

 「・・・背景の装飾性と全景の浮遊感、どう発展するのだろう?どちらに重きをなしていくのだろう?
 それはひとえに写実性の理解に落ち着くのかもしれない。より細密性を高めるのか?サイケデリックに溢れんばかりの『人生いろいろ』をめざすのだろうか?・・・」

 絵は間違いなく上手くなったと思う。画面一杯に手抜かり無く描き込まれている。なのに、なぜだか非常に印象薄い存在であった。
 僕は彼女の作品の背景というか、装飾性の発展に期待していたから、僕の期待と画家の方向性が一致しなかったのだろう。

 とにかく印象としては、一杯描いているのに、メリハリが少ない。全ての画題は人物の心象なりムードを補う手段になってしまった。それでは、人物が生き生きしているかというと、この女性像の何を訴えたいのかが伝わらない。娘さんだろうか?自分の少女時代だろうか?どちらでもいいのだが、熱帯林や海洋の中で一人座りたたずみ、何を思い浮かべているのだろう?

 おそらく、「人を画く」という意味の問いかけが足りなかったのだろう。
 確かに以前の絵も、中央に花が描かれて、それらに絡むようにうるさくペンギン達が泳いでいた。花を見たくても、泳ぐペンギンがうるさくて、焦点が合わずに困ったものであった。見にくかったが絵としての可能性があった。今作、ペンギンがどこにいるかも分からない程絵に埋没していた。何より、人は花とは違って、特異の主張をする。画家はそれに真正面に向き合わなければならない。人を装飾性の一部にする程の魂胆が画家にはあるのだろうか?
 失礼な言い方だが、画家は重い精神性を表現するタイプでは無いと思う。オテンバ的な自由を主張するタイプだと思う。中年男性である僕は、それが見たいのだ。その自由をきらびやかで、全てが等価で、ううるさい装飾性の世界で発揮されると思っていた。今回、絵が「上手さ」という足かせをはめて、画家の天真爛漫な自由さを奪ったようだ。形に納めすぎたようだ。

by sakaidoori | 2010-02-05 22:50 | エッセ


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