栄通記

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2009年 12月 21日

1140) CAI02 「酒井広司・写真展 『Sight Seeing』」 終了・12月5日(土)~12月19日(土)

○ 酒井広司・写真展
   『Sight Seeing』

 会場:CAI02・raum1
    中央区大通西5丁目 昭和ビル・B2 
    (地下鉄大通駅1番出口。
    注意⇒駅の階段を下りてはいけません。
        昭和ビルの地下2階です。)
    電話(011)802-6438

 会期:2009年12月5日(土)~12月19日(土)
 休み:日曜日(定休日)
 時間:13:00~23:00 

※ ギャラリー・トーク  ⇒ 12月12日(土) 18:30~ 
                 ゲスト・佐藤友哉氏(道立近代美術館副学芸員) 

ーーーーーーーーーーーーーーー(12・19)

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・ 見事な中央写真!!

 「撮りたい物、描きたい事を真ん中にすえるのを避けや!」、構図において、中央にドーンと物を置くのを避けたほうがいいといわれる。
 それは決して悪いことではないのだが、経験則として、中央からずらしたほうが動きがでたり、間が生じたり、見る人の目を画面全体に誘導させたり、テクニックの一つのようだ。
 写真の場合、そういう作品を「日の丸写真」といって、戒めの言葉としている。

 だが、酒井広司・写真は見事に被写体が真ん中にある。しかも、水平線も多くは中央ラインを描いている。
 ということは、顔を上下せずに目を真正面にすえて、撮りたい被写体をにらんでシャッターを押す、ということだ。


1140) CAI02 「酒井広司・写真展 『Sight Seeing』」 終了・12月5日(土)~12月19日(土) _f0126829_1921569.jpg 作品内容は風景写真オンリーだ。街は無い、人も居ない、家も無い、アスフアルト道路も標識も無い。わずかに船の群れを小さく撮っているのが一枚あるだけだ。
 そして、場所を特定できる被写体を見つけるのはとても大変だ。
 個々の写真はボケを利用したり、岩をどっかりと撮って特徴的なのだが、全体は似た作品とも受け取れるし、作品と「会話・対話」するのを拒否しているような冷たさを感じる。


 無名性の作品群ではあるが、その作品の多いことには驚かされる。
 つまり、写真家は冗舌なのだ。これでもか、これでもかと、自分の思いを伝えたくて仕方ないのだ。サービス精神旺盛とも受け取れる。人を拒絶したような作品とは裏腹に、「作品集」あるいは「作品展」として、多くの目をほっしているのではないだろうか?禁欲さと人恋しさが埋まった展覧会だ。

 「真ん中撮りとして儀式のような撮影行為」、「一点を見つめる強制的視座」、「不特定性・無名性としての風景作品」、「あらん限りのサービス精神」・・・これらで写真家は何を撮りたいのだろう?

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 (↑:作品は全て“年・月・日・時・分・緯度・経度”の数字が並んでいる。
 どこにでもある風景だが、それでは見る人には不親切と思ったかどうか?単に自分の日記という意味かもしれない。
 無味乾燥的にして、サービス満点。)




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 会場には30年前に発表された作品の作品集が売られていた。
 「夏の消失点 1979」。30枚の写真をカバーに挟んだだけなのだが、立派な写真集だ。作品自体は在学中のもので、賞を確保した記念すべきものだ。それらを今年の3月に製本し、1,000円で販売している。安い!すぐに買った。ここにも彼のサービス精神一杯だ。(今展の無料パンフも用意されている。屏風仕様で10枚の写真が載り、小さいながらも手に優しく、中味は濃い。)

 間違いなく、そこには氏の原点がある。
 被写体に半歩近づき、風景、人物、人工物を撮っている。
 やはり水平線のある作品もあるが、不安定で揺れている。写す青年写真家の情熱・ブレと同時に「空間に何かを感じる、それを見たい」という喜び苦しみという情感が充満している。
 (今展に多くある前景の被写体のブレはこの写真が原点だろう。ブレるのは人でなく植物になり、中央にいたり四隅に居たりと主役から脇役になり、空間に働きかけている。)

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 上の写真が今展を最もわかりやすく語っていると思う。
 ピントを後ろの岩に当てて、中央の青年はボケている。まるで心霊写真のようだ。
 このブレた青年の位置に撮影家は何かを見つめていると思う。この青年がいないとどうなるか?そこを見たいのだ。
 半歩被写体に近づいていた写真は、30年後には1歩下がった写真になった。この広がった空間に、具体的な何かを見つめているのではないか。まさに、タイトルの「消失点」の追及・追体験が、以後の撮影者の道になったのではないか。
 
 30年前のこの岩はスクリーンのような物だった。岩までの空間体験の月日が、岩それ自体を見る目を養った。岩(被写体)は空間の影であり、実にもなった。
 水平線は心象ムードをかきたてる小道具だったが、酒井・写真儀式の神主のような物になった。


 作品に比喩・象徴・暗喩を読み取れるかもしれない。
 だが、僕は「消失点」という具体的な物を撮られる撮影家だと感じた。
 「消失点」、それは「確保点」かもしれない。


 

by sakaidoori | 2009-12-21 19:38 | CAI02(昭和ビル)


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