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栄通記

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2009年 11月 30日

1101) たぴお 「抽象三人展 鈴木悠高・風間虹樹・石川潤」・終了 11月23日(月)~11月28日(土)

○ 抽象三人展
   鈴木悠高・風間虹樹・石川潤

 会場:ギャラリーたぴお
    中央区北2条西2丁目・道特会館1F
    (中通りの西側の郵便局のあるビル。)
    電話・林(090)7050-3753

 会期:2009年11月23日(月)~11月28日(土)
 時間:11:00~19:00
     (最終日は、~18:00まで)

ーーーーーーーーーーーーー(11・23)


 「三者三様の美学・意欲」

 3人で開くには決して広い空間ではないが、それぞれがしっかりと型を作って発表していた。(以下、敬称は省略。)

 ・石川潤の場合

1101) たぴお 「抽象三人展 鈴木悠高・風間虹樹・石川潤」・終了 11月23日(月)~11月28日(土)_f0126829_12141294.jpg
 (全作品。全て無題。)

 花柄をうかがわせる抽象画。「黒と色」とによる対比的展示だ。
 初めて見る石川潤の黒い世界は圧巻だった。本展はこの絵を中心に見てしまった。その迫力、絵に対する意気込みが強く伝わってくる。印象深い作品だけに課題も心に残った。

 展示構成を「黒と色」にしているが、ここは明快に「黒と白」の方が良かった。グループ展なのだから一点に徹する心で臨んだ方が発表の収穫があったと思う。「白を基調にした色」ではなく「黒と白」の仮想対峙だ。
 なぜかと言うと、今回の黒作品は普段画いていない作品だと思う。新たな石川絵画のワンステップだと思う。俗に言う実験画だ。カメラレンズのように焦点が中心にあって、拡散・拡大を基本にして素早く丁寧に美しく仕上げる。自分自身から出てくるものを信じている。その姿少し野暮ったくて、筆跡を残さない作品の仕上がりとは逆に、泥臭く男臭い。実に好ましい。石川潤は決して器用な画家ではないだろう。高邁な美学や信念の持ち主ではないだろう。それを探している青年なのだが、たたずまずに一心不乱に絵に打ち込んでいる。
 現段階ではのこの画家の魅力はそこにあると思う。激しい書き込みで「上手く」なっているのを見るのは実に眩しいものだ。ということは、まだ「何か」を僕らに提示してはいないということだ。この黒い大きな絵を遠くから見ると、意外に平板だ。動きも少ない。思うに「黒」の理解や表現の弱さだろう。そこの処を顕わにさせる為にも「白」の作品が欲しい。

 独自の空間を作りたいのか?抽象画という実体を作りたいのか?心象画風に転換するのか?絵が上手くなることに拘る時期は卒業していいのでは?より「何か」に拘っていくのだろう。
 石川潤、函館在住の多作で一途な青年画家。来春の北海道抽象派協会展にも参加すると思います。


 ・ 鈴木悠高の場合

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 黄色の人・鈴木悠高。

 石川潤が前に前に行こうとしているならば、鈴木悠高はどこまでも「この地点」に立ち止まって、今を見つめようとしている。意欲という表現主義的方法から一歩退いている。本当はポロック張りの抽象表現が好きなのに。

 「この地点」とはどの地点なのだろう?おそらく自己の信じる「美術哲学と美術様式」なのだろう。それを「黄色」に徹することによって確認し、見る人という社会との関係を模索しているのだろう。そのことが今の黄色ばかりを表現することによって成就されるかどうか、それは分からない。彼の選らんな道だ。鑑賞者は表現者にあれやこれやの期待をするものだ。だが、見る僕らは完璧な受身だ。あれやこれや言いつつ、画家の行為を楽しく見ていこう。

 今回は既発表作品とのことだ。額と言うべきか、縁取りを白くして、壁の白さと一体化させている。白壁という空に黄色い雲が存在している。その黄色い作品を見続けていると、今度は作品が空になって、白い雲が大きく浮かび上がってくる。
 この黄色い絵、極力肉声を削ぎ落として「美しく優しく」に拘っているようだ。麗しき壁紙だ。「壁紙」という言葉を馬鹿にしてはいけない。心落ち着くと同時に、何かが心から出てきそうな感じ、それが壁紙的絵画であり、抽象画の一つの顔だと思っている。

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・ 風間虹樹の場合

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 帯広在住で、昨年・今年と道展入選作家。定年されてから美術に精力的に取り組んでおられるようだ。

 二点一組の対形式、しかも同じ大きさで縦横、背景の模様は替えながらも背景にドローイングにドロッピングと云うスタイルだ。非常に理知的な型で、作家の思考スタイルが伺える。

 初めて見る作家だ。
 自然観を表現しているようだ。上描きの激しさが自然の生命力なのだろう。それらの躍動感が一つのリズムというか詩的な諧調を生んでいる。
 計算された展示スタイルといい、その浅き絵画歴以上に作品をまとめきっていることなどに、人生経験からの美術への応用力の高さを思う。
 残念なのは余りにも絵画を「作り過ぎ」ていて、作家の絵画自体の強い思いというものが希薄になったみたいだ。上手くまとめきった魅力以上の、画家の生理なり作品自体の魅力が伝わってこない。

 絵は意図的に制作されるのだから、「作り過ぎ」は当たり前なことだし悪いことではないだろう。だが、見る方は「作り過ぎ」から垣間見える作家の苦労なり拘りが何とも言えない魅力だ。「作り過ぎ」が原因で「下手な作品」と言われるかもしれない。上手いとか下手とかは非常に大事な問題だが、作品の魅力の全てではないだろう。そういうことを通して、その画家にとっての「絵とは何か」という自覚と視覚化がなされていくのだろう。そんなところと付き合って見ていくのが地域なり地元の鑑賞家の喜びであり、画家と鑑賞家の目に見えない交流があるのだと思っている。

 おそらく、風間虹樹氏は絵画というものに出会えた、絵画を制作できた、そういう喜びに浸っているのだろう。こういう形での発表は初めてだろう。
 サー、次はどんな作品を画くのだろう?きっと今回の若手との語らいや展覧会の刺激が絵に付加されるだろう。
 何かを描いたというよりも、絵画の虜になったのだという画家魂の根っ子が滲んでいる作品を期待しよう。

 

by sakaidoori | 2009-11-30 13:28 | たぴお


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