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栄通記

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2009年 06月 28日

1024) 菊池邸予定地 「612621」 終了・6月12日(金)~6月21日(日)

○ 612621
    (4人の作家による展覧会)


 会場:旧Wander Archi建築設計事務所
     (菊池邸建設予定地)
    東区北11条東6丁目1ー23
    (駐車場無し、市立北光小学校南向い。)

 会期:2009年6月12日(金)~6月21日(日)
 時間:13:00~19:00

 企画・主催:612621プロジェクト

 【参加作家】
 小林麻美 ミウラアヤ 安藤文絵 真砂雅喜

■ オープン・スタディオ(公開制作) :6月5日(金)~6月7日(日)
■ ペイント・プロジェクト(安藤史絵) :6月13日(土) 13:00~17:00
■ オープニング・パーティー  : 持ち寄り形式。 6月13日(土) 18:00~

■ トーク・イベント :6月12日(金) 19:00~21:00 無料
             北海道大学工学部建築都市スタジオ棟・MITSUIホール
             (北13西8) 
         パネリスト・小林麻美 ミウラアヤ 安藤文絵 真砂雅喜
         協賛    ・菊池夫妻


ーーーーーーーーーーーーーー(6・20)

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 上の写真が今展の会場。

 今展は参加作家が自己表現をするだけに止まらず、「場」ということを再考しようという意図があるかもしれない。その主体は場の提供者か、参加作家か、目に見えない誰か、かもしれない。
 鑑賞時も2階では中年男性を中心に激しく意見交換をしていた。協賛夫婦を交えたトーク・イベントもある。会場には穂積利昭氏が詳細に「場」のことをパンフレットで語っている。「作家ー作品」関係だけを語っても仕方がないかもしれない。だが、たった一回きりの一会場での展覧会で、「場」をどうのこうのと言っても仕方が無い。その気があるのなら、不定期でも構わないから、こういう展覧会を開いて欲しい。開いてもらいたい。こちらもその方面に意識を高めて見に行こう。

 (展覧会はミウラアヤの文学作品、真砂雅喜の映像作品、安藤文絵の鑑賞者参加型のペインティング作品と刺激的であった。
 それらを無視して、小林麻美作品を語ることにしよう。
 作家とも会話したが、作品理解のためというよりも、久しぶりに小林麻美という人の肉声と向かい合いたかった。)

○ 小林麻美の場合。

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     (↑:小林麻美が見ていたであろう、会場向かいの風景。暗がりの撮影だったので、かなり修正しています。)

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     (↑:1階の窓。住宅の玄関横ににこんなに大きな閉め切りの窓は作らない。店舗用の改造でもしたのだろう。画家はここから覗いて風景を描いたのだろう。)


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 垂れ流しの部分もある、半分はマスキングを利用したすだれ模様の画面だ。技巧性は確かに強いのだが、あまり作為を感じさせない。絵そのものを静かに濃密に描いている印象を受けるからだろう。それと、画家には失礼だが、絵が上手くなったと思う。特に色の出し方というのか、色そのものや色と色と隙間を魅入らせる表現力が格段に良くなったと思う。
 問題は上手くなったことと表現したいこととの相関関係だろう。表現したいことの延長上の上手さというよりも、画家を続けている事からの上手さではないかと思っている。だから、その上手さに彼女の主張が意図的に含蓄されているかは少し疑問である。

 小林麻美はある種の風景に体質的な違和感を持ち、その原因を見定めようとする人だと思っている。おそらく、自分の中の制御出来ない異質なものを抱えていて、その反映として風景が眼前にあるのだろう。負けじ根性の強い人だ。自己探求の強い人だ。正体を見定めたいために、異空間とも思える世界と格闘し、見定めようとしている。その行為が彼女特有の「窃視的」覗き見として語られる。

 もしかしたら本当に異次元・異空間を感知しているのかもしれない。だがその前に自分自身のブラックホールを見つめなければならない。
 自分自身を見ること、それはほとんど「過去」への探求と同義だろう。苦しい過去もあれば、懐かしき過去もあるだろう。探求を伴わない時、人はそれらを「思い出」と語る。

 会場備え付けの穂積利昭氏の文章によると、今展は祖父を中心にした家族の思い出が重要なモチーフとのことだ。
 確かに、画面に漂う淡々とした静けさや、すだれ画面は思い出の反映なのかもしれない。それに絵の巧が加わった。

 だが、もし思い出のみを描いている小林麻美ならば、これほど面白くない事は無い。
 もし本当に「思い出」のみが重要な要素ならば、今の彼女は画家の踊り場にいるのだろう。溜め込んでいるのだろう。

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1024) 菊池邸予定地 「612621」 終了・6月12日(金)~6月21日(日)_f0126829_1353876.jpg 会場に備え付けの評者・穂積利昭氏の文章を左に載せます。拡大して読んで下さい。


 具体的で詳細な言葉です。
 単なる展覧会の一つという認識でしたが、表現者の作品以上のメッセージが今展にはあったのでしょう。


 ところで、穂積氏の文章に一つだけ疑問があります。
 
 今展のような、建築物などを含めた場所特有の記憶の掘り起こしとしての「場」、それにからむ他の団体の活動一般に対して、「ある種の欺瞞性を感じる」と看破されています。
 明快な主張でとても良いと思う。

 ひるがえって、今展に対して、「そうした欺瞞からはかろうじて免れている」と語って筆を置いています。

1024) 菊池邸予定地 「612621」 終了・6月12日(金)~6月21日(日)_f0126829_1426302.jpg 唐突に「場」の美術専門用語を語りだして、何となく言いたいことは分かるのですが、しかし、「欺瞞から逃れている」と何をもって言い切れるのでしょう?自己肯定のための安易な他者批判の域をでない結論だと思います。
 面白い展覧会でしたが、他者の批判をせねば成り立たない展覧会とも思えません。
 それに、「意欲的な」グループ展というものは必ず欺瞞性がつきものです。今は個人の行動様式が多様化した時代です。そこに多数が集まれば必ず欺瞞・温度差・力関係が発生するものです。今展も参加作家の個々の意識を離れて集団としての「欺瞞」は必ずあるはずです。集団としての今展の欺瞞性の指摘が始めにあって、その後に他者の批判があるべきだと思います。

 穂積さんはきっといい人なのだろう。それで、ついつい必要以上のリップ・サービスをしたのだろう。

by sakaidoori | 2009-06-28 14:35 | ★その他


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