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栄通記

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2009年 01月 15日

872) 時計台 「野口裕司・個展 “may be”」 1月12日(月)~1月17日(土)

○ 野口裕司・個展
    “may be”

 会場:札幌時計台ギャラリー
    中央区北1西3・札幌時計台文化会館
    (東西の中通りの北側にあるビル)
    電話(011)241ー1831
 会期:2009年1月12日(月)~1月17日(土)
 時間:10:00~18:00 
     (最終日は、~17:00まで)

ーーーーーーーーーーーーー(1・13)

872) 時計台 「野口裕司・個展 “may be”」 1月12日(月)~1月17日(土)   _f0126829_1673582.jpg


 毎年この時期にこのビルで個展を開く野口裕司。僕は彼のことを「皮膚の人、あるいはレシーバー」として見てきた。皮膚という境界で、美しくエロチックに表現していると思う。最近は激しい作品が多い。川を向こうとこちらを隔てる境界として見た時、中国の黄河下流のように対岸が見えない川もあれば、谷間を激しく流れる姿もあろう、風光明媚な自然の移ろいを映す時もあろう。野口・川(皮)はなかなか手強い。様式を固定せずにあれこれと見せてくれる。

 今展、厚みはあるが軽いプラスチック版を屏風仕立てにして、それに絵を描いている。左右対だ。しかも、プラスチック版の裏表に描かれていて、反対側が透けて見えるから裏表で一体をなしている。全部で4面に描かれたことになる。絵が川になり、見る人も通路という川を流れながら見ていくことになる。

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     ↑:①・左側の激しい落書きとも暴力の証とも言える絵。

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     ↑:②・①の裏側には細い筆での書のようなドローイングの世界。ゴチャゴチャした隙間に線がしみ込んでいる、進入していく。

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     ↑:③・右側の屏風。裏側はにじみ(垂らしこみ)による茫洋な世界だ。表からの線によってそれらは輪郭を鮮明にさせて、妖怪のように生きる姿として立ち上がっている。それは余りにも古典的である。古典から飛び出そうとする悶えもある。古き美しくさを見るか、様式美を見るか?僕は今という可能性に挑みかけた前触れとして見た。もちろん、野口裕司に対する期待度の反映だろう。


 僕は激しく汚い屏風を背にして、絵画としの模様がうねっている屏風を中心にして見ていった。だが、僕には背中にも目があるので、黒い描き殴りのエネルギーをだんだんと強く感じてきた。まるで、ドロ池に浮かぶ蓮に座って、その美しい蓮の花を見る思いだ。激しい空気の中での静寂を堪能することが出来る。
 美しい屏風ばかりを見ていて、振り返って落書き画をあらためて真面目に見据えると、汚さの中にいろんな残像が浮かんできて、たんなる落書き線がドーンと意味ある姿で立ち現れてくる思いがした。「意味」といっても、何を表現したいかが分かったということではない。こういうことをせざるを得ない心境なんだなー、そういう時はこういうことをせねばならないのだろうなーと、一人うなずいてしまっただけだ。

 会場には詳細なパンフが用意されている。いつもより優しく丁寧な感じだ。

 「・・・、ある外国人と2人きりで食事をする機械があった。彼も私も母国語以外はそんなに話せない状態だったが、・・・。注文したパンを食べつつコミュニュケーション(は)・・・パンのトレイにのっていた紙への絵での筆談だった」。文章はそれからコミュニュケートのための言語以外の五感や皮膚的な直感という思弁的考察に入り、「今回の作品は、全て“may be...”という題名で、変形屏風によって、自と他の界面でのわかろうとする心のうごめきと、うねりをあらわしました。・・・・空間を仕切りました」。

 野口裕司の分かろうとする心の動きの視覚化が、僕らに何をもたらせたか?彼自身の個的な小さなさざなみ、それは川の始まりのあまりに小さな姿かもしれない。他人の個的なさざなみと重なって、どれほどの激しさと緩やかさで大地を流れていくことができるのだろうか?小さな流れで終わるかもしれない。長い川に成長するかもしれない。


872) 時計台 「野口裕司・個展 “may be”」 1月12日(月)~1月17日(土)   _f0126829_18445262.jpg 会場には今展のタイトルの別の表現手段として108枚のCDケースと微妙に中身をかえているというCD作品が用意されています。一枚500円。視聴も出来る。買ったのだが、我がパソコンは不具合があって物によっては再生できないのです。野口・ワールドもそうだった。

by sakaidoori | 2009-01-15 18:45 | 時計台


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