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2012年 06月 02日

1780)②「大木裕之・滞在制作展『メイ』 友情参加・森美千代(写真)」テンポラリー 5月29日(火)~6月3日(日

 
○ 大木裕之・滞在制作展 

   「メイ」 

      友情参加:森美千代(写真)
      


 会場:テンポラリー・スペース
      北区北16条西5丁目1-8
     (北大斜め通りの東側。
      隣はテーラー岩澤。)
     電話(011)737-5503

 会期:2012年5月29日(火)~6月3日(日)
 休み:月曜日(定休日)
 時間:11:00~19:00

 ーーーーーーーーーーーーーー(6.1)

 1779)①の続き。
 (以下、敬称は省略させて頂きます。)


 森美千代の写真は2階だ。


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 当初から、大木裕之の展示に合わせた「ゲスト・森美千代写真展」という話はあった。考えるところがあって参加を見合わせていた。が、「大木裕之・ゴミの山展」を見て、全身全霊触発された。何の用意もしていなかったが、そこは写真家である。写真は家に五万とある。
 「何でも良いから貼っちゃおう。大木裕之と一緒に過ごそう。あのゴミの中に私の写真を置きたい!」
 そうして2階は森美千代・写真展になり、当展は「森のゴミ展」になった。


 植物という生き物をいろいろな角度から撮ったり、建物の見え方の面白さに迫ったり、写真を切り刻んで織物風にしたりと、表現の引き出し内部が垣間見える。ビニール版への転写・作品化という点は、いままでにない試みだ。陽を浴びる2階を意識したのだろう。屋根裏という事もあり、アナログ写真の成立過程を見るようだ。銀塩の現場は暗い、ここは明るくてパソコン処理でもあるから、似て非なるものだ。
 それよりも、光を浴びて作品が小さく見えた。透き通って、写真の骨組みしか見えないからだろう。それと、近づいて鑑賞という雰囲気ではない。ここは足下が不安で、鑑賞ではなく雰囲気を味わう空間だ。
 作品がもっと大きければと思うが、今回はそんな細かいことは無視しよう。いきなりの飛び入り参加で、「ここまではいつでも直ぐにやれる人」ということを証明した。もっとも、個人的にはここを突き抜けるぐらいの勢いを期待している。

 四方山話に花が咲いた。おまけに帯広からの美術家も一緒だ。帯広女史のフットワークの軽さには頭が下がる。蝶々ですね。というわけで、個別作品を取り損ねた。上の写真をクリックすれば、おおよそは見当できます。

 

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 栄通     :「オッ、エッチだね~」
 帯広の女史 :「あら、これセクシーね~、良いわね~」


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 森美千代は写真を「作る人」だ。過剰暗闇だとか、露光200%とか、要するに写真を化粧をする。熟女だから化粧も分厚い。
 上の作品はネガ風の写真を丁寧に切って、几帳面に織ろうとしている。ここで終わればお洒落なデザインだ。


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 物語が展開しそうな場だ。



f0126829_1126292.jpg 「3日までです。日曜日までです。よろしく」























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by sakaidoori | 2012-06-02 12:17 | テンポラリー | Comments(2)
2012年 05月 19日

1757) アバウトの写真・31回目 「高橋彩美・写真展 『ゆめのわ』」より 2012年5月3日(木)

    
○ 高橋彩美・写真展 『ゆめのわ』」 より        

 会場:札幌市資料館2階3室
      中央区大通西13丁目 
       (旧札幌控訴院。
       大通公園の西の果て)
      電話(011)251-0731

 会期:2012年5月2日(水)~5月6日(日) 
 休み:
 時間:10:00~19:00
      (最終日は、~16:00まで)

ーーーーーーーーーーーーー(5.3)

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 今回は高橋彩美さんの写真です。


 この作品は組作品の一つで、組作品で構成された壁面の中央に展示されていた。展示効果のために大きな顔を目立つ場所に据えたのかもしれない。一方で、「この作品を見よ!」という撮影者の強い意図もあると思う。
 素直に少女をアップで撮っている、ただそれだけのことかもしれない。それだけのことだから、ブログの顔として毎日見るには良いかもしれない。

 普通に真ん中で撮る、しかも接近して撮る、何だか基本のような気がする。しっかりと相手を見る。それから先は、突き放したり、遊んだり、覗き見したりと、いろいろ付き合い方も生まれる。
 実際、彼女の写真個展はそうだった。


 「この写真、どんな感じで撮ったの?」
 「・・・、ただこう・・・、カメラを向けてバッシ・・・何ですけど・・・あんまり考えてないの・・・」
 そう言いながら、写真を撮るポーズを見せてくれた。
 被写体に半歩近づき、カメラを持つ手の仕草も子供っぽく、全く普通の少女然としているだけだ。だが、彼女の目線は強い。愛情を持って被写体に迫る。カラーで可愛く撮ってはいるが、茫洋とした質感はフックラとしてたくましい。

 児童期の作品ばかりだった。自画像として見て構わないだろう。
 直ぐに大人を老人を撮ってくれとは言わない。できるならば、思春期青春期を、見たい気持ちは膨らむ。


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     ↑:会場からの大通公園の様子。ここは2階だから、はるかに見晴らせて気持ちが良い。まるでお伽噺の世界だ。



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 お礼状が届いた。個展時の写真を使っている。
 会場の作品はもっと光沢が強かった。それは紙質によるのかもしれない。茫洋とした雪の中、赤い少女は夢が一杯だ。
    


  

by sakaidoori | 2012-05-19 08:36 | ★アバウトの写真について | Comments(0)
2012年 03月 08日

1650) 「栗田健・絵画展 『Portrait』」 af 終了・2月21日(火)~3月5日(月)

   
○ 栗田健・絵画展 
     『Portrait



 会場:札幌アリアンス・フランセーズ
      中央区南2条西5・南2西5ビル2F
       (入口は西向き。
       エレベーターでのみ2階へ。)
      電話(011)261-2771 
 
 会期:2012年2月21日(火)~3月5日(月)
 休み:日曜日・祝日(定休日)
 時間:10:00~19:00
     (月曜日は、12:00~19:00。土曜日は、10:00~18:00まで)

ーーーーーーーーーーーーーーー(3.5)

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 作品は2部構成だ。黒い線描の似顔絵と絵画群だ。


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 今展は似顔絵が面白い。ほとんどはモデルを目の当たりにした早描きなのだが、いろんな運筆がある。踊るような輪郭線、空間を切り刻むような線、落書き風の意味不明な線描などなど、多くの作品を一気に視野にできる。小さい絵の集合なのだが、全体が大きなうねりとして目に迫ってきて、思いのほか迫力がある。

 私好みのみですが、大きく載せます。

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 ロマン、激情と、モデルにより、自分の調子により、いろんな線を愛用している。「人物が空間から涌き上がる」、というイメージみたいだ。先走って言えば、「湧き出る」が栗田絵画の基本だと思っている。


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 これらは、ライブにおける臨場感を表現したとのこと。暗闇での絵描きの絵メモだ。意味不明ではあるが、他の線描画の中にあって、リズムやアクセントになっている。画家の隠れた表現を見るのには良い材料だ。


 何かの展覧会で、「全てはデッサンから生まれる」という言葉を読んだ。それにならえば、「全ては線から始まる」と言いたくなる。太い線、細い線、弱い線、強い線、神経質であったり悩みながらの走り描き、感情直裁型や感情拒否型の構築物などなど、分類すればキリがない。概ね発表以前の場合が多いから、上手い下手をこれらの線に問うのは無意味だ。絵画の楽しみからは最も遠い。
 線からある程度の距離をおいたものが絵画だろう。もちろん、線=絵画という表現者もいる。が、完全に線=絵画という作家はいない。なぜなら、線は空間を生むが、絵画は空間を初めから含んでいるからだ。空間を前提にして絵画は成り立つと思っている。


 さて、空間表現に留意しながら栗田絵画を見て下さい。

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          ↑:「ポートレート 12-1」・水彩。

 パッチリと目を見開いて、そこにいる。
 氏はイメージ画家だと思う。だが、茫洋としたイメージに身を任せる感じではない。この目に現れたように、強い視線で絵画世界を見つめ、強くイメージを立ち上げたいという願望の持ち主だと思う。


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     ↑:(左から)「ポートレート 12-2」・水彩 水彩紙、「写真 12-2」・水彩 水彩紙。

 「写真」というタイトルが象徴的だ。暗室でいろいろと加工されて写真が生まれる。「この作品は『栗田健』によって加工された結果だ」と、いいたいのだろう。紙(支持体)に、見えないものが見えるように涌き上がってきた。


 会場全体を見てもわかるように、少数の作品が沢山あってうるさいくらいだ。壁全体がリズムやハーモニーを生み、音楽になっていればいいのだ。氏のロマン主義も良い味付けになっているだろう。
 湧き出るイメージの深みと幅、しかも「強くあれ」という強情さ・信念をもを楽しむことができた。


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by sakaidoori | 2012-03-08 00:03 | af | Comments(7)
2011年 02月 10日

1456)②「ヒトリヨガリノ2人展 『カフェテリア』」・アートスペース201 終了・2月4日(木)~2月8日(火)

○ ヒトリヨガリノ2人展

     カフェテリア
 


 会場:アートスペース201 
     南2条西1丁目7・山口中央ビル 6階C室
     (東西に走る道路の南側。)
     電話(011)251-1418

 会期:2011年2月4日(木)~2月8日(火)
 休み:水曜日(定休日)
 時間:10:22~19:00

◎知北梨沙×舞踏◎ 2月4日(金) 19:22~ ×羽山瞳 
              2月5日(土) 16:22~ 
              2月6日(日) 13:22~ 
              2月8日(火) 19:22~ ×羽山瞳
              
 
 【参加作家】
 チキタリサ 羽山瞳 齋藤ちい(ゲスト)

ーーーーーーーーーーーーーー(2.5)

 (1450①の続き。)

 (以下、敬称は省略させて頂きます。)

 前回は知北梨沙と齋藤ちいの舞踏を報告した。
 今回は羽山瞳の写真です。



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 羽山瞳は舞台のスタッフとして張り切っていた。
 しかし、写真作品はそんなに張り切っていなかった。悪くはないのだが、良くもない。

 舞台の背景装飾としての写真作品群だ。言葉を添えたり、流れる並べ方に詩情を込めている。実際、写真そのものも心象を風景にオブラートしたような雰囲気だ。だからか、これぞという自慢の一群なり目を惹きつける強さには欠けている。「心象気分の風景世界をそれとなく楽しんで下さい」と、見る人にほほ笑んでいるみたい。それは羽山瞳のサービス精神なのだろう。ほほ笑みを感じるから、こちらも何となくクリスタル気分でフワーッと見てしまう。本当に微笑みあってまた合いましょうという展示目的ならば大成功だ。

 僕は違うと思う。おびただしい数のスナップ写真だ。自分の部屋を暗室にして焼き付けもしている。単なるサービス精神だけではこうはいかない。とりあえずは数で勝負!それは良い。その後が良くない。被写体に対する距離感が一定で、安心距離に思える。近づいたり遠ざかったり、高みから低みからとフットワークに欠けている。展示は流れているが、作品には動きが乏しい。
 例えば知北梨沙を撮るのに、ググッと迫って唇に指先にと迫ってはいない。羽山瞳好みの朽ちた壁を大きく背景にして、壁と戯れる場を遠くから撮ってはいない。被写体と同姓なのに、何を遠慮しているのだろう?
 風景スナップも一枚一枚は面白いのに、作品群の一枚にしてしまっている。際だって良い一枚が無いのではない。ある作品を際だたせようという努力を避けている。
 彼女自身のサービス精神が仇になって、強く心象を見つめ見せる、強く風景を見つめ見せる、という基本的な努力を避けている。
 舞踏の知北梨沙は舞踏に開眼して「ヒトリヨガリノ舞踏家」を進んでいる。
 ここは一つ、「ヒトリヨガリノ写真家」になろうではないか。次回は大きな作品を見たいです。


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by sakaidoori | 2011-02-10 23:49 | アートスペース201 | Comments(0)
2009年 02月 27日

924) タピオ 「写真展(11名) 『MOVE 2』」 終了・2月16日(月)~2月21 日(土)

○ 写真展(11名) 「MOVE 2」

 会場:ギャラリーたぴお
    中央区北2条西2丁目・道特会館1F
    (中通り東向き)
    電話(011)251-6584
 会期:2009年2月16日(月)~2月21 日(土)
 時間:11:00~19:00
(最終日は、~18:00まで)

※ オープニング・パーティー:初日の18:00~

 【参加作家】
 置田喜代美 北川陽稔 小林孝人 高井稜 竹田あやこ 爲岡進 藤川弘毅 三橋夏希 山岸せいじ 山本里恵 米田紘美
      ・・・以上、11名。

ーーーーーーーーーーーーーーー(2・20)

 昨年に続いての2回目の展覧会。
 若干のメンバーの入れ替えがあり、少し参加者が増えたようです。その辺の事情は知りませんが、メンバーの間口があった方が新鮮な感じ。


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 油彩の百数十号のような大きな作品、立体作品仕立て、フレームに工夫、普通サイズ、やや小振りな大きさと、それぞれがそれぞれに工夫をしている。
 こうして並べられた作品を見ているととりたてて違和感もなく、それぞれの写真の持つ力、空間作りのキャリアに感心する。

 一つ一つにに持ち味があり、後は見る人の好み。どれをピック・アップして言葉を交わしていくのだろう?

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     ↑:置田貴代美。上の写真の風景写真も同じ。
 置田さんといえば心象性の強いイメージ写真です。
 今回は全く違う。普通の風景を撮っている。本当に何でもない風景写真です。ところが、包み込むような撮影者の息吹が感じられてとても暖かい。何時か何処かで見たかもしれない四季と時刻のはっきりした風景を、今の自分の目で記録しておこう、そんな感じです。
 置田ファンは多いことと思う。皆さん驚いたことだろう。こういう作品を出した後は次が気になります。


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     ↑:為岡進
 置田さんが一番驚いたが、次に驚いたのが為岡進さんだ。
 被写体は道内各地のお祭。それをカラーでモザイク状に沢山張り合わせた一塊。もう一つは、それらをかなり誇張したウエーブ仕上げでまとめている。当然デジタル処理だと思う。
 この手法に驚いているのではありません。「為岡進」が極端に見せるという行為をしたことが良い。
 氏は職業柄被写体をしっかり撮ることを大前提にしている。遊び心が少ない。おそらく、こうして多人数のグループ展に参加していて影響されたのだろ。これからは作品にも遊びが加わるかもしれない。


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     ↑:藤川弘毅
 女性を撮るのが得意な藤川さん。最近は既製の何かをいろいろと工夫して写真に関係なく立体作品を作ったりもしています。今回は変わった額を用意してきました。装飾的な世界です。もっとも、今回は女性の顔が無くていつになく緊張感があります。
 女性の柔肌に食い込む金属、その肌を堪能してしまった。


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     ↑:小林孝人
 きのこと風景の小林孝人さんです。
 今回、上の赤い花が良い。バッチと綺麗な物を綺麗に大きく撮る姿が良い。
 小林写真の特徴はメリハリはしっかりしているのですがモノトーンの風景が多くて、どこかノスタルジックな点です。この写真は過去ではなく今を見つめているのが良い。


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     ↑:三橋夏樹
 光と影の三橋夏樹さん。作品はとびきり小さい。掌で光を転がして、影を作っている感じ。小さい中にキュッと力を貯めこんでもいる。一つのことを徹底して表現しようとしている。黒もしっかり出そうとしているし、作家の意欲を感じる。


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     ↑:山岸せいじ、「Se・Ka・I」。
 細い角材の骨組みにびっしりと写真が貼られている。会場風景を撮ろうとすれば、間違いなく視野に入ってくるのですが、実際には余り目立たない作品です。静かにそこにあり、気が付けばこれは何だろう?という世界です。
 僕はこの作品、「サカイ」と勘違いしてキャプションを読んでしまった。
 静かに会場を切っている依代(よりしろ)と理解した。空間を断ち切って、境目を作る。そこで顕わになるいろいろな世界。その一齣一齣が貼られた写真だ。刹那刹那の閉じられた世界の連鎖。DNAの二重螺旋のように無限に反復される世界。


 小さな小さなグループ展なのに、際限もなく書き進めてしまった。
 高井さんは絵で言えば細密画のリアリズム、緊張感漂う世界。
 他の方も時間があれば載せたいのですが・・・。

by sakaidoori | 2009-02-27 22:59 | たぴお | Comments(0)
2008年 12月 21日

857)テンポラリー 「斎藤紗貴子写真展 ~キャノンはない。携帯がある。」 12月16日(火)~12月21日(日)

○ 斎藤紗貴子・写真展
    「キャノンはない。携帯がある。」

 会場:テンポラリー・スペース
     北区北16条西5丁目1-8
     (北大斜め通りの東側、隣はテーラー岩澤)
     電話(011)737-5503
 会期:2008年12月16日(火)~12月21日(日)
 休み:月曜日(定休日)
 時間:11:00~19:00
ーーーーーーーーーーーーーー(12・20)

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 麻紐が強くビシッと張られている。クロスに重なり、クの字に折られた3本の線。それらに洗濯物のように30数枚の写真。A4版。

 写真は全てぼやけている。言葉どおり心象風景だろう。どんな?

 展示の意図は一番上の写真、正面の展示風景で説明できるかもしれない。
 三つの視線がある。
 一つは、御来光のような日輪の写真。上下に刺す日の光は麻紐のクロス点にピッタリと重なっている。紐は強く張られているから、光は一点から離れることはない。クロス、十字(死)の象徴だろうか?
 一つは、その写真を振り返って見つめる猫。展示には同じ猫が幾つも登場する。それぞれに役割があるのだろうが、この猫は撮影者自身だ。十字の日輪を振り返り気味に眺める、過去への眼差しだ。
 一つは、左奥に大きなピンクの花びらが献花の様に強く自己主張している。
 撮影者自身の何かの儀式に見立てての展示であることには間違いない。

 だがそんな末法臭いことから離れろう。見る人間は作者の意図に関係なくもっと自由に作品や会場を楽しめば良いのだ。
 会場を裏に廻って見渡せば、写真の裏の白が新鮮だ。水で洗い清められた世界のよう。撮影者は、「洗濯の紐なのよ」と語っていた。漂白された日常の彼女の視線なのだろう。垂れた写真は時間とともに反り返るので、撮影者はクルクルっと丸めて平らに伸ばす。まるで洗濯物を干して、パンパンと皺を伸ばしているよう。その仕草が手馴れていて、少し踵を上げて背を伸ばした姿が可愛くもあり凛々しい。


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 作家は「穴」が好きだ。
 それは中心点への迫る場合、外に拡がる中心からの心の動き、何かを窺がう覗き窓の場合・・・いろんな姿でカメラという目に登場する。
 レンズの傷が2点、太陽黒点のようにいつもそこにある。作家の無頓着さが思わぬ効果をもたらせている。
 ぼやけた写真だが、中心点が明快だから不快ではない。心象写真だろうがムードに流されてはいない。

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 「キャノンはない。携帯がある」。無骨なタイトルだ。おそらく宣言文だろう。「無い物にこだわっても仕方が無いは。携帯があるじゃないの、私がいるではないの。大好きな猫だっている。それで充分だは」。よくは分からないが、新年を迎える門立ち展かもしれない。献花とクロスが眩しいから。

 今年はキャノンがない。次回はニコンがない。次々回はフジがない。「携帯もない。それでも私の写真展」、いつまでも続く齋藤展だ。そう約束して分かれた。

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by sakaidoori | 2008-12-21 12:30 | テンポラリー | Comments(0)
2008年 12月 17日

851) 道新ギャラリー 「掛川源一郎・遺作写真展」 終了・12月11日(木)~12月16日(火)

○ 掛川源一郎・遺作写真展

 会場:道新ギャラリー
    中央区大通西3丁目・北海道新聞社北1条館1F・道新プラザ内
    (北進一方通行のメイン道路の西側。)
    電話(011)221-2111
 会期:2008年12月11日(木)~12月16日(火)
 時間:10:00~19:00
     (最終日は ~17:00まで)

※ ギャラリー・トーク:12月14日(日) 17:00~19:00 同会場 無料
         吉増剛造(詩人、写真家)×港千尋(写真家、映像人類学、多摩美大教授)

 主催:北海道新聞社 掛川源一郎写真委員会

ーーーーーーーーーーーーーーーー(12・14、16)

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 たまたまトークの時間に訪れた。吉増剛造氏&港千尋氏(以下、敬称は省略)、二人の著名人だ。初めて見る顔、声、風貌、同じく初めてまともに見る掛川・写真・・・彼等のトークとの絡みで掛川・写真を考えた。

 二人の語りは高級な漫才師のようだった。相手の気心が知れていると見えて、互いに否定することなく話題を膨らませ、言葉を投げあい、しっかりと自分の写真観・芸術観を滲み出していた。それは都会的な知的遊戯にも似た面白さで、聞き慣れた「ヒューマニスト・掛川、社会派・掛川」というレッテルを静に壊していった。同時に「人間・掛川」を語ることを止め、「掛川の目」としての作品を語り、被写体の時代性を不問にする形で、「写真家・掛川」を賞賛することでもあった。

 語りは吉増剛造が中心であった。話術に富み熱い。
 だが、話術の巧みさに反して、作品を一歩離れて語るのが彼の特徴だ。それは全体像では無く、作品の部分を注目する。被写体の具体性を見ないふりをするのだ。「白く輝く額」、「湯気がある、白い。噴火、湯気だ。」、「揺れる顔」、「文字が切れている」・・・。

 掛川の地元・伊達の作品が沢山ある。表情は豊かではあるが貧しさがある。戦後開拓団としての長万部のそれがある。泥臭い。バチュラー八重子らもある。祈りとしての独自の雰囲気。アイヌの儀式もある。お決まりの題材とはいえ、モノトーンを更に強めた白と黒にはアイヌの野性味・力がある。掛川にとって、「アイヌとは何だったのか?」と問いたくなる。自然の力が顕わな有珠噴火もある。北海道の自然の力の象徴でもあろう。
 だが、吉増剛造は貧困とか、泥臭さとか、野性味とか、異民族とか、自然の暴力とか、そんな言葉は一切使わない。被写体への感情移入を意図的に不問にして、「見る」という作業に徹している。
 彼は1922(大正10)年生まれの76歳だ。近代化された日本は満遍なく風土の姿を一変させた。その変化を彼は知らないはずはない。だが過去を過去として語ることをしない。現代の感性が認めるところを手繰り寄せて、その現代的意味を赤裸々にしようとしている。作品の過去性・記録性に浸る鑑賞家を否定すること無く、今の感性で過去の作品をつかみ直せと言っているようだ。


 港千尋、1960(昭和35)年生まれの48歳。
 中肉中背の学者風の穏やかな語り。出しゃばって語ろうとはしない。その静かさに騙されそうだが、吉増氏とは逆に一歩入ったところで語ろうとしている。
 出足の言葉が象徴的であった。蒸気機関車の作品があるのだが、彼は線路の傍で育ったから、懐かしさを語っていた。「おんぶ」の話になった時、淡々とイヌイットの子育て話をしていた。文化人類学的知識の披露ではあるが、具体的に語ろうとしている、一歩入ろうとしている。今年の合衆国大統領選の開票時、カリフォルニアの民主党本部にスルッと入ってしまって、更に偶然の力でその場の熱気を最上等席で撮ることができたそうだ。
 だが、彼はインテリとしての節操さがあるから、語る時は吉増氏とは逆に静かな男を演じていた。


 掛川・写真、今は無き時代の息吹を見つめるか、吉増剛造のようにそれらを相対化させ写真の持つ視覚表現力に狙いを定めるか。
 僕は伊達の建物群を背景にした世界に、北九州の炭鉱の長屋を思い出した。恐いほど僕自身の子供時代と重なってしまった。雪多き作品があると、そこは違う世界なんだと安心してしまった。
 被写体の時代性に目を背けることはできない。多くの年配者はそうであろう。若い人達はどんなメッセージを受け取るのだろう?



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     ↑:「縄跳び遊び」・1967年 伊達。
 吉増氏は「ゆれ」を語っていた。その時の人の表情の不思議さも語っていた。まさにそういう作品だ。掛川・人物、特に子供は変な顔が多い。

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     ↑:「手鏡を見る少女」・1964年 伊達。
 恐い作品だ。被写体としても、カメラアングルとしても他を寄せ付けない凄みがある。

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    ↑:「開拓地の根株の山」・1956年 長万部。
 吉増氏は一歩引いて写真を撮る、ということをしきりに語っていた。そういう掛川作品をあれこれ紹介していた。僕には一歩引いたのと、踏み込んだのと、二様の世界があると判断した。熱い目と冷たい目だ。吉増氏の意見には同調し難い。
 上の作品、根株に焦点を当てれば一歩踏み込んでいる。子供に焦点を当てれば、退いている。熱き目と冷たい目の両立がこの作品の良さだと思う。

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     ↑:「往診に出掛ける高橋房次医師」・1959年 白老。
 高貴な雰囲気が立ち込めている。信念、あるいは強い意志から発する精神的敬虔さ、近寄り難くもある。

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     ↑:「モダニズムの影」・1953年 札幌。
 初公開作品。ですから、タイトルは今展企画者の名々です。具体性の中で隠れていた掛川氏の美学だけを抜き出したような作品。
 撮影地は札幌とありタイトルも「モダン」ですが、被写体は当時の北海道にはありふれたものです。洗面器一式です。古い人に聞いてみて下さい。

by sakaidoori | 2008-12-17 21:57 | 道新プラザ | Comments(0)
2008年 12月 16日

850) p2+d 「小牧寿里 [Drift Vol.1 -暗夜漂路ー]」 終了・12月12日(金)~12月15日(月)

○ 小牧寿里(写真展)
    [Drift Vol.1 -暗夜漂路ー]

 会場:プラハ2+ディープサッポロ・1F 9J
     中央区南11条西13丁目2-12
     (東南角地の2階建て民家)
 会期:2008年12月12日(金)~12月15日(月)
 時間:11:00~19:00

※ レセプション:12月12日(金)、19:00~

ーーーーーーーーーーーーーー(12・15)

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 「動く光と動かない風景」

 光のプリズムを挿入した風景写真です。
 基本的に暗闇で海あるいは川を後ろから引き気味に撮影し、背景としての風景の中で光が踊り飛び交っている。

 光の線が落書きのように水面で踊っている写真がある。これは撮影者の遊び心で、作品としてはビシッと光が「存在」した写真の方が良い。
 かすかな姿ではあっても、どの写真も都会の光を写している。
 水平線上に蜃気楼のように灯る街の明かり、こっそりとしっかりと存在している。賑やかしい七色の光の隙間に都会のビル、小さくしっかりと写っている。光に気をとられてる、思わず視線を下げれば川が暗く大きく流れている。

 光と川(海)と都会、小牧の目はこの3者に注ぐ。これらが彼の風景だ。川(海)の静けさ暗さは向こうの世界への入り口のようだ。だが、入り口はそれだけではないようだ。むしろ、光も川も都会も、全てが向こうの世界の入り口のように開いている。三つのドアと言ってもいい。
 それらに撮影者は「暗夜漂路」と名づけた。「漂」には水の上に浮かば軽さ心もとさの響きがあるが、作品はそんなに軟(やわ)ではない。強い。写真家が向こうの世界を写せれるかどうかは知らないが、被写体の全てからはしっかり対峙する清々しさがある。

 光はトリックとして捕まえられ、川(海)はリアルな姿を曝け出し、都会は我等が住む分身として常にそこにある。薄暗い写真全体は全てを覆っている。
 「漂路」、それは「漂止」であり「漂視」でもある。「漂流」であってはならない。写真家は流されてはいけない。


※ 以下、個別写真を載せますが再現度が非常に悪いです。
 現物は被写体は小さくてもしっかりと写っていて、そこが今作の良いところでもあります。それらが僕の写真では迫ってきません。心象的な写真になってしまいました。

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     ↑:上段の写真群。左側には壁に「Water Front」と、直書きがされています。
 動いているモノレールから撮られたもの。何秒間のカメラ目の開いた景色。モノレールは海の上、海に囲まれた都会の景色。都会の虚実の姿。


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f0126829_1427044.jpg ↑:下段の写真群。
 →:やはり写真の右端には、左のような経緯度を示す数字が書かれている。上段が本州のある都市の風景で、下段が北海道のある地点の風景。







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     ↑:内側から光を当てて、グラデーション豊に表現されている。同じ作品が2枚重なっていて、その厚みと隙間が作品の質を高めているのだろう。
 目の楽しみだけを考えれば、この展示方法は素晴らしい。その代わりに、作品と視覚対話をしようとしたならば、その質の高さは言語の入る要素を狭めている。



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 「小牧寿里」。「寿里」を「ジュリ」と読んで、勝手に粋な女性だと思っていた。「ヨシサト」と読むのだ。充分に知っている男性であった。男っぽい顔だ、男らしい写真であった。

by sakaidoori | 2008-12-16 12:39 | (プラハ2+ディープ・・) | Comments(0)
2008年 10月 13日

784) 光映堂ウエスト・フォー 「食?毒!不明!!きのこ写真展」 終了・9月30日(火)~10月12日(日)

○ 小林孝人×廣島経明
    『食?毒!不明!!きのこ写真展』

 会場:フォトギャラリー ウエスト・フォー
    中央区大通西4丁目6番地(駅前通り)
     カメラの光映堂(本店)2F      
    電話(011)261-0101
 会期:2008年9月30日(火)~10月12日(日)
 時間:9:00~19:00
     (日曜日は、~18:00まで)

ーーーーーーーーーーーーーーーーー(10・11)

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 ↑:入り口。作品は左から、小林孝人・廣島経明の作。

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 ↑:会場風景。(ピンボケですいません!)

 あー面白かった。何て愉快な写真展。(以下、敬称は省略。)

 会場を遠目に一望した瞬間は、普通のきのこ・写真展に見える。大いなる期待もせずに順番に見ていくと、チョッと変だなと思い始める。「そういえばこれは、2人展だったな。二人の関係はどうなっているのだろう?」

 出だしの展示は二人の作品が交互だ。そのうちに二枚ずつの展示になっていく。
 小林孝人はきのこをきのこ様のようにして、中心にすえての撮影だ。ビシッとしたきのこだ。
 廣島経明はきのこを擬人化して撮っている。極端に接写したり、うそんこきのこを登場させたり、きのこ一人一人?の表情を楽しんで撮っている。
 この二人の兼ね合いが実に絶妙なのだ。小林きのこはお山の大将のようにして、廣島きのこを子分のように従えている。逆の見方も出来る。廣島きのこが小林きのこをからかうようにして群れ遊んでいるとも。

 薄暗くてじめじめしたきのこの住まい、二人は明るくカラフルに撮っている。はいつくばってきのことにらめっこしている。何て素敵な大人達であろう。
 以下、別々に作品紹介です。

○ 小林孝人の場合

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 ↑:左から、「キンチャヤマイグチ 食用」、「モリノコフクロタケ 食毒不明」、「ネッタイベニヒガサ 食毒不明」。


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 ↑:左から、「アカイボカサタケ 食菌」、「○○○○のシスチジア 食毒不明」。

 小林孝人はカラー写真も撮るには撮るのだが、モノトーンの世界を得意としている写真家だと思っている。過去を閉じ込める静謐さ、それは過去と云う時間性を引きずった心象風景でもあろう。
 だが、きのこを撮る氏は別人のようだ。実に堂々ときのこの今を正面から撮っている。きのこだけは過去に封印することが出来ないのだろう。今生きているきのこが大好きなのだろう。


○ 廣島経明の場合

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                ↑:「ベニテングダケ(クローズアップ) 毒菌」。

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 ↑:左側、「整列!(ベニテングダケ」・・・(撮影者のコメント。カタツムリもいます。後日知ったのですが彼等の大好物です。少しかじられています。)
 ↑:右側、「大発見!(特大ベニテングダケ)」・・・(レコードのLP版位の大きさで直径30cm。
 
 ベニテングダケ家族だ。夫婦に子供達。右の写真はその大きさよりも夫婦が草に囲まれて記念撮影みたいです。子供達が楽しそうに取り囲んでいる。


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 ↑:「ヒカリサカタケ(パロディ科) 人畜無害」・市内大谷地自宅室内 。(一升瓶の中に出現する気まぐれきのこ!)


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 ↑:左側、「キイロアミタケノコ(パロディ科) 人畜無害」・市内北海道大学構内。(人工循環芸きのこ!)
 ↑:右側、「コイヌノエフデ 食不適」(まるで深海の生物、動きそうです!) 

 
 廣島経明は七色に輝く宇宙創成時の作品しか見たことが無かった。固い人というイメージを作家に持っていた。だが、今展でそのイメージをかなぐり捨てよう。被写体とカメラを自由に往来する撮影者ではないか。そのユーモア精神は本当に嬉しくなる。そういえば、氏は3Dに見える覗きカメラも作っていた。遊び心の旺盛な人だったのだ。


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 ↑:左側、小林孝人「○○○○ 食毒不明」。
 ↑:右側、廣島経明、「かくれんぼ(イヌセンボンダケ) 食不適」 (ローアングルで見つけました!)

by sakaidoori | 2008-10-13 22:37 | 写真)光映堂ウエスト・フォー | Comments(0)
2008年 08月 18日

733) 岩佐ビル2F ②「アフンルパル展 露口啓二・写真展」 8月11日(月)~8月18日(月)

○ アフンルパル(ahun-ru-par)展
    露口啓二・写真展

 会場:中央区北3条東5丁目5・岩佐ビル2F
     (幅広い北3条通りの北側。茶色の建物。道路の反対側にはファクトリーのレンガ館が並んでいます。)
     電話・フレメン写真製作所(011)281-5805
 会期:2008年8月11日(月)~8月18日(月)
 時間:11:00頃~17:00頃 

 問合せ:書肆(しょし)吉成 (080)1860-1085
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー(8・16)

 731)では主会場のことを書きました。展覧会(作品)補遺のような形で1階の作家のスタジオを開放して展示しています。
 会場には露口さんも居られました。開口一番、「分からないことがあれば、何でも聞いて下さい。」写真の空気感とは違って、作品のことは何でも喋りたいという、現代・語り部がそこに居ました。

 見ながら尋ねたのでは全体が見えなくなるので、まずは静かに床に並べられた2点1組をまたぎながら見ていった。絵巻物のようであった。露口さんは琵琶法師のように、質問に応えては写真の原風景を浮かべて語っていた。力強い人だった。

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 展示スペースはかなり広い。スタジオ全体は相当にゆったりした開放感がある。もっとも、「写真スタジオ」という関係上、天然光だけだ。窓が無かったような気がする。高い天井、冷ややかな空気、地下室の研究所のような雰囲気だ。
 作品は白い床に並んでいる。普段でもこうやって写真なりを床に並べて仕事をしているのだろう。

 床に物があれば、跪いたりまたいだり、「目の人」から「動き嗅ぎ分ける人」に変身する。作品そのものは2階の「地名」シリーズと同じだと思う。あまり人の来ない展覧会場だ。いつしかアット・ホームな感じで撮影者に何やらかにやら尋ねることになる。松浦武四郎の本が出てくる。山田秀三の名前も登場する。ここは彼のフィールド・ワークだ。
 写真家は地図を見ては、そこに地名があれば今度行く場所を嗅いでいるのだろう。

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 会期は今日で終了です。またここで写真展があるかもしれません。その時は是非スタジオでも開いてもらって、見る人も足を運んで欲しい。
 ついでに、この岩佐ビルは大きくて立派なのですが変というか不思議な建物です。散策したくなります。

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 ↑:「アフンルパル通信 ex.01」、600円。+オリジナル・プリント1枚は1000円。

 これはなかなかのお買い得。表は大きな写真が4枚、裏は4人の本格的露口論。
 残念なのは写真上下が統一されていないことだ。切って一枚一枚見る分にはいいのだが、ポスターのように見開きでは不便なのだ。

by sakaidoori | 2008-08-18 11:04 | ★その他 | Comments(0)