栄通記

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カテゴリ:☆北海道開拓記念館( 12 )


2012年 10月 03日

1817) 「『アンモナイト展』 北海道開拓記念館 第69回特別展」 開拓記念館 7月6日(金)~10月8日(月)

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北海道開拓記念館 第69回特別展 

  アンモナイト展  

          

 会場:北海道開拓記念館 特別展示室
      札幌市厚別区厚別町小野幌53-2
      電話(011)898-0456
      ファクス(011)898-2657
      ※ 駐車場は無料

 会期:2012年7月6日(金)~10月8日(月)
 休み:平日の月曜日(定休日)、但し9月17日、10月8日は覗く  
 時間:9:30~16:30
 料金:一般 500円 高大生 170円 小中生 60円 幼児・園児・65歳以上は無料

 【各種イベント】
 (パンフを拡大して確認してください。)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー(7.6)


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 (オープン初日に見に行きました。概要は理解したのですが、写真撮影に覇気がありません。あまり良い写真紹介ができなくて、申しわけありません。当時、すこぶる体調不調だったと言い訳させて下さい。)


 当館では4年前にテーマ展として、「まるごとアンモナイト展」を開いた。僕にとっては記念すべき展覧会で、当ブログに初めて当館を語ることができた。以来、適時写真紹介を兼ねて感想を記している。道内では屈指の博物館を語れるとは、実に嬉しいことだ。

 さて、再び「アンモナイト展」だ。担当者も同じく当館学芸員・添田雄二氏。しかも、前回同様、「北海道化石会」のアンモナイトが主役だ。というか、もともとは当会の設立○○周年記念として、昨年テーマ展として開く予定だった。不幸にも、昨年の3.11大震災で年間行事に狂いが生じ、結果的には1年遅れで格上げの特別展という、それなりの予算もついた立派な「アンモナイト展」になったわけだ。


 今展の特徴をズバリ書きます。アンモナイトに関する情報を限りなく狭く限定させていることだ。しかも基本的なシンプルな情報提供に徹していることだ。深くアンモナイトを知る人にとっては間違いなく物足りない。深くアンモナイトを知りたいと思う人にとっても、なんとなく欲求不満が残ると思う。
 それではどういう情報を強く提供しているかというと、「アンモナイトはイカ・タコの仲間なんだ。アンモナイトを他人に語る時には、そっから出発しようよ」、この一点に尽きると思う。実にシンプルだ。そのための有力な比較として、実物のオーム貝が美しく会場に鎮座している。何となくその姿はアンモナイトに似ている。だからというわけではないがアンモナイトの親戚ということは幾多の研究でわかった。そして、そのオーム貝よりもいか・タコの方にアンモナイトはより近いということが、学者の涙ぐましい努力でわかった。その研究史は一切省略して、「アンモナイトはイカ・タコに最も近い生き物なんだ!」、ただただそのことをシンプルに訴えている。それが今展の第一部「アンモナイトって何?」だ。

 「そういう展示姿勢って、単に子供におもねっているだけジャン」と、批判がくるだろう。然り。学芸員・添田雄二氏は合点承知の助左右衛門だ。
 理由は二つ。
 一つ。旧来の博物館の企画展示は知の伝達に拘りすぎた。これからは知の共有である。その為には簡単単純なのが良い、一点に絞って語り合えれるのが良い。後は自分で勉強しなさい。

 一つ。結局、これからの博物館とはなんぞや?どうあるべきか?という問題に帰着する。知の殿堂と知の共有は可能か?予算的に関しては将来的には暗い。それでも明るい博物館とは何ぞや?知恵と工夫というマンパワーしかないではないか。いろいろシンプルに大胆に試行錯誤すべきだ。できるならば市民とともに。

 そんなことを学芸員・添田雄二氏は考えたのではないか。以上は全て僕の推測です。氏の今展の努力・主張・ねらいがベストかどうか?

 日本は今後、ドンドン老人が増える。そういう意味では博物館天国とも言える。一方で、子供が限りなく少なくなる。そういう意味では博物館にとってはこどもと如何に接するかは死活問題だ。だが、子供におもねってばかりではつまらない。しっかりと子供の知と関心に向き合う以外にない。少子高齢化時代、それは悩ましき博物館時代の到来だろう。昨今は、平和の証としてますます新知見が湧いてくる。それは博物館の華の時代に突入とも言える。
 さて、我らが北海道開拓記念館、新たな知と時代に適応して、僕らの知の欲求に応えて欲しい。


 今展は3部構成になっています。

 第一部が「アンモナイトは何?」

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     ↑:(水槽の中のオウムガイ。)

 芸術的な意味不明な写真になってすいません。水槽の中のオウムガイです。彼はいつも寝ています。だからじっとしているだけです。深海に住む生き物だそうで、夜行性なのです。餌付けシーンを見ました。寝ている彼を、餌のニオイで目覚めさせ、目が悪いので口元に餌を与えると・・・パクリ。髭のような手足のような細長いものを水中でばたつかせて食べていました。可愛いというか、綺麗というか、おとぎの国のお食事たいむでした。


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 2部はアンモナイトの化石陳列です。


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 天井のアンモナイト想像模型に注目して下さい。珊瑚の海に適した派手な色合い、イカに似ている足の姿です。頭の下に足がある。頭足類の所以です。


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 ここでのセールスポイントは異常巻きアンモナイトでしょう。
 この「異常」という言葉は、アンモナイトの生態研究が段々と進んだ今となっては誤解の種だろう。差別用語じみて良くない、と言っているのではない。正常巻きが本筋で、何らかの異常現象としてのアンモナイトと思いがちだからだ。世界的にもアンモナイト宝庫の北海道において、この異常巻きの出現は異常でないほど沢山見いだされるからだ。生態の拡散適応の結果とも言えるし、すくなくとも異常現象ではない。「不規則巻きアンモナイト」と「規則巻きアンモナイト」と呼び替えたらいいのかもしれない。


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 3部は版画家・福岡幸一氏の銅版画作品です。


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 ピンボケですいません。全体風景を理解して下さい。



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 アンモナイト化石実物と分離した構成は、意外に新鮮だった。

 福岡幸一氏のアンモナイト銅版画については項を改めて書きたいと思います。
 今日から旅行に行くので今月中の宿題にしたいと思います。 



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 以上、お粗末な写真紹介でした。すいませんでした。3部構成ですが、「松浦武四郎とアンモナイト」、「アイヌとアンモナイト」、「古代遺跡とアンモナイト」などの息抜きのような知恵袋も用意しています。

 今月の9日までです。

by sakaidoori | 2012-10-03 07:47 | ☆北海道開拓記念館 | Comments(0)
2012年 05月 11日

1743)「当記念館40周年事業 『北の土偶 縄文の祈りと心』」開拓記念館 3月6日(火)~5月13日(日)

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○ 北海道開拓記念館40周年事業 

       北の土偶 

         縄文の祈りと心   
     

 会場:北海道開拓記念館 特別展示室
      札幌市厚別区厚別町小野幌53-2
      電話(011)898-0456
      ファクス(011)898-2657

 会期:2012年3月6日(火)~5月13日(日)
f0142432_14595131.jpg 休み:平日の月曜日(定休日)、但し4月30日は覗く  
 時間:9:30~16:30
 料金:一般 800円 高大生 500円 小中生 300円 

 主催:当館 一般財団法人北海道開拓の村 北海道新聞社



ーーーーーーーーーーーーーーーーーー(5.10)


 
   


 会場風景だけでも掲載できればいいのだが、それはかなわぬ夢だ。はるか彼方の古代世界だから仕方がない
 入り口からの風景を載せておこう。


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 縄文時代の土偶が人形のように並んでいた。
 国宝3点が別扱いでクローズアップされてもいた。(今は複製品だが、鑑賞に関しては問題ない。)それら3点の特徴はほぼ完形であること、比較的大きいこと、模様なども克明に見ることができる、などで確かに他の陳列品とは別の感じがではあった。

 が、本展の特徴は選ばれた国宝だけにスポットを当てるにはもったいない。
 何と言っても、一列に並んだ土偶を一気に見れることが素晴らしい。
 茶系で統一された色合い、巧みとは言い難い滑稽な顔、どこか変だなと思わせる形、それらが一瞬に目に飛び込む。この体験はまさしく異様だ。土偶コレクターでなくても、何かに殊更執着する人種ならば、この陳列舞台に我を忘れるに違いない。
 そして美術愛好家にとっても、この剽軽な面相や形は是非拝まれた方がいい。我らには宗教性など無縁だ。だから土偶をカミとして見る必要はない。僕はいとしき宝物として愛(め)でてきた。祈りからは遠い位置で拝んでもきた。
 そして、実に可愛らしいセクシャルさだ。
 オチンチンとかオッパイには小学校に行かない子供でも特別な関心を持っている。土偶は基本的には女だから、オチンチンはないのだが、そんな子供視線で楽しめる。もっとも、函館の国宝・中空土偶なのは男とも女とも言える。その中性さが華奢(きゃしゃ)な美学を醸し出している。沢山のオッパイや女性性器を見てニンマリしてきてしまった。


 一気一気に押し寄せる土偶たち、とにかくその並び具合を見てもらいたい。
 図録から、切り抜きで土偶列を載せます。今展の一端を想像して下さい。


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 会期中に山形出土の土偶が国宝指定され、結果的には国宝4点の展示になった。お馴染みの遮光土器などの重要文化財、指定文化財など約130点の出土資料です13日(日)までの展覧会。





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f0126829_9481124.jpg ポスターを頂いた。良い機会だからポスター掲示板を家の前に立てた。
 初めは板にガビュウを押しただけだったが、風で吹き飛んでしまった。今はアクリル板を張っている。

 そこでお願いがあります。今展も今度の日曜で終了です。どなたか美術関係者の方々、ポスターを頂けませんか?勝手ながら我が家に郵送していただければうれしいです。市内ですと、こちらから伺います。この宣伝は、今後継続的に本編でしていこうと思っています。宜しく。




                  札幌市白石区栄通11丁目1-7 丸島均


 

by sakaidoori | 2012-05-11 10:10 | ☆北海道開拓記念館 | Comments(0)
2011年 04月 26日

1513) 「第156回テーマ展 北の手仕事 これから・・・」 開拓記念館 1月22日(土)~5月8日(日)

○ 第156回テーマ展

   北の手仕事 これから・・・
  カンナ イカラカラアシ ルウェタパンナ


      {また、あたらしいものを作りました} 
     

 会場:北海道開拓記念館
      札幌市厚別区厚別町小野幌53-2
     電話(011)898-0456
     ファクス(011)898-2657

 会期:2011年1月22日(土)~3月31日(木)5月8日(日)
 休み:平日の月曜日(定休日)、他  
 時間:9:30~16:30
 料金:無料

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー(3.16)

 予定されていた土偶展が、今時の東北大震災の為に中止になりました。中止とはいっても、おそらく来年以降の遅くない時期に開催されると思います。その穴埋めを兼ねて、今展が5月8日(日)まで延長されました。掲載が滞っていたのですが、幸いに会期中に報告できることになりました。
 それでは会場風景から・・・。


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 会場が一望できる。明るくスカッとしていて気持ちが良い。遠目にも古くささは感じず綺麗だ。それもそのはず、一点をのぞいて真新しい複製(レプリカ)だからだ。アイヌ衣服の伝統を学ぶ為に、アイヌによって制作された伝統衣服の複製品だからだ。制作者はアイヌとは限らない。アイヌ衣服に関心がある人によって作られている。この明るさ新しさが本展の第一の印象だ。現在の博物館はビジュアル化に力を入れている。面目躍如たる光景だ。


 ビジュアル化は親しむ展示を心がけるものだ。それが円環展示なのだろうが、今展の真の親しさは、それぞれの作品の作品解説だ。制作動機なり苦労談がある。全てが全て面白いというわけではないのだが、本当に正直な学びの言葉がある。歳を召された女性の言葉が大半だろう、優しく微笑ましい。

 「徳川義親候が着たアイヌ文様の複製です。全体に大変でしたが、曲線とツノの部分が大変でした。それでもこのような作品は、そうそう作れるものではないので、光栄に思っています」

 「この着物の文様は左右対称でないところに興味と魅力を感じ、作ってみたい気持ちになりました。まだまだ下手ですが、楽しみながら制作しました」

 こんな感じです。面白いでしょう。等身大の博物館です。普段の学術専門用語を駆使した解説文つき博物品、それはそれで仕方がないのでしょうが、一工夫二工夫欲しいところです。


 次に感心したのが、しっかりと制作者のお名前があるのです。ここでの制作者は伝統工芸を生業にしている方達ではないでしょう。一般人です。だから名前を出す職業上のメリットはありません。制作者が和人の場合、名前をだされても何ら特別な思いは湧きません。ですが、民族的伝統を学んでいるアイヌ自身もおられるでしょう。特に「アイヌ」と表記をしていないので、読む側は分かりませんが、それでも出品されているアイヌにとっては名前の公表にいろんな思いがあるでしょう。特に高齢の方でしたら尚更です。


 実はこの明るさ親しさ名前の公開などは、博物館の単なる思いつきではありません。博物館が先住民族や少数民族とどう関わるかという今日的問題があるのです。特に、「今」の彼等(先住・少数民族)を語ることが課題になっているのです。今展の場合は「アイヌ文化としての衣服」、その「現在の有り様」に努めているのです。「博物館から古きアイヌを知る」ではなく、「博物館で今のアイヌと関わる」ということです。今展がそれに充分に応えているかは見て判断して下さい。今展が全てではなく、今後も「今のアイヌ」を博物館として問い続け発信するのです。見守り、問題があれば共に悩みましょう。


 今展は「アイヌ文化を学び継承する女性の会(カリプ)・上武やすこ子会長 津田命子世話人」の協力によるものです。
 各地域でアイヌ衣服などを研究しているグループの連合会のようなものです。高齢化などの色々な理由で今展を一区切りにして解散します。「カリプ」は解散しますが、それぞれの会は今まで通りの活動をされるでしょう。


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 ↑:展示中唯一の見本と複製作品のコンビ。
   「カパラミプ(女性用、木綿の晴れ着)」、虎尾ハル氏着用。

 これだけ豊富な木綿地ということで、江戸後期から明治にかけてということになるのでしょう。もし、機械縫いでしたら明治のそれなりの時期になるのでしょうか。






 (個別作品の写真などを追加します。)





 

by sakaidoori | 2011-04-26 09:56 | ☆北海道開拓記念館 | Comments(0)
2010年 08月 30日

1358) 開拓記念館 「第66回 特別展 『どんぐりコロコロ』」 8月6日(金)~11月3日(祝)


○ 第66回 特別展
 
   どんぐりコロコロ
      ーどんぐりからつながる

     

 会場:北海道開拓記念館
     札幌市厚別区厚別町小野幌53-2
     電話(011)898-0456
     ファクス(011)898-2657

 会期:2010年8月6日(金)~11月3日(祝)
 休み:平日の月曜日(定休日)、祝日の翌日  
 時間:9:30~16:30
 料金:大人・500円 高大生・170円 小中生・80円 他・無料

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー(8.20)

 (当展の撮影は、ほんの一部を除いて可能です。それらのブログ等への利用に関しては、当館の許可を得て下さい。)

 入場したとたんに、ダンボール昆虫たちがお出迎えだ。これが抜群に面白い。「どんぐりコロコロ」など吹っ飛んで、「ネイチャー・ダンボールアート・フェスティバル」っと呼ぶべき博物展の始まりだった。

 
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 展覧会はどんぐりの生る木であるコナラ、ミズナラ、カシワなどを森の主人公にして、森の土の中、森に住む昆虫や動物達、森から外に延びる川そして海、そこに住む魚たちの動き、そして森と人の関わり・・・話は限りなく膨れるのですが、地球の生態系の一紹介であり、「どんぐり」から森と暮らしを見つめようとするものだ。

 話が総花的なだけにどうしても博物誌的になりがちです。実際そうなのですが、大きな目玉を持ってきた。それが会場中央雛壇に展示されたダンボール・アートだ。(それらは「TVチャンピオンのダンボール王・篠崎均氏の制作。『巨大ダンボール 土壌動物』・ミュージアムパーク茨城県自然博物館所蔵」です。)

 ただ単に並べられているのではなく、チャンとした物語があるのです。作品の下を這い回り、半円球のカプセルから昆虫たちを下から覗けるようになっている。つまり、展示物語は「どんぐり」そのものを紹介した後に、会場入り口とは反対側で、「森の土の中に入ってみよう!!」となるのです。

 以下、途中の順番経路を省略して、その出入り口から入って見ます。圧巻のダンボール・アートのやぶにらみだ。


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 中からお母さんの声がする。「○○ちゃ~ん、入ってきなよ~」
 期待に反した大きな返事で、「いや~だ。こわいぃぃぃぃぃ~~」
 仕方なくお母さんは戻ってきて、だっこして再び中に入っていった。

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 そして、このまま帰らせたのでは知恵がないと、出口にはミクロ巨大写真となるわけだ。
 出た所には「キノコ」が待っている。


 あらためて段ボール全景です。


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 最近、僕は博物館にはまっている。その一環として当館を利用している。
 だが、今展は「博物」にこだわらなくても充分に楽しめるでしょう。それがこのダンボール・アートだ。一見の価値はあるのでは。
 特にアベックさん、2人で遊ぶにはなかなかの穴場です。見終わった後の、博物館を取り巻く自然が妙に親しく見れる。何か、「2人のために世界がある」、そんな誤解が生まれそうです。

 というわけで、今回はこれのみの紹介で終わります。今展は長い。日を改めて展覧会の全貌の紹介、そして感想を書きます。
 展示は子供言葉中心のようですが、そこは学芸員の見せ所、子供にこびることなく大人から子供まで配慮しています。


 ヤッパリ、段ボールの紹介だけでは怒られそうなので、会場風景を今回は載せておきます。感想もついでに。


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 手前左に、プラスチックに入った鳥(カケス)とドングリが見える。カケスは年間4,000個以上のドングリを秘蔵するそうです。そこで学芸員も4,000個確保にチャレンジ。残念ながら学芸員の敗北、3,000個も満たないそうです。


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 やっぱり博物館には剥製のジオラマだ。
 こういう動物の複製とジオラマはどこの国でも同じと思っていた。最近、ハバロフスクとウラジオストックの博物館でやはり同じようなジオラマを見た。あちらの方が動物の迫真性が強い。日本は優しい。僕の目にはロシアの勝ちです。


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 やはり定番のチョウチョの標本。


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 話はドングリ、土、森からいよいよ水辺編です。お魚さんの登場です。

 生態系の見取り図がある。ここは学芸員の自慢のコーナーだと思う。実際、それなりの迫力がある。ビジュアル的にも上手いと思う。上手いのだが、網羅的過ぎて「あっ、そうですか」となってしまいそう。余りに関係者の思い込みが強くて、地球への愛が強くて、説明過剰だ。どこまで見られて、話題の一つになるのかは疑問なところ。中味よりも、こういうのがあるということが大事なのかもしれない。それでは「労多くして・・」でもったいない気がする。


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 いよいよ最後に近くなる。そして人間の登場です。
 どこか展示が「開拓記念館」的だ。良し悪しを離れて北海道らしい。土着臭い、郷土愛だ。時には道内に目配せしながら、全然違う切り込みもあっても良いのでは。例えば・・・その言葉は次回までの僕の宿題にします。


 そして最後は植物写真家&道内夏山紹介者の梅沢俊氏の春の森の写真展です。

by sakaidoori | 2010-08-30 11:48 | ☆北海道開拓記念館 | Comments(0)
2009年 12月 16日

1128) ①開拓記念館 「クラーク博士の教え子 内田瀞(きよし)」 11月28日(土)~2月28日(火)

○ 第154回 テーマ展

   クラーク博士の教え子
     内田瀞(きよし)

     

 会場:北海道開拓記念館
     札幌市厚別区厚別町小野幌53-2
     電話(011)898-0456
     ファクス(011)898-2657

 会期:2009年11月28日(土)~2月28日(火)
 休み:月曜日(定休日) 
  (年末年始休み:12月28日~1月3日) 
 時間:9:30~16:30
 料金:無料

 展示担当:三浦康之 山田伸一 (共に、当館学芸員)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー(12・5)

 (以下の写真は、当館の許可に基づいての掲載です。)

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 「内田瀞(きよし)」をご存じない方が大半でしょう。氏の年譜と略歴を初めに書きます。


 ・1858(安政5)年8月      土佐藩士・内田茂助の次男として高地城下に生まれる
 ・1874(明治7)年≪17歳≫  上京して東京英語学校に入学
 ・1876(明治9)年≪19歳≫  第1期生として札幌農学校に入学
 ・1880(明治13年)≪23歳≫ 上記卒業後、開拓使に勤務
               開拓使廃止後は農商務省北海道事業管理局勤務
 ・1886(明治19)年≪29歳≫ 北海道庁に勤務
               以後、道庁の殖民地選定・区画測設事業の中心を担う。

 ・1894(明治27)年≪37歳≫ 「非職」(休職)を命ぜられる。
 ・1895(明治28)年≪38歳≫ 上川郡鷹栖村(現旭川市&鷹栖町)、の松平農場の「農場管理」職に就く。
                      (現場の最高責任者。)
 ・1896(明治29)年≪39歳≫ 復職する(道庁内務部殖民課)。
 ・1897(明治30)年≪40歳≫ 3年前に次、いきなり「非職」を命ぜられる。
                      (実務から外される。ほどなく道庁を依願退職する。)

 ・1898(明治31)年≪41歳≫ 再び先の華族農場・松平農場の「農場管理」に就く。
 ・1905(明治38)≪48歳≫ 現旭川の近文土功組合長に就任。
                      (水田の為の土地事業組合)
 ・1918(大正7)年≪61歳≫ 松平農場の「農場管理」職を辞任。以後、「顧問」。
 ・1933(昭和8)年≪76歳≫ 静岡県伊東で逝去。享年76歳。


 札幌農学校の第1期生ということで、クラーク博士の教え子である。
 その学歴ゆえに人生の初仕事は開拓使勤務となる。以後、道庁に勤務して、今で言う「土地区画事業」の推進や、開拓農民の入植地の決定という国家意志の実務の中心者として名を残す。ここまでは前半生と言っていい。
 理由ははっきりしないが、「非職」という待遇により道庁を依願退職する(実質はクビ。道庁の権力闘争のあおりか?内田氏の個性故か?)。
 彼の上級官吏という職歴が注目され、530万坪の土地の貸下げを受けた松平農場の現場の最高責任者として迎えられる。無事、模範華族農場と言われる成功をおさめ、旭川地方の名士になられた。
 氏の遺族により氏の遺品が当館に寄贈されての、資料公表という展覧会だ。

 遺品の中心は写真と日記です。それを、資料そのものに視覚的に語らせるという趣旨で写真展にしています。
 以下、構成を紹介する形で写真掲載していきます。


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     (↑:寄贈された写真集。)

 この写真が今展の主役です。家族の記念写真が大半だそうですが、道庁時代・農場運営時代の風景写真には「北海道」が新鮮に蘇ります。まさに写真の記録性は日が経つにつれ、いろいろと可能性が拡がる事例です。しかも、内田氏は非常にこまめだから、撮影日時を残している。しかも、日記も書いているから、撮影日の日記を紐解けば、写真の意味がより深まるのです。日記は「松平農場時代」以後しか残っていませんが、「写真と日記」で幾重にも時代が読み取れるのです。歴史研究家ならずとも、小説家の種本には充分になります。


◎ 第1章・・・札幌農学校時代。(クラーク博士の教えを受けて。)

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     ↑:「東京英語学校の同期生と」・1876年(19歳)頃。
     左から、内田瀞(本人)、柳本道義、大島正健。共に脳学校に学び卒業する。


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     ↑:「(札幌農学校時代)調査旅行姿の『土佐ボーイ』たち」・1878年7月30日撮影。
     左から、内田瀞・本人、黒岩四方之助、田内捨六。
     (野外実習スタイルのままの記念撮影?クラークは土佐出身の彼等を「トサ ボーイ」と呼んでいた。
 

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     ↑:「農学校卒業生らが設立した札幌基督教会の会員たち」・1883夏の撮影。
     なかなかの人間模様です。内田氏は上段右側の目元の黒い角ばった顔の青年。妻・幸(こう)もいます。1882(明治5)年に結婚。

 農学校時代の写真や、その卒業生達が設立した札幌基督教会関係の写真たちの展示。
 イントロのようなコーナーで、気分は一気に明治10年代へ。

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◎ 第2章・・・開拓使から北海道庁在職時代。(開拓の基礎を担う。)

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     ↑:「殖民地選定員・門田啓太郎の版」・1890年代の撮影。

 内田氏の仕事は具体的殖民地の決定、その地の測量、そして区画割をして土地払い下げの下準備をすることです。彼の決定により、この地は開拓が進められていったわけです。
 上の写真はその関係者の写真です。アイヌがいます。彼らは土地を我々日本人によって追われていくわけですが、あてがわれた農地の開墾者もいたでしょうが、かなりのアイヌが人夫として、陸軍の測量、運搬・伐材などの野外の仕事に従事したといいます。

 (・ 今展は、北海道庁上級官吏の足跡を追い、写真による時代の追体験に主眼があり、その歴史的批判・評価をしていません。
 このコーナー自体は寄贈資料の少なさもあり、中心コーナーではありません。開拓の選定の実務ということを考えた時、今後の掘り下げた研究が期待されるところです。)

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     ↑:「十勝国浦幌・河畔の野営にて休憩」、1896年夏撮影。

 やはり野営地は水のある所ですね。白いテントが目を引く。僕の写真ではわかりにくいですが、釣り人や馬も見える。物語が始まりそう。


◎ 第三章・・・松平農場の「農場管理者」とその周辺。 (農業の実務と上川地方の名士へと)

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 ここからがメインです。農場の貴重な「農場風景」、仕事関係者や知人・友人・家族という写真ならではの人間の表情を堪能できます。紳士的と云うか、表情を顕わにしない内田瀞・氏の「顔」もいく通りもみれます。


 長くなったので、「②に続く」ということで。

by sakaidoori | 2009-12-16 15:42 | ☆北海道開拓記念館 | Comments(1)
2009年 12月 16日

1129) ②開拓記念館 「クラーク博士の教え子 内田瀞(きよし)」 11月28日(土)~2月28日(火)


 (①の続き。)

 この農場勤務の41歳(明治31・1898年)から54歳(明治44・1911年)まで、神奈川県逗子に別荘ができた年までの15年程が、氏の後半生の充実した仕事時代でしょう。
 農場の「農場管理」職は61歳に辞職し、功績が認められて、70才までも「顧問」として働きました。「松平農場の顔、旭川地方の名士」は不動のまま他界されたのでしょう。ですが、別荘完成後は健康のために、その湘南地方で過ごす事が多くなります、現地は彼の部下が氏の意志に沿って運営されたようです。大正時代は農場運営最優先の人ではなかったのでしょう。いろんな意味で、「名士」として悠々自適にすごされたゆです。

 松平農場・・・貸し下げの時は530万坪という膨大な広さだ。
 本展では指摘されていないが、この農場敷地と内田氏の道庁勤務時代の仕事とは密接な関係があります。
 というのは、氏は北海道大規模入植者達のために、土地の調査、選定、測量等の道庁での中心人物だったのです。その役職が「殖民地選定・区画測設事業」という役所的な専門用語です。だから、農場の「現場最高責任者」として迎えられたのです。今で言う、「天下り」です。
 実際、明治32年の成功検査の時に彼の経歴、人脈が生かされた。成功検査とは、貸し付け地が無事開墾されたと認定されたならば、その地を無償で払い下げできるのです。それを無事「書類審査」だけで通過させることに成功したのです。もし現地調査されていたならば、とても開墾完了とはならなかったでしょう。
 審査は無事通過した。後は、氏の運営能力が問われるだけです。そして、道内で多発する小作争議も無く、開発投資額も無事回収し、道議も経験する名士として生涯を終えることができたのです。

 さて、松平農場。
 自分が関わった土地で、実際の開墾の管理をするのですから、情熱もひとしおだったでしょう。そこに、クリスチャンとしての義務感や使命感があったかもしれません。土佐ボーイの心意気の発揮です。果たして、冷静な日記に、それらを示す痕跡があるのでしょうか。

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     ↑:「松平農場の開墾風景」(三線道路)・明治30年秋 撮影。

 農場申請は明治27年末、開設は明治28年、翌年からが本格的開墾です。
 写真はごく初期です。当地は密林に加えて湿地・泥炭地帯で、開墾は伐材と排水溝の整備からです。
 開発当初は畑地が目的で、その後、内田氏が札幌農学校で学んだ本格的洋式酪農も試みられたようです。入植者の大半が富山県の農民出身者で、彼等の性癖にも合わず、氏の執念にも関わらず酪農は成功すること無く終わりました。
 かわりに明治30年代後半は水田化という大嵐が旭川を包み込み、当農園も畑地を」止めて、今の水田地帯を作っていくことになります。

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     ↑:「切り株の残る松平農場の水田」・明治44年6月 撮影。

 開墾地は年々広げもし、耕作内容も変わっていきました。写真地は最初から水田として伐材・整備されたのでしょうか?切り株を多く残しての田植え!収穫が終われば、急ぎ根株を1本づづ取り払ったのでしょう。それにしても巨樹だ。

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 ↑:左から、「新しい松平農場の事務所」・大正2年9月竣工 その頃の撮影か? 
     右、「農場事務所に集まった小作人達」・大正5年8月 撮影。


 この大正5年というのは松平農場にとっては画期的な年なのです。
 明治27年末に農場用地貸し付け出願が許可されました。その後の累積赤地がこの年に累積黒字に転じたのです。投下資本の回収に20年以上かかったのです。開拓・開墾は成功したのです。
 まだ、帳簿上は累積黒字が確定していませんが、6月の早い時期に、所有者・伯爵松平直亮が来道したのです。そして小作人たちへの祝いの言葉だったのでしょう。松平氏はほとんど当農場に来ることはなかった、いわゆる不在大地主です。彼を迎えて、「お言葉」を聞いていたであろう、内田瀞氏も人生の一区切りと思ったかもしれません。

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     ↑:「近文台におけるゼンマイ取り」・明治41年5月30日 撮影。

 内田氏も参加した職員とその家族のリクレーションの光景です。
 こういう写真を撮る人、撮らせる人に興味が湧きます。この時代にあって、こういう風景感覚は面白い。
 実は明治41年というのは、単年度の会計黒字を初めて達成した年なのです。農場経営がようやく軌道に乗りだしたのです。おそらく、農地の水田化が成功の原因でしょう。
 こういう山菜取りは毎年行われていたでしょうが、この年は特に余裕での春の遊行だったでしょう。

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     ↑:「内田瀞夫婦と農場職員家族」・大正6年9月 撮影。

 今展、最大のお気に入り写真です。カメラマンが上手に笑わせてのカットです。最高ではないですか。
 中央の白髪で羽織袴の紳士が内田瀞さん。
 時代は、ヨーロッパ戦争による豆類や馬鈴薯などの高騰で、畑作農家は常軌を超えた大景気。水田農家も米の高騰でしっかり儲けました。当農場は堅実に米作経営に徹し、その後の畑作品大暴落による被害からは免れたとのことです。

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 この第三章は写真自体を楽しむと言うよりも、その歴史的記録性の価値にあると思うのです。そして、過去と今との語らいができることが強みです。
 今展でも、写真風景を訪ねて現在の現場写真の報告をしています。上掲のカラー写真がそれです。
 石狩川に架かる「北旭川大橋」や「永山橋」を過ぎ、40号線を超えて北に真直ぐ進んでいけば、そこら中は旧松平農場跡地です。興国神社、近文第一小学校などは当時の面影があるかもしれない。高速道路の近くには近文台が見えるでしょう。その辺までは現・旭川市ですが、さらに北には鷹栖町が広がり、「鷹栖郷土資料館」があります。その辺も旧・松平農場でしょう。行ったことはないのですが、内田瀞氏足跡にふれれるかも。



◎ 第4章 札幌農学校卒業生との交流
◎ 第5章 家族の肖像

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 いままでの時系列、仕事の世界とは違ったプライベート・ルームです。
 実は「内田瀞、家族の肖像展 -彼の周りの人たちー」、そういう独立した展覧会にしたほうが、純粋に写真にたのしめれるかもしれない。「写真資料としての歴史的価値」という制約した写真鑑賞から離れて、自由に「写真」が楽しめるのです。それくらい、内田氏の「人のいる風景」は面白いのです。



 もしかしたら。担当学芸員はそういう「家族写真展」にしたかったかのもしれない。
 それは旧来の博物館的約束に反するかもしれない。
 言葉少なく説明抜きで、与えられた資料のみで、どこまで博物館的世界が拡がるか?いえ、旧来の博物館的展示世界の見直しをしたかったのかもしれない。
 今展には北海道開拓に関わる見識や資料批判は一切ないと言ってもいいかもしれない。僕は今展の意見交換会で、その点を指摘した。それは指摘されて当然だし、されるべきものだとも思う。だが、担当学芸員はそのことを百も承知で、あえて自己の見識を封印したのかもしれない。「これからの博物館展示とはどういうものか?」「資料のみに語らせるとは」・・・。

 今展の緑色の配布パンフには4枚の写真があるだけで何も書かれてはいない。その不親切さに、批判の声が多かった。それは正しい指摘だと思う。
 だが、先に言った「資料のみで語らせる」という方法論をそのパンフで試みたのではなかろうか?もちろん、確たる自信の結果ではなく、今後の博物館作りのための関係者の小さな決意表明だったのかもしれない。

 博物館は「金がない、人がいない、だから時間が無い」という難しい時期にきている。
 来年から当館はリニューアルされると報道された。
 「リニューアル」、何がどこまで変わるのだろう?替えるのだろう?関係者の悩みは尽きない。


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 ↑:今回寄贈された日記類。松平農場時代以降で、それ以前は今は無いとのこと。
 実に膨大な生きた資料だ。今展を支えた東洋日記。

by sakaidoori | 2009-12-16 15:41 | ☆北海道開拓記念館 | Comments(0)
2009年 09月 08日

1095) ②開拓記念館 「第65回特別展 北海道象化石展!」 7月3日(金)~2009年10月4日(日)

f0126829_15452882.jpg○ 第65回特別展  
   北海道象化石展! 


 会場:北海道開拓記念館・2階
      (公称2階ですが、実質3階)
     札幌市厚別区厚別町小野幌53-2
     電話(011)898-0456
     ファクス(011)898-2657

 会期:2009年7月3日(金)~2009年10月4日(日)
 時間:9:30~16:30
 料金:一般 500円 高大生 170円 小中生 80円(教職員に引率された小中学生は無料。)

※ 各種イベントあり(パンフ参照)

ーーーーーーーーーーーーーーーーー(9・2)

 (会場は写真撮影不可です。以下の写真は特別に許可を頂いてのものです。それでもお伝えできないところが多々あり、残念な処です。)

 
 (①の続き。) 

 細かい情報の伝達能力は冴えている。刺激一杯の象化石展だ。


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     (↑:北広島市音江別川流域の砂利採掘現場から出土。)

 象には歯が4本しかない。初めて知った。その馬鹿でかい歯が触(さわ)れる。持つことができる。重い。石と同じだ。化石という石だ。これを触りにいくだけでも今展の値はある。○万年前の象の歯だ。臼歯だ。

 この歯が何時頃の、何の歯か?100万年前頃のマンモスと考えられていた。
 ここで現代考古学の年代測定技術が「それは変だ」と主張している。詳しく歯の化学組成を調べたら、ナウマンゾウなのだ。そして、ナウマンの日本最古の化石は35万年頃前で、道内は忠類の12万年前頃。

 なぜ100万年前と判断したのだろう?
 実は発見現場が北広島市の砂利採掘現場で、地層の中からの出土ではないからだ。採掘後の処理過程での発見だからだ。そこは下野幌層(120万年~70万年前)の地層を掘り進んでいる。おそらく、より上層の新しい地層も掘っているのでそこからの出土なのだろう。(砂利採掘場の地図が無いのが残念!調べてあたりをウロウロしに行こう。)

 そういうわけで最新の考古学情報の一端も教えてくれる。考古技術の進歩は著しい。教科書の書き換えの現場がここにはある。


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 忠類村の発掘現場の様子がビデオに流れている。
 道路工事現場の親父のスコップにカタンと固いものが当たった。
 どれどれと掘って眺めていると、好奇心旺盛な一青年がシャベリ始めた。
 「これはゾウの化石だ。教科書に載っちょッた」
 興奮顔の青年を中心に作業のおっちゃん達は仕事を止めて群がっている。
 (こんなリアルな写真がよく撮れたものだ。作業現場だから関係者がカメラを持ってはいると思うが、こんな瞬間をよくも収めたものだ。誰かが新聞記者を直ぐに呼んだのだろうか?)
 偶然が偶然を呼んだ。たまたま来道していた考古関係者の目に止まり、発見から半月後に詳しい緊急発掘ができた。お盆の時期で道路工事現場はお休みだったのだ。この辺の流れはドラマだ。素晴らしい編集ではあるが、事実の流れに圧倒される。
 そして早くも1年後に本格的発掘になった。忠類村上げての大歓迎行事にも発展した。


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    (↑:過去50万年間の寒暖変化表。上はナウマンゾウ化石の推定年代。
  下の赤印はマンモスゾウゾウ化石の推定年代。)


 古代の温度変化について。
 今の北海道は巨大な離島だ。その島に大型動物である象がサハリン(樺太)や本州からくるには宗谷海峡や津軽海峡が陸続きでなければいけない。曰く、寒冷期に海が後退して陸続きになった時に彼等はきたのだ。

 ここでナウマンとマンモスの生態分布を整理しておきます。
 ナウマンは南の巨象、マンモスは北の巨象。
 だからナウマンは北海道には南から来る、マンモスは北から来る。
 北海道は彼等の生活圏の北限、南限であって、ある時期共生した可能性が高い。

 ナウマンゾウは温暖な天候を好み、草を食べながら適地を移動するわけだ。
 43万年前の寒冷期に朝鮮半島と九州が陸続きになった。その後は離れ離れで現在でもそうだ。本州と北海道もそのご陸続きになることはなかった。その時に西からナウマンゾウは日本にきたのだろう。大陸から離れた彼らはだんだんと北上して行った。その北端は津軽海峡か下北半島かだろう。
 そこに海がある。そして、寒冷期には少しは狭まって泳ぎやすいかもしれない。だが、基本的に暖かい所を好むナウマンゾウだ。何が悲しくて寒冷期の北海道に海を泳いで来たのだろうか?ゾウは海を泳ぐか?泳がなければ来れないのだから、彼らは泳いできたのだ。
 おそらく、寒冷期の緩む中で植生を回復しナウマンゾウの人口膨張が起こったのだろう。溢れた一群が意を決して津軽海峡を泳いだのだ。日本での長い暮らしの間に、かなりの寒冷地適応の体に変身したのだろう。
 それは14万年前頃ではと温度変化表をみながら勝手に想像してしまった。

 マンモスゾウ、寒冷期に寒くなればより暖かい所を求める。陸続きの宗谷海峡を歩いて北海道にきたのだろう。
 北海道の出土例は4万5000年前~3万9000年前、2万5000年前~1万9000年前。この二つのピーク間は寒暖変化表を見ても違いがわからない。分からないが、当時が相当の寒冷期であることは間違いない。


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 忠類村ナウマンゾウ遺跡はどうやらゾウ化石の宝庫のようだ。
 写真は遺跡地層から2m下で発見されたナウマンゾウの足跡地層。足跡を石膏取りしたもの。


f0126829_14481886.jpg やはり忠類の現場。
 かつてゾウの歯の化石は4個見つかっていた。近年、詳しく調べたところ、一つはマンモスゾウで4万3000年前だと推定された。しかもその歯は発掘近辺からの出土だった。
 現場はやや崖になったところで、道路工事のために崖を削り、その時の表土に近いところにあった歯が下の方にころがり、日の目をみたのだろう。

 作業員がビデオで語っていた。「この崖をけずったら化石が一杯あると思うな・・・」間違いないだろう。今は人目に触れられずにそぐ近くの土中に眠っている。
 





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 添田雄二学芸員です。今展のチーフディレクターです。専門は「第四紀」。第四紀、それは人類の時代と言われている。いつからだったか・・・。およそ200万年前から現在までの地質・考古学の探求をされている方でしょう。

 こうして何かと便宜を計っていただきました。有難うございます。
 僕は博物館学芸員はもっともっと社会に発言すべきだと思っています。考古に対するものの見方考え方、時に自説として仮説なりなんなりを発表してもらいたいと思っています。ミクロやマクロの見えない事柄を言葉として表に出させる。それができる人達だ。目立たない日頃の研究と、発言した時とのギャップ。よろしく!!





 
 

by sakaidoori | 2009-09-08 15:46 | ☆北海道開拓記念館 | Comments(0)
2009年 09月 08日

1094) ①開拓記念館 「第65回特別展 北海道象化石展!」 7月3日(金)~2009年10月4日(日)

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○ 第65回特別展  
   北海道象化石展! 


 会場:北海道開拓記念館・2階
      (公称2階ですが、実質3階)
     札幌市厚別区厚別町小野幌53-2
     電話(011)898-0456
     ファクス(011)898-2657

 会期:2009年7月3日(金)~2009年10月4日(日)
f0126829_15474722.jpg 時間:9:30~16:30
 料金:一般 500円 高大生 170円 小中生 80円(教職員に引率された小中学生は無料。)


※ 各種イベントあり(パンフ参照)

ーーーーーーーーーーーーーーーーー(9・2)



 (会場は写真撮影不可です。以下の写真は特別に許可を頂いてのものです。それでもお伝えできないところが多々あり、残念な処です。)


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 以下の4章の構成で進む。

  1.北海道最古の象化石
  2.ナウマンゾウ
  3.マンモスゾウ
  4、絶滅の謎

 前半の歯の化石やそれらの年代測定の技術的進歩、忠類村の発掘現場の物語はワクワクして見た。
 後半は大きな複製の「象」などが並んでいる。化石ばかりを見た目には息にぬきになる。つながりが少し平凡すぎたようだ。


 パンフレットの表看板には「象」のみの記述だ。その化石展をするわけだから、ご存知「ナウマンゾウ」や「マンモスゾウ」の化石がないかというと、そんなことはない。忠類村出土のナウマンゾウ化石とその物語が会場構成の重要な案内役だ。

 では、何故それらの名前が無いのだろう?
 おそらく企画者は「地球史」の中で、限られた空間での「北海道」と、そこでのナウマンゾウやマンモスゾウなどの象を含めた「生物史」という認識が強かったのだろう。
 展示にその広大な構想が生かされたか?充分、化石愛好者達に伝わったか?
 思いが強く大きすぎたようだ。そこが僕には「つながりが少し平凡すぎたようだ」という印象になったのだろう。強調したい事の連続性に難点があったようだ。

 例えば、ナウマンとマンモスが北海道の同時期に共に生息した可能性を指摘している。興味津々の知見だ。が、強い主張ではない。
 忠類村ナウマンゾウ遺跡から新たな発見が続いている。一エピソード的な展示になりがちだったのが残念だ。

 新たな情報が一杯ある。結論以前のナウマン時代だから、その情報を利用してあれこれ考えてしまう。
 企画者は生物共存という理念を訴えたいのだろう。
 新事実のピンポイントの情報に基づく新たな太古像、知識の組み換えに今展の魅力があると思う。生きている考古学の現状が少しは見れて、現代学のようだ。



 ②で、気になる個別情報を書きます。

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     (↑:ナウマンゾウ。キバは本物。頭骨は千葉の化石を基にして作成。臼歯が見える。)

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     (上の写真のナウマンゾウの臼歯。)    
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     (↑:象の歯の物語。象には歯が4本しかない。草を噛み砕いていて、いずれ磨耗する。代わりの歯が奥で作られていて、適当な時期に今までの歯を押し出して新しく登場する。5回ほど入れ替わるそうだ。)


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     (↑:前半の部屋から後半部の空間を覗いたところ。後半の雰囲気をこの写真で想像して下さい。)

by sakaidoori | 2009-09-08 13:37 | ☆北海道開拓記念館 | Comments(0)
2009年 07月 16日

1036) 開拓記念館 「第153回テーマ展 『アイヌのよそおい展』」 終了・4月28日(土)~5月31日(火)

○ 第153回テーマ展
   『アイヌのよそおい展』    

 会場:北海道開拓記念館
     札幌市厚別区厚別町小野幌53-2
     電話(011)898-0456
     ファクス(011)898-2657
 会期:2009年4月28日(土)~5月31日(日)
 休み:月曜日(定休日) 
 時間:9:30~16:30
 料金:無料

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー(5・31)

 「アイヌのよそおい展」、あまりにも漠然とした総合タイトルにつかみどころの無さを思った。もっと絞り込んだ展覧会という確信があったので、あまり考えないで見に行く事にした。

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 基本的にはアイヌの晴れ着と、その文様に着目した展覧会であった。
 一枚の着物の前と後ろをじっくり見れるような展示の工夫だった。改めて写真で会場を見渡せば少し暗い印象を与えるが、この手の展覧会では明る過ぎるぐらいだろう。
 着物をじっくり見せる。その次の目玉は作品の冒頭説明と詳細過ぎるほどの説明文に担当者の並々ならぬ工夫を感じる。

 例えば、「アットゥシに似た文様を持つ着物」、「和服仕立てになった着物」、「刺繍だけで文様を付けた着物」、「あでやかな木綿の着物」、「白い布を切り抜いて作った文様の着物」・・・。
 文章は着物の来歴やら、こまごましたことが書かれてあるのだが、なるべく博物館的無味乾燥な用語を避けて、具体的に説明しようとしている。
 それでも、どうしても文章は硬くなりがちだから、今風にクイズ形式で親が子供に説明できるようにしている。
 「よく見よう① アットゥシの文様」、「ここでチェック 着物の文様は左右対称?」、「なぜ文様が付けられているのだろう?」・・・。

 普段とはちょっと違ったアイヌの着物の展示で担当者は何を狙っているのだろう?
 アイヌ文化をより親しんでもらいたい、という一般的な事は当然だ。
 むしろ、文化一般からの視点よりも、着物を作った人間の感性や好みに、担当者自身がどれだけ迫られたか、そのことをどれだけ物言わぬ着物に語らせることが出来たかを試しているようだ。それは知の殿堂の博物館で、どれだけ人間臭さを表現できるかを一学芸員として試みているのだろう。

 だが、残念だ。担当者は着物に文様を入れるという行為の感動を伝えようとするが、まだ語り足りないと思う。もっと言いたそうで我慢している感じだ。
 知識に関しては、もう少し突っ込んだ言葉が欲しかった。制作当時のアイヌの生活模様がもっと垣間見れたらと思う。
 例えば、わからない事は一切キャプションには書かれていない。着物の作られた時期に関してはむず痒い思いだ。いったい何時頃の作品なのかはここで何も書けないのだ。
 ニシン番屋の親方衆の為に着物を作ってあげたという作品もある。「親方が頼んだから、働き人のアイヌが作ってあげた」とだけ推論している。情報としては非常に興味深いが、これ以上の事は言えないのだろうか?
 わからないことは触れるべきではないのか?誤解を招くかもしれないが更に推論を重なるべきか?僕は後者をとる。アイヌという民族問題が書くことを難しくしているのだろうか?


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 ↑:オヒョウの樹皮を織って作った着物(アットゥシ)。1995年以前の制作。アメリカ宣教師の収集。
 (注⇒模様の角の髭のような装飾に着目。)




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 ↑:オヒョウの樹皮を織って作った着物(アットゥシ)。稚内地方?大正以前。稚内の魚場の親方の小路口家の収集品。
 (注⇒汚れや着崩れも無く、綺麗な作品。ほとんど着ていないのでは?)





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 ↑:アットゥシに似た文様を持つ木綿の着物制作年代・地域は不明。田中コレクション。
 (注⇒木綿本体に木綿の切れ端を縫い合わせて模様を付けたもの。着物の本体が木綿ということが大事。木綿の着物がアイヌ社会で入手が比較的に容易になった時代。学芸員はそれ以上は語らない。)




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 ↑:あでやかな着物(ルウンペ)。昭和17年以前、道内の作品。N.G.マンローのコレクション。
 (注⇒模様が左右非対称です。)

  ~~~~~~~~~~~~~~

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     (↑:現在アイヌ工芸品の会場風景。)

 会場の三分の二は収集されたアイヌ着物と身の回りの小物の類。
 残りは現在のアイヌ自身による各種工芸作品。
 博物館で古さと新しさが同居しているのには少し戸惑いを覚えたが、それは慣れの問題だろう。アイヌ文様は今もしっかり生きている。博物館が少数民族をテーマにする場合には、こういうセット展示にすべきだと思う。展示の仕方は経験を積んでいけば更に良くなるだろう。今回は新しい作品と古い作品の展示の繫がりが不分明で、セールス・ポイント弱かったと思う。


 初めてアイヌの着物を楽しんで見る事が出来た。
 今年は知里真志保生誕100年ということでアイヌ関係の催しが多い。良い刺激を頂いた。

by sakaidoori | 2009-07-16 17:06 | ☆北海道開拓記念館 | Comments(0)
2008年 03月 18日

563)開拓記念館 「近世蝦夷地のすがた ー林家文書から見えるもの」 2月22日(金)~3月30日(日)

○ 北海道開拓記念館 第149回テーマ展 
    近世蝦夷地のすがた
     ー林家文書から見えるものー    

 会場:北海道開拓記念館
     札幌市厚別区厚別町小野幌53-2
     電話(011)898-0456
     ファクス(011)898-2657
 会期:2008年2月22日(金)~3月30日(日)
 休み:定休日月曜日
 時間:9:30~16:30
 料金:無料
 駐車場:冬期間中は無料で近くの関係者駐車場が利用できます。

 【関連事業】
○ 古文書講座「読んで楽しい林家文書の世界」
 日時:3月2日、9日、16日(日)(3会連続)  13:30~15:30
 
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 とても重要な展示物です。
 展示そのものは古文書が中心で面白味に欠けます。たとえ読めても、読めた満足感はあっても今展の意義まで思いが至るか疑問です。ガラス越しの古文書にはその意義が説明されていますが、深い関心のある人以外は全部を読みはしないし、たとえ読んでも企画者が何を言いたいかを理解するのは困難でしょう。
 敢えて私流に言えば、

 ー江戸後期の蝦夷地場所請負人の大量の帳簿を含めた資料を、その末裔の方(林家)から寄贈された(林家文書)。
 蝦夷地(アイヌモシリ)・・・そこはアイヌにとっては生活の全てだが、道南の松前直轄地をのぞいては、和人にとっては交易以外の何物でもない。交易は平等と言うよりも、和人とアイヌの力関係を背景にして、支配ー被支配という側面が強い。その具体的実体は『場所』の姿を描くことによって理解することができる。そこに林家文書の意義があるのだ。請負人とアイヌとの賃金関係、請負人と出稼ぎ和人との賃金関係、それらの帳簿を比較検討することによって差別の一側面が具体的に明らかになる可能性がある。また、請負人は当地(この場合はヨイチ)の行政の実質的出先機関のために、アイヌの人別帳(戸籍)も作っている。それらの資料は労働力や人口動態の推移の資料になるだろう。他にも各種資料がアイヌの生活実態の理解に役立つだろう。
 これほどの資料を一括して寄贈していただけるとは関係者にとって、実に嬉しいことだ。数字を伴っての江戸時代蝦夷地理解の根本資料になるだろう。だが、資料が膨大で管理のための基礎的整理しか出来ていない。資料名でワクワクするばかりで、中身までは調査は及んでいない。
 何はともあれ、こういうのが発見されたということを報告するのが今展の意義だ。


会場構成は以下の四つの柱からなっている。

 ①林家のすがた
 ②「場所」のすがた
 ③アイヌのすがた
 ④交流のすがた

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 ↑:頂いた資料の入っていた木箱。他に段ボール箱3個の宝箱であった2006年4月のことであった。全部で1140点、江戸時代が4分の1、残りが明治時代。

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 ↑:浜中貸付帳(1858年)。浜中(はまちゅう)とは出稼ぎ和人労働者。日用生活品一切を前借し、鰊等の漁獲高で清算される。その貸し借り台長。当然人別帳もある。

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 ↑:土人勘定差引帳(アイヌと運上屋の取引台帳、1858年。)
 この台帳と先の浜中台帳を比較すれば、それぞれの経済関係がより具体的にわかる。
 注意。この台帳に「土人」という言葉が使われている。安政3年に江戸幕府の命により、それまでの「蝦夷」に代わってこの言葉をアイヌの人達を呼ぶ公称語になった。現在ではご存知のように、この言葉は差別語である。だが、当時にあっては「その土地に住んでいる人」の意であり何等そういうニュアンスはなかった。おそらく、松前藩から幕府直轄地になるにあたり、「蝦夷」という名称に差別感を見た幕府関係者が呼び名を変えたものだと思う。今風に言えば「先住民」という感覚であったろう。だが、その後の明治政府のアイヌ感(同化政策)がこの言葉を侮蔑用語にしてしまったのだろう。

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 ↑:ヨイチ場所アイヌ人別帳。
 1825年から1853年まで、10冊くらい展示されている。他の資料はコピーが用意されていて閲覧可能だが、人権を配慮してコピーはない。

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 ↑:林家の故郷、象潟(きさかた)。
 奥の細道で芭蕉が最北の地として訪れた場所として有名である。

○ 象潟や 雨に西施(せいし)が ねぶの花

 (私訳:象潟に雨が降っている。その小雨にうたれてねむの花が西施という不遇の美女が憂いを湛えて眠っているように、そこに咲いている。
 西施=中国の春秋戦国時代の呉越の戦いの折、敗れた越は呉に美女・西施を献上した。呉王は彼女を溺愛し、国の傾く因をなし、結果越によって呉は滅びた。)

 元禄二年(1689年)陽暦8月1日に芭蕉は当地に着いた。当時、塩越(今の字名・象潟、平成の合併により秋田県にかほ市となる)は宮城の松島のように八十八潟、九十九島と呼ばれ、その美景を誇っていた。奥の細道は故人を偲ぶ旅の様相を示しているが、景勝地を尋ね、古今東西の知識を俳句に織り込む画題を求めた旅でもあった。
 それはともかく、この地は文化元年(1804年)の大地震により海底が2m以上も隆起し、大水田地帯に変貌した。林家はその頃に蝦夷地に進出したことになっている。この地震が何らかの影響があったと思われる。
 林家はアッケシ場所などの請負人を務めた後、ヨイチ場所を請負い、明治2年(1869年)に場所請負制が廃止されるまで、半世紀の長きにわたってヨイチを支配したと言ってもいいだろう。現在でも余市には「旧下ヨイチ運上屋」という林家ゆかりの建築物がある。よいち水族博物館にも資料がある。 林家資料は北大や道立図書館などにも分散して存在している。今、大量の貴重な資料が開拓記念館に寄贈された。道人、和人がどう読み解き披露するか、その日が楽しみである。

 たまたま三年前の春先に象潟を訪問したことがある。鳥海山を望む海沿いの町で田園風景が広がっていた。名刹・「蚶満寺」(かんまんじ)は芭蕉も訪れたが、田んぼに挟まれて光を浴びのんびりたたずんでいた。芭蕉の足跡の旅をしている女性グループも目にした。何か、句を詠い合っていた。

 まだ、海面を小島に付き合わせていた時代に芭蕉が詠った句。

○ 汐越や 鶴はぎぬれて 海涼し

by sakaidoori | 2008-03-18 00:45 | ☆北海道開拓記念館 | Comments(0)