栄通記

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カテゴリ:☆北海道埋蔵文化センター( 3 )


2009年 02月 09日

890) ②埋蔵文化センター 「常設コーナー 縄文土器」

○ 常設コーナー
    道内遺跡地図、縄文土器クイズ、縄文土器早期
 会場:㈶北海道埋蔵文化センター

ーーーーーーーーーーーーー(2・7)

 研究というには遠いが、今年は縄文土器に拘りたい。文字文化圏の有史以前も勉強したい。世界は広い。せめては書物の中だけでも人類史を闊歩してみたい。その中で「美」あるいは「形」を考えたいが高望みはやめよう。基礎知識だけでも確認しよう。


 縄文土器といってもいろんな種類がある。火焔土器くらいは知っているがただそれだけのことだ。道内の土器・土偶は当時の日本列島にあっては先進地帯だっただろう。その変遷の歴史を垣間見て北海道を再確認してみよう。その初めとして単純に早期縄文土器を眺めてきた。
 様式の学的特徴はわからない。細かいことはこれからの学習の課題。


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 ↑:左・ コロッタ式土器、千歳市キウス7遺跡。
 ↑:右・ コロッタ式土器、千歳市ユカンボシ遺跡。


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 ↑:左・ 東釧路川式土器、千歳市キウス5遺跡。
 ↑:右・ 東釧路Ⅲ式、千歳市キウス5遺跡。


 全て早期(約10,000年~約6,000年前)の土器。意外に模様がしっかりしているのに驚く。釧路名?当時は釧路と千歳が一つの文化圏なのだろうか?


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 帰ろうとしたら新しいコーナーに気が付いた。
 縄文土器の製作順番当てだ。小さい土器が7点並んでいて、その順番を考えるのだ。

 ① 縄文時代・早期 約10,000年~約6,000年前
 ②   同   ・前期  約6,000年~約5,000年前
 ③   同   ・中期  約5,000年~約4,000年前
 ④   同   ・後期  約4,000年~約3,000年前
 ⑤   同   ・晩期  約3,000年~約2,300年前
 ⑥ 続縄文時代     約2,300年~約1,300年前
 ⑦ 擦文時代      約1,300年~  約800年前


 これはなかなか難しい。⑦はなんとなく自信があった。幾つかの順番の目安を定めるが、間違った知識が邪魔をしてしまって、すんなりと決めかねた。妻は展示作品を何度も見比べていた。素直に年代のわかっている作品を見定めた彼女の目はなかなかの正解率だった。
 以下、正解を左上から並べます。

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 最後の擦文土器、模様が華美でどこか消え入りそうなところがある。
 上記の土器の歴史はおよそ9,000年間だ。その間に技巧や様式の変化はあるのだが、その一貫性にも驚く。おそらく、人間の全面的な交代はなかったのではないか。
 アイヌ文化時代は平泉・藤原3代の滅亡以降にその姿をはっきりとしていく。それは鉄器の使用を前提にしているから土器の時代ではない。
 アイヌ時代の栽培食物構成はその前時代の擦文時代と大きな違いはないという。おそらく同じ人種・民族がその両時代を担っていたのだろう。擦文人が東北人を介しないで、直接日本(鎌倉社会)との交易関係を結ぶことによってアイヌになったのだろう。

 擦文時代とアイヌ時代、その繋がりと断絶は具体的にはどういうものだったのだろう?

by sakaidoori | 2009-02-09 23:16 | ☆北海道埋蔵文化センター | Comments(0)
2009年 02月 09日

889) ①埋蔵文化センター 「常設コーナー」

○ 常設コーナー
    道内遺跡地図、縄文土器クイズ、縄文土器早期

 会場:㈶北海道埋蔵文化センター
     江別市西野幌685番地1
     電話(011)386―3231
     ファクス(011)386―3238
 会期:2009年
 休み:基本的に月曜日
 時間:9:30~16:30
 料金:無料
 ※駐車場完備
ーーーーーーーーーーーーーーー(2・7)

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 久しぶりに開拓記念館へ行った。そして、いつものようにその帰り道に当館へ立ち寄った。

 入り口の特別展示室は「交流の考古学5・栽培植物からみた大陸と北海道」。こちらのことは今回はパス、奥の方の常設展をぶらっと見学です。

 入り口には国土地理院発行の20万分の1の地図に遺跡ポイントを赤い針で埋めています。大変な努力です。少しピンボケの写真ですが見て下さい。(後日差し替えます。)

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 こういう地図は見飽きない。
 僕は目に見えない妄想とか想像力には弱い。興味の湧く具体的な物に対しては考えずに長い間ボーっとするタイプだ。こういうのを見るのはほんとに嬉しい。

 赤いピンが人が多く住んだ所、足跡地帯と理解してしいいだろう。もちろん、未だ人目に触れられていない所も沢山ある。消えていった地帯もあるだろう。だが、古代人の気配の濃淡の姿であることは間違いない。

 関係者に伺ったところ、発掘に熱心な方のいる地方は発掘報告が多いとのことだ。具体的に何処とは言ってはいない。
 例えば羊蹄山麓、赤ピンが過密な感じがする。倶知安に長く住んでいた画家に聞いたことがある。「田んぼからは沢山遺物がでてきて、ダンボール2箱位たまった。教育委員会に預けたら、そのまま行方がわからなくなった。役所とは困ったものだ」と笑ってぼやいていた。その画家は昨年亡くなられた。

 全体図がピンボケなので、道南道央の部分図を載せます。

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 ↑:あたりまえだが、現在でも人の住みにくい海岸にはピンが無い。意外なのは上の国から南の海岸沿いは陸地を歩くのは大変なはずと思うが、満遍なく足跡がある。海が道なのだ。
 函館は平野部を囲うように埋まっている。昔はひどい低湿地帯だったのだろう。縄文海進の頃は海だったかもしれない。

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 ↑:余市の海岸沿い、赤井川、羊蹄山麓のニセコに多い。

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 ↑:札幌と苫小牧の低地帯を避けた東部にかけては遺跡のメインロードだ。
 札幌は開発が進んでいるし、比較的財政に恵まれているから沢山の遺跡があるとも言える。それはそうなのだが、やはり豊平川扇状地帯は昔から人が住み易いのは事実だと思う。もっとも、大昔は川の上流地域が人の住む中心で、時代が下るほどに川を下りて暮らすようになったと聞いている。
 北広島地域はもっと沢山あるはずとのことだ。宅地化の流れの速さに遺跡は無視された。近代化の前に小さな自治体は無視の態度を取ったのだろうか?
 この札幌ー苫小牧ライン、北はシベリアに繋がり南は本州の東北と結ばれ、西の北海道と接する一大交流地帯だ。

 石狩川の平野部には赤ピンが少ない。
 平野・野原というものは長い間日本人の住みかではなかったと思っている。小さくても安定した川が流れ、これまた小さくても木々に覆われた山を背景にする、これが日本人の原風景と思っている。
 「野ざらし」という言葉がある。人が死んだ時にそこにうち捨てられた場だ。この世とあの世の行き来する妖しげな恐い空間だ。草や葦が漂い広々とした景色に「良し」と思うのは近代の風景観だろう。

 (②は縄文土器の予定。)

by sakaidoori | 2009-02-09 21:46 | ☆北海道埋蔵文化センター | Comments(0)
2008年 01月 25日

495) 埋蔵文化センター 「北海道遺跡百選・展 キウス4遺跡出土品」 1月5日(土)~3月2日(日)

○ 特別展示 わかる考古学2 
「北海道遺跡百選・展」 

 会場:㈶北海道埋蔵文化センター
     江別市西野幌685番地1
     電話(011)386―3231
     ファクス(011)386―3238
 会期:2008年1月5日(土)~3月2日(日)
 休み:基本的に月曜日
 時間:9:30~16:30
 料金:無料
 ※駐車場完備
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 初めて埋蔵文化センターの記事を書きます。初めてなのですが、展覧会全般の紹介は省略させて下さい。開拓記念館の紹介ともども、少しずつ書いていきます。

 今回はただこの一点、この出土品を見てください。

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 千歳市のキウス4遺跡、盛土遺跡(もりどいせき)からの出土品です。時期は縄文後期。特別のネーミングは付いていませんが、「腰をおろした中空土偶」。漆で赤く彩色されていて、部分品を継ぎ合わせて完形に復元したものです。全体の3分の1の出土品ですが、幸いにも全貌を想像するには充分です。大きさは両の手の平にすっぽりと収まるほどです。

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 あー、何と可愛くセクシャルな土偶なのでしょう。見ても分かるように、この土偶は女性です。実は女性器の部分が小さな丸い穴が開いているのです。間違いなくこれは儀式の器です。ある時、それはきっと秋の鮭の遡上や森のめぐみの終わった頃の、集落の祭に使われたのでしょう。
 満月の夜半、村人が一同に会した場でこの土偶は使われたのです。
 円陣に組まれた中央で長老はこの土偶を両手で高くかざし、付き人の女性が器に聖水(酒?)を注ぐのです。聖水は月の光を浴びながら、女性器から弧を描いて流れ出していく。村人はかたずを飲んで、この儀式に始めは見るという行為で参加している。豊饒を祝う秋の営み。

 空想は留めも無く膨らんでいきます。この土偶が何らかの祭というか、非日常性のために造られたのはまちがいないでしょう。ですが、どういう使われ方をしたのかは、全くわかっていません。先ほど語った僕の言葉は一つの空想です。それも現代人の感覚による性と生をまぜこぜにしています。演劇空間的なものの見方です。
 もしかしたら、出産の折に安産を祈って、女性の側に置かれたりしたかもしれません。狩に行く男達の安全と収穫を祈って、村長の神所に安置されていたかもしれません。

 ふっくらとしたお尻の形と全体の安定性。座ってはいますが、つま先が立ってキュンとした緊張感。開けられた穴の可笑しさ。造形家はこの土偶を形としてどう評価するのでしょう?
 ですが、この土偶の素晴らしさは単に物そのものにあるのではありません。
 これは東北地方の舶来品なのです。これに似たより完形に近いものが既に東北で発掘されているのです。しかも意図的に割られて、遺跡の周辺にちりばめられているのです。
 そういう知識を道内の発掘関係者わは既に知っていたのです。キウス4遺跡の盛土遺跡はお墓の周りに意図的に堆積されたもので、埋葬人の副葬品としてではなくて、集落の何らかの儀式(精神生活)の遺棄物として埋められた場所なのです。
 この土偶も一箇所から見付かった物ではなく、巡らされた盛り土のあちこちから発見されたのです。東北の出土品と同じように。だからこんなに発見物が少ないのです。この土偶は腰までしか発見されませんでしたが、東北のそれは胴体部分もあると聞きました。どのような姿なのか、本当に見てみたい。
 なぜ古代人は土偶を割ったのでしょう?なぜ、遺構のぐるりに埋めたのでしょう?どのような経路でキウスにもたらされたのでしょうか?どのような意図で?もしかしたら東北からの花嫁さんの持参品だったのでしょうか?

 発掘地キウスは高速道路・道東自動車道路の千歳東インターチェンジの近くです。この道路の建設関連工事で見付かった遺跡です。
 おそらく、当時は川が付近を流れていたでしょう。「キウス」とはアイヌ語で草(葦とか蒲か?)の多い処と理解しています。この低湿地帯は苫小牧と石狩河口を結ぶ、古代の黄金回廊ではなかったでしょうか。苫小牧は海によって道南・東北に結ばれています。石狩河口は北に繋がり、遠くユーラシア大陸の窓口にもなっていたでしょう。

 井上靖の「敦煌」ではありませんが、この土偶を見ていると東北以北の広大な広がり、物と人の移動という悠久の時間、空想は集落の儀式を超えて膨らんでいきます。
(1・26記)

 (事実認識の間違いなど、指摘していただけたら嬉しく思います。)(1・17)

by sakaidoori | 2008-01-25 23:23 | ☆北海道埋蔵文化センター | Comments(0)