栄通記

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カテゴリ:道新プラザ( 9 )


2014年 07月 13日

2409) 「第12回 プチノール展 -絵画・版画・絵本-」 道新g. 7月10日(木)~7月15日(火)

   



第12回 
  プチノール展 -絵画・版画・絵本- 


  鶴田和子(油彩・絵本)
  久保田道子(銅版画)
  
    



 会場:道新ぎゃらりー  
      中央区大通西3丁目
     北海道新聞社北1条館1F・道新プラザ内
     (入り口は東と北に面しています。)
     電話(011)221-2111

 会期:2014年7月10日(木)~7月15日(火)
 休み:水曜(定休日)
 時間:10:00~19:00
     (最終日は、~17:00まで。)

ーーーーーーーーーーーーーーーー(7.10)


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 左側が銅版の久保田道子さん、正面と右側が油彩&水彩そして絵本の鶴江和子さん。

 お二人とも、お孫さんがいるかもしれないぐらいの主婦。そして、画風はいたっておだやかで、いつもの栄通紋切り型文章にはそぐはないかもしれない。しかし、丁寧語で綴れないのが当ブログの泣き所で、やはりいつものように大上段的に語っていきます


 (以下、敬称は省略させていただきます。)



 僕にとってのそれぞれの魅力を記します。
 久保田道子・銅版画は未熟さの中での変な魅力、そして鶴江和子は絵本です。



◎ 久保田道子の場合




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 上の写真の4枚の銅版画が興味津々。で、一方的にその理由を語ってしまった。



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   ↑:「who is she?」・銅版画。



 この作品が最も安定している。輪郭線、震え気味のたゆたうしさと明快な強さが持ち味だ。何かの物語が騒いでいる、遊びや心理もこちょこちょと動いているが、楽しい気分になってしまう。

 この画風が続いていけば一巻の物語になるのだが、全くそうなってはいない。おそらく、技法や表現をあれこれ研究中なのだろう。そういう意味で、以下の作品は未熟とも未完成ともいえる。しかし、不思議な味わいというか、空間表現や立体感がうまれていて、見飽きることはなかった。版画修練中のたまたま表現かもしれない。が、これだけ変な感じが続いていると、僕の指摘とは関係なく、作家は空間なり何かに拘りがあるのだろう。拘りがあるかもしれない無自覚のようだ。


 (以下、作品を載せますが、僕の写真はクリアーになっていて、原画の未熟さが見えないかもしれない。)




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   ↑:「想」・銅版画。


 少年が見つめている墨色の塊が良い。樹木の葉のようだが、絵としては単なる墨色の塊でしかない。そこが良い。抜群に良い。リアルな葉では表現できない怪しさがある。少年はそこに行こうとしている。しかし、どこに行こうとしているのだろう?

 次の作品もそうなのだが、「追想」がモチーフだ。「あの日に帰りたい」、でもちょっと違うという軽い断絶感や空虚感。今は淡々と「過去」を見つめているだけ。そういう安定感と一連の作品の不思議さとの関係に作品の魅力を感じた。




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   ↑:「リセット・夢」・銅版画。




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   ↑:「リセット・寂」・銅版画。



 笑ってはいるがのっぺらぼうとした少女の顔、白い。背景も白い。白昼夢的回想だ。「白昼夢だからこそ、リアルであってはいけない。これみよがしの光り燦々でもいけない」と主張しているようだ。手を抜いたような白さで。絵としての白というより、紙を意識させる白さだ。それらは間違いなく技術的未熟さにようるのだろう。未熟さが「久保田道子流の白い回想」を生んだ。
 
 上記の僕の感想は単なる勘違いかもしれない。技術が向上したら消え去るかもしれない。作家とは違う角度で作品を見ているのかもしれない。それでも、作家の「過去」への拘り、空間に対する茫洋とした感覚に期待したい。





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   ↑:「風にふかれて」・油彩。



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   ↑:「暮色蒼然(清水寺)」・油彩。


 やっぱり茫洋と白いところを見る人なんだ。飽きもせずにただぼんやりと。






◎ 鶴江和子の場合



 エネルギッシュな人だ。絵画も公募展用の大作をボンボンと描く。そして、絵本を描いては手作りで製本していく。絵本の絵もペン画やコラージュや水彩と、あれこれ工夫している。絵本だから文章も書く。レイアウトや装丁もいろいろで、「目指せ百冊百様」だ。
 努力を苦にしない人みたいだ、研究心が旺盛で「立ち止まってはいられない、反省している暇はない、描くんだ、書くんだ、作るんだ」という人だ。


 以下、絵本を中心にして作品掲載します。




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   ↑:「ある日、水をまく」・油彩。





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   ↑:「気配」・油彩。

 

 以上、公募展入選作。






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 最後は絵本です。沢山あります。自宅にはまだまだ一杯。
 絵本の筆致もいろいろ、水彩やボールペンと画材もいろいろ、ペタペタ・コラージュにペタペタ文字張りも、活字も印刷から手描きとやっぱりいろいろ。色々好きな鶴江和子さん!

 僕はほとんど文章を読まなかった。老眼だから。文体や話の流れは一切わからない。だからこそ絵を楽しんだ。
 見開き2頁の絵だとか、ドアップな作品とかで絵との距離感もいろいろあればと思った。

 一杯物語を持っている人です。絵本は人生の伴侶みたい。




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 まだまだあるのですが、載せるのに疲れてしまいました。

 最後は同人誌の表紙と豆本でお別れです。






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by sakaidoori | 2014-07-13 19:46 | 道新プラザ | Comments(0)
2013年 11月 11日

2301) 「2013・横山文代 油彩画展Ⅱ 『こ・こ・ろ に光る』」 道新g. 8月22日(木)~8月27日(火)

  



2013・横山文代油彩画展Ⅱ 
 
    「こ・こ・ろ に光る
  
    



 会場:道新ぎゃらりー 全室 
      中央区大通西3丁目
      北海道新聞社北1条館1F・道新プラザ内
      (入り口は東と北に面しています。)
     電話(011)221-2111

 会期:2013年11月7日(木)~11月12日(火)
 休み:水曜(定休日)
 時間:10:00~19:00
     (最終日は、~17:00まで。)

ーーーーーーーーーーーーーーーー(11.9)



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 とても明るい。元気の良さは知っていたが、こんなに明るくて爽やかな横山文代展は初めてだ。というか、意外にこういう風景画展を見たことがない。迷いがないというか、我が道を行く清々しさだ。新緑の春、綠盛んな夏、そんな会場雰囲気に、うら寂しい最近の心境に渇が入った感じだ。
 その辺りのことを伺うと、「道内を旅行しました。それが絵にでているのかも」、にっこりした言葉と表情が返ってきた。


 (以下、敬称は省略させていただきます。)


 僕は横山文代の自然への取り組みを見つめている。

 横山文代は写実に徹している。また、見た世界に忠実なことを前提にしている。なぜなら、見た全てが好きだから。絵のために自然への加筆消去を嫌う。というか、しない。ありのままの世界に忠実で、その時の作家の感動をいかに絵画化するかを命題にしている。それを自然への讃歌と言ってしまえばそうだ。が、人間は不思議なもので、同じものを見ても見方が違う。「横山文代の愛し方、彼女が見つめる自然の相」、今は写実が武器だから写真的な面がある。実は、「写真的」という批判は彼女が越えねばならないハードルで、その先を素直な写実力がどう開拓するかを楽しみしている。


 今展は次の大作2点が見せ場だ。色、構成、発色度、見る側の視線の流れと、意図的に代えている。



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   ↑:「天空の晩夏 (三国峠)」。


 魅力は綠一面の世界。草原とも思える木々の海原が世界を一層広くしている。山並みも流れる空も全ては横に拡がっていく。晩夏というが、気分は明るく若返る感じだ。その横に伸びる綠の世界に浸るのに、どうもこの縦松が邪魔だ。邪魔にならぬように細身なのだが、その細身がかえってチラチラしてしまう。細身の表現は、「この松が主人公ではない」という画家のシグナルだろう。
 この松、このチラチラ感をどうみるかで評価が分かれるだろう。僕は自然な一体感を拒む「風景」を愛おしく見てしまった。「この松め!」、自然に振る舞っているのだが、自然になれない出しゃばり根性、愛すべき松である。

 むしろ気になるのは山を薄く描いていることだ。遠景だから薄い、は知的遠近感だ。本当に画家の目には山が薄く見えたのか?「優しさ」がそうさせたのかもしれない。






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   ↑:「永遠に (忍路)」。

 
 個人的にはこちらの方が画家らしい感じで好ましい。なぜなら強いからだ。
 この絵の魅力は、作品をどこかで二分割なり三分割しても成り立ちそうなところだ。それくらい中心点があるような、ないような作品だ。例えば、奥の岸壁風景と手前の川の中の様子は二分割可能だ。画中の全てを愛した結果だろう。
 当然そこが批判に晒されそうだ。伝統的な写実風景画を踏まえているのだが、意外にも伝統美からずれている。僕にはそこが面白いのだが、僕の感心は画家の目指す世界とは全く違うだろう。






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   ↑:「黒岳」。


 今回の個展では空が躍動的だった。作家の気持ちが一番反映されているのだろう。今までストレートに出すのを渋っていた軽やかな気持ち。






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   ↑:「ニセコ アンヌプリから」。


 全てを美しくした。確かにこういう風景だと思う。素直な画家だ。
 やはり気になるのが山を薄くしていることだ。だから綺麗な山容になったのだろう。こういう感じで全てに嘘なく場を与えて、全てをしっくりと振る舞わせたいのだろう。強さよりも明るく健康的な落ち着きを大事にしたみたいだ。


 

by sakaidoori | 2013-11-11 22:42 | 道新プラザ | Comments(0)
2013年 08月 25日

2165) 「伊藤洋子展」 道新g. 8月22日(木)~8月27日(火)






伊藤洋子      



 会場:道新ぎゃらりー B室 
      中央区大通西3丁目
      北海道新聞社北1条館1F・道新プラザ内
      (入り口は東と北に面しています。)
     電話(011)221-2111

 会期:2013年8月22日(木)~8月27日(火)
 休み:水曜(定休日)
 時間:10:00~19:00
     (最終日は、~17:00まで。)

 ※ 同時開催(A室)⇒ 第27回 多年草展  
           北海道女子短期大学(現北翔大)工業美術科日本画コースOG会


ーーーーーーーーーーーーーーーー(8.23)



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   ↑:「リマト川の秋」・P80。



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   ↑:「アルプス庭園の秋」・P80。



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   ↑:ベルヴェデーレ宮殿の庭からの眺望」。



 優しい絵だ。静かな画題はいつもと同じなのだが随分と雰囲気が変わった。別の絵と言ってもいい。きっと、絵に対する考え方、向き合い方を変えたのだろう。「描く楽しみ、そこから始める」、になったのだろう。


 (画題は決して朝でも靄があるわけでもないのだが、)朝靄の早い時間に一人楽しく散歩に出かけ、「あら、私と同じような人がいる。生き物も。きっと晴れやかな気分で、一日の始まりの散歩なのよ。声には出さないけれど、心の中で「おはよう」と言い合っている」。そんな気分の絵だ。やっと本格的に生き物大好き、街並み大好き気分を普通に表現し始めた。

 以前は、意図的に人や生き物の気配を殺して、知的詩情・緊張感を表現していた。その緊張感、呼吸感のなさは絵としては好きだった。だが、「それらは画家本来の資質なんだろうか?仮にそういう美学の持ち主だとしても、この禁欲は無理があるな」、と判断していた。もっとも、その無理さも絵としては好ましい違和感だった。

 だから、今展の変化を僕は大いに驚き喜び、ホッとした。ギラギラするオーラではなく、描く喜びが伝わるから。
 だが、それで全てが解決!ではないだろう。ここで止まれば、「優しくて上手い絵」で、終わりかねない。

 いやいや。余計なことを言うのはよそう。今は、以前の苦行から離れて楽しい時期なのだから。再スタート宣言の個展だ。今展のように静かに優しく、綺麗に変化していくのだろう。時には知性を隠し味にして。





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   ↑:左から、「エーデワーデニンヘンにて」・P8。「秋のミュージアム広場」・P8。



 人はいないが、何かの物語が始まりそう。何かを語りたくなってしまう。
 小品だが、今展の華だ。




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   ↑:左から、「子供の家」・P60。「路地裏の公園」・P60。





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   ↑:全てサム・ホール。左から、「これ、にんじん」、「対話」、「べいなす」。






 

by sakaidoori | 2013-08-25 11:53 | 道新プラザ | Comments(0)
2012年 12月 10日

1910)②「彼方アツコ・関川敦子 二人のATSUKOの版画展 『In Harmony』」 道新g. 12月6日(木)~12月11日(火)

彼方アツコ関川敦子 

 二人のATSUKOの版画展
 

       In Harmony   


 会場:道新ぎゃらりー
      中央区大通西3丁目
      北海道新聞社北1条館1F・道新プラザ内
      (入り口は東向き)
     電話(011)221-2111

 会期:2012年12月6日(木)~12月11日(火)
 時間:10:00~19:00
     (最終日は、 ~17:00まで)

ーーーーーーーーーーーーーーーー(12.8)


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 1901番の①では関川敦子さんの豆本を中心に紹介しました。②では相棒のカナタアツコさんです。


◎ 彼方アツコの場合 


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          ↑:「CLUB」・エッチング ドライポイント。



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          ↑:「シーボルトの花かんざし」・エッチング アクアチント 手彩色。



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          ↑:「一本松」。エッチング アクアチント。



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          ↑:「十五歳」・エッチング アクアチント 手彩色。



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          ↑:「花見酒」・エッチング ドライポイント。



 強くもなく弱くもなく、普段着感覚の線がポカンポカンと続いていく、カナタアツコ風のシャンソン・リズムです。その洋物感覚に和のノンビリした空間を味付け、女の子の遊び気分や童のいたずら心も加わって、ふわふわフワフワどこに行くんだろう?です。
 今回、重厚さといったら少しオーバーですが、もともと好きな演劇世界で、華やかさというか、焦点が強くなった感じです。小さな版画世界で気軽に楽しみましょうというものですから、あんまりゴチャゴチャいっても始まりません。小さな変化を感じたカナタ・ワールドでした。
 

by sakaidoori | 2012-12-10 10:44 | 道新プラザ | Comments(1)
2012年 12月 09日

1909)①「彼方アツコ・関川敦子 二人のATSUKOの版画展 『In Harmony』」 道新g. 12月6日(木)~12月11日(火)

彼方アツコ関川敦子 

 二人のATSUKOの版画展
 

       In Harmony   


 会場:道新ぎゃらりー
      中央区大通西3丁目
      北海道新聞社北1条館1F・道新プラザ内
      (入り口は東向き)
     電話(011)221-2111

 会期:2012年12月6日(木)~12月11日(火)
 時間:10:00~19:00
     (最終日は、 ~17:00まで)

ーーーーーーーーーーーーーーーー(12.8)


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 「彼方アツコ」&「関川敦子」、二人の「アツコ」繋がりによる版画展です。いつからの二人展でしょうか、毎年この時期に開いています。クリスマスも近いし、年末年始もすぐ其処だし、なんとなく慌ただしい中にお祭り気分が続きます。きっとそれに会わせての二人展でしょう。

 彼方アツコさんはフワフワ気分で、足取り軽くステップダンス、ちょっぴり洋風が似合うかしら?そんな画風と思っていますから、僕にとってはクリスマスが似合いそう。

 関川敦子さん、まん丸いネコを可愛く自由自在に操ります。コタツとか新学期とか、何となく日本行事がにあっている感じで、年末年始のご挨拶にはうってつけです。


 そんな二人の簡単な紹介でしたが、今展、それぞれにいつもとは違うものを感じたので栄通記に登場してもらいました。


◎ 関川敦子の場合


 関川敦子さん、とにかく豆本が素晴らしい。これは是非紹介しないといけません。
 彼方アツコさん、アツコ・シャンソン物語と僕は勝手に彼女の作品を名付けているのですが、レパートリーの幅が随分と拡がった感じで、きっと、頭の中だけのいろんな物語が一気に表に出始めたのでしょう。そういう時期かもしれません。 


 というわけで、何はともあれ、「関川敦子・豆本」の紹介です。作品はごくごく小さいから、壁一面の作品というわけにはいきません。数もそれなりにあるのですが、一つ一つは装幀だけでなく中身もしっかりあるのです。中をじっくりとは見ませんでしたが、小さい世界にドップリと浸かった作家の姿勢には驚くばかりです。


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 何の豆本だかわかりますか?三岸美術館がテーマです。墓場の三岸好太郎は嬉しくなってあの世でもらい泣きをしているかもしれません。



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 今回は豆本に注目しました。
 以下、簡単な関川敦子ワールドです。


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     ↑:左側、「青いくるみの黒いお酒 Nocino」・リトグラフ。
     ↑:右側、「最高のマリアージュ Vin Blanc」・リトグラフ。


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 一気に二人の紹介は無理でした。彼方アツコさんの場合は②に続きます

by sakaidoori | 2012-12-09 23:38 | 道新プラザ | Comments(1)
2010年 09月 20日

1376) 道新ぎゃらりー 「2010 横山文代・個展  小樽・後志旅日記」 9月16日(木)~9月21日(火)


○ 2010 横山文代・個展

    小樽・後志旅日記



 会場:道新ぎゃらりー
    中央区大通西3丁目
     北海道新聞社北1条館1F・道新プラザ内
     (入り口は東向き)
    電話(011)221-2111

 会期:2010年9月16日(木)~9月21日(火)
 時間:10:00~19:00
     (最終日は、 ~17:00まで)

ーーーーーーーーーーーーーーーー(9.18)

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 (以下、敬称は省略させて頂きます。)


 横山文代は漫画家であり、イラストレーターであり、油彩画家だ。その順番で今日がある。

 漫画家、そこでは絵空事の嘘の物語が楽しく元気よく展開しているのだろう。
 イラストレーター、今展を見ればわかるが本当のことを分かりやすく明るく伝えている。
 虚実の違いはあるが、明るく元気よく、そして人間が大好きという世界だ。(漫画の実作を見たことがないので推測の言葉ではあるが、あえて断定形を使いたい。)

 そして油彩画だ。漫画やイラストの延長上の人間大好きで、明るく元気な絵をめざすのならば話は簡単なのだ。ところが、彼女は本格「油彩風景画家」をめざしている。漫画やイラストで表現できないことがそこでは大きな比重を占めている。

 横山文代は明るく強い作品をめざしている。それは良い。そして「正直にありたい」と願っている。そういう人の絵は、どんな形であれ正直さが強く画面を覆う。問題は、絵画とはそもそも「嘘」なのだ。紙か板か生地などの表面を、作家の意思で画材が覆っているだけなのだ。「嘘」から出た「誠」を追求せねばならないのに、「実」の上に「誠」を彼女は重ねる。それでなくても絵画には自然に「作家の心根」が反映されるわけだから、「真、真,真」の作品になってしまう。だから「写真」に近づいてしまう。実際、そう言われている。個性的な絵をめざしながら、没個性の世界を漂っている。「風景の美」の虜になってしまい、「写実」に忠実なお姫様のようだ。「自己の信念という風景」を見るゆとりがないのだろう。

 だが、横山文代はそう言われても怒らない。丸顔の童顔に漫画のような苦笑を浮かべてお客との会話を続けていく。この天真爛漫な正直さ、その徹底振りは凄い。中途半端ではない。「写真」のように見られるのは不本意だろう、悔しいことだろう。だが、見られる事実を受け入れている。他者の言葉に真実を見いだそうとしている。本当に果てしなく正直な人だ。

 彼女がどこまで大成するかは分からない。だが、凄い勢いで制作している。しかも、発表している。
 当分は今の傾向が続くだろう。焦ることはない。風景にどんどん人物が入り込み、「人間万歳!!」の絵になるかもしれない。どう変化し深まるか、楽しみに見ていこう。


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          ↑:しりべし旅日記、「ブナの原生林」・100号。

 今展の力作。この作品がスタートだ。
 欲張りな人だ。あれもこれも描こうとして、特徴薄い作品になったのが残念。動じぬ「信念」があればと思う。


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          ↑:しりべし旅日記、「賀老の滝」・60号くらい?

 小さいけれども目立つ色の人物がいる。「なぜ描いたの?」「滝の大きさがわかるように」「ダメ!!!」


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     ↑:左から、「紅葉と初雪」 「中の植物園の紅葉」。

 左側の絵が好きだ。好みはもっと地平線を上にして、ピンクと白だらけだ。そこに横山文代ボリューム感なり、造形が生まれればと思った。


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          ↑:「夏へ」・小品。

 大海の中の中央に孤舟があるだけ。
 完成度は別にして、こういう僕好みの絵を描く人でもある。



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          ↑:記念すべき「しりべし旅日記 第1号」


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          ↑:比較的最近のイラスト。


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by sakaidoori | 2010-09-20 14:14 | 道新プラザ | Comments(2)
2009年 08月 08日

1059) 道新ぎゃらりー 「中村哲泰おやこ展 八子晋嗣・八子直子・中村修一」終了・7月30日(木)~8月4日(火)

○ 中村哲泰・おやこ展
   八子晋嗣・八子直子・中村修一


 会場:道新ぎゃらりー
    中央区大通西3丁目
     北海道新聞社北1条館1F道新プラザ内
    (北進一方通行の西側のビル。)
    電話(011)221-2111

 会期:2009年7月30日(木)~8月4日(火)
 時間:10:00~19:00
     (最終日は、~17:00まで)

ーーーーーーーーーーーーーーーー(8・4)

 会場狭しと沢山の作品が楽しく並んでいた。
 家族展ということで、中村哲泰さんを中心にしてその関係を簡単に紹介します。
 八子直子さんが長女で中村修一さんの姉、八子晋嗣さんが八子直子さんのご主人で義理の息子、中村修一さんが長男です。
 他に作家ではありませんが、八子夫妻の子供達も直子さんの作品モデルとして参加しています。


 中村修一さんのことはよく知らなかった。新年の大同ギャラリーでのニュー・ポイント展に参加しているとのことですが、気付かなかった。今回のようにまとまって見ると、しっかり記憶に残せる。というわけで、今回は彼を中心にして載せます。


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     (↑:顔の壁面作品は八子直子、山などの絵画は中村哲泰、彫刻は八子晋嗣。)


○ 中村修一の場合。

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     (↑:作品の全景。「store」胞子。)

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 茫洋としたお玉じゃくしのような形です。壁に貼ったり、流木をいかだのようにして住まいにしたり、丸太のイスにしがみついたりして、その立ち居振る舞いを遊んでいます。
 作家は黒い者を「胞子」と名付けています。胞子はジメジメした森の中の暗闇を好みますが、作家もそういう隠れ家みたいな所が好きなのかもしれません。愛着を込めて胞子達を変幻自在な可愛い生き物にしているのでしょう。

 胞子のミクロの世界をマクロに置き換えて再現した物でしょう。小なりとも個展として、自己完結的な物語を見たいものです。


○ 八子直子の場合

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 娘さんを画き続ける八子直子さんです。
 キュビズム風顔面表現。大きな顔、部分を立体風に誇張し、見る人の意識を顔のある部分に強制的に誘導させる。顔そのものの生命力を何とか伝えたいという作家の執念を思う。
 立体仕立ての顔は少女ですが、可愛く見えないのが良い。子供は可愛いものですから、可愛く表現されても面白くありません。可愛く表現されなくても、母親にとっては分身的要素の強い存在です。占有物であり対峙者、相反することを八子・娘顔に思う。


○ 中村哲泰の場合

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     ↑:左から、「ヒマラヤ アマダブラム」・F150、「ヒマラヤ チョルチェ」・F150。

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     ↑:共に「黄昏」・F100 F20。


 中村哲泰さんは7、8年前?にネパールに山を描くために行かれた。エベレスト・トレッキングです。
 実は僕も家族でジリからタンボチェまでトレッキング経験があります。氏の山々を見ると、絵画を超えて自分の体験が先走りしてしまいます。正月頃の半月旅行でした。トレッキング中の昼間は真夏です。深夜は真冬です。宿の窓からは隙間風が入りそうな安普請です。滑稽な語り草が山ほどある5人の家族トレッキングでした。
 中村さんは僕ら家族の最終地点から、かなり奥地まで行かれている。空気も薄く、寒さも相当在り、筆持つ手は厳しいものがあったでしょう。

 こうして「アバダブラム」に会えるとは、山が絵がネパールが迫ってきます。


○ 八子晋嗣の場合

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 ↑:左から、「化石の森」、「流脈」。


 今展の八子晋嗣さんは意欲的です。かなりの新作を見ることができました。
 八子ファンとしては多くを語りたいのですが、一端この項目はこれで閉じます。幸い、「芸術団jam」というグループ展がアート・スペース201で開かれています。おそらくそこでも全作が見れるでしょう。その時に語るということで。

 
 

by sakaidoori | 2009-08-08 10:03 | 道新プラザ | Comments(0)
2008年 12月 17日

851) 道新ギャラリー 「掛川源一郎・遺作写真展」 終了・12月11日(木)~12月16日(火)

○ 掛川源一郎・遺作写真展

 会場:道新ギャラリー
    中央区大通西3丁目・北海道新聞社北1条館1F・道新プラザ内
    (北進一方通行のメイン道路の西側。)
    電話(011)221-2111
 会期:2008年12月11日(木)~12月16日(火)
 時間:10:00~19:00
     (最終日は ~17:00まで)

※ ギャラリー・トーク:12月14日(日) 17:00~19:00 同会場 無料
         吉増剛造(詩人、写真家)×港千尋(写真家、映像人類学、多摩美大教授)

 主催:北海道新聞社 掛川源一郎写真委員会

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 たまたまトークの時間に訪れた。吉増剛造氏&港千尋氏(以下、敬称は省略)、二人の著名人だ。初めて見る顔、声、風貌、同じく初めてまともに見る掛川・写真・・・彼等のトークとの絡みで掛川・写真を考えた。

 二人の語りは高級な漫才師のようだった。相手の気心が知れていると見えて、互いに否定することなく話題を膨らませ、言葉を投げあい、しっかりと自分の写真観・芸術観を滲み出していた。それは都会的な知的遊戯にも似た面白さで、聞き慣れた「ヒューマニスト・掛川、社会派・掛川」というレッテルを静に壊していった。同時に「人間・掛川」を語ることを止め、「掛川の目」としての作品を語り、被写体の時代性を不問にする形で、「写真家・掛川」を賞賛することでもあった。

 語りは吉増剛造が中心であった。話術に富み熱い。
 だが、話術の巧みさに反して、作品を一歩離れて語るのが彼の特徴だ。それは全体像では無く、作品の部分を注目する。被写体の具体性を見ないふりをするのだ。「白く輝く額」、「湯気がある、白い。噴火、湯気だ。」、「揺れる顔」、「文字が切れている」・・・。

 掛川の地元・伊達の作品が沢山ある。表情は豊かではあるが貧しさがある。戦後開拓団としての長万部のそれがある。泥臭い。バチュラー八重子らもある。祈りとしての独自の雰囲気。アイヌの儀式もある。お決まりの題材とはいえ、モノトーンを更に強めた白と黒にはアイヌの野性味・力がある。掛川にとって、「アイヌとは何だったのか?」と問いたくなる。自然の力が顕わな有珠噴火もある。北海道の自然の力の象徴でもあろう。
 だが、吉増剛造は貧困とか、泥臭さとか、野性味とか、異民族とか、自然の暴力とか、そんな言葉は一切使わない。被写体への感情移入を意図的に不問にして、「見る」という作業に徹している。
 彼は1922(大正10)年生まれの76歳だ。近代化された日本は満遍なく風土の姿を一変させた。その変化を彼は知らないはずはない。だが過去を過去として語ることをしない。現代の感性が認めるところを手繰り寄せて、その現代的意味を赤裸々にしようとしている。作品の過去性・記録性に浸る鑑賞家を否定すること無く、今の感性で過去の作品をつかみ直せと言っているようだ。


 港千尋、1960(昭和35)年生まれの48歳。
 中肉中背の学者風の穏やかな語り。出しゃばって語ろうとはしない。その静かさに騙されそうだが、吉増氏とは逆に一歩入ったところで語ろうとしている。
 出足の言葉が象徴的であった。蒸気機関車の作品があるのだが、彼は線路の傍で育ったから、懐かしさを語っていた。「おんぶ」の話になった時、淡々とイヌイットの子育て話をしていた。文化人類学的知識の披露ではあるが、具体的に語ろうとしている、一歩入ろうとしている。今年の合衆国大統領選の開票時、カリフォルニアの民主党本部にスルッと入ってしまって、更に偶然の力でその場の熱気を最上等席で撮ることができたそうだ。
 だが、彼はインテリとしての節操さがあるから、語る時は吉増氏とは逆に静かな男を演じていた。


 掛川・写真、今は無き時代の息吹を見つめるか、吉増剛造のようにそれらを相対化させ写真の持つ視覚表現力に狙いを定めるか。
 僕は伊達の建物群を背景にした世界に、北九州の炭鉱の長屋を思い出した。恐いほど僕自身の子供時代と重なってしまった。雪多き作品があると、そこは違う世界なんだと安心してしまった。
 被写体の時代性に目を背けることはできない。多くの年配者はそうであろう。若い人達はどんなメッセージを受け取るのだろう?



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     ↑:「縄跳び遊び」・1967年 伊達。
 吉増氏は「ゆれ」を語っていた。その時の人の表情の不思議さも語っていた。まさにそういう作品だ。掛川・人物、特に子供は変な顔が多い。

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     ↑:「手鏡を見る少女」・1964年 伊達。
 恐い作品だ。被写体としても、カメラアングルとしても他を寄せ付けない凄みがある。

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    ↑:「開拓地の根株の山」・1956年 長万部。
 吉増氏は一歩引いて写真を撮る、ということをしきりに語っていた。そういう掛川作品をあれこれ紹介していた。僕には一歩引いたのと、踏み込んだのと、二様の世界があると判断した。熱い目と冷たい目だ。吉増氏の意見には同調し難い。
 上の作品、根株に焦点を当てれば一歩踏み込んでいる。子供に焦点を当てれば、退いている。熱き目と冷たい目の両立がこの作品の良さだと思う。

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     ↑:「往診に出掛ける高橋房次医師」・1959年 白老。
 高貴な雰囲気が立ち込めている。信念、あるいは強い意志から発する精神的敬虔さ、近寄り難くもある。

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     ↑:「モダニズムの影」・1953年 札幌。
 初公開作品。ですから、タイトルは今展企画者の名々です。具体性の中で隠れていた掛川氏の美学だけを抜き出したような作品。
 撮影地は札幌とありタイトルも「モダン」ですが、被写体は当時の北海道にはありふれたものです。洗面器一式です。古い人に聞いてみて下さい。

by sakaidoori | 2008-12-17 21:57 | 道新プラザ | Comments(0)
2007年 09月 26日

324)道新プラザ 「松田芳明 写真展・矢野直美 作品展」9月20日(木)~10月2日(火)

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○ 松田芳明 写真展
    夕張炭鉱(ヤマ)に生きた人々

 会場:道新プラザ・ギャラリー
    大通西3 北海道新聞社北1条館1F・入り口は東向き
    電話
 会期:2007年9月20日(木)~10月2日(火)
 時間:10:00~18:00 (最終日16:00まで)

 会場3分の2のスペースでの炭鉱写真展。
夕張の真谷地炭鉱が舞台。松田さんが坑内に入って、労働風景、坑内での昼食時ーアルミの弁当箱を少し開いて顔を真っ黒にしての写真などが展示されています。仕事を終えた直後の、やはり真っ黒顔の風呂の光景は笑顔と重なってヒューマン・ドキュメントです。受付けに最近出版した写真集が置かれています。その大判の原版がほとんど全て展示されています。

 会場には作家の松田さんが案内役を勤めています。常駐のようです。訪れる人は被写体の人物を知っている人もいるようで、実名を挙げての写真談義を傍にいるだけで聞くことが出来ます。覗き聞きから・・・「・・ここにタオルで耳を隠して、ほおっかぶりをしている人がいるでしょう。その上にヘルメットをしています。普通、坑内では異常音を聞き分けるために耳を隠してはいけないのです。ですが、真谷地では粉塵が多くて、ベテランの人は皆こういうスタイルなのです。だから、新人は耳を隠していないので、直ぐに見分けが付くのですよ。タオルがプライドになっているのですね・・・・」なるほどと思いながら聞き入ってしまった。



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○ 矢野直美・作品展
    ゆれて ながれて であって

 同会場の奥の方での写真展。(期間等、全て松田さんの項目と同じ。)
 矢野さんは時々テレビに出演しているので、名前は知っていました。ジャーナリズム出身で電車と旅、旅の写真と文章を綴る人です。出会いということにスポットを当てた仕事をしているようです。テレビ受けするチャーミングな笑顔の持ち主です。

 作品は刺激的なということではなくて、旅情や思い出を醸し出すように加工されていて、スーと入って、スーと出て行く感じです。炭鉱写真を見た後には、いかに松田さんの写真の笑顔が素敵だといっても、現場の迫力が強いので、ミスマッチのような感じで見てきました。


(以下、道新への雑感。続く)→書きたいこと、書かねば成らないことが沢山あります。次の機会に「道新への雑感」を書きます。

by sakaidoori | 2007-09-26 13:59 | 道新プラザ | Comments(0)