栄通記

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カテゴリ:テンポラリー( 98 )


2016年 05月 05日

2511) 「鼓代弥生/木彫平面作品展 -駅-」 テンポラリー 終了/4月26日(水)~5月1日(日)

  
鼓代弥生 木彫平面作品展
  
             

 会場:テンポラリー スペース
      北区北16条西5丁目1-8
       (北大斜め通りの東側。
       隣はテーラー岩澤。)
      電話(011)737-5503

 会期:2016年4月26日(水)~5月1日(日)
 休み:月曜日(定休日)
 時間:11:00~19:00 

ーーーーーーーーーーーーーー(5.1)




 (以下、敬称は省略させていただきます。)


 1階の様子を載せます。昼からライブの予定。そのリハーサルやお客さんで、全体風景を取りそこなった。


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   ↑:(上掲の部分図。茶色い部分は彫り跡。着色していない。どこか肋骨のようなムード。)



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 一気に2階の様子も載せます。
 何となく「鼓代弥生」ワールドは分かると思う。



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 ライブ・リハーサル、おっ、アフリカンだ。太鼓でずんずん、リズムでどんどん、思わず体が揺れる、弱強・弱強・弱強と2拍の手拍子、足拍子だ。音合わせ、音確認だから、太鼓演奏家鼓代弥生は真剣だ。見慣れたおっとりしてふくよかな面立ち、立ち居振る舞いとは別人だ。打って変わって凄みがある。こういう顔をして絵を描いているのかな?

 この会場は高さと光で選んだのだろう。
 高い天井、ガラス一枚で外と区切られた空間、開放感充分だ。空気もおいしい。リズムと音楽と空間と作品と響き合おう。
 差し込む光-賑やかでちょっと幻想的で、遊び、寂しさといろいろありの鼓代作品を一層引き立ててくれる。(女性は欲張りだ、あれやこれやの気分・願望・夢をもらさず手に入れたがる。)
 舞台はそろった。さー、仲間たちよ集まれ!「鼓代ワールド」の始まりだ。

 とにかく作品は音楽的だ。支持体は板で、彫って描いて、また彫っては描くでできているのだろう。「描く」のも肉声には違いないが、「彫る」ほうがもっと直接的だ。きっと「生」が好きなんだろう。

 気になることは、もっと色の発色が良くてもと思った。多分、画材はアクリルかな?基本は原色ギラギラの人ではないようだ。明るく元気に・・どこか控えめに優しく、そんな色好みのようだ。


 タイトルの「駅」。
 作品が「駅」ではないだろう。この場(ギャラリー)が「駅」なのだろう。人が集まる。目的地に向かって、それぞれが旅立つ。もしかしたら行き場のない旅人もいるかもしれない。見知らぬ人同士が、見知らぬままに集まり離れる。その、踊り場のような「場(駅)」で、鼓代弥生は軽く親しく元気よくお邪魔する。作品が良き思い出になれれば。




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by sakaidoori | 2016-05-05 00:01 | テンポラリー | Comments(0)
2015年 02月 04日

2454)「高臣大介ガラス展 ~とどめなく~」テンポラリー 終了/1月20日(火)~1月25日(日)



  
高臣大介ガラス展
 
   とどめなく

             



 会場:テンポラリー スペース
      北区北16条西5丁目1-8
       (北大斜め通りの東側。
       隣はテーラー岩澤。)
      電話(011)737-5503

 会期:2015年1月20日(火)~1月25日(日)
 休み:月曜日(定休日)
 時間:12:00~20:00 

ーーーーーーーーーーーーーー(1.24)


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 何だかんだと言って、今回はガラス棒200本に尽きる。
 何年か前に、このガラス棒を約100本当ギャラリーに持参した。
 僕は一目見るなり、「次は800本だね、嘘800だよ!ウソ800だよ!嘘から出た誠だよ!ドーンと800本!!!!」
 高臣大介はニンマリしながら、「良いっすね、良いっすね」と余裕ありげに応えていた。
 多分、内心は、『800本。そりゃあったほうが良いっしょ。でも金と時間がかかるし、ちょっと大変でしょう。見る人は気楽でいいな~。相変わらず丸さんは言い放題で良いね~』そんなところだろう。
 しかししかしだ、やっぱ800本、いや1000本あった方が良い。『まっとうなリクエストだ、やってみるか!!』と表現者魂にマッチの火がついたのだろう。

 とりあえず今回は200本だ。そしてその200本ぶら下がりを見た。『あ~、200本でこれだけか~。わかっちゃいるけど少ない!悔しいけど、丸さん理論のマコトマコト800本、いや1000本に取り組もう』になったのだろう。
 いつ1000本になるか?知らない。無理することはない。人生は長い。
 その1000本をどうするか?知らない。きっと妄想が1000本を飲み込むだろう。1000本という数は問題ではない。大介エネルギーの溜まり場を得たのだ。形を得たのだ。後はその形という川と対決だ。まっ、僕が元気な間に晴れの1000本を見たいが、彼の人生は僕のためではない。ゆるりと進めばいい。



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by sakaidoori | 2015-02-04 23:19 | テンポラリー | Comments(0)
2014年 08月 18日

2449)「齋藤周展 『日々の形状』」テンポラリー 終了/8月1日(金)~8月10日(日)

  

    


齋藤周展  日々の形状            



 会場:テンポラリー スペース
      北区北16条西5丁目1-8
       (北大斜め通りの東側。
       隣はテーラー岩澤。)
      電話(011)737-5503

 会期:2014年8月1日(金)~8月10日(日)
 休み:月曜日(定休日)
 時間:11:00~19:00 
    (最終日は、~18:00まで。)

ーーーーーーーーーーーーーー(8.7)


 会場入口からの正面風景--



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 正面の左側--



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 正面の右側--



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 左側から順番に何点か載せます。



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 (以下、敬称は省略させていただきます。)




 『あら、どうしたの齋藤周?』

 まるでオタクのような四角ばかりの作品群だ。家屋と見てもいいだろう。家には違いないが、脇を締めて、自分一人の砦にも見える。さわやか色使いだから、他者を寄せ付けないという排除の姿勢をとっていない。四面観音のように辺りをまさぐり、「それでもオレは此処にいる、四角の中に」、と旗竿を上げている感じだ。

 タイトルは「日々の形状」。「日々の営みの拠点は家(自分の室内)だから、そこでの心象風景」と解せないでもない。間違いなくある種の心象風景だろう。だが、随分と閉じこもり気味で、「感覚感情の発散」に対して強い抑制を感じる。

 「発散」、齋藤周ワールドは内燃機関の爆発のような自己顕示型ではない。しかし、自分の中の感覚を外に拡げる(作品化)ことによって、自分の可能性を拡げるタイプだと思っている。自分の中の未知領域に、あるいは外の不可知界に自分を投げ込んで冒険もしたい!きっと何か良いことがあるはずだ!それが少年の淡い初恋心であったり、朝日の新鮮さであったり、山の彼方の憧れだったりと、激しい時もあれば静かな時もあるで、今風の優しさの中で青年らしい多情多感さを保っていた。今展、「情」や「感」よりも、「我(われ)」と「此処(ここ)」なのか?


 今展は今までの齋藤周のスタンスとは異質だ。主義主張を絵画に綾なす人ではないが、何かしら挙手をしたくて発言したくてじっとこらえている感じだ。





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 我々も彼女たちと一緒に2階を見よう。もしかして、齋藤心の屋根裏を見れるかもしれない。





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 激しい絵だ。そして美しい。もしこの作品が入口正面にあったならば、全体の印象も変わるだろう。

 遙かななる山また山!この山並みを縦断したいのか?行為する人?ただ見ることによって存在を確かめたいのか?見る人?主義主張の画家ではないが、今までとは違うマグマ溜まりが誕生するのか?






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 さて、「屋根裏」を合い言葉にして帰ることにしよう。





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by sakaidoori | 2014-08-18 15:11 | テンポラリー | Comments(1)
2014年 07月 22日

2422)「谷口顕一郎展 凹みスタディ #28 -琴似川のための考察-」テンポラリー 7月19日(土)~7月27日(日)

  


谷口顕一郎展 
 凹みスタディ #28
 

     -琴似川のための考察-           



 会場:テンポラリー スペース
      北区北16条西5丁目1-8
       (北大斜め通りの東側。
       隣はテーラー岩澤。)
      電話(011)737-5503

 会期:2014年7月19日(土)~7月27日(日)
 休み:月曜日(定休日)
 時間:11:00~19:00 

ーーーーーーーーーーーーーー(7.20)




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 (以下、敬称は省略させていただきます。)



 イエロー・モンスター?ここは彼等の檻?イエロー・トリックスターであり、揺りかごだろう。


 前回の川上りえ女史の立体作品は構造物それ自体に重きはなかった。
 今回の谷口顕一郎・立体作品は女史とは真逆で、作品自体にふんだんに物語がある。しかもその物語は前編と後編の二本仕立てだ。そして、その前後編の狭間に断絶がある。今は物語と作品の壮大さと遊び心での制作で安定したバランスを保っている。・・・おいおいとその辺を語りたい。


 さて、作品の前編、「物語」を説明します。



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   ↑:(今展のパンフレット表紙からの切り抜き。)


 上の写真、旧琴似川が埋め立てられてアスファルト道路に変身し、その道路の「凹み」に今回の作品をはめ込んだ姿だ。川筋という地盤は周辺とは強度や質を異にする。その違いが長い年月の間に「凹み」という現象を地上にもたらし、「かつては此処に水が流れていたのだ」と主張したことになる。
 谷口顕一郎はそこに着目する。その姿に、環境にビビッと彼の美学が感応する。その模様を剥ぎ取る。模様の中に自然や風土や都市をもぎ取ったと言える。その行為に、その模様に、その場の環境に我々はいろんな想いを抱くことになる。物語の誕生だ。フロッタージュの岡部昌生氏と同じと理解したい。ここまでが物語の前編だ。

 岡部昌生氏は徹底的に現場主義だ。剥ぎ取る行為自体が作品になる。炎天下であれ、指先にたらたら汗を流してフロッタージュする。現場から半歩たりとも後退できない。現場=制作=作品だ。この関係は硬直している。互換性がない。美術家としては危険な関係だ。あまりに自由がない。これのみに一生を捧げれるか?やはり無理だった。いまでは作品の見せ方が重要になっている。明らかに「現場=制作=作品」とはズレた問題に精力を傾けている。

 自由人であり遊び人でもある谷口顕一郎はこの現場主義オンリーを否定する。岡部氏の危険を見事にかわした。それも見せ方という姑息な手法ではなく。
 現場で凹みの形をトレースして、アトリエで黄色いプラスティック板で再現する。
 彼にとっての現場とは、母体のようなものだ。だから、プラスティック板で再現したら、現場に帰ってはめ込んでみる。これは儀式だ。正確さの確認だけではない。これから美術家としての自由な振る舞いを報告するようなものだ。その模様を切り刻んで蝶番で繋いでいく。それを畳んだり拡げたりして好き勝手に遊ぶのだ。凹み母体に安全安心を保証されながら自由に遊ぶことも大事なのだ。枠という定型縛りから自由を確保した。

 今展は原板は同じだが、刻み方を変えて違った形の作品を作った。会場風景の幾つかの作品は兄弟のようなものだ。拡げれば皆同じになる。クローン凹みなのだが、全く違う作品になった。
 ここだ!確かに今は社会的痕跡の強い凹みが欠かせない存在だ。だが、実体としてではない凹み模様もあるかもしれない。彼の中の自由と遊び心が一切の制約から離れることを欲したら、自分だけの物語としての凹みに出会えば、前半の物語部分は薄れていくかもしれない。自然とか社会とか歴史とか文化とか、そういう物語でない物語を彼が発見したら、作品は今とは違う遊び方をするだろう。




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 2階の様子を載せます。資料等もあります。




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 解りやすい物語で接する人にやさしく語る谷口顕一郎。今はけれんみもなく大きく開花している谷口ワールド。今は安定期、充実期だと思う。20年、30年後はいかに変貌していることか!美学者谷口顕一郎をより鮮明にしているだろう。期待して彼の真の変身を待とう。しかし、62歳の私はどこまで確認できるか・・・。






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by sakaidoori | 2014-07-22 21:41 | テンポラリー | Comments(0)
2014年 02月 22日

2353)「高臣大介ガラス展 ~ひびきあう。~」テンポラリー 2月18日(火)~2月23日(日)

  
高臣大介ガラス展 

   ひびきあう
          



 会場:テンポラリー スペース
      北区北16条西5丁目1-8
       (北大斜め通りの東側。
       隣はテーラー岩澤。)
      電話(011)737-5503

 会期:2014年2月18日(火)~2月23日(日)
 休み:月曜日(定休日)
 時間:11:00~19:00 

ーーーーーーーーーーーーーー(2.6)


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 犬が喜びそうな骨がぶら下がっている・・・そんなことはない。れっきとしたガラスだ。昨年も当館に展示したものたちだ。『昨年と同じじゃん』、本数はわずかに増えたが確かに同じだ。だが、目的が違っていた。

 今回は『楽器』だ。当然「見るもの」として作品に構えていたら、ガラス作家・高臣大介は無造作に大胆にガラス棒に触れた。いきなりうるさいぐらいに音が鳴り始めた。まるで教会だ。

  ガラガラ、からから、キラキラ、くるくる・・・


 どんな擬音語で書けばいいのだろう、普通に鈴なりの音と言ってしまえばいいのだろう。
 スズナリ・・・、確かに教会堂の中で神への祝福だ。だが、当館の狭い部屋だけでは実にもったいない。雪景色の草原で思いっきり彼女らガラス嬢を触れ合わせて、思いっきり辺り一面を「ひびきあう」世界にしたらいい。荘厳?至福?・・・冷たい空気に触れ合って、音色を越えて体音になるだろ。



 好感・高臣大介は、その風貌に反して貴公子的な詩人として今回は登場した。


  君は静かに流れていく
     君は静かに響いていく

       僕は静かに流れていく
         僕は静かに響いていく

           音は静かに流れていく
             音は静かに響いていく


 DMに添えられたポエムだ。
 だが、僕にはガラス棒の音色を「静かに」とか、「流れて」としては聴けなかった。目の前にマフラーをして寒さで頬をピンクに染めている少女に、高臣大介は熱く激しく綺麗な音色で恋を語っている。
 ロマンチックな男が選んだガラス・・・純真無垢な美を求めているのだろう。ガラスよりもガラス音のほうが素直に彼の心を伝えているようだ。


 彼の小品・商品は比較的小振りが多い。手のひらの宝物というか、ぽっかりと可愛く包み包まれる感覚が好きなのだろう。その小振りさへの親和性が大振りのインスタレーションを小さくさせる時がある。小さき者への愛が、大きな造形空間として華咲かせる・・・今展の「詩と音」もそれへのチャレンジの一コマだろう。





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by sakaidoori | 2014-02-22 23:15 | テンポラリー | Comments(0)
2014年 02月 11日

2344)「(佐々木恒雄展) 『And Yet』」 テンポラリー 終了/1月21日(火)~1月26日(日)

    


(佐々木恒雄展) And Yet    






 会場:テンポラリー・スペース
      北区北16条西5丁目1-8
       (北大斜め通りの東側。
       隣はテーラー岩澤。)
      電話(011)737-5503

 会期:2014年1月21日(火)~1月26日(日)
 休み:月曜日(定休日)
 時間:11:00~19:00 

ーーーーーーーーーーーーーー(1.26)


(以下、敬称は省略させていただきます。)


 網走から佐々木恒雄が来た。久しぶりの個展だ。わざわざの個展なのに見遅れた。お客も多くて、盛大な最終日でだった。その様子を兼ねながら、会場風景から始めます。アップの美人顔も出てきます。いささか失礼でしょうが、男・佐々木恒夫の久方ぶりの札幌晴れ舞台です。華を添えてもらいましょう。


 ご存じのように当館は1階と屋根裏のような2階という構成。1階から始めます。




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   ↑:「And Yet Meet」。



 宴会モードで盛り上がったところで、早速画家本人に登場してもらおう。今展の代表作の前でのポ-トレート、ほろ酔い赤ら顔とピンクに包まれた織り姫&彦星とのドッキングだ。あまりにも素直すぎる佐々木ロマンだ。







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   ↑:(物静かな語り口で優しい男なのだが、相変わらず鋭い目つきをしている。愛すべき笑みの持ち主でもある。粘着的にエネルギーを溜め込んで、獲物を狙う青年でもある。)




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   ↑:①



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   ↑:②



 スプレーを使ったりして、ニューヨークニューヨークの屋根裏描き殴り、エネルギー発散の情熱絵画、と理解して大過ないのだろう。でも、毎日々生業として海ばかりを見ていると、そうそう妄想中心の屋根裏ワールドというわけにはいかないようだ。


 上掲の①は会場左側に集められている。落書きペインティング系としておこう。
 何が何だか解りにくい。外というか、何かに意識が向かっているのだろう。それでも、海という形もあるから、心象を含めた日常の断片なのだろう。

 対して②は会場右側だ。右側には他にもある。それが以下だ--。


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 (哀しげな作品だ。昨年だったか、道東で猛吹雪による凍死事件があった。車から脱出し、吹雪の中で父親が娘に覆い被さって一夜を過ごした。子供は無事だったが父親は亡くなられた。そのことを悼むでの作品とのこと。)




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 右側の壁面は具体的な道東生地のイメージだ。素直だ。僕はただ、「素直、正直」としか言いようがないが、地元の仲間が見たら何て言うのだろう?

  「ツネオ!毎日見ている海ジャン。何かこ~う、この風景、目頭が熱くなるのう・・・」

 あるいは、
  「そうか、ツネオはこんな感じで俺たちを感じているのか・・・知らんかっった」

 おそらく、感心することはあっても決して無視しないだろう。
 こうも言ってくれるかもしれない。
  「ツネオ、俺、絵とかむずかしいこと解らんが、お前の絵、面白いよ。普段、もっと見せてくれよ。お前の絵を見ながら駄弁りあおうぜ、酒飲もうぜ・・・」




 ニューヨークニューヨーク・屋根裏好みの佐々木恒雄には2階も用意している。落書き作風だが、一方では非常に端正な性格の持ち主でもある。小綺麗にキチンとした2階に昇ることにしよう。




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   ↑:(情景の部分図。)




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 発色よろしきカラフルさと、スプレーによる黒の表現、安心して人を見つめているみたいだ。ピンクは幸せでハッピー色か?随分と遠慮無く多用している。どこかるんるん気分なのだろう。ルンルンなのだが、ぐっと距離を黒で保とうとしているのか?




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 佐々木恒雄が颯爽と網走から冷たく暖かい風を運んできた。

 きっと、彼は都会と田舎で心は揺れているのだろう。もっとも、不安とか、焦燥とかは少ないだろう。だが、きっと揺れている。

 まだ地元では大きな発表をしていないとのことだ。何故なのだろう?おそらく、きっかけがつかめないのだろう。絵画というものは土着的に生まれて、限りなく土から遠ざかる。だから地元で発表しなくても何ら関係ない。だが、佐々木恒雄という生身の人間は、他人のオーラも受け入れないと更なる深化は不可能だろう。いかに地元の風土が素晴らしくても、風土に埋没できるタイプではない。幸い、札幌では当館という拠点がある。単なる発表の場を越えた精神的糧を得る場であろう。ならば、地元でもそういう場があれば絵画の世界も拡がりもし、深まると思う。そういう努力をすべきである。それでこそ、網走の画家であり北海道の画家だ。「ツネオの絵画に囲まれた冬の鍋パーティ」でも良いではないか。折角、札幌人ではマネのできない職業に携わるのだ。それなのに札幌や都会ばかりに目が行くと言うことは、根無し草だ。
 「芸術」、それは根無し草も宝にする。だから仕方ないのかもしれない。

 以上、初老・栄通の意見、大きなお世話的意見。






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by sakaidoori | 2014-02-11 07:11 | テンポラリー | Comments(0)
2013年 11月 25日

2312)「吉田切羽 写真展 『on the road』」 テンポラリー 11月19日(火)~12月1日(日)

    


吉田切羽写真展 「on the road   






 会場:テンポラリー・スペース
      北区北16条西5丁目1-8
       (北大斜め通りの東側。
       隣はテーラー岩澤。)
      電話(011)737-5503

 会期:2013年11月19日(火)~12月1日(日)
 休み:月曜日(定休日)
 時間:11:00~19:00 

ーーーーーーーーーーーーーー(11.24)


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   ↑:(会場左側の風景。)



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   ↑:(会場正面の風景。)



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   ↑:(会場右側の風景。)



 (以下、敬称は省略させていただきます。)


 写真展だ。人だ。付かず離れず、相手との距離感を保ち、こちらが微笑めば相手もニッコリ、そしてパチリパチリ・・・。ついでに素通りする大人も、遠くで遊んでいる子供達もパチリパチリ。そんな人物写真が飽くことなく続いている。

 人の好きな写真家だ。だからといってビビットにクローズアップに迫らない。誰かと何かと関わる世界、一つの包まれた世界を大事にしてパチリパチリ。写された人と絡まり合いながら、周りの風景にも愛着を感じてしまう。
 きっと自然も好きな人だろう。でも、燦々太陽の下での燃える大地とか、飽くなき光探求という人ではないようだ。追求派ではなく、関係重視の抱擁派だろう。だから今展も「癒し」にもなっている。写真家は「癒し」を求めて撮ってはいない。あまりに自然な写真家の位置に、見るこちら側が心地良く浸ってしまい、「あ~、癒されました」という言葉を貰えるかもしれない。写真家はきっと喜ぶだろう。それは、その言葉への共感と、何かしらの違和感にテレてのことかもしれない。人の好きな人だ。「どんな言葉も受け入れる人」、そんな良き誤解を与えてくれる写真家だ。



 2階の一部がアフリカ、それ以外は全て東南アジアのようだ。タイ、ベトナム、カンボジア、ラオス・・そんな感じの仏教国と写真は教えてくれる。



 始めにお気に入りベスト1、ベスト2、ベスト3を載せます。


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 以上の共通点は「女の子」。人の好きな吉田切羽だが、特に「女の子」が好きだ。彼の好みにすっかりはまってしまった。

 吉田切羽にとっての「女の子」とは?「女の子」、確かに女性以前の存在だが、「エロス」を含んでいるのか?間違いなく「エロス」はある。というか、現実の性的「女」以上の価値を見いだしているのだろう。「愛でる存在」として。天真爛漫さ、純真さ、直向きさ、可愛さいじらしさ、小さき世界での主人公、男の子への対抗心、エロスのチラリズム・・・それら全てを愛おしく思っているのだろう。かなわぬ恋、プラトニック・ラブの中に生きているのだろう。
 今展は「on the road」、「淡い恋の旅路」と言えば言い過ぎだろう。それ以上の要素も沢山埋め込まれている。でも最後は、セルバンテス的な「見果てぬ路傍物語」と言いたくなる。




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 「人生は楽しい」、あるいは「人生は危ない」。





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 以上は全て1階です。



 載せすぎになりそうですが、やはり2階も案内したい。なぜなら、2階は「大人たち」や「人のいない風景」などが主役のようだから。



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 拡大(クリック)して楽しんで下さい。

 被写体は1階とは微妙にズレている。1階の作品の色違えもある。その心は共通でしょう。が、いくつも持っている写真家の引き出しは確認しておこう。一本の見方だけで吉田切羽を決めつけかねない。
 しなやかで柔軟だ。拘りの無さではないだろう。「これを見よ!」、というタイプではないのだろう。その代わりに沢山の作品で自己の世界をアピールしている。




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by sakaidoori | 2013-11-25 12:12 | テンポラリー | Comments(1)
2013年 10月 20日

2268)「佐佐木方斎展 2部 個展 -自由群-」テンポラリー 10月15日(火)~10月27日(日)

  
佐佐木方斎展 
2部 個展 -自由群
  



 ※ 1部 コレクション展 終了/10月8日(火)~10月13日(日)
        



 会場:テンポラリー・スペース
      北区北16条西5丁目1-8
       (北大斜め通りの東側。
       隣はテーラー岩澤。)
      電話(011)737-5503

 会期:2013年10月15日(火)~10月27日(日)
 休み:月曜日(定休日)
 時間:11:00~19:00 

ーーーーーーーーーーーーーー(10.19)


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 (以下、敬称は省略させていただきます。)


 「佐佐木方斎の復活、再出発展」と断じても良いであろう。


 「佐佐木方斎」、いわゆるアンフォルメルな抽象画家だ。かつては輝かしき美術運動家であった。
 手元に、氏の創刊した「美術ノート」(1984年9月、1号発刊、隔月誌)が5冊ある。パラパラとめくるだけでも地方美術雑誌としては群を抜いた存在であることが分かる。一般的な現在美術の紹介誌ではない。狭義の札幌現代美術に焦点を当てながら「現代美術」を論じる場だ。詳細は分からないが、体も害し、美術運動はもとより画家活動も途絶えた。

 当館オーナーの働きかけもあり、旧作の発表という形で何度か当館でも個展をされた。そしていよいよ新作で画家活動の再開だ。いや、人生は長い。いつをもって停止とか中断とか再開とかを、軽んじて言うべきではないだろう。とくに作家の内面を考察せずに論じるのは慎むべきだろう。が、あまりに「美術ノート」の存在が大きすぎて、それを基準にして氏を語る時が多々ある。それは良いことではあるが、やはり「今」が常に大事だ。特に作家個人とは無縁な一般鑑賞者は「今」しか知り得ないから。

 過去の名声などは無視して、作品を見ていこう。


 1階は新作のみ。


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 2階は約40年前の小品2点に、1980年代後半の中品2点。


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   ↑:サイズ・S60。


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   ↑:(上掲作品の部分図。)



 激しく、濃密、沈鬱な作品だ。ナイフの走り跡、ヒッカキ線とも思える線の痕跡、重ね塗りの強度は激しく重く感じる。

 画家は、「いやいや、一気に塗ったものではないんだよ。ナイフをゆっくりゆっくり横に走らせて、何度も何度も薄く重ね塗りしたんだよ。激しい気持ちで描いてはいないのだよ。静かに、薄く薄く、何度もも何度も・・・」
 作画姿勢、作業としてはそうなのだろう。が、十重二十重に縦線横線がクロスして、「考える人の自由さ」を思う。

 氏はかつて、余剰群や格子群などをシリーズとして発表していた。賑やかな世界(自由群)から、無駄なものを消去する過程でもあった。建築的な幅広の縦線横線、それらを余白美が支えるまでになった版画を誕生させた。
 上の作品には、その「余剰」、「格子」、そして初期の作品群であり今展のタイトルである「自由」が全てそろった感だ。螺旋的なリ・バースとして作品があるようだ。


 凡調に言葉が進みそうだ。以下、一気に新作を何点か載せます。



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   ↑:サイズ・S60。



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   ↑:(上掲作品の部分図。)






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   ↑:サイズ・s50。


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   ↑:(上掲作品の部分図。)



 全て腕はしっかりと横滑り。確かに、これも「自由」と言えなくもない。飛び跳ねる自由ではない。仙人的な悟った軽さ自由さではない。茫洋とした海に細やかさを作り、その中でたたずむ自由と呼べばいいのか。





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    ↑:サイズ・S50。


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   ↑:(上掲作品の部分図。)



 渋い、重い。この作品は他とは違った異質さを与える。だが、この重さがあって、氏の「自由群」は一つの形態をなすのであろう。
 まさしく暗い海の中で、深く静かに沈んでいく自由だ。




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 2階の旧作を見ましょう。「今」との比較をしましょう。同時に、「過去」の作品は「古い作品」ですが、「古さ」、「新しさ」を見つめる場になるでしょう。問いにもなるでしょう。佐佐木方斎を通して、見る側もそれぞれの「今」と「過去」を往還する機会です。



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 大作では白を自粛した。強烈な赤の主張はあるが、七色は薄塗りの中に埋没した。堂々とした絵画にはなじまないと判断したのか?
 そうではないだろう。僕は、今展は新たなる自由のための過去との対話展として判断している。今後、以前のような「消去」によって、この自由はより整理されるかもしれない。どうなるか?

by sakaidoori | 2013-10-20 13:04 | テンポラリー | Comments(0)
2013年 03月 28日

1995)②「山田航歌集『さよなら バグ・チルドレン』をめぐる変奏展」テンポラリー 3月16日(日~3月31日(日

  
山田航歌集 「さよなら バグ・チルドレン

             をめぐる変奏 展
        



 会場:テンポラリー・スペース
      北区北16条西5丁目1-8
       (北大斜め通りの東側。
       隣はテーラー岩澤。)
      電話(011)737-5503

 会期:2013年3月16日(日)~3月31日(日)

 休み:月曜日(定休日)
 時間:11:00~19:00 

 【参加作家】
 野上裕之(彫刻) 藤谷康晴(絵画) 佐々木恒雄(絵画) 森本めぐみ(造形)
 高臣大介(ガラス) 久野志乃(絵画) 吉原洋一(写真) アキタ ヒデキ(写真・文)
 ウメダマサノリ(造形) 森美千代(書) 中嶋幸治(造形)
  メタ佐藤(写真) 藤倉翼(写真) 竹本英樹(写真) 及川恒平(ソング)
  
    ・・・(ブログ「テンポラリー通信」よりコピー)


ーーーーーーーーーーーーーー(3.22)

 1988)①の続き。
 (以下、敬称は省略させて頂きます。)



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     ↑:森美千代、「掌のうへに熟れざる林檎投げ上げてまた掌にもどす木漏れ日のなか」


 「投げ上げた書がひらひらとテンポラリーの西日の中に漂いそう」、そんなムードで、書は落ちずに天井にある。
 が、短歌の含意はそうではない。
 掌に青みがかった林檎がある。その林檎を上に投げる。視線は乙女を追うようにして林檎の軌跡を愛おしむ。日が当たる。その中に乙女を愛でるようにして林檎は掌に帰ってくる。愛撫する。かじろうか、そっとしようか。熟す(大人になる)のを止めたい。
 きっと評者は動きや光や色をも捉えた瑞々しい青年の感情、恋心の機敏に感嘆することであろう。

 森美千代は写真もする。写真の方が自由に表現している。
 「書(かな書)」・・・習い事という約束事に身を置いて、さらに「文字」という約束事を倦まずにもくもくと書き続けている。自己表現と言うよりも、筆が約束事の文字をスルーっと自由に描ききる、その時が来るのを待っている。律儀に真面目に自由が筆や腕に乗り移るのを待っている。そういう意味で、書に関しては努力し、待つ女だ。
 そういう堅さ律儀さが彼女の書にはあった。今もある。が、大きくのびやかな気持ちが、今回はある。熟女的乱舞する姿は皆無、乙女的パリパリ感を通り過ぎて、独り立ちしよう、そんな書に見えた。



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     ↑:(赤い作品) 中嶋幸治、「楽器庫の隅に打ち捨てられてゐるタクトが沈む陽の方を指す」


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 捨てられたタクトの目線は何処だろう?滅びの美学か?指さす希望か?
 中嶋幸治・作品、タクトに注目すべきか?全軍の指揮者か?独立独歩の象徴か?
 血潮のほとばしる手に注目すべきか?それは意志力か、権力か?

 彼の作品には常に滅びと強さが同居し、それらが色に包まれていた。砂の白、圧迫線の黒、紙のクリーム色が意志と美学を象徴していた。そして今展は赤だ。

 手は武骨なまでに大きく力強い。美術品としてはいつまで存在できるのかと惜しみたくなる。無くなることを作家は意に介さない。無くなる一歩手前の存在に常に向き合っている。

 キツサと強さとシンプルな美学、そして「中嶋幸治、我が道を行く」ということか。




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     ↑:梅田マサノリ、「旅行鳩絶滅までのものがたり父の書斎に残されてをり」


 最近の梅田マサノリは標本シリーズを一端中止している。今展、先祖帰りのようにして標本でご挨拶だ。

 氏の標本シリーズの特徴は、すこぶる真面目で本格的なのだが、どこかが何かが変なのだ。意図的なのか、たまたまなのか、氏の性なのか?今作もそうだ。どうのこうのと言うほどのことはないのだが、腫瘍がベタッとこちらの肌に引っ付く感じだ。作家は良い人だから良性の腫瘍だろう。でも、作品は悪い人で悪性かもしれない!



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          ↑:藤倉翼、「永遠といふ名の青い週末に死よりも少し愉しい旅を」。


 短歌は楽しくないものだが、美人がニッコリしていてホットする。
 白装飾は黄泉への旅立ちなの?そんな無粋な。抱きしめあって昨日や明日を忘れよう。それが美女という仙薬だ。普通にロマンティックにくつろいでいる写真家・藤倉翼だ。



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     ↑:メタ佐藤、「真っ白なことばが波に還ってもこの国道は続いてほしい」。


 写真作品、私や回りが写り過ぎですいません。見た人にとっては記録になるでしょう。
 余計な現象を想像力で消去して、原作回帰を試みて下さい。これも「メタ」作業かもしれない。


 
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     ↑:久野志乃、「粉と化す硝子ぼくらを傷つけるものが光を持つといふこと」


 最近の久野志乃作品に、傷つけられる弱さはない。自信に満ちて強い青で何かに突き進んでいる。
 その彼女が、こういう自傷の句を選んだ。彼女が求める光には「ガラス」という刃があったのか?この句を知って、あらためて自身の光を再考したのか?
 こういう句を選んだ画家に一抹の不安を覚える。今の強さは強迫観念ではないと思いたい・・・。



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     ↑:森本めぐみ、「世界といふ巨鳥の嘴を恐れつつぼくらは蜜を吸つては笑ふ」


 どうも、森本めぐみという人は、グループ展になったら小さく見える。考え過ぎなのか、どこか性格が引っ込み思案なのか?確かに、こういうお伽噺のような小さな世界も作る人だ。が、僕には解しかねる。チャレンジ精神が皆無だ。おそらく、自分の世界に没入しているのだろう。それはそれで精神の安定には欠かせないのだろう。

by sakaidoori | 2013-03-28 08:04 | テンポラリー | Comments(8)
2013年 03月 24日

1988)①「山田航歌集『さよなら バグ・チルドレン』をめぐる変奏展」テンポラリー 3月16日(日~3月31日(日

  
山田航歌集 「さよなら バグ・チルドレン」

             をめぐる変奏 展
        



 会場:テンポラリー・スペース
      北区北16条西5丁目1-8
       (北大斜め通りの東側。
       隣はテーラー岩澤。)
      電話(011)737-5503

 会期:2013年3月16日(日)~3月31日(日)

 休み:月曜日(定休日)
 時間:11:00~19:00 

 【参加作家】
 野上裕之(彫刻) 藤谷康晴(絵画) 佐々木恒雄(絵画) 森本めぐみ(造形)
 高臣大介(ガラス) 久野志乃(絵画) 吉原洋一(写真) アキタ ヒデキ(写真・文)
 ウメダマサノリ(造形) 森美千代(書) 中嶋幸治(造形)
  メタ佐藤(写真) 藤倉翼(写真) 竹本英樹(写真) 及川恒平(ソング)
  
    ・・・(ブログ「テンポラリー通信」よりコピー)


ーーーーーーーーーーーーーー(3.22)

 (以下、敬称は省略させて頂きます。)

 歌人・山田航は昨年の夏に第一歌集出版した。「さよならバグ・チルドレン」(フランス堂出版 2200円)だ。
 いろんな分野の表現者が、その歌集から一首選び、和する形でそれぞれが自己表現した作品展だ。歌人を知る仲間達が処女出版を祝うものだろう。「良い歌集ですね。おめでとう。僕はこの歌が好きだよ」では芸がない。何がどんな風に気に入ったか、どう良いのかを語ったことにならない。表現者として心の交歓にならない。対話にならない。

 美術展のような文学展のような、精神の交じり合い展と言うべききか。どういう対話が実現したか、会場風景を見て下さい。



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     ↑:(以上、1階の様子。)





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 1階の窓側は最後に紹介しますが、似た雰囲気です。



 グループ展と言えなくもないが、「山田航 短歌精神」が基本にあって、参加者相互の対話は強く打ち出されていない。白き空間で、それぞれのバグ 参加者)が夢を食んでいるようだ。大きな夢を見て、一人興奮気味に暴れる人はいない。寝ているのか、冷めているのか、それぞれが白昼夢に陥ったよう。


 展覧会の意義・意味は無視して、作品として感心したのを載せます。選んだ短歌も添えます。


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     ↑:藤谷康晴、「北方と呼ばれて永き地をひとり老狼はゆく無冠者として」。


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 細いペンによる細密線描画だ。何とも惚れ惚れする作品だ。
 他の作家もそうだが、皆なかなりの気合いで制作している。この線、驚くしかないではないか!
 驚きは他にもある。激しく濃淡表現していない。実にやさしい。線のエネルギーは充満しているのだが、全体が何てやさしいのだろう!淡々として線を引いているのだ。しかも、精神を異様に在らぬ世界に集中することなく、あたかも楽しむかの如くに濃密な線の世界に没頭している。情熱の人・藤谷康晴を返上したみたいだ。が、そんなことは絶対にない。見た目激しき火群(ほむろ)の人を飛び越えようとしている。実に実に絶好調の藤谷康晴だ。

 選んだ短歌は彼自身の代弁のようだ。彼に限らず、今展の参加者は、自分の気持ちを代弁したような短歌を選んでいる。そういう意味では、作家作品をよく知った鑑賞者の方が、今展を「100倍楽しむ方法」を知っている。

 今作は歌人・山田航に似ている。目やほっぺや顔が丸くて、人なつっこいイメージだ。山田航を描いたのだろう。今展主人公の山田航を賛美している。他の作家にない優しさか?あるいは余裕か?


     ※※※


 以下、選んだ短歌と作品との絡みが面白いのを載せていきます。


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     ↑:佐々木恒雄、「切り傷は直線をなすアフリカの幾つもの国境にも似て」。


 作品が分かりにくくてスイマセン。代わりに、佐々木恒雄が選んだ短歌を詠んで下さい。今展の中で、僕自身も一番好きな歌です。

 歌人も選者もアフリカ体験などあるのだろうか?僕はない。
 子供の頃に世界地図を見て、直線の国境に異国趣味を抱いた。後に、そこが砂漠などだと知った。さらにその後、砂漠に関係なく植民地として外の権力者達が分割した線だと知った。外傷としての致命的刻印だったのだ。
 自傷として国境線を見る甘えは、確かにこの短歌にはある。それは「バグ・チルドレン」だから仕方がない。だから「さようなら」なのだ。



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     ↑:アキタ ヒデキ、「またの名を望郷魚わがてのひらの生命線を今夜ものぼる」。


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 おー、格好いい手だ。「僕の手につかまりたまえ。ふたりで歩もう」なんて、格好良く振る舞いたい。いい男にいい女、人生はもっと素晴らしくなる。
 いつもながら、ダンディーなアキタ ヒデキであった。

 写真家は他にも何人か参加している。山田航を撮ろうとした撮影者はいなかった。



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     ↑:野上裕之、「貴意に沿ひかねる結果となりますがわたしはこの世で生きてゆきます」。


 選んだ短歌といい、作品といい、愛すべき青年だ。自画像の人・野上裕之であった。


  ※※※



 もう少し紹介しますが、長くなったので一端切ります。


 最後に栄通もブログで参加しましょう。


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     ↑:丸島均、「ゆめのなかで開いて閉じていつまでも白紙のままのフタリダイアリー」(歌集最後の歌より)。

 
 歌人に捧げます。

      どこにいる今いたはずの山田航手元に残る「バグ・チルドレン」 


 ②に続く


 

by sakaidoori | 2013-03-24 21:24 | テンポラリー | Comments(2)