栄通記

sakaidoori.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

カテゴリ:◎ 短歌・詩・文芸( 22 )


2010年 03月 23日

1237) 新聞の切り抜き 「文月悠光 『一生のお願い』」 2010年3月19日 北海道新聞夕刊7頁

○ 新聞の切り抜きから

  文月悠光・作、「一生のお願い」 2010年3月19日 北海道新聞夕刊文化欄7頁。


f0126829_1295488.jpg
 (クリックすれば拡大されます。)


 文月悠光。ふづきゆみ、詩人。
 
  1991年 札幌市生まれ
  2008年 現代詩手帖賞受賞
  2009年 「適切なる世界の、適切ならざる私」の処女出版
  2010年 上記の詩集により、第15回中原中也賞受賞
          今春より、東京都内の大学に進学。


 「お月さまになりたい」というブログを主催されている高校生です。
 以前、当ブログにトラックバックを頂いたりしたので、何かと気になる高校生であり詩人です。そして、絵を描く人でもあります。

 中也賞受賞おめでどう!


 新聞のエッセーは受賞記念の依頼文でしょう。

 「私」の廻りの「女の子たち」、両者を「一生のお願い」という言葉がつなぐ。「私」はその言葉に異常反応し、「女の子たち」との関係に違和感を持つ。だが、その違和感は狭い同性社会での違和感のようだ。逆に言葉はいきなり「彼」に代わり、信頼の相手になって話は進んでいく。「彼(言葉)」を確保したいという願望は、狭い身内社会での違和感を、より広い認識への導きとなり、「対峙すべき世界」が観念化される。その辺の心の変遷を詩集という物語に再構築して、処女出版詩集「適切な世界の、適切ならざる私」が誕生したのでしょう。十代の「私」の相対化にもなっているのでしょう。

 エッセーは文月悠光の詩と同じ流れを感じる。
 舞台の日常性、「言葉」の意外な提示は大胆な転換となっていく。「私」と「女」の生理が言葉を支えている。
 そして・・・、詩でも時々感じるのだが、文末を「結論」として結ぶ性格が露わだ。どこか「青年の主張」のようなスタイルで話をまとめた感じがする。文末は「結」ではあっても「結論」ではないと思う。書き出しのストレートさ、話の流れのみずみずしさに比べて、高揚はしているがどこか教訓的な文末だ。確かに初々しさはあるが。

 さて、今春から花の都・東京に行かれる。「違和感」はどんな形に生まれ変わるのでしょう?故郷とはだれにとっても適切かつ凡庸なところと思っている。一方で、郷土での違和感はある種の人にとっては余りにも当たり前なことだし、厭わしいものだ。古里は少年の肉体的成長を期待はするが、精神的成長を不問にしがちだから。
 見ず知らずの風土とそこでの生活は違和感だらけだ。たとえ心地良くても、いつしか限りなき断絶感、喪失感になるかもしれない。あるいは、開かれた世界への窓になるかもしれない。

 詩人、文章家としての大きな成長を期待しています。

by sakaidoori | 2010-03-23 14:36 | ◎ 短歌・詩・文芸 | Comments(3)
2008年 04月 08日

592) 第46回現代詩手帖賞 文月悠光(ふづき・ゆみ)

 今日の北海道新聞朝刊27ページに

f0126829_21411282.jpg


 第46回現代詩手帖賞(思潮社主催)の記事があります。受賞者の一人に札幌市在住・高校2年生の文月悠光(ふづき・ゆみ)さんの名前が見えます。

 彼女は僕のエキサイト・ブログ仲間の「お月さんになりたい」(⇒こちら)の主宰者です。詩を中心に文芸のこと、日々の生活のこと、美術のことを綴っています。
 美術が接点ですが、文芸の情報源としても役立っています。何よりも、若い方の文章そのものを楽しんでいます。女の子っぽい言葉に流されないで、少年のような明快な文章のつなぎや流れに感心しています。詩人だから当然なのかもしれないが、文章のリズムが良いのですね。ご存知のように僕の文章は硬く、リズム感がありません。見習いたい気持ちで読んでいます。

 彼女の詩の特徴、現代詩といっても読みやすいです。関心のある方は是非以下のサイトを開いてください。

 文月悠光の詩集⇒こちら
  その中で最近の投稿詩・「机上の海」、「お酢ときゅうり」。


 受賞金は10万円とのこと。何に使うのでしょうか?詩心を求めて旅に出るのでしょうか?カメラを買ってイメージを撮るのでしょうか?文芸本を買うのかな?自費出版の為に蓄えておくのかな?
 彼女は月が好きです。満月の日は文月悠光(ふづき・ゆみ)を思い出してください。

 受賞、おめでとうございます。

by sakaidoori | 2008-04-08 22:25 | ◎ 短歌・詩・文芸 | Comments(1)
2007年 12月 16日

434)  短歌 菱川善夫選「物のある歌」-19・12月16日

 短歌 菱川善夫選「物のある歌」
 (北海道新聞2007年12月16日朝刊、日曜文芸・P23より)

 菱川善夫氏は12月15日(土)午前5時20分、 胃がんにより、入院先の北楡病院(札幌)にて亡くなられました。享年、78歳。

以下、「物のある歌」全文をご紹介します。


ちから溜め噴きあげふいに底をみすおほき流動体 冬濤は

 「冬濤(ふゆなみ)」の迫力と正面切って対峙(たいじ)した気力の一首。濤には濤の底力があるが、「流動体」の底に溜(た)めこんだ混沌(こんとん)たるエネルギーを、突然みせつけられた力への賛嘆が、張りのあるリズムとなって読む者の心にひびく。

・みてならぬものと見ている冬濤が<時>ひき戻さむと軋むさま

 「みてならぬもの」を見てしまったのだ。冬濤は、みずからの<時>を引き戻すことで、人もまた存在の根拠をつかみなおすのではないか。その作業は個別性が強いだけに、本来人に見せるべきものではない。見てならぬものを見たという思いは、みずからとひきくらべる意識が働いていたことを語っている。冬濤の底を見たからには、海底に棲(す)むものにも連想は働く。

・狼魚(おおかみうお) 底に棲む海 潮さわぎ夜々騒ぎつつふゆへとむかふ

 「狼魚」はオホーツク海にすむ寒帯性の魚。大きな口に、とがった犬歯を持つ恐ろしい顔つきが印象的だ。<仙人にあらず霞は喰らはねど 浦霞召すちょいとぬるめて>の歌にあるように、酒に燗(かん)をつけて時間を引き戻す際にも、狼魚は作者の胸中に浮かんでいたのではないか。冬にむかう潮のざわめきとともに、生命もまたよみがえってゆくのだ。

   村上敬明(のりあき)
  「われも花(2007年、短歌研究者)」。1950年(昭和25年)網走管内斜里町生まれ。同町在住。

おことわり 菱川善夫氏は15日、死去されました。本日の「物のある歌」は、同氏が生前に書かれたものです。


 謹んでご冥福をお祈りいたします。

by sakaidoori | 2007-12-16 14:13 | ◎ 短歌・詩・文芸 | Comments(9)
2007年 12月 05日

424)  短歌 菱川善夫選「物のある歌」-18・12月2日

 短歌 菱川善夫選「物のある歌」
 (北海道新聞2007年12月2日朝刊、日曜文芸・P16より)

空の空その空の空さらにその空に空あるものぐるしさよ(冒頭歌)

・原爆を特権のごとくうたふなと慎みつつうたひきぬ
・九条を改むべしといふ声すおそろしや国の遷りゆく意思
・核武装せんとまでいふ 本気だな 一人ではない二人ではない


   竹山広
  「空の空(2007年、砂小屋書房)」。1920年(大正9年)長崎県生まれ。長崎県時津町在住。


 冒頭歌、素晴らしい。単に空の無窮さに心震わせてもの狂おしいのではないだろう。
 「空」ーのっぺんだらりとした一様な世界ではない。手前の空が青い空、その向こうは緑の空、その向こうが桃色の空、十重二十重に意味と質を異にした世界が、自分を中心に入れ子のように覆っている。手前からあれやこれやと理解したと思ったら、その向こうに自分のうかがい知れない世界がある。努力と経験でやっと知ったつもりになった時に、又違う世界が自分を覆い尽くす。見果てぬ夢にように襲ってくる他者の世界、ふと足元を見たら逆立ちしている自分の存在。存在と時空を前にして、「思う」「感じる」ということ自体に恐れ慄いてしまう。そんな気持ちを、駄洒落のように「ソラ」の繰り返しで、韻律により読む者を別次元に誘おうとしている。

 一方、歌人にとっての「空」は別のリアリティーがある。原爆の落ちてくる「空」でもある。闘い叫ぶ「空」でもあるのだ。被爆体験時は25歳。その後60年以上が過ぎた。被害者として、そのことを「特権」にしないと自戒して歌を作り続けたという。その慎ましさ、言わなければならない言葉に菱川氏は「学ぶべきだ」と仰る。ただ頷くのみ。


f0126829_23365379.jpg


by sakaidoori | 2007-12-05 23:37 | ◎ 短歌・詩・文芸 | Comments(0)
2007年 11月 26日

413)  短歌 菱川善夫選「物のある歌」-17・11月25日

 短歌 菱川善夫選「物のある歌」
 (北海道新聞2007年11月25日朝刊、日曜文芸・P27より)

孵らない卵ならばと叩き割れば百花繚乱とび出すシネマ(冒頭歌)

・待つことも来ないことにも慣れている冬の花火は苛烈に咲けよ
・へルメットわが内にあり手負いのままで決起せよ決起せよと檄とばす
・木枯らしよお前とともに耐える余はいのちのきしむ音聞こえたり


   小柴節子
  「にゅうろんの茎(2007年、楡印刷株式会社)」。1950(昭和25)年倶知安町生まれ。札幌市在住。


 情熱的であり、くっきりとした清々しさを思う。「叩き割れば」「苛烈」「決起せよ」、激しい言葉だ。

 冒頭歌は絵画的な歌だ。
 「孵らない卵」、歌人自身のことだろうか?60歳近い女性だ。孵る卵は持ってはいないだろう。あるいはそういう体であったか?卵のような形の頭か心臓か自分自身を叩き割ったら、シネマをみるように万華鏡の花の世界に替ってしまった。「百花繚乱」は常套句だし、「シネマ」は大正ロマンの匂いがして古臭いが、全体の印象は清々しい。「卵が生めなくても、私は女よ」と、叫んでいるようだ。
 女は「待つことにも来ないことにも」慣れるものだろうか?いやいや、幾つになっても求めるものがあれば、心が焦がれるものだ。それが人か歌心かはわからない。島倉千代子が歌っているではないか、「人生色々・・・女だって咲き乱れる」と。

 彼女は団塊の世代であったのだ。「ヘルメット」「決起」「檄」、学生運動の三種の神器のような言葉だ。「ワレワレは日本帝国主義と天皇制を・・・」彼・彼女等は休むことを知らない。休めば負けてしまう。同時に誰かと伴に歩みたい。「木枯らし」であっても、同志が必要な世代であろう。

 等身大の弱さと強さが色になって現れた良い歌だと思う。


f0126829_23573688.jpg


by sakaidoori | 2007-11-26 23:58 | ◎ 短歌・詩・文芸 | Comments(0)
2007年 11月 18日

405)  短歌 菱川善夫選「物のある歌」-16・11月18日

 短歌 菱川善夫選「物のある歌」
 (北海道新聞2007年11月18日朝刊、日曜文芸・P25より)

・これという道楽もせで吾夫(あづま)老ゆ何ぞたのしみはよはよなされ(冒頭歌)
・スロースローにつづくクイックままならずクイックなしの今ぞ晩年
・白無垢を纏い柩のいもうとは黄泉なる夫へ再び嫁ぐ


   福間妙子。
  「うめ・もも・さくら(2007年、短歌研究者)」。1924(大正13年)年福岡市生まれ。同市在住。

 愉快な歌だ。楽しい歌だ。良い歌だ。

 夫は御幾つか?おそらく80歳は過ぎているだろう。定年過ぎの夫に第2の人生という意味で積極的趣味を求めるのは分かる。が、「もう、いつ死ぬか分からぬ貴方。人生に悔い無きよう、何か楽しみをして下さい」と老いた奥さんである歌人が囃したてる。それを聞いて、夫は多分ニヤニヤしているだろう。『あいも変わらないうるさい婆さん』と、心の中でつぶやいているだろう。

 死を帯びたユーモアは妹の死に対しても、同じ夫への再婚の儀式として歌い上げる。(僕は時々妻に、「あの世でも一緒に暮らすかい」と聞いたりするが、返事は間違いなく、「ノン」だ。)そして本人は、老体に鞭打ってクイックの出来ないダンスに余念が無い。

 平々にして凡々、死を取り込んでの大らかさ、屈託の無さ。老ゆることの気概に圧倒されそうだ。これが女性の強さか。僕が30年後生きていたら、かくありたいものだ。

f0126829_15114293.jpg
 ↑:岸葉子、「薔薇」(新聞の同ページの挿絵より)。全道展に同姓同名の大ベテラン女性画家(東京都在住)がいます。その人かどうか分かりません。

by sakaidoori | 2007-11-18 15:18 | ◎ 短歌・詩・文芸 | Comments(0)
2007年 10月 29日

378)  短歌 菱川善夫選「物のある歌」-15・10月14日

 短歌 菱川善夫選「物のある歌」
 (北海道新聞2007年10月14日朝刊、日曜文芸・P31より)

・憂愁と殺戮の都市ふきぬける風になびかぬ逆髪われは(冒頭歌)
・四面虫歌わがもろともに声たてて秋のかぎりを啼き渡らなむ
・北風に真向かふ道に狂気して駆り立てらるる思想を持たず

   前川 節子。
  「揮発逆髪(2007年、砂小屋書房)」。1949年東京生まれ。鎌倉市在住。

 寒々とした歌だ。流れに掉さしてでも自己の信じる道を歩もうというのか。しかも、「思想を持たず」と言い放っている。反逆精神の強い人だ。

 ところで、「四面虫歌」は菱川さんも指摘しているように、「四面楚歌」の故事をもじっているのであろう。孤立無縁な中に哀愁をそそる言葉だ。果たしてこの言葉は「狂気して」、「思想をもたず」と呼応しているのか?


 楚王・項羽が漢の高祖・劉邦と垓下で闘った。最後の闘いである。項羽の耳に故郷の楚の歌が四方八方から聞こえる。自軍からではない。取り囲っている敵軍からだ。「あー、何と多くの部下達が捕虜になったことか」と嘆き、彼の戦闘精神は萎えていった。もちろんこれは漢軍の陽動作戦である。まんまと項羽ははまったわけだが、それほど形勢は傾いていたのだ。その時に名馬・騅と愛妾・虞を伴っての詩が垓下(がいか)の歌。誇り高くとも、女々しい詩だ。

「七言古詩」
垓下歌  項籍

f0126829_18494259.jpg力抜山兮気蓋世
時不利兮騅不逝
騅不逝兮可奈何
虞兮虞兮奈若何

「(私流の)書き下し文」
垓下の歌  項籍(こうせき)

力、山を抜き、気は世を蓋う
時に利あらず、騅逝(ゆ)かず
騅の逝(ゆ)かざる、奈何(いかに)すべき
虞(ぐ)や虞や若(なんじ)を奈何(いかに)せん

(俺の力は最強だ。意思はすべてを覆い支配している。だが、天命は俺から離れた。名馬・騅は動こうとはしない。我が手足である騅が動かずして、俺に何が出来るというのか。いとしい虞よ!許せ、お前をどうすることも出来ない。・・一緒に死んでくれるか)

 その後、闘い敗れて落ち逃れた渡し場で、渡し守に捲土重来を説かれる。多くの若い楚人を死なせた責を述べ、項羽は自害する。

 僕にはこういう流れの「四面楚歌」を置き換えた「四面虫歌」に作者のヒロイズム的甘さ・弱さを感じる。却って、人間臭さがあって信を置きたいが、歌としては徹底不足だと思う。文学の比喩を使う危険性がある。

by sakaidoori | 2007-10-29 18:39 | ◎ 短歌・詩・文芸 | Comments(1)
2007年 10月 21日

357)  短歌 菱川善夫選「物のある歌」-14・10月7日

 短歌 菱川善夫選「物のある歌」
 (北海道新聞2007年10月7日朝刊、日曜文芸・P25より)

・ミクロンの麹の菌糸伸びゆくは死の無き世界全くの生(冒頭歌)
・殺人の法をネットに学びたる少年の指少女の眼
・白鷺の風切羽のするどさに我の首より血潮吹きたり

   岩井 謙一。
  「揮発(2007年、雁書館)」。1959年函館市生まれ。北大農学部卒。宮崎県清武町在住。

 (二週間前の短歌です。遅れて記録するのは、少し情けない思いです。しかし、時間を置いて改めて再読した方が、意味がスーと心に入ってきます。初めて読んだ時にあれこれ考え、思考回路が時間の流れで整理されるのでしょう。絵も同じですね。見て直ぐに書くよりも、書きたい気持ちが温まって、言葉を見つけて書いたほうがいいと思うのです。一方で、書きなぐりであっても、瞬間の思いを文章化したほうが、第一印象が鮮明です。絵を見る実力がそのままです。非礼な言葉であっても、気持ちの上では嘘が無いでしょう。文章は嘘の有る無しで判断するものではないので、嘘が無ければ良いというものではないでしょう。そこから推敲して、「文としての嘘」を取り込み、読み手に書き手の意思に関係の無い確実な何かが伝わった時、初めて「文」といえるのでしょう。)

 麹の伸び行く姿、少年の指、少女の眼、首より血潮、作家は若き生命力にエロティシズムを抱いているようです。それはナルシズムとも重なるでしょう。
 歌人は北大農学部卒とのこと。マクロな生態系での植物のダイナミックな働き、ミクロの顕微鏡の中での細胞のせめぎ合い、生と死を見詰める学
究時代。社会人になり、その眼は「人」に注がり短歌を通して生を賛歌しているようです。


f0126829_10462913.jpg


by sakaidoori | 2007-10-21 11:17 | ◎ 短歌・詩・文芸 | Comments(0)
2007年 09月 30日

330)  短歌 菱川善夫選「物のある歌」-13・9月30日

 短歌 菱川善夫選「物のある歌」
 (北海道新聞2007年9月30日朝刊、日曜文芸・P29より)

・わが父祖の吾から数えて五人目に斬り殺されし男ありけり(冒頭歌)
・正しきを正しいと言う容易(たやす)さをひょろひょろ生きて逆賊の裔
・ほめられてぺろぺろ舐めて舐められてひとりになれてやっとさびしい
・自転車を燃やせば秋の青空にぱーんぱーんと音がするなり

   奥田 亡羊。
  「亡羊(2007年、短歌研究社)。1967年京都府生まれ。東京都在住。


 家系図をさかのぼること、5代前に殺された先祖を持つと作家・奥田氏は叫ぶ。次の歌から解釈するに、正しき主張が時の為政者の咎に合い、誅されたと言う。自分を逆賊の末裔と規定している。立派な血を引く自分の生き様に対して、自嘲的な歌が続き、何やら囚われの心を払拭したいのだろう、自転車を焼くのだ。「パーン」という音を聞いて安心感を得たのだろうか?

 僕はこうい歌は、歌人は好きではない。5代前の先祖をどうの、こうの言って、今の自分に引き寄せるとは何事だろう。しかも、愚痴っぽい。日本人で、古き家系図を持っている人など、どれ位いるというのか。武士階級と、それに連なる為政者組(名主・寺社関係など)、京都を中心にして、地方の数少ない商家ぐらいだ。「逆賊の末裔」?そんなことはどうでもいい。歌でもって、自分を初代にして「逆賊の奔り」と大きな叫び声を聞きたい。「さびしい」、生きることはさびしいものだ。それを歌でストレートに表現したら、文芸の女神は逃げていってしまう。短歌は「ラブレター」とは違うのだ。


f0126829_22242144.jpg


by sakaidoori | 2007-09-30 22:35 | ◎ 短歌・詩・文芸 | Comments(0)
2007年 09月 30日

329)  短歌 菱川善夫選「物のある歌」-12・9月23日

 短歌 菱川善夫選「物のある歌」
 (北海道新聞2007年9月23日朝刊、日曜文芸・P25より)

・マナティーが月を抱きて歌うとき立つさざ波を不安というか (冒頭歌)
・背後より黒頭巾もてせまりくる死よすっぽりと我を捕らえよ
・強風にあんぱんの袋が飛んでいく私も飛びたいあんなに軽く
・ひと口のパンが喉(のみど)を通った日私は真紅の薔薇になった

  柳澤 桂子
 「萩」(2007年、角川書店)。1938年東京生まれ。理学博士。闘病の傍らサイエンスライターとして活躍。東京都在住。

  4首の歌が起承転結のような構成になっている。
  マナティーとは人魚のイメージの原型といわれる水生動物とのこと。そのマナティーが恋人(月)を抱いている幻想的な世界に不安を見つめる(「起」)。その不安は死に覆いかぶされる(「承」)。一転して、あんぱん袋になって自由に飛んで行きたいと軽やかに詠う(「転」)。ふくろうに入っていたであろう、パンが喉を通る時、私は「私は深紅の薔薇になった」と生命の輝きを詠って、菱川選歌は閉じられる(「結」)。

  短歌全体の世界を演劇を見るように視覚化されたことに、軽い驚きを感じた。柳澤さんは今年で70歳くらい。菱川さんにとって、同輩の女性歌人に対する応援メッセージだろう。「まだまだ人生はある。君は病に、僕は文芸と闘おう。短歌という同志へ!」


f0126829_21433572.jpg


by sakaidoori | 2007-09-30 21:50 | ◎ 短歌・詩・文芸 | Comments(2)