栄通記

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カテゴリ:群青(2016)( 12 )


2016年 05月 24日

2533)⑨「群青②後期『対展Ⅱ』」 アートスペース201 終了/2月4日(木)~2月9日(火)

      「群青」(ぐんせい)展

 ぐんじょうと読まないで下さい。
  ぐんせいと読んで下さい。「群れる青い人達」です



後期・6階C室

「対展 Ⅱ」
佐々木仁美 高橋徹 竹中春奈 
杉下由里子 村田主馬 宍戸浩起 
高橋ヤヒロ(高橋智乃) 酒井詞音 
石澤美翔 阿部雄&千葉貴文
吉田切羽

・・・(以上10名+一組)


●第3回 丸島均(栄通記)企画

   群青(グンセイ)
     八つの展覧会
       〔写真、絵画、書、ドローイング、テキスタイル、立体〕

  「群れる青い人達」による自己表現展です。

    雪固まる1月、2月・・・
    寒い・・・
    少しでも元気になれれば・・・ 

●会場:アートスペース201
    札幌市中央区南2条西1丁目山口ビル5&6階
     電話:011―251―1418
   
●会期:前期⇒2016年1月28日(木)~2月2日(火) 
   後期⇒     2月4日(木)~2月9日(火)
     (前期は6階3室のみ。後期は全館5室の展覧会。)
●時間:10:00~19:00 
    (各会期最終日は、~18:00まで)
      


後期・6階A室
◯「女の空間」(女性写真展)
外崎うらん 高澤恵 平間理彩 杉下由里子 高橋ヤヒロ(高橋智乃) 石澤美翔

後期・6階B室
◯神成邦夫 写真展 
HORIZON-北海道-  
 ~内界と外界の境界線~



後期・5階D室
◯「元気展 ~色・物語の部屋~」(多ジャンル美術展)
  碓井玲子(テキスタイル) 小西まさゆき(絵画) 佐々木幸(現代美術) 杉崎英利(絵画)   
 
後期・5階E室
◯「元気展 ~線の部屋~」
  久藤エリコ(切り絵) 佐藤愛子(クロッキー) ドローイングマン(ドローイング) 樋口雅山房(書)

●催し:2月5日(金)17:00~20:00 
    17:00~  ドローイングライブ(ドローイングマン)
    18:00~   出品者紹介
    18:45頃~20:00  パーティー

●企画者:丸島均(ブログ「栄通記」主宰)
 連絡先:090―2873―2250 marushima.h@softbank.ne.jp
 住所 :札幌市北区屯田3条2丁目2番33号

ーーーーーーーーーー(2.8 9)


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宍戸浩起の場合
 (北海学園大学Ⅱ部写真部 1年)


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   ↑:「来るべ!新幹線。廃れちゃうべ、ローカル線」


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 実は、僕はこの場で宍戸君に謝らなければならい。
 作品は正直言って目立たない。その目立ちにくさを捕まえて、「若いんだから、もっと力んだ姿勢を示すべきでは」と、批判した。これはピントはずれな指摘だった。
 「対展」は競争展ではない。しかし、たった2点の作品しかないし、参加者も多いから、どこかが強くないとどうしても印象度が低い。そういう低さが「対展」では欠点に見えがちだ。僕はそう見てしまった。しかし、低いからといって、見た目が地味だからといって、そのことで作品が悪いわけがない。「対」という形式が宍戸ワールドにはマイナスになってしまった。

 彼の思いはタイトルが物語っている。新幹線開通の功罪だ。彼は鉄道が好きなのだ。テツ撮りだ。それを北海道弁で示し、「郷土に対する愛情」も示している。タイトルはとても大事だが、タイトルを読ませる前に、作品の前に立ち止まらせる「何か」がないといけない。その「何か」という魅力は、宍戸作品の場合は、ふわ~っとした軽さ、優しさ、愛情だと思う。目立たずに大事に関わる姿勢だと思う。それらは現在の若者一般の気質でもある。その気質をちゃんと表現しているのだが・・・、いかにも優しすぎて、目立たなかった。

 できることならば、その優しさがもっと大きく表現できればと思う。それは相当に難しい。写真技術の修練と、発表経験と、何より続けることでいろんな表現を身につけてくれるだろう。





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石澤美翔の場合
 (北海学園大学Ⅱ部写真部)




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   ↑:「本音と建前」。



 七色の花に包まれて明るい~、と思いきや。セルフポ-トレイトで美しく自分を見せている~、と思いきや・・・。作品は七色でとても綺麗、でも寂しい。おそらく、女の子(撮影者自身=石澤美翔)の表情がいじらしく、哀しげだから。顔を撮ってはいるが、何を撮っているか分かりにくいから(左側の作品)。

 石澤美翔はセルフポ-トレートで勝負する。華やかに着飾り、見た目の美しさ明るさが表舞台だ。そして、仕草や表情で、明るさに連れ添う女の子心を表現している。今展もその範疇だが、ちょっと普段とは違う。
 いつもの発散する姿勢が、「対」というテ-マに触れて、「心の裏表を追求しちゃおう」。



村田主馬の場合
 (北星学園大学写真部2年)




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   ↑:「前へ」。



 女の子のスカートがチラリだ。膝だ、ふくらはぎだ、かかとだ、足首だ。

 村田主馬君は女の子のスカート以下にチャレンジした!撮った!
 誉めるべきはここまで!その先がダメだった。何とももったいない、ただ撮るだけに満足してしまった!たじろいでしまった。こっから先を見たいのよ!どう君が突っ込むか!しかし君は足だけを普通に撮って満足してしまった。
 男はスケベなのよ。わかるだろう。スケベだからこそ「永遠なる乙女」とか理想化したり、「女直前の少女」という存在に不思議さを抱き、「女性のまろやかさ」に妄想が膨らみ・・・あれやこれやと楽しいのか狂おしいのか、脳の中をグチャグチャしてしまう。

 初(うぶ)なるかな村田主馬君!気持ちはウブでも構わない。ついついカメラがふくらはぎに引っ付いてしまった。そんな撮影者にならなければいけない。それが写真家というものよ、それが自己表現の第一歩よ!





高橋ヤヒロの場合
 (フリーデザイナー)



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   ↑:copy,reflection,copy」・水彩画。


 (今作は、その後より描き込まれて違う展覧会で発表された。そう意味では未完性です。今展では、やや薄塗りに感じたのはその為でしょう。)


 この「対展」は、「写真の要素がある作品」という出品規定がある。今作は完璧な水彩で、多分、廃墟現場の写真を参考にしているだろう。どこが、「写真の要素」かというと、「写真らしい絵画(水彩画)」がテーマだ。企画者としてはそれで構わない。もともと写真らしい絵画を求めていたから。初対面の女性に、それも作風を全然知らない作家から、意図せず提案されて驚きはあったが問題はない。
 問題があるとすれば、「『写真のように見えない』という反応なり批判が出るだろうが、その辺は覚悟して下さい」と言っておいた。

 さて、「写真のような・・」、試みのほどは・・・丸島均の目には、水彩以外の何者でもない。とても肉感がある。鑑賞者の何人かは「写真のよう」と言っていた。そういう意味では作家のネライはまずまず成功だろう。

 僕の問題意識は、「写真らしく」に拘る作家の制作姿勢だ。
 作家にとっては、「自由度の高い写真展だから『写真のような』絵画に遊び心で取り組もう」ではないと思う。大学で肉筆を学んだ人だ。もともと、肉筆で「無機質」な世界に取り組んでいた(ようだ)。だからこそ、画題の現場取材として廃墟を写真で収めるのだが、その写真そのものが気になって仕方がなかっただろう。「人為的構築物が廃墟として無機質に還元していく姿」をカメラという機械が機械的に記録として定着させる。そこに言いしれぬ「何か」が髙橋ヤヒロにはあるのだろう。

 僕は、彼女自身の問題意識よりも、廃墟を徹底的に無機質に出来ない画家の生理と、無機質にしたい願望との分離が一番の関心だ。したいことと、その結果が分離している。彼女の作品は画家自身の生理がプンプンしている。「女展」にも出品したが、そこは写真作品で、その写真は男勝り的な力強さがあり、まさしく絵画的だった。

 「無機質」と「生理」、「カメラの機械性」と「絵画の肉筆性」、その関係をいろいろと考えさせてくれた髙橋ヤヒロであった。






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髙橋徹の場合
 (北星学園大学写真部OB)



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   ↑:「私と父」。



 「父と息子」がテーマだ。その両者を見つめる仲立ちを「カメラ」がしている。

 撮影者自身の「親子」だ。そのことが素晴らしい。親子が見つめ合っている、そして「何か」を訴えている。それだけで充分だった。
 しかし、残念ながら、カメラが二人の表情を覆っている。あたかもカメラが宝物のようだ。「この親子にとってカメラは特別なんだ」と、主張しているみたいだ。そうかもしれない。そうかもしれないが、ここはストレートに親子の表情を、仕草を写真で見せて欲しかった。親子が見つめ合う関係を、写真という空間で披露して欲しかった。

 撮影者自身と父親が向き合う。それを第三者の関与する展覧会という檜舞台で見せる。それは、作品を見る者にとっては「自分と親」を見つめるキッカケにもなる。私的な髙橋親子という関係がそれぞれの「親子関係」という、目には見えないし、その場で語り合うこともない内省にも繋がっていく。その場合、「カメラ」という仲介は不要だ。この展覧会場という公的な場と、「写真」の持つ力だけで充分だ。残念なことに、髙橋轍は親子の間に「カメラ」を置き、それを主役にしてしまった。「親子」を提示した以上、タイトルにした以上、親子を離れた地点に鑑賞者を誘う必要はなかった。それほど「親子」というテーマは重い。

 仮に、タイトルが「カメラ」だったら面白いかもしれない。明らかに「カメラ」を見せつつ、そのカメラの背後が真の主役と人は気が付く。間接的な「親子」表現だ。

 だがこの場合、そんな間接技を酷使する必要はないだろう。素直に親子を撮りあって、二人の相互信頼の場にすればいい。あまりにヒューマンな姿かもしれない。時にはヒューマン一本勝負も良いものだ。



阿部雄千葉貴文の場合
 (ともに札幌大学写真部OB)
 

 
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   ↑:左側、千葉貴文、「鉄の花 -Set UP-」。
   ↑:右側、阿部雄・「鉄の華 -Re:set- 」。



 群青前期の写真2人展「鉄の灰」出品作からの賛助出品。

 阿部雄は丸島企画展第1回からの参加者だ。僕の不手際もあり、続けて参加しているのは彼一人だ。
 第1回の対展に参加したのだが、彼は随分と「対」に悩み、考えに考えを重ねて作品化した。その体験がプラスになった。だから、「企画者としては心許ないが、まだまだ丸島についていこう。それが写真向上に繋がる」と、思いを定めたみたいだ。

 「対」でいろいろ悩んだから、「対」が頭を離れない。「対」が写真風景の一つに埋め込まれたようだ。だから、」この賛助出展は「自分の再確認」にもなっているだろう。


 千葉貴文は大学の先輩・阿部雄を全面的に信頼しての参加だろう。「丸島均」が何者かは問わない。こうして作品を作れた、見せれた、参加したことを素直に喜んでいる。
 その喜びが素直に伝わる「鉄塔」作品だ。
 「この鉄塔のように凛々しくありたい。美しくも。でも・・僕に出来るかな・・」



吉田切羽の場合
 (Midonight Lamp 写真研究所)
 




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   ↑:「あの夏のGOGO」。



 実は、僕の我が儘からの出品だ。本当にギリギリでの参加で、本人としては不満足な出品だったと思います。無理強いしてすいませんでした。でも、やっぱりここに吉田切羽作品があって大正解だった。展覧会が引き締まった。

 吉田切羽は表情の撮り方が素晴らしい。生き生きしている。特に女が良い。・普通の表情なんだけど、その普通さが、やけに男のロマンス心を波立たせる。ひな壇に飾る美や、理想化されたものとは違う。おそらく、被写体の生活感なり生きる息吹に感応してパチリといくのだろう。当然、吉田切羽自身が抱く女性への憧れがシャッターを押す力を後押しするのだろう。



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by sakaidoori | 2016-05-24 20:31 | 群青(2016) | Comments(2)
2016年 05月 23日

2532)⑧「群青①後期『対展Ⅱ』」 アートスペース201 終了/2月4日(木)~2月9日(火)

      「群青」(ぐんせい)展

 ぐんじょうと読まないで下さい。
  ぐんせいと読んで下さい。「群れる青い人達」です



後期・6階C室

「対展 Ⅱ」
佐々木仁美 高橋徹 竹中春奈 
杉下由里子 村田主馬 宍戸浩起 
高橋ヤヒロ(高橋智乃) 酒井詞音 
石澤美翔 阿部雄&千葉貴文
吉田切羽

・・・(以上10名+一組)


●第3回 丸島均(栄通記)企画

   群青(グンセイ)
     八つの展覧会
       〔写真、絵画、書、ドローイング、テキスタイル、立体〕

  「群れる青い人達」による自己表現展です。

    雪固まる1月、2月・・・
    寒い・・・
    少しでも元気になれれば・・・ 

●会場:アートスペース201
    札幌市中央区南2条西1丁目山口ビル5&6階
     電話:011―251―1418
   
●会期:前期⇒2016年1月28日(木)~2月2日(火) 
   後期⇒     2月4日(木)~2月9日(火)
     (前期は6階3室のみ。後期は全館5室の展覧会。)
●時間:10:00~19:00 
    (各会期最終日は、~18:00まで)
      


後期・6階A室
◯「女の空間」(女性写真展)
外崎うらん 高澤恵 平間理彩 杉下由里子 高橋ヤヒロ(高橋智乃) 石澤美翔

後期・6階B室
◯神成邦夫 写真展 
HORIZON-北海道-  
 ~内界と外界の境界線~



後期・5階D室
◯「元気展 ~色・物語の部屋~」(多ジャンル美術展)
  碓井玲子(テキスタイル) 小西まさゆき(絵画) 佐々木幸(現代美術) 杉崎英利(絵画)   
 
後期・5階E室
◯「元気展 ~線の部屋~」
  久藤エリコ(切り絵) 佐藤愛子(クロッキー) ドローイングマン(ドローイング) 樋口雅山房(書)

●催し:2月5日(金)17:00~20:00 
    17:00~  ドローイングライブ(ドローイングマン)
    18:00~   出品者紹介
    18:45頃~20:00  パーティー

●企画者:丸島均(ブログ「栄通記」主宰)
 連絡先:090―2873―2250 marushima.h@softbank.ne.jp
 住所 :札幌市北区屯田3条2丁目2番33号

ーーーーーーーーーー(2.8 9)


 群青展の掲載が8回目です。今月中には全作品を掲載します。どうかお付き合い下さい。
 今年の記録であり、来年の展覧会のための資料としてとても大事なのです。



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 (以下、敬称は省略させていただきます。)

 半分ほど載せます。


佐々木仁美の場合


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   ↑:佐々木仁美(金属造形作家)、「創造と破壊」。




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 この「対展」は「写真の要素のある作品」という出品規定だ。だから、金属造形が専門の作家にとっては「写真の提出」に相当悩んだ事と思う。ですから、写真作品そのものを「良いの、悪いの」と言っても始まりません。「なるほどな」という気持ちで見て下さい。


 佐々木仁美のモチーフは、「人」、「住み家」、「生命(誕生)」というものだ。だから、ついつい双葉なども挿入して、生命賛歌になってしまう。双葉なくして造形という「形」、「ボリューム感」、「質感」という純粋芸術要素だけで生命観を表現できたらと思っている。若い女性だから、ついついやさしくそれらしい物をくっつけてしまう。その気持ちは分かる。
 「純粋芸術?」、「何いってんのよ」。「双葉で物語が膨らんで・・・あ~、し・あ・わ・せ、なのよ。どこが悪いの」と、言っているかもしれない。

 しかし、佐々木仁美は修行をしている。最近は絶好調だ。やはり長く続けなければいけない。ようやく、説明小道具がなくても、堂々と生き生きと「造形」をなしてきた。

 僕は毎日会場に来て、入口に座っている。そこから彼女の作品を横睨みで毎日見ていた。日々、愛おしさが増していった。



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 作家自身が以前住んでた家や、その跡地などを重ね合わせた作品。写真にメリハリがないから魅力が薄れてはいるが、「機械的無機質な世界」、「暴力に近づくような力強さ」がある。大きくしてもっと加工したら良い作品が誕生すると思う。双葉を提出する柔な人だと思っていたが、骨太な精神も持ち合わせているようだ。



杉下由里子の場合



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   ↑:「アダハナ」。



 抜群の出来映えだ。

 2点の作品とも、チョット暗めでしかも強いし、女はあえてブスに見せているし、突っぱね顔に飛び出し鼻、「嫌な女」に見えるし、植物の作品も変な物がブヨブヨしているみたいだし、気持ち悪!
 そしてタイトルを読む・・・「アダハナ、、花、鼻、華、、、あだ花か、、、」。
 左側の作品、花は枯れてはいるのか?しかし、よく見ると水の上で綺麗に再生している!
 右側の作品、「私の人生あだ花よ」、と女が自虐的に「あだ鼻」を晒している、突っぱねている。「綺麗だけが女じゃないよ、あんた、わかってんの!」、と見ている人にモンクが言いたそうだ、あだ鼻の持ち主の女は。ミソッカスだらけのあばた顔が、まるで「逮捕された女顔」だ。無気力と、傲慢しか残っていないみたい。「あだ花」でも咲きたかった、と厚い唇が言っている。

 2枚の写真とタイトルで、見事にドスンと心の綾を表現している、力強く。


竹中春奈の場合(藤女子大学写真部OG)



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   ↑:「『どこかにいきたい』 『どこにもいけない』」



 「あ~、『対』に悩んだな~」

 悩んでいい。2点というギリギリの量で、しかもタイトル(言葉)を絡ませて「表現をする」という経験がなかったのだから。「対展」は考えたことを作品化する道場みたいなものだ。あるいは、たまたま撮った作品を「2枚」で知的に構成する実験場なのだから。そういう意味では、対展の多くの作品は累々とした失敗作の屍かもしれない。そういう姿を見せる場になっているかもしれない。それでいい。質は問はない。質は自ずと現在の実力としてにじみ出ているものだ。


 今回の発表作は10枚ほどの連作ならば、しみじみとした味わいを提供したことだろう。「余韻」という性格の強い作品だから。
 その余韻の強き作品が、余韻のみで終わっているから、他方との関係性がしっくりこないから、2点だけでは間が持たない感じだ。余韻に漂う内実が伝わりにくい。

 竹中春奈は、少し寂しがっているのだろうか?彼女は居合抜きのような強さで、草花と一本勝負で向かい合うのが得意だ。今作で何より残念なのは、その強さが全く見られなかったことだ。
 今は関西に住んでいる。「孤独」をかみしめているのかもしれない。



酒井詞音の場合
 (高校3年生。今春、日本大学藝術学部写真学科入学予定)



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   ↑:「『Upside』→『down』」。


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 酒井詞音はまだ高校生だ。だから、作品に対してあれこれ言うつもりはなかった。
 日大の写真学科に進学すると聞いた。そのとたんにこちらのスイッチがONになってしまった。

 とても素直で健康的作風だ。被写体へもちょっと迫る感じで、世界がちじこもってなくて悪くはない。悪くはないが、オーソドックスな優しさは伝わるが、優しさを踏み越えた領域へのチャレンジ精神が不足しているみたいだ。充足感が支配しすぎて、個性・・・オレはここを見ているんだ、という強いアイカメラ・目力(めぢから)・若者の気迫がドーンと伝わらない。

 酒井詞音は藝術としての写真を学びに日大に進む。マンモス大学だから、学校に興味を感じない学生がいれば、私大だが、とんでもない感覚の学生も集まる。そういう中で、彼はもまれるだろう。
 「お前は何故写真を撮るんだ?お前にとって写真とは何なんだ?写真を藝術と本当に思うのか?そもそも藝術とは何なんだ?」
 「こんな優しい作風で藝術という荒野をさまよえるのか?」
 その一つ一つに正解などありはしない。だが、地方育ちの青年にとって、ふって湧いたような試練が待ち構えているだろう。しっかりもまれてくれ給え。



 ②に続く。

by sakaidoori | 2016-05-23 21:12 | 群青(2016) | Comments(0)
2016年 05月 18日

2526)⑦「群青後期『神成邦夫 写真展』」 アートスペース201 終了/2月4日(木)~2月9日(火)

      群青」(ぐんせい)展。

 ぐんじょうと読まないで下さい。
  ぐんせいと読んで下さい。「群れる青い人達」です



後期・6階B室

神成邦夫 写真展 

HORIZON-北海道-  
 ~内界と外界の境界線~



●第3回 丸島均(栄通記)企画

   群青(グンセイ)
     八つの展覧会
       〔写真、絵画、書、ドローイング、テキスタイル、立体〕

  「群れる青い人達」による自己表現展です。

    雪固まる1月、2月・・・
    寒い・・・
    少しでも元気になれれば・・・ 

●会場:アートスペース201
    札幌市中央区南2条西1丁目山口ビル5&6階
     電話:011―251―1418
   
●会期:前期⇒2016年1月28日(木)~2月2日(火) 
   後期⇒     2月4日(木)~2月9日(火)
     (前期は6階3室のみ。後期は全館5室の展覧会。)
●時間:10:00~19:00 
    (各会期最終日は、~18:00まで)
      


後期・6階A室
◯「女の空間」(女性写真展)
外崎うらん 高澤恵 平間理彩 杉下由里子 高橋ヤヒロ(高橋智乃) 石澤美翔

後期・6階C室
◯「対展 Ⅱ」
  佐々木仁美 高橋徹 竹中春奈 杉下由里子 村田主馬 宍戸浩起 高橋ヤヒロ(高橋智乃) 酒井詞音 石澤美翔
・・・(以上9名)

後期・5階D室
◯「元気展 ~色・物語の部屋~」(多ジャンル美術展)
  碓井玲子(テキスタイル) 小西まさゆき(絵画) 佐々木幸(現代美術) 杉崎英利(絵画)   
 
後期・5階E室
◯「元気展 ~線の部屋~」
  久藤エリコ(切り絵) 佐藤愛子(クロッキー) ドローイングマン(ドローイング) 樋口雅山房(書)

●催し:2月5日(金)17:00~20:00 
    17:00~  ドローイングライブ(ドローイングマン)
    18:00~   出品者紹介
    18:45頃~20:00  パーティー

●企画者:丸島均(ブログ「栄通記」主宰)
 連絡先:090―2873―2250 marushima.h@softbank.ne.jp
 住所 :札幌市北区屯田3条2丁目2番33号

ーーーーーーーーーー(2.8 9)



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 北海道の、どこにでもありそうな風景。
 青空に輝く殺風景な風景がA1サイズで18枚、びっしりと横一列に並んでいる。
 皆さんにも、神成風景を疑似体験してもらいたい。以下、18枚を掲載します。



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 臆することなく、面白くない写真を堂々と披露している。だから、僕は神成風景写真を「面白くない写真」と、大きな声で言い切っている。あまりにも堂々としているから、何かがそこに映し出されているのかと思いたくなる。しかし、ことさら語るべき物事はない。ただ、撮ったという行為と、風景ならざる風景を見つめる意識があるだけだ。

 彼の作品をグループ展以外に見たことがない。グループ展での彼の存在は、僕にとっては一際目立つ。他の写真家は「何か」を撮っている。あたりまえだ。何かを撮らなければ写真は成立しない。神成邦夫も、確かに「何か」を撮っている。だが、どうみても撮られた風景そのもので何かを訴えているとは思えない。心象風景の投影とも思えない。記憶の断片を探し求めての旅の記録とか、見果てぬ夢の痕跡でもないだろう。なぜなら、写真に肉声を感じないからだ。ただ写真風景があるだけだ。

 変な言い方だが、特徴のない定点、面白くない風景と向かい合い、「撮りたいという意識」を撮っているみたいだ。まるで禅問答だ。「撮られた風景は・・・トイレ。その心はそうかい!」禅坊主たちの禅問答は大声で相手を投げ飛ばす勢いで言葉を発する。格闘だ。堂々としている。堂々としていなければならない。そういう強さが神成風景も同じだ。堂々と無意味と思える世界に入り込んでいる。

 そんな「面白くない」神成風景が部屋一杯に堂々と並んでいる。
 鑑賞者がどういう反応をするか気になった。サーと見て、サーと帰る、と思った。ところが、意外にも多くの人がこの空間で長居をしている。「この風景は何処かな?」と軽く自問自答している。「なんか懐かしいね」とか、「変に落ち着くんだよ」とか言ってくれた。軽く反応し、長くたたずんでいる。「おー、まさしくこれが個展の魅力なんだ」と、僕は心で喝采をあげた。



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 今回も索漠とした風景ばかりだ。が、個々の作品の水平線が全作品を中央で貫いていて、しかも上部は青空一杯、下部は赤茶けた土色と統一感があり、部屋全体に安定感が生まれた。そのことが、「何でもない空間での心の休憩」になったかもしれない。撮影者の「どうでも良さそうな風景集」という徹底ぶりが、思わぬムードを作った。意図したムード作りとは思えぬが、「風景」の持つ魅力には違いない。

 また、東北震災跡地と見間違った人もいた。そえrは、見る側にすでに「決めつけられた風景」があったからだろう。誤解という「風景」だ。

by sakaidoori | 2016-05-18 00:13 | 群青(2016) | Comments(0)
2016年 05月 17日

2525)⑥「群青後期②「女の空間」(女性6名の写真展)」アートスペース201 終了/2月4日(木)~2月9日(火)

      群青」(ぐんせい)展。

 ぐんじょうと読まないで下さい。
  ぐんせいと読んで下さい。「群れる青い人達」です



後期・6階A室

女の空間」(女性写真展)

外崎うらん 高澤恵 平間理彩 杉下由里子 
高橋ヤヒロ(高橋智乃) 石澤美翔



●第3回 丸島均(栄通記)企画

   群青(グンセイ)
     八つの展覧会
       〔写真、絵画、書、ドローイング、テキスタイル、立体〕

  「群れる青い人達」による自己表現展です。

    雪固まる1月、2月・・・
    寒い・・・
    少しでも元気になれれば・・・ 

●会場:アートスペース201
    札幌市中央区南2条西1丁目山口ビル5&6階
     電話:011―251―1418
   
●会期:前期⇒2016年1月28日(木)~2月2日(火) 
   後期⇒     2月4日(木)~2月9日(火)
     (前期は6階3室のみ。後期は全館5室の展覧会。)
●時間:10:00~19:00 
    (各会期最終日は、~18:00まで)
      
後期・6階B室
◯「神成邦夫 写真展 
   HORIZON-北海道-  
    ~内界と外界の境界線~」

後期・6階C室
◯「対展 Ⅱ」
  佐々木仁美 高橋徹 竹中春奈 杉下由里子 村田主馬 宍戸浩起 高橋ヤヒロ(高橋智乃) 酒井詞音 石澤美翔
・・・(以上9名)

後期・5階D室
◯「元気展 ~色・物語の部屋~」(多ジャンル美術展)
  碓井玲子(テキスタイル) 小西まさゆき(絵画) 佐々木幸(現代美術) 杉崎英利(絵画)   
 
後期・5階E室
◯「元気展 ~線の部屋~」
  久藤エリコ(切り絵) 佐藤愛子(クロッキー) ドローイングマン(ドローイング) 樋口雅山房(書)

●催し:2月5日(金)17:00~20:00 
    17:00~  ドローイングライブ(ドローイングマン)
    18:00~   出品者紹介
    18:45頃~20:00  パーティー

●企画者:丸島均(ブログ「栄通記」主宰)
 連絡先:090―2873―2250 marushima.h@softbank.ne.jp
 住所 :札幌市北区屯田3条2丁目2番33号

ーーーーーーーーーー(2.8 9)

(①「女展」に引き続きます。残りの3名を報告します)


 (以下、敬称は省略させていただきます。)


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外崎うらんの場合

 札幌大学OB。



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   ↑:「極楽浜」。




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   ↑:「す、い、か」


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   ↑:「はらわた」。



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 お喋りとか足音とか風の音とか、そんな雑多な物音だけの無言劇だ。普通に日常を振る舞ってはいるが、そんな生活に寄り添う隠れたもう一つの感情、を描写しているみたい。カラーで、カラッとしつつ、言葉にしてはいけない・・・淡々と日々が過ぎていく、太陽が一杯。

 二十歳ぐらいの若い撮影者だが、非常にしぶい。しぶさ重たさを孕んではいるが、若さ健康さも同居している。何より、女性的感覚が随所に出ていて重そうな被写体・物語を楽しく語り合える。
 例えば、「はらわた」シリーズ。そもそもはらわたとは食べたものがグチャグチャしていて、目の当たりに接すれば吐き気をもよおすはずだ。そうい世界なのに、ポーンとメロンパンだ。綺麗で食べたくなっちゃう。土門拳的赤裸々なリアリズム・真実主義とは無縁だ。「写実」という同じ虚構ではあっても、二十歳の女性が軽く土門を足蹴にしている。

 総合タイトルはないが、「葬式」と理解した。派手さを廃し、グッとこらえて被写体と対話している。チョット恐い話、それを弾んで会話する、そういうチョット恐い女の感性だ。


 若い男性の作品は入れ込みすぎて、重たくなってしまった。恋人だろうか?だから、記録としてどうしても出品したかったのだろう。なんて素直な振る舞いなんだろう。その行為に好感を持てる。いろんな矛盾が作品群にまぜこぜになっている。


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高橋ヤヒロ(Yahiro Tkhashi・高橋智乃)の場合

 タイトルは、「breath」。
 東北芸術工科大学芸術学部美術課洋画コース卒業。



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 まるで絵画のようだ。黄色くベタッと誇張された廃墟!生き生きと残骸をさらしている。



 高橋ヤヒロは「無機質な世界が好き!」という。

 不思議だ。僕は、ヤヒロ作品のような廃墟ムンムンな世界を「無機質」と思ったことはないから。機械的で感情から距離を置いた世界、そういうのを「無機質」と理解していた。だから、「高橋ヤヒロにとっての無機質の意味」から頭を悩ました。結論として、「人間の手が入ってない、ありのままの姿」と解した。この場合、「廃墟」は廃墟が抱く、逞しい活動痕跡は問題にしない。人の手が加わらずに廃墟になった、という結果が「無機質」だ。
 きっと、本当に「無機質」が好きな人だと思う。しかし、ヤヒロ的に捉えた無機質の世界の、何と表現者の生理を感じることか!作品は、「人の行為のおぞましさ」をえぐっているようだ。絵画として肉筆で、廃墟という存在を明示しているようだ。

 だから、問題は元に戻る。無機質とは無感情的表現のはずだ。なのに、作品はすこぶる感情的だ。「存在感」という重みまである!それは意図したことなのか?あるいは、これが彼女にとっての「無感情」なのか?

 高橋ヤヒロとお話をしていると、ふと不思議な表情にであう。瞬間、「無表情」になる。それは真剣になった時だ。まるで「何も考えていません」と言っているみたいだ。実は、僕の息子がそうなのだ。真剣になって相手の意見を聞けば聞くほど、口が半開きになって表情を無にしてしまう。だから、『チャンと聞いているのか?』と、勘違いされる。


 彼女は「対展」にも出品している。そこは写真の場なんだが、「水彩画(やはり廃墟を画いている)を写真らしく見せる」というテーマだ。決してウケねらいではない。その成功不成功はともかく、複雑な表現様式(心理)の持ち主のようだ。
 アンビバランスなことに感応し、その隙間を徘徊しているようだ。「無機質ー肉声」、「写真(ありのまま)ー絵画(感動表現)」、「廃墟(壊れてもそこに在る)ー現実(感情が渦巻き、調節された世界)」・・・まだまだあるが、それは高橋ヤヒロ人間論になってしまう。

 興味津々の人だ。今後の展開を期待して見守って下さい。



高沢恵の場合



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 セルフポートレートだ、しかもヌードだ。
 まったく驚いた。
 嬉しいね~。
 女の裸が見れたこと、そのことばかりが嬉しいのではない。こんなささやかな展覧会に、ここまでパワフルにチャレンジしてくれた。、そのことが無上の喜びだ。

 高沢恵は、それこそ無機質な街中風景を撮る。大学生がよく撮るシーンだ。無機質なんだけど、臭いがするというか、撮り手と被写体の間が、見た目以上に近い。その辺りを、「高沢恵という女の空間」として楽しもうと思った。
 ところが、あにはからんやヌードだ、セルフだ。
 それにしても伸びやかなポーズだ。猫が沢山いてをしっかり撮っている、主役は猫かな?・・・そんなはずはない!・・・猫と女の絡み・・・猫に囲まれた自由な女だ。

 裸は変身だ。自分で自分を規制している殻を自分で脱ぎ捨てる。
 「あ~、かる~い。自由ってこういうのかな~、きもちいい~」
 「『自分をみつめる』、結局はそういうことかもしれない、そんな理屈よりも伸び伸び振る舞いたい。しがらみをふわ~っと飛ばしたい。さぁ~、これから何をしようか?何を撮ろうか?ふふふ」

 楽しき冒険をしてしまった高沢恵。これからも表現に紆余屈折はあるだろうが、賽は投げられた。

by sakaidoori | 2016-05-17 15:12 | 群青(2016) | Comments(0)
2016年 05月 16日

2524)⑤「群青後期①「女の空間」(女性6名の写真展)」 アートスペース201 終了/2月4日(木)~2月9日(火)

      群青」(ぐんせい)展。

 ぐんじょうと読まないで下さい。
  ぐんせいと読んで下さい。「群れる青い人達」です



後期・6階A室

女の空間」(女性写真展)

外崎うらん 高澤恵 平間理彩 
杉下由里子 高橋智乃 石澤美翔



ーーーーーー(2.8 9)

●第3回 丸島均(栄通記)企画

群青(グンセイ)
  八つの展覧会
    〔写真、絵画、書、ドローイング、テキスタイル、立体〕

 「群れる青い人達」による自己表現展です。

雪固まる1月、2月・・・
寒い・・・
少しでも元気になれれば・・・ 

●会場:アートスペース201
    札幌市中央区南2条西1丁目山口ビル5&6階
     電話:011―251―1418
   
●会期:前期⇒2016年1月28日(木)~2月2日(火) 
   後期⇒     2月4日(木)~2月9日(火)
     (前期は6階3室のみ。後期は全館5室の展覧会。)
●時間:10:00~19:00 
    (各会期最終日は、~18:00まで)
      
後期・6階B室
◯「神成邦夫 写真展 
   HORIZON-北海道-  
    ~内界と外界の境界線~」

後期・6階C室
◯「対展 Ⅱ」
  佐々木仁美 高橋徹 竹中春奈 杉下由里子 村田主馬 宍戸浩起 高橋智乃 酒井詞音 石澤美翔
・・・(以上9名)

後期・5階D室
◯「元気展 ~色・物語の部屋~」(多ジャンル美術展)
  碓井玲子(テキスタイル) 小西まさゆき(絵画) 佐々木幸(現代美術) 杉崎英利(絵画)   
 
後期・5階E室
◯「元気展 ~線の部屋~」
  久藤エリコ(切り絵) 佐藤愛子(クロッキー) ドローイングマン(ドローイング) 樋口雅山房(書)

●催し:2月5日(金)17:00~20:00 
    17:00~  ドローイングライブ(ドローイングマン)
    18:00~   出品者紹介
    18:45頃~20:00  パーティー

●企画者:丸島均(ブログ「栄通記」主宰)
 連絡先:090―2873―2250 marushima.h@softbank.ne.jp
 住所 :札幌市北区屯田3条2丁目2番33号

ーーーーーーーーーー(2.4)


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 「女の空間」・・・
 女性から滲みでる包容力、それは時には隠微な絡み合いの場になるかもしれない。
 女性の体の柔らかさまろやかさ、それは甘ったるさの原因かもしれない。
 居住まいを正し、キリリとした容姿・・・乱れは外に発散することなく、内側に閉じ込められているのかもしれない。
 女性が美術表現をすれば、そういう「愛憎」、「明るさ暗さ」という肉っぽい感性が空間を包み込むのでは、と思っている。

 今回、6人の女性に「女の空間」という言葉でお誘いをした。「その言葉にこだわっても良いし、拘らなくても構わない、普段通りの自己表現の場にして欲しい」、ただそれだけだ。だが、間違いなく彼女らは、「自己表現」と「女の空間」に違和感を抱かなかっただろう。「自分らしさ」と「女らしさ、女とは」が普段からかなり重なっているからだ。「化粧」という名の下で、いつもいつも自分を見ている、見られる訓練をしている、「美しくありたい」と願っている。
 僕は、この空間で、「いろんな女らしさ、女とは」の競演を見たかった。いろんな事情で6人参加となり、少しゴチャゴチャしてしまった。全体の事前打ち合わせ、お互いの作家確認などはしていない。ましてや作品確認なども、僕が少しばかり伺っただけだ。だから、ジャズライブみたいになった。展示としてはまとまりや落ち着きを欠いているかもしれない。しかし、「女の空間」というバックボ-ンが全体を強く貫いていると思う。それに、異様な意欲を感じる。いい人たちに出品して貰ったと思っている。

 以下、今回①は3名を掲載します。


平間理沙の場合

 タイトルは「白濁の朝」。藤女子大学写真部3年生。



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   ↑:(全作品)




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 平間理沙は廃墟を撮りまくっている。
 一杯撮った、一杯出品した、一所懸命貼った!「何をしたいか~は、あまり突っ込まないで~、、、一所懸命写真しました」。

 とにかく写真が好きなんだ。気になる事を撮る!今はそれだけで充分だ。中途半端に小出ししないところが良い。今の姿勢を長く続ければ、心や腹の中の声が写真になって現れる。沢山作品を出せば出すほど、心の中に栄養が給っていくだろう。
 「廃墟」だから、「何か訴えることがあるのだろう」と、四角四面で作品を見ても期待はずれに終わるかもしれない。「写真をする女」を僕は楽しく眺めている。


 廃墟は写真家に好まれる。特に男性撮影者があれこれ撮りまくり、撮り尽くす勢いだ。そこに若き女性の新たな気付きがあるか?
 あるにはある。新居ムードのカーテン感覚で、光をやさしく取り入れている。
 直線や面による構成美を意識している。だから、作品の上下に余白を大胆に組み込んだりしている。ちょっと作為的で無用とも思えるが、いろいろ試みている。
 所狭しという展示空間が、やさしい光や構成美を生かしきれなかったともいえる。
 それ以上に、この「やさしい光の感覚」や「作為的構成美」が、メインの「廃墟美」や「廃墟に込める主張」に対して相乗効果を上げているかといえば、イマイチだ。そもそも「平間理沙にとっての廃墟とは何か」が弱かった。



杉下由理子の場合


 タイトルは「envy」。
 昨年、北海道教育大学岩見沢校 芸術課程 美術コース美術専攻実験芸術専攻(空間造形研究室)卒業。バリバリの社会人一年生。



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 「envy」(エンヴィー)とは「ねたみ、嫉妬」。他者に対する「嫉妬」の言葉として「ジェラシー」がある。「ジェラシー」は単に成功者に対しての嫉妬だが、「エンヴィー」は自分が成功したくて果たせず、その成功を勝ち得た人に対しての嫉妬。ジェラシーよりも複雑で隠微な内面心理を有しているのだろう。

 だから、作品は自己を卑下しつつ、誰かに嫉妬している内面と外面の表情なんだ。
 タイトルは聞き慣れない横文字だ。その意味を解さずに鑑賞する人も多いかもしれない。

 作品は4層のセルロイド版で成り立っている。内側の一つの層の赤がとても鮮やかだ。「鮮血」と言いたくなった。この赤が嫉妬の塊だろうか。あるいは女心の感情を成り立たせている泉か。その感情のある部分は、他のセルロイド版の層に重なり、赤黒くなった。その結果立ち現れた「顔」。仮面みたいだ。もちろん、醜さを覆うもう一つの皮膚。

 手法も表現意図もシンプル。ただただ大きな顔を、悩ましき女の表情を食い入り覗き込むだけだ。「嫉妬」とはジクジクしているが、たじろがせずに面構えだけと向き会わせる。

 杉下由理子は直球一本立ちで勝負する。彼女の問題提起は悩ましいが、その表現スタイルはすがすがしい。作品の顔も、たとえ癌で浸食されているとしても、健康的な女性美を感じる。作家自身の旺盛な生命力がここにある。そこが眩しい。作品をいっそう美しくしている。




石澤美翔の場合

 タイトルは、「three wise monkeys ミザル イワザル キカザル、、、」
 いしざわ みか。北海学園大学Ⅱ部写真部3年。



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]



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 セルフ・ポートレートだ。
 石澤美翔はセルフだけを発表する。脱ぎはしない。身につけることによって、私が私らしくなるから。飽くことなき自分への拘りは、強烈な自己愛、自己耽溺の塊かもしれない。花や服装やネールなどで自分を装飾し、「美しい自分」を演出している。できるだけ大きく、もっともっと華やかに、どこまでも果てしなくと、その姿勢はゆるがない。
 もしかしたら、「閉じこもり石澤美翔」の反転攻勢かもしれない。他人なき石澤ワールド、それでも他人あってのセルフ・ポートレートだ。

 自己愛の単なる追求としては、「イワズ、ミザル、キカザル」とは意味深だ。
 その辺りの機微を、説明書きにこう記している・。「いいじゃないか」宣言だ。

  「・・・・ 
   型無しでも、常識外れでもいいじゃないか。

   ・・・・
   私みたいに、好きに自由にいろいろやってみたっていいじゃないか。
   いろんな写真があってもいいじゃないか。
   だって、わたしたち、人間なんだもの!!!!!

    そんなちょっとした反骨心を大切に、一生懸命セルフポートレートやってます」



 まだ大学3年生だ。今後はどうなるかわからない。

by sakaidoori | 2016-05-16 15:18 | 群青(2016) | Comments(0)
2016年 05月 09日

2515)④「群青『男展』金侑龍 小林孝人 佐々木錬 松尾泰宏」 アートスペース201 終了/前期:1月28日~2月3日

 群青」(ぐんせい)展

  ぐんじょうと読まないで下さい。
  ぐんせいと読んで下さい。「群れる青い人達」です。


ーーーーーー

●第3回 丸島均(栄通記)企画

群青(グンセイ)
  八つの展覧会
  〔写真、絵画、書、ドローイング、テキスタイル、立体〕

 「群れる青い人達」による自己表現展です。
雪固まる1月、2月・・・
寒い・・・
少しでも元気になれれば・・・ 

●会場:アートスペース201
    札幌市中央区南2条西1丁目山口ビル5&6階
    電話:011―251―1418
   
●会期:前期⇒2016年1月28日(木)~2月2日(火)   
   後期⇒     2月4日(木)~2月9日(火)
       (前期は6階3室のみ。後期は全館5室の展覧会。)

●時間:10:00~19:00 
    (各会期最終日は、~18:00まで)

前期・6階A室
○「男展」(写真展)
金侑龍 小林孝人 佐々木錬 松尾泰宏
  

前期・6階B室
○「鉄の灰」(写真2人展)
阿部雄 千葉貴文
 
前期・6階C室
○「対展 Ⅰ」(写真中心の美術展)
西口由美恵 小野寺宏弥 加藤良明 黒澤智博 笹谷健 篠原奈那子 鈴木悠高 加藤エミ 橋本つぐみ 庄内直人、佐々木練・・・(以上11名。)

ーーーーーーーーー(1.30 2.1)


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   ↑:(男展の会場風景。ピンボケでした。)



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 男性撮影者4人による展覧会。だから「男展」だ。特に深い意味を込めてのネーミングではない。ましてや、この4人の競演で、呼びかけ人の主義主張を訴えるものではない。4人の共通性も乏しい。あえて言うならば、「全く異なるアプローチ作品で、どういう場が生まれるか」を試してみたというこだ。僕が参加者に求めたのは、「展示可能な範囲で沢山出して欲しい」ということだけだ。

 結果はどうだったか?非常に満足している。

 まったくバラバラな人達だ。それぞれの作品数が多いだけに、それぞれの関心事はよく伝わってくる。
 金侑龍のある場所への拘り、だからといって極々普通の住宅街の切り取り。
 佐々木練は「どうでも良い風景」を正直にきっちりと撮り続ける。しっかりと何かを撮ってはいるが、だからといって被写体の存在に重きはない。心象に流れず、被写体に拘らず、透明人間の目のようにして淡々と眺める。
 松尾泰宏は旅先での人々を撮る。彼等につかず離れず、距離感を一定に保ち安定している。この安定感が非日常の被写体ではあるが、普段着の風景のようにして展開していく。
 小林孝人は「沖縄」を僕らに見せる。しかし、青々海原や澄み渡る空には関心がない。ましてや「踊る沖縄人」などは微塵もない。沖縄の秘められた世界にも関心がない。無色透明の「沖縄」、しかし、これが小林孝人の沖縄だ。作品に奇抜さはないだけに、撮り手の頑固さと変人ぶりが伝わる。

 「それぞれの日常風景」展になってしまった。非日常ですら日常にしてしまう男たちだ。
 派手さは欠落し、面白味に欠ける。そのことがバラバラな4人を静かにまとめ上げ、鑑賞者自身も「面白味のない風景の持ち主・第五の人間」として仲間入りすることになる。




金侑龍の場合。




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   ↑:(全作品の展示風景。)





 現代美術家・金侑龍、在日韓国(朝鮮)人だ。札幌人ではあったが、釧路に転勤した。そして、釧路の「米町」を撮った。





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 タイトルは「米町」。それ以外は何一つ語らない。

 金侑龍は在日韓国・朝鮮人だ。名前を見れば分かる。だから、「在日コーリアン」としてのアイデンティティーの問題が作品に埋め込まれていると思って間違いない。
 「米町」---金侑龍は札幌から釧路に転勤した。だから、「米町」は彼が住んでいるところと判断した。彼にとっての釧路は一時的な住まいだろう。だから、「かりそめの住まいにいる自分、かりそめだが間違いなくそこにある米町、米町とは僕にとってなんなんだろ?」「『米町』、代わりばえのしない住宅街だ」「まぁいいかぁ、とりあえずファインダーで街を覗こう、シャッターを押そう」

 ファインダーとシャッター、カメラとは不思議なものだ。「米町」は「自分が今居る」ということ以外はなんの意味もなかったはずだ。このありきたりの世界!しかし、見つめあい取りこんでいくうちに、街という風景が恋しくなったみたいだ。「愛すべき土地だ」と呟いたかもしれない。
 「ただそこにある、しかし、僕(金侑龍)が見つめれば応えようとしているではないか!」それは金青年の勘違いかもしれない。「誰かと結ばれたい、みんなと良き関係を保ちたい」そんな正直な欲求がかりそめの土地で意識に昇り始めたのだろう。札幌という情報過多で落ち着きのない生活から、知り合いのいない環境で、「米町」が自分を見つめ直す場になったのだろう。

 変哲のない風景、静かな金侑龍の呼吸が聞こえそうだ。感情移入を押さえ、黄昏時のような雰囲気で街を写真行為で取りこむ。「見つめ合うこと」で、何かを確認しているみたい。彼なりの愛情表現かな?誰に対する?


 註記⇒金侑龍は語る。「ふとしたことで、米町が戦前の遊郭跡地ということを知った。当然、そこには朝鮮人の婦人もいたはずだ。リキんで米町を見に行った。遊郭の痕跡があると思って!しかし、何一つそれらしいものはない!今では普通の住宅街だ。がっかりした。でも、折角来たのだから、一応写真に収めておこうかな・・・」、そんなことを語っていた。



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佐々木練の場合




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   ↑:(全作品)「どうでもいい日常の切り取り方」。



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f0126829_2013158.jpg 「どうでもいい日常の切り取り方」、と佐々木練は語る。確かにそのとおりだ。そのとおりだが、「たまたまファインダーに入りました、シャッターを押しました」ではない。どのスナップも「そこ」を撮っている。空気とか、ムードとか、心象という目的意識で貫かれてはいない。当然そういう佐々木美学は作品に反映されてはいるが、「何故だか知らないが、オレはこの風景が気になるんだよな!ええぃ、バシッと撮っちゃおう・・いやいや軽く収めちゃおう」

 世界の若者の写真作品を見たことはないが、こういう美学というかアプローチというか写真行為と発表は日本若者特有のものではなかろうか。間違いなく「何か」を撮ってはいるが、まさしく「どうでもいいに日常の風景」になってしまう。見せられた僕も、撮り手の個性とは別に、日本人という集団心象風景を連想してしまう。

 おそらく、「他者」と対話していないのだ。被写体を他者と呼ぶには近すぎる。溺愛するような接近感もない。「愛」とよぶにはおこがましい。「憎しみ」とは無縁でありたい。適度な距離感を保ち、被写体のさりげない魅力を伝えたい。気になる世界を気になるままで残しておきたい。




松尾泰宏の場合



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   ↑:(全作品)「World without borders」




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 一年の内、11ヶ月働く。そして悠々自適に一ヶ月間バックパッカーになって世界を旅する。その旅先でのスナップ写真集だ。

 明るく堅実な写真だ。ボケ、ブレ、ムダがなく、淡々と撮り続けている。人間が好きなんだな・・・撮り手は「良い人だな」・・・と、つい思ってしまう。

 被写体との距離感は常に一定だ。一定という「調和」が全てといっていい。ことさら接近するでもなく、遠見から俯階しない。展示全体はシンメトリーだ。流動感や生活臭からは遠い。やはり「調和」を愛する撮り手だ。
 だからか、作品は明るく健康的なのだが、被写体の世界にのめり込むことをそれとなく拒否しているみたいだ。「ここはよその世界だ。我々はこうして出会えることに満足しよう。あたりまえだが、ここにはヨソ者の入れない固有の世界があるだろう。旅するものは彼等を見ているだけで満足しよう」、そんな訪問者の呟きが聞こえそうだ。



小林孝人の場合




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   ↑:(全作品)「沖縄光景」。



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 今展、「沖縄」なのだが、それらしい風景が無い。これはとんでもない驚きだ!
 作品を見ていた誰かが呟いた。「この人、ニューヨークへ行っても、例えばニューヨークの石を札幌の石みたいに撮るんだろうな・・・」と、感心したような、呆れたような顔をしていた。全く同感だ。

 だからといって、作意性はまったくない!だから、本人は「これは沖縄です」と、いたってすまし顔だ。
 作品の一つ一つを語る気がしない。作品が悪いからではない。どうのこうのといって、写真というものは情報なり記録として見てしまう。「これって面白いよね・・」とか何とかいって・・・。ところが出発点としての被写体の場でつまずいてしまう。感情移入ができない。小林孝人の美学が「沖縄という場」をあまりに自分のものにしてしまっているから。

 先ほど紹介した松尾泰宏の世界が、明るく清らかなのに、被写体と撮り手との間に意外な垣根を作っていた。
 小林孝人の場合は、被写体と小林孝人の関係が強すぎて、小林孝人と鑑賞者との間に垣根を作ってしまた。だが、そこに「垣根」を作ったがゆうえに、普通の写真家では表現できない「撮影者という個」を見ることができた。

 小林孝人、たぶん頑固な人だろう。ぶれない人だ。

by sakaidoori | 2016-05-09 22:27 | 群青(2016) | Comments(0)
2016年 05月 03日

2508)③「群青展『鉄の灰』(写真) 阿部雄 千葉貴文」 アートスペース201 終了/前期:1月28日(木)~2月3日(火

 群青」(ぐんせい)展

  ぐんじょうと読まないで下さい。
  ぐんせいと読んで下さい。「群れる青い人達」です。


ーーーーーー

●第3回 丸島均(栄通記)企画

群青(グンセイ)
  八つの展覧会
  〔写真、絵画、書、ドローイング、テキスタイル、立体〕

 「群れる青い人達」による自己表現展です。
雪固まる1月、2月・・・
寒い・・・
少しでも元気になれれば・・・ 

●会場:アートスペース201
    札幌市中央区南2条西1丁目山口ビル5&6階
    電話:011―251―1418
   
●会期:前期⇒2016年1月28日(木)~2月2日(火)   
   後期⇒     2月4日(木)~2月9日(火)
       (前期は6階3室のみ。後期は全館5室の展覧会。)

●時間:10:00~19:00 
    (各会期最終日は、~18:00まで)


前期・6階B室
○「鉄の灰」(写真2人展)
阿部雄 千葉貴文

 
前期・6階A室
○「男展」(写真展)
金侑龍 小林孝人 佐々木錬 松尾泰宏  

前期・6階C室
○「対展 Ⅰ」(写真中心の美術展)
西口由美恵 小野寺宏弥 加藤良明 黒澤智博 笹谷健 篠原奈那子 鈴木悠高 加藤エミ 橋本つぐみ 庄内直人、佐々木練・・・(以上11名。)

ーーーーーーーーー(1.30 2.1)


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 上掲写真の左側が千葉貴文右側が阿部雄

 展示場所は左右で独立しているが、撮影取材、タイトル、展示など、綿密な話し合いで構成された融合展。
 二人は札幌大学OBで、先輩後輩の関係。要するに仲間だ。その親しさをベースにしながら、お仲間展に陥らずに、いかに緊張を保つか!なにより、今の写真表現力、自分の美学・主義主張の確認と向上を目的にしていた。

 モノトーンという共通性はあるが、有り様は随分と違う。千葉貴文はわかりやすい。「鉄塔大好き、線が大好き、ただそれだけでいい」という感じ。もっとも、それに徹しきれない発表姿勢が愛おしい。
 対する阿部雄は、凄く地味だ。千葉貴文が分かりやすいだけに、千葉ワールドの背景あるいは補完と間違われそうだ。

 あえて二人を言い切れば、千葉貴文は、「人のいない無味乾燥な幾何学世界を理想としつつ、やっぱり人の息吹に愛と未練を残す人」。
 阿部雄は、「極々普通の田園風景が大好き、その風土の中の人のささやかな生き様に愛を感じる」ではなかろうか。 
 同じ場所に取材に行き、共通の場を共有しながら、本当は全く違う二人だ。それなのに融合できたのは、自然をベースにしながら、人への拘りがあるからだろう。



千葉貴文 の場合。



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   ↑:「鉄の箱庭」。




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   ↑:「鉄の箱庭シリーズから。


 千葉貴文、自慢会心の一作だ。線描のような鉄線、鉄塔のみの美学、空に向かう上昇思考、空と鉄だけの美学、無駄を排除した緊張感。この感覚で作品を貫けば、明明快快なテーマ展になっただろう。コンセプト中心主義だ。

 しかし、愛すべき千葉貴文はそれでは「つまらん」と思ったの?次の作品を千葉美学のピークにして、鉄美学路線から脱線していく。



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   ↑:「鉄の花 -Set:UP-」。




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   ↑:「無意味なイミテーション」。



 そして次が愛すべき青年ワールドだ。



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   ↑:右側は「まるでそれは骨のように」。
   ↑:左側は「瞳に映る美しい世界」。


 あ~、やっちゃった!右側は狸小路だ。鉄塔美学となんと異なることか!もし、「鉄無味乾燥美学」と「人混み人間社会」を対比的に表現したいのならば、問題はないだろう。ところが、あきらかに鉄の美学中心に展示はなっている。だから、幾人かの鑑賞者は、「鉄の緊張感が良いから、この作品、いらないんでないの」と指摘していた。そのとおりだろう。
 だが、僕は青年・千葉貴文を見る。「理想としての美学」と「『人間、好きなんだよな~』という生理」が素直に出ている。それは美学一本勝負で見せることへの恥じらい、衒い、自信のなさかもしれない。きっとそうだろう。一方、「あの鉄塔美学は好きなんだけど、あれだけっていうのは、どこかもの足りないな~。ウソがあるのかな~」そんな、気持ちだろう。正直な青年だ、愛すべき青年だ。




阿部雄の場合



 千葉貴文作品鑑賞の流れに沿って載せていきます。



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 鉄塔作品、これは相棒の千葉貴文に呼応してのものだろう。今回の阿部ワールドは暗くていささか宗教じみている。内側に連れて行かれそう。鉄塔は気分転換なりアクセントみたいで脇役だ。無ければないでも構わないし、あればあったで役立っている。

 というわけで、鉄塔以外の個別作品を何点か載せます。(タイトルはこちらの記録ミスで不掲載です。)



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 この写真心は・・・「ミレーの『落ち葉拾い』」と言い切ろう。自然に包まれて人がいる、人の営みがある。自然を成り立たせている空気、そこを見つめたい、見えない向こうの世界と共にありたい、そんな願望も聞こえる。表現したいこと、そのムードは伝わる。

 今展の良さは、真剣白羽で自身の宗教心を写真行為に重ねたことだ。作品としての遊び心は薄い。幸いにも千葉貴文とのコラボだから、彼との間合いが遊びになった。
 
 これほど真面目な作品であるならば、問われることは一つだ。写真技術だ。
 作品に宗教心というムードはあるが、それは平板な薄さによるものだ。その薄さにこちらの意識が吸い込まれるのならば成功だろう。残念だがそうはなっていない。写真という「機械」の表面で立ち止まっている。
 おそらく撮影者はピンボケとか、露光一杯とか、細部への拘りとか、強烈な人工的写真を手がける人ではないのだろう。「自然」が好きだから、「普通に自然に撮りたい」。それは良い。しかし、結果が普通オンリーでは見向きもされない恐れがある。ましてや宗教心一杯だったら、日本人には敬遠されるだろう。
 千葉貴文とは違って、ようやく「写真作品」が露わになってきた。若者にとって、「写真技術」は分かってはいても面倒なテーマだろう。こだわるべき時期かもしれない。







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by sakaidoori | 2016-05-03 14:21 | 群青(2016) | Comments(0)
2016年 04月 28日

2502) ①「群青(ぐんせい) ①前期『対展』」 アートスペース201 終了/前期:1月28日(木)~2月3日(火)

 群青」(ぐんせい)展

  ぐんじょうと読まないで下さい。
  ぐんせいと読んで下さい。「群れる青い人達」です。

ーーーーーー

●第3回 丸島均(栄通記)企画

群青(グンセイ)
  八つの展覧会
  〔写真、絵画、書、ドローイング、テキスタイル、立体〕

 「群れる青い人達」による自己表現展です。
雪固まる1月、2月・・・
寒い・・・
少しでも元気になれれば・・・ 

●会場:
アートスペース201
札幌市中央区南2条西1丁目山口ビル5&6階
電話:011―251―1418
   
●会期:
前期⇒2016年1月28日(木)~2月2日(火) 
後期⇒     2月4日(木)~2月9日(火)
(前期は6階3室のみ。後期は全館5室の展覧会。)

●時間:10:00~19:00 
    (各会期最終日は、~18:00まで)
 
前期・6階C室
○「対展 Ⅰ」(写真中心の美術展)
西口由美恵 小野寺宏弥 加藤良明 黒澤智博 笹谷健 篠原奈那子 鈴木悠高 加藤エミ 橋本つぐみ 庄内直人、佐々木練・・・(以上11名。)

前期・6階A室
まる「男展」(写真展)
金侑龍 小林孝人 佐々木錬 松尾泰宏  

前期・6階B室
○「鉄の灰」(写真2人展)
阿部雄 千葉貴文

ーーーーーーーーー(1.28)

 群青展(2016年)も終了して、はや2ヶ月。細かい報告をしていません。遅まきながら記していきます。全部で8個の展覧会です。最低でも10回は書かないといけない。気長にお付き合い下さい。


 さて、前期・対展です。11名の参加、①として一人一人紹介していきます。全体の印象は②の最後に記します。



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   ↑:黒澤智博(北海学園大学写真部OB 2008年卒)、「ナカミとソトミ」・A1。



 大きな作品だ。すっきり青空でシンプル勝負、さわやかだ。この時期、違う会場でも大きな作品を出品していた。やはりAIの大きさだった。しかも沢山だ。「大きく表現をしたい」、ちょうどそういう時期だ。

 見上げる新東京タワー、よくあるアングルだが、意外な感じで迫力もある。大きな作品にしたのが効果を高めているのだろう。撮り手の素直な真一文字の感覚と、タワーの屹立する姿勢が、ともに上昇志向で駆け上がっている感じだ。
 対するタワーの室内風景、情報も一杯あって、一枚の作品として見るのならば楽しめる。だが、見上げるタワーの力量感には負けた感じだ。ここは普通に「ググッと見下ろす」作品が並んだ方が良かったのではなかろうか。「対」ということで、いろいろ考えたのだろう。考えた結果はイマイチだったが、「大きな対」の試みは今後に生きるだろう。




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   ↑:篠原奈那子(藤女子大学2年写真部)、「曖」・バライタ。


 女が女という性を、ムードを美しく撮る、チョット悩ましく。

 「愛」って、「心が晴れやかでひたきな気分」と思っていたら、全く逆な意味だった。「心にせつなく何かがたまり、そぞろ歩きでなかなか前に進めない」、「後ろの人(死んだ人か?)が気になって、去りがたい」との意だった。そして「曖」は「お日様が雲に邪魔されて進みがたい、そのお日様がぼやけて見える=曖昧な姿」だ。
 きっと篠原奈那子は自分の青春心象を作品化したのだろう。要するに「心が曖昧」なのだ。「青春って、そんなものさ」、と言えばお仕舞いだ。そこに人生があり作品が生まれる。作品、なよなよしていないのが良い。しかし、作品は綺麗だ。女性というものは悩んでいても美しくありたいものか?男の悩みはおぞましく醜い。


 会場には被写体のモデル嬢も来てくれた。ご紹介します。藤女子大学生です。


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   ↑:西口由美恵(北海学園大学写真部所属)、「『  』」。



 合成写真だ。西口由美恵も青春ものだが、こちらは「群れと個」がテーマだ。群れは群集であったり、風景であったり、何枚かの写真の寄せ集めであったり・・・そういう中で、傘を友達にして透明人間気分でさ迷っている感じ。作品心は淡々としているが、写真心は「私、写真大好き、もっともっと遊びたい、しゃしんの秘密とお喋りしたい」とつぶやいているみたい。

 作品は2点あるが、それぞれが完結していて、1枚で充分な世界だ。「2点で対」、というより、「対とかいろんな要素を一枚の作品に詰め込んだ」という作品群だ。




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   ↑:橋本つぐみ(藤女子大写真部OG)、「ジグソーパズル」・A3。



 とても絵画的な作品だ。個人的には左側の作品が特に気に入った。真ん中の何もない空間、この空間がいたく胸にしみる。「何にもないんだな~、何にもないんだな~・・・でも、気になるな~」この感触は何なんだろう?「自分自身を見つめる穴」とでも言おうか?あるいは、「見果てぬ夢の残骸・・・」

 そんなわけで、右側の洗面台は余韻のような存在になってしまった。橋本つぐみの意図はわからない。ただ単に日常のモノゴトが「ジグソーパズル」に見えて、一人楽しんでいるだけかもしれない。ただ、気分良く出品したのは間違いない。仕事も忙しそうで心配していた。忙しさも悪いことではない。





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   ↑:笹谷健(北海学園大学Ⅱ部OB)、「進め」・A3。


 とても暗い印象。でもタイトルは「進め」、この実直シンプルな命名さと作品そのものから伝わる印象が離れている感じ。
 左側の後ろ向きの作品。「前に向かって進もう」ということだろう。だが、後ろ向きスタイルは作品世界を過去にも引っ張っている。過去と未来の両義性を主張しているのではないだろう。そうなると、被写体の姿とは別の問題として、写真の技術力をも前提にした表現力として「進め」になっているのかどうかだ。

 右側の作品、これはもう葬送曲が流れているような場面だ。中心にはこちらを向いた男性が座っているのだろう。一目では識別しがたい。どこか死人が花道をこちらに向かってやってくる、、、そんなシュールな不可思議な世界だ。

 笹谷健は「物語」を作る撮影者かもしれない。今回は、その物語が一人歩きし過ぎちゃって、見る側との距離が離れていった感じだ。彼固有の物語性を「対」という約束事が狭くしたみたいだ。きっと、「対」ということを考え過ぎたのだろう。考え過ぎることは良いことだ。だが、「考え過ぎ」が鑑賞者との距離を遠くしたみたいだ。



 ②で、残りの6人を紹介します。

by sakaidoori | 2016-04-28 18:09 | 群青(2016) | Comments(0)
2016年 01月 25日

2492)「写真を語る集い 酒井広司 山岸せいじ 橋本つぐむ」アートスペース201 1月28日(木)18:00~20:00


●群青オープニング・トーク: 1月28日(木) 18:00~20:00
 
  「写真を語る集い 丸島均+ゲスト、そして参集者」

    ゲスト:酒井広司氏(写真家)、
         山岸せいじ氏(写真作家)、
         橋本つぐみ(群青代表)

            会場:アートスペース201 6階



第3回 丸島均(栄通記)企画

群青(グンセイ)
  八つの展覧会
  〔写真、絵画、書、ドローイング、テキスタイル、立体〕

●会場:
アートスペース201
札幌市中央区南2条西1丁目山口ビル5&6階
電話:011―251―1418
   
●会期:
前期⇒2016年1月28日(木)~2月2日(火) 
後期⇒     2月4日(木)~2月9日(火)
(前期は6階3室のみ。後期は全館5室の展覧会。)

●時間:10:00~19:00 
    (各会期最終日は、~18:00まで)
     

◎前期展覧会 1月28日(木)~2月2日(火)

・6階A室 「男展」(写真展)
・6階B室 「鉄の灰」(写真2人展)
・6階C室 「対展 Ⅰ」(写真中心の美術展)

◎後期展覧会 2月4日(木)~2月9日(火) 
 
・6階A室 「女の空間」(女性写真展)
・6階B室 「神成邦夫 写真展」
・6階C室 「対展 Ⅱ」
・5階D室 「元気展 ~色・物語の部屋~」(多ジャンル美術展)
・5階E室 「元気展 ~線の部屋~」



●催し:  2月5日(金)17:00~20:00 
17:00~  ドローイングライブ(ドローイングマン)
18:00~   出品者紹介
18:45頃~20:00  パーティー

●企画者: 丸島均(ブログ「栄通記」主宰)
 連絡先: 090―2873―2250、marushima.h@softbank.ne.jp
 住所  : 札幌市北区屯田3条2丁目2番33号

ーーーーーーーーーー


 ひょんなことで生まれた語りの集いだ。展覧会そのものが上手くいくか心配なのに、人が集まる場を作ってしまった。ライブ感覚で・・・とは思うが、ここは酒井広司氏、山岸せいじ氏の協力かつ強力なサポートを期待しよう。

 で、こういう場の常套手段として両氏と別々な場所と時間で打ち合わせをした。これが実に楽しかった。二人の作風は全く違う。その立脚点が違い過ぎている。

 酒井氏は地べたに仁王立ちになり、背中に北海道をしょって写真をしている。写真の記録性とリアリティーが氏を語るキーだと思う。その客観能力の高さは、僕との会話でもゆるぎがない。僕のまとまらない言葉を、一つの流れの中に収め、しかも共通言語としてまとめていく、しかもちゃんと自分自身の問題意識という土俵にくくって対話によどみがない。感心もし、嬉しくもなり、写真を見ているのではないのに、写真の楽しみも充分味わえた。
 ちなみに、今回の集いへの思いは、「若者の写真心を確認すること」だと思う。


 山岸氏は目に見えないところから現象を写真を感じ取る人だ。「見えないところ」とは、宇宙であり、黄泉・あの世・死であり、人の心だ。だから、写真を見ても写真の向こう側ばかりが常に気になる。「気になる」とは氏に対して失礼だろう。よって立つ立脚点がそこにある。
 僕も知識としては不可視の世界から語ることはできる。しかし、腹の底から湧いてくる言葉ではないから真実味が薄い。だからそういう立場では語らない。そこが山岸氏の特異な点だ。僕の言葉を信じられないのならば、氏の写真作品に対する感想を聞くといい。納得すると思う。
 だから、今回のトークに対しても、特別な立場ではない。集いの流れに任せて意見をしっかり述べられるでしょう。もっとも、若者への不満、期待を普通に語るかもしれない。


 「集い」なのにゲストの話ばかりしました。
 今展の代表のような形で橋本つぐみの言葉を聞くことにしよう。昨年、藤女子大学を卒業したばかりだ。彼女の写真に対する思いを語ってもらおう。経験者への問いかけも聞くことにしよう。

 そして会場からも言葉をもらおう。
 果たして何人来られるか?少なければ膝付き談判で時を過ごそう。


 そえにしても僕は司会だ。上手くできるかしら?


 
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   ↑:(昨日の風景。我が家の近所での撮影。遠くで雲に覆われている山はモエレ山。下を流れているのは創成川。走る線路はJR学園都市線。創成川通りの屯田1番線辺りの跨線橋から)

by sakaidoori | 2016-01-25 17:30 | 群青(2016) | Comments(0)
2016年 01月 25日

2491)「第3回丸島企画展『群青』 に寄せて」


 第3回丸島企画展「群青」に寄せて
 以下企画者の立場を書きます




 一昨年の第1回は一部屋での「対展」のみ。写真を中心にした美術展という触れ込みです。11名の参加。やはり記念すべき門立ち展でした。

 昨年の第2回は「丸島均と五つの展覧会」。絵画も有りで本格的な美術展です。参加者の相互交流などの問題が浮かび上がり、悩み多き丸島でした。

 今回は前回の延長です。写真関係が増え、会期も2週間・8展示空間です。準備に問題有りですが、間違いなく今後に繋げる檜舞台です。
 展覧会の総合名称を「群青」と命名しました。「群れる青い人たちによる表現展」です。 
 写真、絵画、書、ドローイング、テキスタイル、立体、版画と何でもありです。年齢もかなり幅があります。
実力的には、これからという若者がいれば(写真は大半がそうです)、バリバリに発表をしている人や、道内でも著名な書道家と、バラバラです(絵画関係は比較的安定した表現者たちです)。

 それではどういう展覧会群か?何を目指しているか?

 丸島均という、美術を見る人間による(私は制作をしません)、個人的関心で呼びかけた表現者たちです。
 どういう関心か・・・見たい人、この人の作品とあの人の作品を組み合わせたらどんな響きになるか、はたまた、若い撮影者には息長く写真に携わって欲しいという老婆心・・・などなどです。


 私の美術好みはバラバラです。細密画が好きだとか、無限増殖表現に目がくらむ、などと言うことはできます。しかし、作品という結果から作家のことをあれこれ妄想し、視覚表現を考える、さらに現在の社会を見つめる、ということをしていると思う――そうなのです、私は「見る」人間であり、そこから妄想する人間です。

 そういう僕の「美術好み」や「見る姿勢」を前面に出すこと。
 一方、表現者一人一人は日頃のスタンスを丸島に拘らずに前面に出すこと。そこでの僕と表現者との絡み合い。さらには、一緒に展示をする結われのない表現者同士の目に見えぬ交流と刺激。この何でもありでの相互交流展を見る人(鑑賞者)も一緒に楽しんでもらいたい。個々の表現を越えた全体の絡み合いでの美術展をつくりたい。


 「群青」とは、「群れる」「青い人たち」です。
 「群れる」とは、感性・表現様式・思想は個々バラバラだが、自分のためにも時には他者と絡み会うのも悪くはない、という意です。一時の共時共通空間です。
 「青い人たち」とは「表現者」の意です。表現の現在は常に青い!明日、更に良くなりたいという願望多き人たちです。誤解という夢を抱く人たちです。
 絵画展の名称である「元気」は群青の志です。発表することによって、それを見ることによって、前頭葉がバチバチする、思わず口元が弛む、それを「元気」と考えています。



 以上、あまりに企画者本意の言葉でした。この言葉が、次回以降に参加者の志や鑑賞者の立場を反映して膨らめばと思っています。私が私という殻を少しでも壊せればと願っています。



 以下、前回の「丸島均と五つの展覧会」の会場風景を載せます。



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   ↑:(以上、「元気展」絵画展の部屋から。)




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   ↑:(「グループ・ループ」美術展の部屋から。)




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   ↑:(「対展」の部屋から。)




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   ↑:(「日常展」写真展の部屋から。)



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   ↑:(「人展」写真展の部屋から。)






by sakaidoori | 2016-01-25 10:18 | 群青(2016) | Comments(0)