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2013年 09月 11日

2198)「sweeping 佐々木秀明 朝地信介 新里明士」 SYMBIOSIS 9月3日(火)~9月16日(月・祝)

  



sweeping 

 佐々木秀明
 朝地信介
 新里明士
  



 会場:space SYMBIOSIS
     中央区南2条西4丁目10-6
      SYMBIOSISビル1F
     電話(011)210-0199

 期間:2013年9月3日(火)~9月16日(月・祝)
 休み:会期中無休 
 時間:12:00~19:30
     (日曜日は、~19:00まで)

 企画:withart


※ アーティストトーク & パ-ティー ⇒9/7(土) 入場料500円(1ドリンク付き)  

ーーーーーーーーーーーーーーー(9.10)

 初めて掲載するギャラリーです。
 周りの様子から始めます。


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 左側の黒い車の影になった建物、その建物の1階がギャラリーで、東を向いている。
 道路に屋根のかかっているのが見える、狸小路です。


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 車に挟まれたのっぽビルが目的の場所。この日は西日が一杯注ぎ込み、会場は白くてふんわりしていた。



 以下の会場写真でも想像できると思うが、今展は会場の「白」、地肌を優しくむき出した人間臭、それに三者の作品が絡み合う形で成り立っている。「白によるやさしき絡み合い(関係性)」が今展の主題だ。

 それと今展は明快な企画展だ。作品、場の空気、と同時に企画者の意図も楽しみたい。






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   ↑:佐々木秀明、(「雫を聴く」シリーズ。)



 (以下、敬称は省略させていただきます。)


 佐々木秀明は落ちる雫を「波紋・揺らぎ」として作品化している。

 本人のメッセージにもあるとおり、暗闇での「波紋・揺らぎ」という現象に作品の本質があるのだろう。もっとも、その「装置」や、暗闇での波紋を「楽しんでいる人達」を見ることも作品には欠かせない。つまり、「見る-見られる」という孤立した作品ではない。メインの波紋も見られて喜んでもらえる装置であり、主役として振る舞っているだけだ。

 今回は空間が白い。時が流れて暗くなると本来の波紋が生まれる。波紋無き佐々木ワールドをいかに演出するかが作家の腕の見せ所だ。それを企画者はややさしく強要した。「佐々木さ~ん、明るい所での波紋、見たいわ!よろしく」と、ウインクしながら言ったか言わないか?やさしき佐々木秀明は断らない。彼の辞書に「ノー」という言葉はないから。

 もともと「装置」が氏の作品の本質だと僕は思っている。華である「波紋」無き装置が、どういう関係性を生んだか?美しき内蔵を見る思いだった。




 以下の焼き物は全て新里明士



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 (実物はかなり薄い。だから、明るく強く白光りしている。)


 丸粒模様の連続性や形の造形性で、縄文土器みたいだ。蓋付きの焼き物は骨壺だ。もちろん、茶器や湯飲みもあるにはあるが、縄文土器と骨壺として全体を見た。もっとも、縄文土器は、恐ろしく人間臭い。この焼き物はあまりにも永久を意識しすぎているから、近寄り難さもあった。全部を骨に絡んだ遺物・宝物としても見た。
 触ることもできた。僕は焼き物は必ず触る。が、今作は触れない。壊しかねないからではない。殺気にも似た美しさがあって、ただただ愛でるばかりだ。

 それにしても美しい。そして巧みだ。
 今展は「白(光)」が表立ったテーマだから彼の選択はあまりにも自然だ。が、「関係性」ということになると、彼の存在は特異だ。彼は「永久・天国」という幻に関係性を持とうとしている。
 企画者は作家の意図を認めながらも、素知らぬふりをして、「喜怒哀楽の現世」に作家の顔を向けさせようとしている。




 絵画作品は全て朝地信介



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   ↑:(ともに)「またたくまに」・2013年 89.4×130.3㎝(P60) 木枠 板 膠 水干 岩絵具。 




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   ↑:(上の2作品とも)「ざわめき たわむれ」・2013年 24.2×40.9㎝(M6) 木枠 板 膠 水干 岩絵具。




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   ↑:「かすかな ゆらめき」・2013年 10.8×16㎝ 木枠 板 膠 水干 岩絵具。



 白を基調にしたグループ展だから、佐々木秀明や新里明士の選択動機は理解できる。朝地信介の組み合わせに驚いてしまった。

 普段の「実験だ」なぞとは言わないで、この場のいろんな関係性を真っ正直に重視し、かつ楽しみ、普段とは違った朝地魅力を出している。小品だが、遊び心、大きく拡がろうとする意欲、拡がる時に生まれる周りとの関係性を追求している。それは、いつもの絵画姿勢と同じなのだが、より直接絵的だ。

 自己紹介文で素直に普段の制作動機を語っている。他の3人への親しみがそうさせたのだろう。場所や共同参加者を知れば知るほど、むらむらっと本来の絵描き少年に帰り、シンプルに自分自身に向き合ったのだろう。

 そうさせた企画者には感心しまくった。

 おそらく企画者は「始めに会場ありき」で作家選定作業に入ったと思う。基本は会場の臨場感を鑑賞者が楽しむ事だ。しかし、密かな野心を秘めている。この場と作家同士の組み合わせが、作家自身の可能性を拡げると信じている。やさしき誘惑者だ。



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 蛇足ですが、僕の企画展観を記しておきます。

 企画展とは企画者の意志・意図・美的価値・思想を反映させるための展覧会だ。
 企画展は芝居のようなものだ。主役なりの役者が作家作品、ギャラリーという空間が小道具であり舞台、演出・脚本・監督が企画者だ。黒子的な企画者もいれば、企画者の個性丸出しの場合もあるだろう。見た目には色々だ。その色々さの最後に立つのはやはり企画者だ。


 「作家と場」との関係から企画者を見る時、3つのパターンを考えている。

 1つ。場が始めにあって、場に合わせて作家を選択する。
 2つ。作家を選択して、彼等に合った場を探す。
 3つ。企画者の意図・目的を最優先して、その流れで作家なり場を選んでいく。時には場所は問わないこともある。作家は企画者の分身に見立てられる時がある。

 本展は①だろう。どの場合でも作家は企画者の道具だ。
 鑑賞者は作家にとっては受け身の存在だ。企画者は攻める存在だ。孤独な作家活動にとっては共に必要だろう。

 今展の企画者はwithart女史。「withart」=「with」+「art」の合成造語だろう。「ウィズアート女史」と呼ぶべきか、「ヴィザート女史」と呼ぶべきか?いずれにせや、「アートと一緒に」で、「生活にアート」を含意しているのだろう。
 場の空気を感じるのに秀でているようだ。今展は男ばかりだ。男の優しさに敏感なのかもしれない。

 会場という場、性という場、交流という場、作品という場。「場が美術だ」、そこまでの見識を持っているのか?は、わからない。

 企画者とて作家同様に、突然誕生するわけではない。失敗あり成功あり。成功した時は褒めよう、失敗と思える時は励まそう。なぜなら、北海道には民間の企画者が少ないから。育てないといけない。作家を育てるように。
 

by sakaidoori | 2013-09-11 17:40 | SYMBIOSIS | Comments(0)