栄通記

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カテゴリ:【2010年 ロシア旅行】( 8 )


2010年 07月 28日

1317) ⑧ロシア旅行(4日目) 「⑧ハバロフスク(4日目ー其の一)・6月19日(土) 極東ロシア軍歴史博物館」

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 (8:24)
 バイキングの朝食。
 味は淡泊で、油も少なく、どの料理も苦労せず食べれた。パンも菓子パンあり、デザート、ジュース、コーヒー、お茶と品数豊富で大満足のホテルだ。
 問題は、料理を追加して取りに行っている間に、容赦なく食べ残しを片づけることだ。ウエイトレスが気ぜわしく立ち振る舞い、ひっきりなしに皿を片づける。座っていても、皿を直ぐに片づける。笑顔無し。事務的機械的な労働者である。その女性たちは大学生みたいで、若くていろんな民族の顔をしていて、おすまし顔が素敵だから、朝から目を楽しませてもくれる。


 さて、残りの公共施設観光を済ませにいく。ホテルのそばにある「極東ロシア軍歴史博物館」だ。美術館、考古博物館、音楽堂なども近くにある。
 20世紀初頭に建てられたもので、当時としては最大級の銀行ということだ。だから、内部は執務室的な部屋が連なっていて、その一つ一つをくまなく歩き回ることになる。写真撮影は100ルーブル(約300円)払えばOK。沢山撮ったのだが、面倒なので内部の紹介は省略。
 内容は17世紀初頭の探検家ハバロフの頃の様子。
 1958年のアムールスキー極東総統の活躍。その時に結ばれた北京条約でロシア領土ハバロフスクが誕生した。
 1905年当時の事件紹介。
 1918年~22年の日本のシベリア出兵と国内戦争。ソビエト誕生でもあり、ここから本格的な展示。
 そして大2次世界大戦と、写真、地図、資料、武器と沢山の戦争関連文物が続く。もっとも、英語無しだから、年号のみで解釈するばかりでこまかいことは分からない。後日、写真紹介したいが・・・。

 そして中庭に出ると、そこには第2次世界大戦(独ソ戦争)時代の戦車などが、ドドーンと並んでいる。輝く空の明りが兵器を一層たくましくしていた。


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     ↑:(後ろの赤い建物が戦争博物館。旧銀行。この中にびっしりと戦争資料が並んでいた。)


 やはり圧巻は戦車だ。

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          ↑:「T-34」。

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          ↑:「T-50」。

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          ↑:「T-54」。

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     ↑:右側、「T-80」。



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 (ネーミングは暫時書いていきます。)


 なかなか日本では見れない軍事遺物だ。戦勝国なるが故の誇示なのだろう。息子によると、鉄の武器類はどの町にもあるという。処理に困ったからだとも言えるが、これらによって国民統合の役目も果たしているのだろう。
 これらの武器はソビエト時代のものだ。そのソビエトは合衆国と「冷戦」を続けた。だからこの国には英語の国民教育は無い。そして負けた。もし、「熱戦」としての「敗戦」だったら、国内を他国が数年占領したならば、これらの誇らしげな戦争施設は残っただろうか?少なくとも日本には本格的戦争武器記念館は無い。100年前にロシアと戦った一艘の戦艦が横須賀市にある。1905年の日露戦争の生き残り、東郷平八郎を英雄にした連合艦隊旗艦・「三笠」だけが完全な形で残っている。


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 赤煉瓦博物館を後にして、東側の低地帯へと降りていく。降りきると、そこは札幌大通公園以上の拡がりのある憩いの場だ。昔は小川が流れていて、小川跡地は長々と公園になっている。そこを横断し、それから今度は登っていく。ホテルのあるメイン・ストリートの向かい側の教会に到着だ。間近に見えた立派な建築物だが、光燦々な日にはこたえる散歩こーすだった。


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          ↑:(歩んで来た道。)


 (続く)

by sakaidoori | 2010-07-28 16:55 | 【2010年 ロシア旅行】 | Comments(0)
2010年 07月 24日

1310) ⑦ロシア旅行(3日目) 「⑦ハバロフスク(3日目ー其の三)・6月18日(金) 市内観光」

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 昼食の中華レストランの様子です。昼はバイキング方式で、200ルーブル(約300600円)と格安です。料理を撮り忘れたので、店内をパチリ。
 この長テーブルではロシアの老婦人達が陣取り、日本人も愛する民謡を仲良く唄っていました。同窓会気分ですが、どういう集まりだったのだろう?
 小柄の可愛いウエイターが黙々と皿やコップを準備している。ナップキンを砂山のように盛り上げて飾っていた。これがロシア風なのかな?
 隣の四隅のテーブルでは男女のカップル。まるでイタリア人的に男が女を誘惑している。ちょっと風采の上がらない軽めの中年男だ。女の腰に手をやり、ぐっと体を接近しては何やら楽しそう。女もつかず離れずに受け応えていた。さて、真っ昼間からの求愛、次なる展開を知りたいものです?


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     ↑:似たような店内スナップ。高層ビルの地下にお店があるので、天井が低い。




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 さて、イリーナさんのダーチャ訪問後、ホテル近くに戻る。突然の雨に合い、虹を見ることができた(20:55)。


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 同じように雨宿り中の女の子。実に姿勢の良いこと。若い背の高いお母さんも美人だった。


 さて、遅い夕食だ。店を求めて歩き出す。
 安そうな地下のファースト・フード店を見つける。右側から降りると、気分はアメリカンといわんばかりの大衆飲み屋。それではまずいと、今一度地上に出て、左側から地下に降りた。


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 カラフルなお店だ。日本でも見かけそうだ。
 食事の始まりを撮り忘れてしまった。メニューを何となく想像して下さい。ハンバーグとポテトと飲み物。ボトルの中味はビールです。ハンバーグに良く合っている健全な容器だ。
 先に降りたアメリカン居酒屋はこの店内とドア一つで繋がっていて、ビールはそちらから運ばれる。何て事はない、ハンバーグ屋と居酒屋の分業システムでの商売だ。食べ物はこちらからも運ばれるのだろう。ただ、飲み屋のムードは音楽が強く、照明を限りなく落とし、タバコの煙が漂っていた。不健全なムードを演出していた。


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 (22:29)食後息子と別れ、アムール川を見ながらホテルへ。三日月だ。毎日見たアムール川の夜景を思い出す。カップルの恋愛シーンが異国の証だった。
 ようやくハバロフスクの三日目が終了。
 明日のメインは「戦争記念博物館」、「アムール川遊覧船」、「日本人墓地訪問」です。だらだらとお付き合い下さい。

 

by sakaidoori | 2010-07-24 00:00 | 【2010年 ロシア旅行】 | Comments(0)
2010年 07月 19日

1303) ⑥ロシア旅行(3日目) 「⑥ハバロフスク(3日目ー其の二)・6月18日(金) 市内観光」


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     ↑:河を見下ろす展望台広場のムラヴィヨーフ・アムールスキーの銅像。

 1847年にニコライ一世の命令により東シベリア総統に任命される。
 1858年に中国とアイグン条約を締結し、アムール河以北をロシア領に編入することに成功した。その時に「ハバロフスク」は誕生したのだ。明治維新の10年前であり、この地がシベリアの行政中心地として発展していくわけだ。「日本の北都・札幌」と似た歴史を持つ。実際、両者の都市比較論は有益だろう。


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     ↑:アムールスキーが見下ろすアムール河。
 実際、観光船に乗って船の人になったが、灯台のように高台に彼の腕くむ姿を見ることができた。


 この日は全くの快晴。
 滞在したホテルはアムール川の傍で、直ぐ近くに展望台がある。河の崖の上になっていて、建物の裏側にあるので見つけにくかったが、見つけるとたいした観光スポットだ。
 写真の塔は入場不可で、何となく頼むと、仁王だとした警備員が「仕方ないなー、特別にサービスだ。100ルーブルよこせ」そんな会話をして落ち着き無くベランダに廻り河を見下ろした。狭いベランダには四隅に隠れるようにして若者がたむろしていた。警備員のダチだろう。

f0126829_9343832.jpg 儀式としての100ルーブル展望を終え、普通に見晴台をたむろしているとロシア人が声をかけてきた。

 「日本人か?良い機会だ、写真を撮らせてくれ?」
 朝から良い巡り合わせだ。こちらも記念写真をパチリ、それが左の写真です。老夫婦にお孫さんでしょう。気合いの入った立ち姿に気後れしそうです。

 午前中は展望台に面した、郷土博物館と美術館を回った。(昼からは前回紹介したダーチャ訪問。)施設巡りの紹介は後日にして、時系列に書いていきます。


f0126829_9402766.jpg ←:郷土資料館の中に
大砲が備えてある。
 新婚さんだ。
 彼等の写真を撮っていると、「お前も中に入れ」と誘われた。この大砲の手前にドーンと座らされて撮ったが、余りに僕の姿がバカでかくて滑稽だから、その写真は割愛します。
 やはり、新婦は気合いが入っている。大砲はまさに男で、侍りかしずいている。新郎は笑顔を絶やさず良い人だった。大きな体躯のブーケが可愛い。女は大砲、男は小さなブーケ。




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 さて、アムール河沿いの公園から豪壮な階段を昇ると、教会と広場がある。そこから幅広の一本の道が、先日紹介したレーニン広場に走っている。つまり、船を利用していた時代はここが街の始点だったのだろう。公的な大目抜き通りでもある。シベリア鉄道が開通しても、その初期は船運の果たす役目は多かっただろう。軍人なども、象徴的に川岸に到着して、階段を昇り、広場で隊列を整えて、レーニン広場へと行進したのだろう。

 以下、河を昇った広場付近の景色です。ここからの風景はまさに「公的ヨーロッパ」の町並みでしょう。

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     ↑:「ウスベンスキー大聖堂と大聖堂広間」。

 ソ連時代はこの教会は壊されて無かった。2001年に昔の設計図を基に再建されたもの。だからきらびやかに輝いている。中は出入り自由だ。入ってみたが、狭くて薄暗い。中と外とは大違い。ロシア正教は中に座る場もない。信徒でない僕は正面の壁一面の宗教画を、ただ眺めるだけだ。近くに寄って絵画を見ていたら、警備員に「近づきすぎる!!」と注意された。

 石碑は十月革命から続いた国内戦争の祈念碑で、赤軍とバルチザンということ。


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 レーニン広場に通じる道は、「ムラヴィヨフ・アムールスキー通り」と呼ばれている。この道は何度も歩いた。「まだ行けずに想うヨーロッパの町並み」で、何度歩いても飽きなかった。車は多いのだが、道幅も広く、スピードも出していないので騒音を気にすることなく歩けた。

 以下、適当に市内のスナップです。


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     ↑:左は建物内の喫茶店。右は街中に沢山ある「お店」。いろんな店が市内の公道に並んでいる。市民には便利なことだが、言葉の分からない観光客にはなかなか利用しづらいものです。


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     ↑:あんまり可愛い果物屋さんなので、ついバナナを買ってしまった。量り売りでだ。四本量って、電卓で金額を教えてもらっての支払い。


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     ↑:バス・ストップの裏側。



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     ↑:街角の公園風遊園地。入り口には門はあるが、無料で出入り自由。面積的には大通公園の一丁区画ぐらい。


 遊び場ばかりでは何ですから、市内の労務者をパチリ。

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     ↑:何のお店だろう?
 ロシアは広告看板は極端に少ない。建物の窓も小さく、あまり商品を外部に誇示しない。ウインド・ショップによる店の探索もできない。その分、一様な壁面建築の落ち着いた街のたたずまいが見れる。だが、観光客の買い物なりの楽しみには不便だ。



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by sakaidoori | 2010-07-19 11:24 | 【2010年 ロシア旅行】 | Comments(0)
2010年 07月 17日

1300) ⑤ロシア旅行(3日目) 「⑤ハバロフスク(3日目ー其の一)・6月18日(金) ダーチャ」


 6月18日、この日も前日に続いて暑き快晴。まさに今日の札幌のようだった。

 午前中はホテルの近くの郷土博物館と美術館巡り。ギャラリー巡りと市内観光は次回にかくとして、今回は時系列を午後からにします。市郊外のダーチャ訪問です。ダーチャとは仮小屋あるいはバンガロー・別荘付きの家庭菜園です。今回紹介するダーチャには、ハバロフスクの先住少数民族ナナイ族の娘さんとお母さんも登場します。

 「ダーチャ」の理解なくしては現代ロシアの社会は見えない、と言い切れます。ところが、僕自身ダーチャのことは「別荘」として理解していたし、その意味を深く考えた事がなかった。知らない事を前提にしたロシア理解を恥はしない、普通の市民の他国理解とはそんなものだ。それで良いと思っている。だが、知ったからには少しでも現場と僕の理解を伝えたいと思う。


 息子の知人イリーナさん家族所有のダーチャ。イリーナさんはモンゴル的お顔で二十歳ぐらいの小さくて可愛いお嬢さんです。川魚などの狩猟を生計にしていた、ロシア少数民族のナナイ族女性です。ナナイ族・・・黒沢明監督の「デルス・ウザーラ」のデルス・ウザーラがナナイ族です。

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 市内から82番路線バスで終着駅へ。この路線のさらに先にハバロフスク空港がある。運賃はどこまで乗っても13ルーブル(約39円)。マイクロバスだから車掌さんというか運賃集金人は同乗していない。支払いはざっくばらんなもので、運転手の右わきに放り投げる状態。上のマイクロバスが乗ってきたバスで、折り返しの時間待ち。


 バス停にイリーナさんが迎えに来ていて、歩いてダーチャに向かう。歩くこと10分ぐらい。


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     ↑:近くの沼と、ご近所のダーチャの畑の様子。


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     ↑:菜園は木塀で囲まれている。写真に見える建物は隣家のダーチャ内建物。

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     ↑:見える建物が当菜園の仮小屋。やっとイリーナさんが写真に登場です。
 
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 左側が当菜園の主でイリーナさんのお母さん。
 右側は一緒になって働いていた人。どういう関係かと伺うと、「心の友」と、粋な返事が返ってきた。

 以下、お母さんとの雑談。
 「お前は何をしているのか?今回の旅行は休暇か?」
 実に直裁な質問で困ったが、嘘のない程度に正直に応えた。
 「山に登ったり、本を読んだり、自宅にも小さな空き地があるから花や何かを植えて楽しんだりしている。最近はパソコンに時間を使うのが多くなった」
 「そうか、自分の為に生きているのか。年金でももらっているのか?畑は広いのか?」
 「年金はもうすぐ妻がもらえる。畑はほんとにわずかなものだ。今年の稔りはどうか?」
 「まだわからない。雨が降って欲しい」

 なかなかザックバランなお母さんだ。「折角だから何か働いてもらおうか」、などと言っていたが冗談だったようだ。ちょっとその気になったものだ。
 ロシア人訪問ということに少しうろたえて心の準備がなかった。日本からのわずかな駄菓子を持っていたが、何もしないのと同様だ。お土産も持って行かなくて申し訳ないことをした。
 最後は記念写真で辞した。1時間もいたとは思えない充実感があった。実に気さくな人達だった。
 
 
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     ↑:母娘のツーショット。


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 イリーナ家はこのダーチャの近くに住んでいる。おそらく集合住宅だと思う。そこから仕事の無い日は毎日通っているのだろう。イリーナさんも小さい時には手伝っていた。若い人一般がそうであるように、今ではダーチャでの実労働には無縁なようだ。

 多くのロシア市民は都市の集合住宅に住んでいて、月曜から金曜日まで働いている。そして、週末の土日に郊外の自家ダーチャにいそしむみたいだ。春とは彼等にとって、ダーチャ通いの楽しい始まりを意味しているようだ。ダーチャ、それは畑作りだけではなく、花を育てたり、時には友だちを呼んで多いに雑談に耽ったり、人生の自慢にしているようだ。

 集合住宅はソ連時代からの伝統で、工場などの集団労働には効率的だ。だが、あまりに人が密集していて、非人間的なところもあり住宅環境としてはよろしくない。ソ連時代から社会労働の息抜き・リフレッシュの一環として、市民に郊外の空き地を提供したとのことだ。
 当時ソ連は私有財産を否定していたから、農地の私有化やそこでの生産物の商品化には公には反対の姿勢だった。だが、作物が自家消費を超えれば、それなりに「商品」として「闇」というか、非公式に販売されていただろう。ソ連崩壊時に、政府公開の穀物生産量では市民の飢餓も必死という報道もあった。だが、体制が危機状態になれば市民はダーチャ農園に普段よりも真剣になるわけで、「飢餓的食糧問題」は無かったと言ってよかったみたいだ。西側のメディアはロシアに近いし独自のニュース・ソースを持っていたので、少数だがダーチャの意義を認識していた。日本人の論客は情報不足ということもあり、より深い認識を流すことができなかった。結果的には誤った認識を流していた。今でも日本人による良質のロシア情報は少ない。ソ連には関心大であっても、ロシアには低いようだ。全ての関心は「北方領土」だけかもしれない。何だかんだと言って、ロシアは隣国だ。仲が良くても悪くても、もっと付き合いたいものだ。

 今回、2ヵ所のダーチャを訪問した。日を改めてもう一ヵ所も紹介しますが、今回とは大分較差があるようだ。 イリーナ家のダーチャは作物のみで娯楽の要素はない。ダーチャも自宅に近い。花もひまわりがあったが、愛でると言うよりも、種を楽しみにしているようだ。まさに生きる基盤としてのダーチャだ。隠れ農民だ。それは少数民族ナナイ族の歴史と関係しているのかどうか?ナナイ族のロシア化との問題もあるのかどうか?
 イリーナさんに民族のことを伺った。「博物館に行けば展示されている」という素っ気ないものだった。その日、たまたま僕は博物館で見ていたのだ。確かにアイヌ他の民族と一緒に紹介されていた。ナナイ族はかなりのスペースだった。日本のように民族問題を忌避するムードはない。が、アイヌ同様に狩猟民族が農民化するのにはいろいろとあったことだろう。
 「北海道にもアイヌがいる」と言ったら、「本で知っている」との返事だ。ちなみに今の彼女の大いなる関心はバブテスト教会にあるようだ。信仰の基礎であり、重要な生活基盤のようだ。


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     ↑:息子はお土産に多くの野菜を頂いた。


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     ↑:帰りはあっという間にバス・ストップに着いた。82番の大型バスが待機していた。


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     ↑:バス停横にある小学校。イリーナさんの母校だ。


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 何か良い感じのアジア人3人組だ。イリーナさんともお別れだ。

by sakaidoori | 2010-07-17 13:27 | 【2010年 ロシア旅行】 | Comments(2)
2010年 07月 14日

1297) ④ロシア旅行(2日目) 「④ハバロフスク(2日目ー3)・6月17日(木) 市街地」


 さて、だらだらと写真日記をつづけていきます。

 小学校からホテルに戻る形で、ハバロフスク市内中心地のレーニン公園へ。市街観光の始まりです。
 市街地の地図など、街の外形なりを大雑把にでも紹介したほうが分かりやすいのですが、それはおいおいと。


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     ↑:歩道橋からのレーン広場の全景。中央に噴水があります。何ともヨーロッパらしい雰囲気で、満足気分一杯だ。

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     ↑:新婦が広場内を力を込めて闊歩していた。新郎は見えない。関係者なのか、道行く人なのか、少年といきなりツーショット。
 今回、3度ほど純白のウエディング・ドレス新婦を見たが、服装といい表情といい、彼女達は皆一様な顔立ちで気合いが入った「喜びスタイル」だった。完全に新郎というか、結婚式をリードしていた。

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     ↑:広場を一周している道路の向こう側に「レーニン像」が対峙している。その背景の建物といい、広場を囲むように重厚な建築物が構えている。いずれも公共性の強いものだ。
 この公園は何度も行ったので、廻りの建物写真は今後登場するでしょう。

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     ↑:レーニン像からの眺め。

f0126829_15121610.jpg 公園の向こう側に一本の幅広の目抜き道路が、真っ直ぐにアムール川に向かっている。
 アムール川を下り当地に上陸した人々は、真っ直ぐ進み、だんだんとレーニンの姿を仰ぎ見るわけだ。レーニンは「人民の指導者」として、彼等を迎えるわけだ。もっとも。ハバロフスク誕生は1860年頃だから、19世紀に銅像があったとしても、軍か皇帝関係者であったろう。







f0126829_11305570.jpg 息子に意訳してもらった。
 「共産主義は社会主義の高度に発展したもので、労働は社会の求めに応じてなさなければならない」
 ソビエトは社会主義であり、より進んだ最高(理想)の共産主義をめざすものだ。その為には労働は必携のもので、強固な社会性を帯びている・・・そんな風にこの言葉を理解する。
 この理想主義は「社会」が「為政者」を意味し、利他主義が共産党主義であったのを歴史が明らかにした。言葉は美しかった、「美しい言葉には嘘がある」のだ。建前やロマンは一時の良薬になるが、永久の真理と思いこんだとたんに、話がややこしい方に向かっていく。言葉に人は支配される。
 資本主義の労働は欲望に奉仕する。「欲望」とはどこか嫌らし響きがあるが、嘘は少ない。今や欲望は内側から涌いてくる必然性を打ち破って、求めもしない多くの欲望が他者によって誕生している。「欲望」、悲しむべきか楽しむべきか、イヤ、身を任せるべきか拒否すべきか・・・それが問題だ。

 レーニン後のスターリンが、あまりにも凄い粛正を断行して独裁体制を敷いた。そのことによって、もし「レーニン長生きせば」という過度のよりよい期待感がレーニンに付きまとっている。おそらく、それはマルクス・レーニン主義の美化の反映だろう。スターリン的粛正はなかっただろうが、レーニン的粛正を実行しただろう。レーニンのソビエト革命そのものが、わずかなチャンスを最大限生かした所産だったのだから。廻りには「敵」だらけだった。まさに「革命」だ。明治維新の柔な変革主導者とはわけが違う。政敵「徳川慶喜」も貴族に列せられ、多くの「徳川家」ゆかりの者が財をなした。


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     ↑:極東国立人文大学。
 この正門は道路に面していて、大学という重々しい雰囲気はない。入ると警備員が改札口の職員然として座っている。何のチェックもなく素通りした。

f0126829_122367.jpg 左の銅像はプーシキン。上の写真の左側にあり、歩道に面している。
ロシア人は詩を愛する民族らしい。だからプーシキンの人気は抜群だ。僕も若かりし頃少しばかり翻訳詩を読んだが、眠くて眠くて理解以前にロシア詩入門を放棄した。翻訳に問題があったのか、詩の感性が合わなかったのか?




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     ↑:大学内の風景。光燦々で清潔感あり、あっさりしたものだ。

 息子は、この大学の外国人の為のロシア語教育機関で学んでいる。3年弱の留学期間であり、この6月30日で帰国する。
 敷地内に寮があり、その部屋にも行った。日本人、中国人、韓国人が在籍している。
 彼は私費留学だ。一年の予定でお金を貯めて通った。折角のロシア滞在だから、その後の2年間の学費と寮費は仕送りした。その間の生活費は日本語教育のアルバイトがあったので、それで賄った。月1,000~15,000ルーブル(1ルーブル=約3円)ほど稼いだという。現地の人の月給が15,000~20,000ルーブルらしいので、相当の稼ぎだ。彼は日本語教育の資格など持っていない。初体験だ。日本語の有能なロシア人や日本人自体が少ないので、お声がかかったのだろ。教育能力も確認せず、雇ってから考えようということか。長く続いたのだから「良い先生」だったと思う。
 大学自体に日本語学科がある。そこのロシアの卒業生なりが高度の「日本語能力」を持っていれば、身内で賄えるはずだ。教育者を育てるまでにはなっていないのだろう。もっとも、日本人による日本語教育の方がより良いことには間違いない。そういう配慮かもしれないが・・・。

 以下、大学内の様子。

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     ↑:廻りの建物のどこからどこまでが大学かは分からない。

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     ↑:左は寮の鉄門。重い。古くさいというよりも、貧乏っぽいムードだ。
 狭い通路で監視員のおばさんとすれ違う。きつい顔。
 珍しく笑顔ですれ違う美人がいた。息子の知っている大学職員とのこと。見ず知らずの土地での見知らぬ人からの笑顔の会釈、不思議な感覚だが、何か幸せな気分。
 室内は本来は3人部屋だが1人で独占。2重窓だが、窓枠に大きな隙間隙間・・・、ベタベタと新聞で目張りしている。さぞ冬は寒いだろう。


 公園の散歩など、その後もみっちりと歩いた。
 ランダムに写真紹介です。

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     ↑:ビルの地下のマーケット。日本で言えば百貨店地下のマーケットにあたるのだろう。
 妻がトイレというので散歩途中で立ち寄る。
 地下にあるということで、天井が低く圧迫感がある。その近代的綺麗さが、不気味なくらいに寒々観を与える。場所柄、高級感があり高値みたいだ。


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     ↑:極東国立鉄道大学。

 妻がトイレだというので大学にお邪魔する。
 残念ながら中の警備員に断られる。外の鉄柵といい、「人文大学」と「鉄道」大学とは随分とムードが違う。「書物」は軽し、「鉄」は重し。


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     ↑:カフェ。

 仕方なく、妻の用足しの為に近くのカフェに入る。ムードはアメリカンでロシアっぽく無いのが残念。


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          ↑:散歩中の集合住宅。
 ベランダは物置場になっている。整理整頓とは無縁なようだ。


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     ↑:廻りは新興住宅街みたい。落書は雑然としているが、異国ムード一杯で、絵になっている。


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     ↑:極東フィルハーモニー・コンサートホール。

 夜はホテルの近くの音楽会に行く。写真は公演終了後の建物前の風景、会場内部、ホール。
 この日の演奏はバイオリン、チェロ、ピアノの三重奏。やや素人的な調べで迫力不足。独奏ではそれなりの技量を発揮していたのだが、重奏になるととたんに個性の無い音だった。
 満席に近い聴衆。婦人方はしっかり正装している。小学生も何人かいたが、子供のざわめき声が全くしない。こういうイベントに対するしつけはしっかりしているようだ。何より、大人が気合いを入れて音楽ホールにきているのだろう。


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     ↑:(22:13)アムール川に陽は沈んだ。川の向こう側の陸地は広大な中洲。その向こうに水の流れが見えるが、それが中洲の反対側のアムール川。この中洲はダーチャ(家庭菜園)があり、市民は畑作りに一所懸命になる。


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     ↑:川筋は市民の夏の祭り場だ。長い夜がまだまだ続く。

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     ↑:(22:36)大きなアムール川だ。ホテルは川に近い。2人だけで夕闇をのんびりそぞろ歩いた。


 

by sakaidoori | 2010-07-14 15:26 | 【2010年 ロシア旅行】 | Comments(2)
2010年 07月 11日

1294) ③ロシア旅行(2日目) 「③ハバロフスク(2日目ー2)・6月17日(木) 小学校の続き」


 さて、小学校の「日本祭り」は無事終了し、参加した日本人・5名は校長室にお邪魔することになった。


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     ↑:(ちょっとポーズをとってもらった。)

f0126829_16342899.jpg 「芳名帳に何か記念に書いて下さい」とのことで、しっかり「丸島均」と明記した。言葉も残した。
 会議室のようなコンパクトな校長室。新装気味の室内は、明るく清潔な感じだ。何の飾りもなく、賞状が並べられ、現大統領の写真がぽつんと飾られていた。

 談話中、お菓子としてケーキを頂いた。小さめのサイズなのかもしれないが、軽く一口に頬ばるには大きくて、しかも甘い!コーヒーと一緒のご馳走なのだが、妻は何を勘違いしたのか、いつのまにか三個も食したとの事だ。

 さて、和やかに談話して、校内の見学になった。1階の教室は夏休みを利用しての改造中だ。チラッと覗いたが作業員が一輪車を押していた。作業音もなく静かすぎる。煉瓦による校舎だから、中は瓦礫の山で、「ただ今大改造中!」という雰囲気だ。

 以下、適当に校内と子供達を載せます。



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     ↑:(誰もいない時の廊下の様子。子供達のカラフルな荷物が置かれてある。
 窓を見てもらいたい。ロシア人は「カーテン」が大好きだ。気候風土による慣習なのかもしれないが、一つのお洒落なのだろう。市内の路線バスも、上の方の小さな窓には丈の短いカーテンが並んでいた。日よけや外部との遮断には良いのだが、「車窓」を楽しむには少し不便だった。バスの場合は圧迫感もあった。)


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     ↑:(お祭りも終わって、下校までの自由な一時。)

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     ↑:(保健室と思ったが、学童保育のための仮眠室のようだ。
 ソ連時代は共働きが前提だと認識している。その慣習は現在でも継続しているのだろう。その為の施設だろう。)

 教室の全体を撮り忘れてしまった。以下の背景で想像して下さい。

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     ↑:(Y嬢はいたって元気だった。)

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     ↑:(階段と踊り場、そして「窓とカーテン」。)



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     ↑:(12:07。時間がきたのだろう、集団下校だ。原色がまさしく傘のようにあっちこっちに花開いて、眩しく軽やかだ。ロシア人は明快な原色が好きだ。)


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     ↑:(校長先生。あまりにも堂々として、厳かな貫禄にビックリしてしまった。教育者としての正規の姿を、ほんの少し垣間見ることができた。
 持っている本は、わずかながらの絵本のお土産です。ブック・オフの100円中古品だが、自分好みの傑作ばかりです。字が限りなく少なくて、絵にインパクトのある本、そういう基準で選んだものです。こんなに歓迎されるとは、もっと持っていきたかった。段ボール一箱くらいはプレゼントしたいものだ。それで日本がより好きになって欲しい。)


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     ↑:(学校の正規の玄関かもしれない。落書きには余り気にしていないようで、開かずの正門みたい。日々の出入り口はグランドに面したドアを使っているようだ。)


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 さて、我々はバスに乗って、市内の中心地・レーニン広場へと向かった。続く・・・。

by sakaidoori | 2010-07-11 16:37 | 【2010年 ロシア旅行】 | Comments(0)
2010年 07月 06日

1285) ②ロシア旅行(2日目) 「②ハバロフスク(2日目) 6月17日(木) 小学校『日本語祭り』・その一」

 いよいよ本格的?なハバロフスク見学だ。

 某小学校で「日本語祭り」を開催中との事だ。昨日から始まっていて、息子は連続の参加だ。いたって私的な語学留学の人なのだが、当地には日本人関係者は少なくてそれなりの知り合いの輪を持っているみたいだ。
 嬉しい事に日本から大学の日本語教師として派遣されていたY嬢も一緒だ。日本領事館からもS嬢が公式に参加されるという情報である。

 現地の小学校を一気に見学できるわけだ。チョット戸惑いながらも、大きな大きな旅行イベントが一気に到来である。


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 ↑:バスを降りて直ぐの小学校の入り口。これが正門らしいのだが・・・。同行の女性が日本語教師のY嬢。


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          (↑:学校の表玄関辺りで学校関係者が出迎えている。もっとも、青色の変な着物を着ているロシア人は、日本関係の会社勤めのサラリーマンだ。学校とは無関係な人だ。日本語がそれなりに話せるので強力な外部応援団との事もようだ。日本女性との同席を楽しんでいた。)

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     (↑:金襴緞子の着物スタイルの女性は当小学校の校長先生。実に派手なイベント衣装である。チョット違う日本雰囲気。
 早速、Y嬢による記念撮影。)


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 始まる前の会場風景。
 以下、時系列にバタバタと写真を載せる事にします。


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 ↑:「日本語祭り」の開催の挨拶。校長と並んで領事館関係者のSさんの姿も見える。
 この時期は夏休みで学校は休校中。授業には「日本語」もあるので、その関係での休校中のお祭りだ。だから、全生徒の参加ではなくて、各自の自由参加のようだ。
 「日本語祭り」ということだから、少なからずの日本語が飛び交うイベントと思いきや、まったりと始まって、何となく終わってしまった。それなりの「祭り」には違いないのだが、休校中の少し大がかりな公式遊び会のようなものだ。
 いろんな顔の子供達や、その服装に注目だ。やはり女の子はしっかりとお洒落をしている。気合いが入っている。


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 まずは音楽からスタート。先生の奏でるリズムとステップが一番のウリであった。三角ギター?正式名称は?


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 続いては何故だかゲート・ボールである。ただ門にめがけて打っては交代するというイベント。


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 一方では生け花である。こちらの方は見ていて嬉しくなった。


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 一方では折り紙。
 息子に折り紙を用意するように言われていたから、それなりの材料を持参した。家内もそれなりに輪に入ってのお楽しみ。彼女の作る安直な「洋服」がたいそう気に入られて、中心になって指導していた。


 お祭りのイベントはこれが全てと言ってもいいくらいで、各自が好きな事をしながら、ダラダラと何となく時間が過ぎていった。


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 やはり踊りや音楽は楽しい物だ。民族音楽による、リズムの効いたコミカルなステップ・ダンス。チャカチャカチャカチャカ・トントントントン、クル、クルクルクル・トントントントン・・・おー、ここはロシアだ。
 黄色い服を着た背の高い女の子、素早い小粋なダンスが特に目に入った。たった2曲で終わったのが残念。

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 いよいよ最後に近いのか?10人ほどが賞状を頂いていた。何やらスピーチを求められていた。「日本語」期待したが、子供ははにかんでモジョモジョするばかりであった。女の子は意気揚々としたものだった。


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 「福」を求めて風船が天に昇っていった。ちょっと「福」というところがどこか中国的であった。


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 そして本当のエンディング。
 成績優秀な女の子なのだろう、彼女の英語による「タイタニック」の主題歌・「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」の独唱だ。チョットしめやかな曲ではあるが、歌い手の早熟なムードで皆なが輪になって不思議な盛り上がりである。そしてこの日のイベントは無事終了した。

 「日本語」にこだわるならばもちろん物足りないものではあるが、こういう催しがあるということに、しかも旅行初日に巡り合わせるとは、何とも言えない喜びである。


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 記念撮影会を脇の方からパチリ。
 傍にいた女の子にせがまれて、我々も記念撮影だ。


 その後生徒は校舎に入り、我々はどういうわけだか校長室にお邪魔する事になった。
 そちらは次回に続くということで・・・。

by sakaidoori | 2010-07-06 09:22 | 【2010年 ロシア旅行】 | Comments(2)
2010年 07月 04日

1282) ①ロシア旅行 「①ハバロフスク 6月16日(水)」

 10年ぶりの海外旅行。
 夫婦2人だけでは新婚旅行以来だが、ハバロフスクには息子が居るので、家族旅行的要素の強いものでもあった。だから、当地滞在中は何の心配もないだろうということで、ほとんど下準備もなし。国内旅行と同じで現地任せという非常に受け身の安直な姿勢だ。受け身ではあるが、「ロシア」には憧れがあったので、どんな国だろうという好奇心は少なくなかった。「ドストエフスキー、日露戦争、ニコライ皇子、血の日曜日、戦艦ポチェムキン、ロシア革命、レーニン、マルクス主義、スターリン・・・」ぞくぞくする言葉ばかりだ。
 かつてのソビエト連邦はアメリカとの冷戦に破れてロシア連邦になった。帝都レニングラード(レーニンの街)は旧名に復してサンクトペテルブルク(ピョートル大帝の街)に改名した。以来、20年が経とうとしている。その帝都や首都・モスクワから離れる事何千㎞だろう?極東のハバロフスクに行く事になった。特に目的はない。息子(29歳)が居るから、妻が良い機会だからと積極的になっての実現だ。普通の夫婦の普通の海外旅行ですが、いまだロシア極東は訪問される日本人も少ない事でしょう。何ほどかの情報にはなるでしょう。写真と雑感で綴っていく事にします。沢山街を歩きました。ダーチャ(家あるいは小屋付き家庭菜園)などは情報の少ない処でしょう。多くの事・物・人にも出会えて載せたい事はとても多い。それでは当ブログは旅日記(ブログ)になるので、7月一杯を区切りに適時続けて行きたいと思います。おそらく尻切れトンボになるでしょう。

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     ↑:(日本時間15:47 ロシア時間17:47  新潟上空)

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     ↑:(同時刻 信濃川河口。見える橋は萬代橋。明治時代の橋の長さはこの倍位の長さとのこと。)


 新潟離陸は15:47。ロシアとは2時間早い時差になる。極東ロシア時間13:47ということになる。日本より西にあるロシア極東が日本よりも早いという事は感覚的にはおかしな事になるので、滞ロシア中は不思議な時間感覚だった。
 飛行機利用者は大半はロシア人だとは思うが、家族連れの夫には2,3人の日本人がいた。皆さん子連れで沢山の荷物・・お土産なのだろう。

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     ↑:(左から、16:11 16:28。いろんな美貌のスチュアーデスがいた。軽食気味の機内食。鑑賞仲間のSHに倣って、今旅では食事を載せる事にしたい。まずは洋風サンドイッチ、飴にジュースに食事にコーヒーに2時間半のほどのフライトは忙しい限りだ。)


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 ユーラシア大陸をハバロフスクまで眼下に納めたいと思っていたが、日本海上は雲ばかりを見る事になた。ようやく現れた景色、濃い緑と薄い緑の中に河をようやく見る事ができた。およそ着陸前の20分の大平原の景色だ。河が凄い?川ではなくて河を初めて見た。以下、僕自身の感動を反映して眼下の景色を多めに掲載。


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 柵が見えたと思ったらいきなり飛行場に着いてしまった。ハバロフスクの都会を少しは見れると思っていたが、大間違いであった。街からさほど遠くない郊外に飛行場はあると思うが、畑の中にスッポリ収まっているのだろう。
 着陸は19:32(日本時間で17:32)、離陸は17:48(日本時間15:48)だから飛行時間は1時間45分。およそ20分のロシア航空ショウーであった。


ーーーーーーーーーー(以下、ロシア時間。日本時間は「2」を引いて下さい。)


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 簡単に税関を通過し、迎えの息子に導かれて近くのバス・ステーションへ。
 上の写真、大きな建物が飛行場正門で、その左下の一角がバス・ストップ。
f0126829_1545260.jpg ←:日本の中古車。しっかりと日本時代の経歴を留めている。以後、溢れんばかりの日本車を見る事になる。右側通行なのに右ハンドルの車ばかりで、頭の切り替えが終わらないで旅を終える事になった。









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 上は歩きながら向かいを撮ったもの。普通の写真ではあるが、ロシア到着喜びの思いの詰まったスナップだ。木々の立ち姿を素直に撮ったもの。

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 ↑:バスを待つ妻と息子。何故だか野良犬がポーズをとってくれた。


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f0126829_14591019.jpg ↑:路線バス1番のトローリーバス。どこまで乗っても一人15ルーブル。現在1ルーブルは約3円。

 →:車内でチケットを売るおばさんの専用席。空いているので座ろうとしたら息子にダメだと注意された。


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 (↑:22:13)
  チェック・イン後m散歩がてらに暗がりの街をファースト・フード風食堂へ。本日の夕食である。並んでいる料理から、品目と量(グラム)を指定して、初めて食する家庭風ロシア料理であった。


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 (↑:22:45頃)
 食後、息子と別れて2人だけでホテルに帰る。仰ぎ見る夜空が鮮明な青だった。
 ホテルはアムール川の崖の上にある。階段などは綺麗に整備されていて幾何学模様は異国ムードたっぷり。いったんは降りた階段から上る妻を撮ったのだが、輝く教会を背景にして若者達がたむろしていた。抱き合う男女を眺めながら1日が終わった。

by sakaidoori | 2010-07-04 15:48 | 【2010年 ロシア旅行】 | Comments(9)