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2014年 07月 20日

2419)②「Gleam groove(グリーム・グローヴ)第1回『希望の光』展」品品法邑 終了/3月16日(日)~3月23日(日)





Gleam groove
   (グリーム・グローヴ) 

   第1回『希望の光』展
 




        
 会場:品品法邑
     東区本町1条2丁目1-10
      (北郷13条通の北側の南西角地。
      同じ北側の向いに法国寺有り。)
     電話(011)788-1147

 期間:2014年3月16日(日)~3月23日(日) 
 休み:火曜日(定休日)
 時間:11:00~18:00

 【参加作家】
 神成邦夫 木村輝久 木村睦美 戸井啓介 七苗恭己 楢崎豊 原田麻菜 牧志禮 丸山貴江 山本祐子・・・以上、10名。 
   

ーーーーーーーーーーーーーーーー(3.23)


 2417)①の続き。

 (以下、敬称は省略させていただきます。)




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   ↑:吹き抜けの2階から階下を見下ろした様子。




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   ↑:(右端作品がこれから記す神成邦夫。)






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   ↑:神成邦夫、「光 .C 光があるうちに何かをしよう」。



 次は1階の作品から。



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   ↑:神成邦夫、「光 .A 暮れゆき最後の太陽光」。



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   ↑:神成邦夫、「光 .B 闇を持つ最後の太陽光」。



 (大きなお世話ですが、現場で見るよりも見やすく加工したかもしれません。多分、もっと暗めで、見続けていると目が慣れて上の写真のようになるのでは。)


 全く困った人だ。天の邪鬼というべきか、目立ちたがり屋というべきか、グループの最協調者というべきか異端者と言うべきか、唯我独尊・我が道を行く神成邦夫だ。

 間違いなく今作は「目立つ」ことを基本にしている。「10人も参加していたら、所詮一人は小さい。目立たない。どうしたら目立つか?」を基本にしている。しかし、ただ目立つのならば、エロ雑誌のハダカ女を撮ればいいのだが、それでは知性派神成邦夫の名が廃る。テーマは光だ、明日への希望だ、時期は冬だ。だったら北国の「夜明け前」だ、「『夜明け前』の前の闇夜だ」だ。
 そして、「目立たないといけないの」のだが、グループあっての個人だ。他人作を否定したり、覆い被さってはいけない。あくまでも「目立たず目立たず」。

 マイペースに希望に満ち満ち、明日を信じる神成邦夫であった。





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   ↑:(右端が次ぎに記す七苗恭己。)




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   ↑:七苗恭己、「再生」。





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   ↑:七苗恭己。左から、「気まぐれな光芒のように、、、」、「羽ばたきゆく 子供たちのために」。




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   ↑:七苗恭己




 正直心の撮影者だと思う。それに、写真で遊びたいんだ。

 「正直心はヒューマニズム」と、「遊びたいは、作る・装飾性」ということだ。このヒューマジズム精神と作る遊び精神がかみ合っていない感じだ。真面目に一所懸命に考える。考える時の基本が、「写真ならば、こうした方がよくなる」になっていて、「写真としては少しおかしいが、僕はどうしてもここにこれを置きたい」になっていないのが最大の問題点だと思う。つまり、そうせざるをえない写真感性というものがあるのだが、その自分の感性を見つめることよりも、写真としての完成度に重きをおいているみたいだ。

 例えば、親娘が離れてはいるが楽しそうな作品です。ロマンチスト&ラブストーリー全開だ。僕は真ん中の木立の影は装飾過ぎていらないと思う。親娘の愛情関係の為には邪魔だと思う。この真ん中は愛に包まれた余白の雪景色で充分だと思う。

 だが七苗恭己は大きく木立のシルエットに着目する。二つの意味上がる。「とにかくここに何かを入れたい」、一種のハート・マークという飾りで満たしたい。
 もう一つは、写真をより良くしたいという写真技術の問題-装飾とか構図とか光と影とか-として知的感覚で大きく入れた。

 シルエットをどうしても入れたい心と、写真技術にズレが生じている。他の作品も全てそうなのだが、何やかにやで空間を埋めている。埋めるのは七苗恭己の感性だから良いことなのだが、全て知的操作・小道具に見える。写真としては整理した方が良い作品になるとは思うが、それでは七苗恭己の遊び心がなくなる。だから、整理したらダメなのだ。思うに、もっともっと愛を込めて、小道具を扱うべきだろう。ヒューマンという主題はしっかりしている。小道具が真のキューピットになったらと思った。
 それと、試みとして装飾性を脇に置いて、「人間を正視」して撮られたらと思う。日の丸写真という無意味な悪評をもろともせずに、正直200%で迫って、七苗恭己の魅力確認をされたらと思う。この正直な感性は貴重だと思う。






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   ↑:(一番左側が次ぎに記す戸井啓介。)




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   ↑:戸井啓介、「朝光に願いを」。     





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   ↑:戸井啓介。左側から、「月光路」、「冬の陽光」。




 「ニッポンの夜明け!!胸を張って堂々と、我が祖国ニッポン!!」そういう意気込み盛んな作品群だ。

 とにかく強い。強さを200%発揮する。その強さから醸し出される「虚(キョ)」は仕方ないが、「ウソ」は断じてあってはならにという信念を感じる。
 戸田啓介のような強い写真家にとっては難しい時代だと思う。氏の場合は「強さ」の裏に「焦り」とか「苛立ち」とかの感情の起伏はあまり作品に出てこない。もっぱら「信念」を感じる。今の時代は「信念」を飛び越えて「あるがまま」にいこうとしている。豊かな時代だから、他人との微差とか、より個人的感性が見られている。そういう意味では、戸井啓介の場合は、その力強い信念の内用よりも一人仁王立ちする姿が眩しく見られているかもしれない。

 それはそうと、この強さは「風景」に納まるのだろうか?「社会」や「風俗」や「闘う人間」や「ドキュメント」に合ってる感じだ。








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   ↑:(真ん中が、これから記す丸山貴江。)





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   ↑:丸山貴江、「Tram」。




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   ↑:丸山貴江。左側から、「Trin」、「Cargoship」。



 ほんのチョッピリ遠くにある「観覧車」、「電車」、「船」・・なんだかそこにちっちゃな幸せがありそうだな。ちょと覗いてみてみたいな。でも覗き見はいけない、」ちょっと遠くから眺めてあげましょう・・・。そんな作品群だ。丸山貴江にとっての童謡の「小さい秋みつけた」みたいだ。

 被写体に迫るとか離れるとか、凝視するとか胸がドキドキするとか、そんな冒険はしない。もし冒険という言葉を使うなら、何でもない風景でも「撮るという行為」に小さな冒険をしているのかもしれない。きっと写真行為で「冒険」の入口に立っているのだろう。とりたてて深入りする必要も無し、かといって離れる必要も無し。でも、写真という冒険は彼女を少しずつ前に押しているかもしれない。観覧車の廻りの賑やかな風景を見つめていると、自分も灯火の一つになりたいと思い始めているかもしれない。

 




 今回は6名の掲載でした。また来年も見たいと思います。失礼を顧みない文章ですが、また書かせてもらえれば嬉しいです。




 以下、品々法邑2階からの風景。


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by sakaidoori | 2014-07-20 10:31 | (くらふと)品品法邑 | Comments(1)
2014年 07月 18日

2417)①「Gleam groove(グリーム・グローヴ)第1回『希望の光』展」品品法邑 終了/3月16日(日)~3月23日(日)





Gleam groove
   (グリーム・グローヴ) 

   第1回『希望の光』展
 




        
 会場:品品法邑
     東区本町1条2丁目1-10
      (北郷13条通の北側の南西角地。
      同じ北側の向いに法国寺有り。)
     電話(011)788-1147

 期間:2014年3月16日(日)~3月23日(日) 
 休み:火曜日(定休日)
 時間:11:00~18:00

 【参加作家】
 神成邦夫 木村輝久 木村睦美 戸井啓介 七苗恭己 楢崎豊 原田麻菜 牧志禮 丸山貴江 山本祐子・・・以上、10名。 
   

ーーーーーーーーーーーーーーーー(3.23)

 会場は品々法邑、休んでいたようでしたが再開したみたいです。良いですね。



 小粒な光に包まれた清潔感、そして全体の調和からくる統一感を真っ先に感じた。「市民派写真集団の一つの顔」だ。


 4ヶ月前の展覧会です。しかも10人というグループ展です。その時は楽しみもし、何人かの出品写真家ともお話をして、印象も強かったはずです。それぞれの写真家に対してキーになる言葉を探した物ですが、全て忘れてしまった。作品をパソコンで見ながら、言葉を続けていきます。当時発言したこととは全く逆のことを書くかもしれません。恥ずかしいのですが仕方がない。それと、作家作家も多数です。半分ぐらいしか書けないと思います。


 展示は1階と2階。
 とりあえず、それぞれの一般風景を載せます。


 (以下、敬称は省略させていただきます。)


 まずは1階---


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 1階の全作品です。




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 以下、何枚かに分けて全部載せます。クリックすれば見れる大きさになると思います。

 テーマは「光」ですが、「統一美」を大事にしている。




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 左から2枚目と3枚目の作品、全体意志に逆らうような解りづらさだ。綺麗ではあるが、「全体無視とも思える作家は誰だ!」と、思いきや「神成邦夫」だ。あ~、あの人か。面白くない風景を撮る人だ。今回は逆に「オレを見ろ」だ。いずれにせよ天の邪鬼(あまのじゃく)な人だ。愛すべき人で、またまた惚れ直してしまった。





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 次は2階に行きます。先にお教えしますが、展示は2ヶ所ですが、特に違いはありません。リフレイン、反復繰り返しです。5人毎に分けて展示をするのも一方ですが、この会はそういう分派的行為?は好きではないようです。一致団結して全体の力を高める手法です。




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 2階は一人1作品です。この2階の作品を見ていきます。そこに1階の作品も掲載しながら個々の撮影者を記していきます。順不同です。



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   ↑:木村輝久、「夜行宙」。



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   ↑:木村輝久。左側、「夜行宙」。右側、「夜行静」。



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   ↑:木村輝久、「夜行宙」。(上の写真と重複しますが、こちらの淡いブルーのほうが原作に近いです。)



 風景を擬人化して撮っている。写真の中の消火栓とか、何かが擬人化(自己投影)されているのだが、氏の場合はそれに留まらず全体が擬人化されている。だから心象とも言えるし、自分自身ともいえる。何とも言えない寂しさを感じる。それでもささやかに生きているという佇まいがある。それら全ては撮影者・木村輝久の投影だからだ。だから、氏の作品に人影は必要ない。ここかしこに人の臭いがするから。

 赤い作品もあるが青い作品の方が抜群に好きだ。ブルーなんだ人生は、世界は、心は、闇色は。





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 3人三様のポートレートだ。右側は「ヒューマン」(七苗恭己)、中央は「技術を駆使した遊び」(牧志 禮)、左側は「性と生の非日常」(原田麻菜)。さて、皆さんの好みは?僕は断然左側の原田麻菜だ。




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   ↑:原田麻菜、「in my room」。


 二つの点で原田麻菜作品は目立つ。

 おそらく、技術的には最下位かもしれない。このグループはピントにしろ仕上がりにしろ、技術的にしっかりしている。原田作品は低位だから目立つ。

 それと、被写体の世界が撮影対象を越えて、撮影者自身になりきっている。だから目立つ。撮影対象にシンパシーを感じ、客観と主観の境界がズタズタな感じだ。これは「心象世界」とは違う。しかも被写体は「女、非日常、焦点散漫な不調和、だからこそ何かで空間を埋めようとする悶え、狂い」が充満している。

 ただ、残念なのはこの作品は被写体に頼りすぎている。写真力に乏しい。写真という装置にたいして無自覚だ。安易な「写真=自分」というムードだ。だから、作品が良いのではなくて、撮影者の体が常に写真を覆っているのが良い。当然、撮り手に対して強い興味が湧く。問題は撮り手の心だ。 
 そうは言っても写真は客観物だ。原田麻菜は写真を撮ることによって自分を外に放り投げて自由になっているのかもしれない。




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   ↑:原田麻菜、「in my room」。






 ②に続く

by sakaidoori | 2014-07-18 20:04 | (くらふと)品品法邑 | Comments(0)
2012年 11月 12日

1867)「前田育子 黒陶展」 茶廊法邑 11月7日(水)~11月15日(木)

  

前田育子 黒陶展     

        
 ・会場:茶廊法邑
      東区本町1条1丁目8-27
      電話(011)785-3607

 期間:2012年11月7日(水)~11月15日(木)
 休み:火曜日(定休日)
 時間:10:00~18:00
      (最終日は、~16:00まで)
     
 企画:当館

ーーーーーーーーーーーーーーーー(11.1)

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 (会場の全体風景ですが、ピンボケです。すいませんでした。) 

 作品は、黒い焼き物が会場を一周する形で展示されています。タイトルの流れから察するに、「旅」がテーマでしょう。テーマを大事にする前田育子さんです。当然、その「旅」の流れで語るべきなのでしょうが、個別個別の作品ばかりに気を取られて、テーマまでは接近できませんでした。ですから、以下の写真も個別作品の鑑賞という視点でしか掲載できませんでした。

 とにかく今回は黒です。柔らかい丸みです。フワフワした存在感です。いつもの前田育子的力強さは「黒」という色に凝縮しているのかもしれません。それも色としては優しい。優しくたたずむ存在感が前田育子的強さなのかもしれません。

 一つ一つの作品がフワフワしています。そういう作品達を、「ころころ」というネーミングで軽く旅立たせていました。フワフワ気分で黒を友達にして旅立つことにしましょう。

 

 以下、個別作品を入り口から左回りで掲載します。


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     ↑:「旅へ出るなら夜の小舟」。


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     ↑:左側、「旅へ出るなら夜の小舟」。右側、「旅立つ」。


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     ↑:ともに「旅立つ」。


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     ↑:「ころころ ころころ」。


 土台の焼き物の上に、薄く波打つ板状の焼き物を置いてあるだけです。土台と薄板の隙間がビシッと揃ってもなく、そこにたゆたゆうしいすきま風も通りそうで、前田育子さんらしからぬ空虚感があります。黒という強さに反比例した板の薄さとうねり、隙間の風通しの良さ、アンバランスさが微妙な感覚を保っているようにみえてお気に入りです。


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     ↑:「旅へ出るなら夜の小舟」。


 きっとこの作品は作家の自信作かもしれない。先ほどの作品と違って、重量感がある、安定感がある。これが作家の本来の強さでしょう。明快な主張と意気込みを感じる。


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 ここから本格的な「ころころ ころころ」です。さて、何が「ころころ」なのでしょう?
 


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 受付にある小さな小さな作品。



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by sakaidoori | 2012-11-12 22:29 | (くらふと)品品法邑 | Comments(4)
2010年 03月 10日

1222) ②品品法邑 「Cross Road -4人による写真展-」 3月1日(月)~3月21日(日)

○ Cross Road
    -4人による写真展-

 【参加作家】
 野呂田晋 神成邦夫 池田伸子 對馬大輔

ーーーーーーーーーーーーーーーー(3・7)

 (1221番の①の続き。)

 簡単に神成邦夫さん以外の方の作品を載せます。

◎ 池田伸子の場合

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 壁一面、それに寄り添うテーブル全部を使っての展示。イメージされた空間を作るタイプの撮影者のようです。キャプションもあえて統一していません。イメージされた風景に詩を添えて、より広い空間を想定しています。

 1957年生まれ、ホーム・グランドは新潟県、札幌市在住。今年の7月に当館で個展の予定です。

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     ↑:「散桜再美」。

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     ↑:「イマージュ」。

 不思議な花です。窓枠で切り取られたような意匠が、撮影者と被写体との関係性を強めてエロティッシュです。


◎ 對馬大輔の場合

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 ここはどこの港湾でしょう?闇夜に浮かぶ施設群と、水面に映る七色の組み合わせ。作品はこの3点が全て。


◎ 野呂田晋の場合

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 特にタイトルはありません。風景に魅入っての撮影でしょう。上段左の作品は自然に撮った感じ、他の2点は撮影者のリキみというか肩に力が入りすぎた作品に見えます。


 一番下の作品、「吉田川」です。札幌市豊平区に潅漑跡地として流れている吉田川があります。その川だと思う。吉田さんが厚別川から引いたものです。その吉田さんの宅地跡地標識も近くの白石区栄通16・17丁目?あたりにあります。札幌市の歴史的遺産です。
 潅漑用の人工河川ですから小さなものです。歴史があるということでしっかりと整備されていて、道路から降りて川側も散策できます。南から北に流れる川に沿って歩くと両側は丘になっていて高い、なぜここを流路に選んだかが見えます。同時に辺りは平坦地ではなかったのにも気づかされます。左岸の丘に登って、稜線を北に下っていくと旧吉田邸に辿り着く。吉田さんの農業・酪農事業にとっての生命線がこの川だったのでしょう。彼は事業の中心地である豊平村に住まなくて、白石村に居座って目を光らせていた。何故だろう?

 何気ない川の何気ない川辺に感動しての力強い作品です。ただ眺めてばかりいた小川だったのに、こうして別の風景が見れるのは嬉しいものです。


 

by sakaidoori | 2010-03-10 13:33 | (くらふと)品品法邑 | Comments(2)
2010年 03月 07日

1221) 品品法邑 「Cross Road -4人による写真展-」 3月1日(月)~3月21日(日)

○ Cross Road
    -4人による写真展

 
 会場:品品法邑(2階)
     東区本町1条2丁目1-10
      (北郷13条通の北側の南西角地。
      同じ北側の向いに法国寺有り。)
     電話(011)788-1147

 期間:2010年3月1日(月)~3月21日(日)
 休み:火曜日(定休日)
 時間:10:00~18:00 
     (最終日は、~17:00まで)

 【参加作家】
 野呂田晋 神成邦夫 池田伸子 對馬大輔

ーーーーーーーーーーーーーーーー(3・7)

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 当館1階は工芸品や美術品の販売スペースだった。はっきりわからないが、当分はギャラリー空間として利用されるのかもしれない。今回、初めての紹介です。

 さて、写真4人展。
 出品数にばらつきがある。グループ展だから、一つのリズムとして見ることができる。そうは言っても、沢山出した人に、どうしても意識が集中する。今展は特に神成邦夫氏の作品に感ずるところがあった。
 (以下、敬称は省略させて頂きます。)

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     ↑:「PAST,NOW AND FUTURE」。

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     ↑:作品①

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     ↑:左から、作品②、③。

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     ↑:左から、作品④、⑤。

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     ↑:作品⑥。


 「・・・写真の性質である表現性と記録性の狭間を往来しながら、自分の写真、写真からの自分を見つけるために試行錯誤しています」と、自己紹介している。

 「写真の表現性と記録性」。例えば、表現の為だけのスナップ写真であっても、そこに写された「景色」は月日が経つ程記録性を帯びて、撮影者のリアリティーを越えた「記録」が圧倒的な迫力で迫ることがある。逆もある。「記録」のためだけに撮った写真が、その撮影者の目を想像したくなる程の「表現力」がある時もある。
 そういうことは写真には常に付きまとうことでもある。難しい問題なのだが、とりあえずは不問にしがちである。。

 今展のタイトルは「過去、現在、そして未来」だ。作品は何時撮られたのだろう?あえて撮影者はそれを明示してはいない。写真歴も25年と長いから、最近撮ったのか、過去の作品を意図的に編集したのかがわからない。写された状況で判断できればいいのだが、僕にはそれができない。何とも古い被写体のようだが、もしかしたらこの「光景」は「今の北海道」のどこかにあるかもしれない。
 そして、撮影者は車から風景に迫る視点だ。あたかも覗き趣味、あるいはタイムスリップの位置に自分がいるのを鑑賞者に意図的に伝えているようだ。この視点が12枚の作品と重なり、被写体が「今なのか、過去なのか」を妖しくしている。

 「記録」とは「過去」だろう。「表現」とは「今」だろう。「未来」・・この言葉は撮影者の「願望」のようなもので、「記録」と「表現」の先に、ストレートに「未来」はないと思っている。あるのは「過去」と「現在」の往還だけだろう。
 1枚の写真に「今」と「過去」を同時に成り立たせようとする視点に思えた。時には懐かしくもあり、時には吐き気をもよおすような「過去」、だがそれらがカメラ目線になった時にいやがうえにも撮影者に「何か」を訴えて迫ってくる。それは明るい「未来」よりも、「体内回帰的な死への恐怖、誘い」にも重なるかもしれない。


 (続く。他の方の簡単な紹介は、明日の深夜になります。)

by sakaidoori | 2010-03-07 23:53 | (くらふと)品品法邑 | Comments(0)
2010年 02月 07日

1187) 品品法邑 「常設展のような臨時展  本田滋・作品群」 1月27?日(水)~2月8日(月)


○ 品品法村・常設展のような臨時展
     本田滋・作品群

        
 会場:品品法邑(2階)
     東区本町1条2丁目1-10
      (北郷13条通の北側の南西角地。
      同じ北側の向いに法国寺有り。)
     電話(011)788-1147

 期間:2010年1月27?日(水)~2月8日(月)
 休み:火曜日(定休日)
 時間:10:00~18:00 
     (最終日は、~17:00まで)

ーーーーーーーーーーーーーーーー(2・7)

 某ギャラリーで本田滋さんとバッタリ。急遽、品品法村で作品発表とのお知らせです。いつまでの発表かを聞かなかったので、何とはなしの当館の訪問。気分は品品法邑の売り子さんへの新年の挨拶、次に奥の間・・・そこは昨年までは作品販売コーナーでしたが、いたってひっそり、一旦整理中なのでしょう。鳴海伸一君や他の作家の壁面作品ばかりです。何はともあれ目的の2階へ・・・そこには真ん中に3点の日本画が掛けられ、挟むようにして、楽しき本田・作品が並んでいます。
 (以下、敬称は省略させて頂きます。)


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 作品は全部で7点。全て小品で正方形の風景画ばかり。

 驚いてしまった。実に自由に風景の切り取りをしている。ささやかに絵画の約束から飛び跳ねて、自分好みを主張している。

 絵には多くの無言の約束がある。約束通りに描けば、ある程度の美しさや主張は出来るが、個性からは遠くなる。個性や個我は「近代病」ではあるが、それなくしては「古典病」で面白くない。そして、新たな取り組みなど、あって無きが如しの感がある。結局は画く人それぞれが悩み、試行錯誤しながら描き進めるしかないのだろう。
 「試行錯誤」それしかない。今展の本田滋もそうだろう。だが、氏の前には破るべき約束事が希薄なようだ。そして、自分の固定型を作るのを避けているようだ。
 そうは言っても氏の約束破りはささやかなものだ。破った中身が美術史的に凄いわけではないだろう。爽快に軽く約束事からズレる、その身のこなし方、筆さばきが清々しい。

 悩み多き画家達よ!本田滋のフットワークは見て損はないだろう。
 確かに、氏の作品は描き殴り的で乱雑に見える。静謐な美からは遠いかもしれない。その辺は各人の好みだから、学ぶ必要は無い。美術を愛する心、そこから発する美術知のこだわりの少なさ、「やりたいことをする」というこだわりの強さは一見に値する。


 以下、個別作品を載せます。一点一点の絵画的取り組みが違っている。個別作品と同時に、全体を万華鏡のように見てしまった。


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     ↑:「もうひとつの道」・S15。

 写真作品では分かりにくいですが、赤いポストが異様に大きく強い。全体とのバランスを欠いて、非常な違和感を覚える。「この赤を見よ!」。そう、この赤が良いのです。


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     ↑:「NIN・JIN畑」・S15。

 タイトルのローマ字が効いている。直ぐに、あの「にんじん」が思い出せなくて、「あ~、あのニンジンか」と、となるわけです。まるで絵空事のような風景が、どこか懐かしい情景と重なるのです。


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     ↑:「明日に向かう道」・S15。

 白い車です。愛すべき白い車、どこに行く白い車、透明になって走る姿・・・。下手な栄通節を口ずさみたくなります。


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     ↑:「一陣の風」。

 山の存在感、ボリュームの表現。一点の重みを見せる描き方は、氏にとっては珍しい。


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     ↑:「アトリエ テンマ エントランス」・S8。

 おしゃれに、こそっと四隅に置かれている。まるでフランスの一角、テラスのようなたたずまい。ドアにも見える。部分の切り取りは不思議な世界になっている。違う世界にひっぱられそう。

by sakaidoori | 2010-02-07 21:52 | (くらふと)品品法邑 | Comments(0)
2009年 08月 20日

1076) 品品法邑 「版画三人展  林由希菜 川口巧海 石井誠」 終了・8月5日(水)~8月16日(日)

○ 版画三人展
   林由希菜 川口巧海 石井誠

        
 会場:品品法邑(2階)
     東区本町1条2丁目1-10
      (北郷13条通の北側の南西角地。
      同じ北側の向いに法国寺有り。)
     電話(011)788-1147

 期間:2009年8月5日(水)~8月16日(日)
 休み:火曜日(定休日)
 時間:10:00~18:00 
     (最終日は、~17:00まで)

ーーーーーーーーーーーーーーーー(8・)

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 静かな3人の版画展でした。
 3人共通のテーマがあるというものではなく、それぞれが取り組んでいる普段の姿をゆっくりと見せるというものでした。
 3人は大学の卒業前後の若者達で、その淡々とした姿に今後の変化なり成長が楽しみです。

 男性の川口巧海君、石井誠君は道都大学の4年生。滞在していたので、彼等の作品を載せます。

 林由希菜さんは札幌大谷短期大学部専攻科(美術)を卒業したばかり。リトグラフです。この春に時計台ギャラリーで沢山の作品を見せてくれました。その時の出品数に比べたら、今回は大きさといい小規模な出品でした。どうしたのかなと思ったのですが、三人展を考慮してとのことです。現在進行形で旺盛に制作されているとのことでした。


石井誠

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     ↑:「つなわたり」。



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     ↑:「Respiration (Ⅰ)、Ⅲ」(呼吸)

 シルクスクリーンです。
 石井誠君は線描の醸し出す激しいタッチと、ロック張りのにぎにぎさを特徴としていました。その後、シルクスクリーンの可能性の習得もあり、色の深みなどいろいろなことを試みています。
 今作も写真を連想させる物をコラージュ風に張り合わせているように見えます。(技法のことは分からないので適当に読んで下さい。)情念爆発型であった学生が技法の習熟のために繊細さや知的さを表現しようとしている感じです。

 「つなわたり」が今展の代表作でしょう。変身した虫のような生き物が首吊りしているみたい。虫のユーモアさや、Vの字の線の肉筆さ緊張感が心地良い。
 残念なのは右下の四角の部分です。絵の中に無意味と思われる部分があるのを僕は好みますが、これは知的な過剰構成で、ミスマッチでしょう。虫とVの字と背景色、この三者で成り立たせるのがこの絵の魅力でしょう。緊張感と伸びやかさです。
 石井君は学んだことを絵にしなければならないという生真面目な青年かもしれません。封印気味な情熱的表現が、こうして余計なものを描かせたのでしょう。絵としては不満ですが、描きこまざるをえなかった事に「石井らしさ」を感じて、これはこれで楽しめる作品でした。

 石井誠君は大学入学以来、作品発表やグループ展の企画など、意欲的に美術活動をされた学生です。今後、彼がどういう方向に行くのか?それは分からない。わからないのですが、今までの一つの区切りとして、小なりとも個展をされてはどうだろう。今後の美術継続のための糧になると思うのだが。


○ 川口巧海

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 メゾチント技法による銅版画です。メゾチントは銅版を縦横斜めと線を刻み、刻んでできた銅版のめくれを利用して色を載せていく。何と言っても色のグラデーションがみせどころです。画題を表現する以前の作業、銅版をねちっこく丹念に隙間無く切り刻む行為、まるで絵を描くための過剰な儀式にみえますが、そこが大事なのです。その儀式に魅せられた人達の執念のような美意識、鑑賞はそれとの対話です。どこか、禅的世界です。

 おそらく川口巧海君もそういう気質の持ち主でしょう。
 だが彼は若い。修行のようなメゾチントの追求だけでは面白くないとみえて、日本画的画材を利用して、濃淡の中に星のような輝きを表現しています。それなりに面白い。
 ですが、基本は描かれた絵そのものにあるでしょう。グラデーションは作家の心の何か、対象の何かを表現するための技法です。今展の作品群は作家が対象を見つめ深める一里塚でしょう。これからの深化を期待しましょう。

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     ↑:「部屋」・メゾチント。

 技法としてでなく、表現としての今展の力作。
 まるでデッサンそのものが立ち上がったような作品です。卵?の形、その配列の模様とリズム、区切られた線と卵たちの響き会い、画面を覆う細く鋭い白線の圧迫感、タイトルの「部屋」が若者らしい!
 グラデーションに意識が行き過ぎて、明るさを取り入れる神経に欠けたようだ。メゾチントはグラデーションが特徴だ。だが、単に暗さのバリエーションだけでは物足りない。
 川口君の修行が始まる。欠点をどう克服するか、楽しみにしています。


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     ↑:「朝露」・メゾチント 一版多色刷り 雲母刷り。

 雲母の輝き、一版多色の妙をこの写真で伝えれないのが残念です。


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     ↑:「高貴 Ⅲ」・メゾチント 雁皮刷り。

 展示方法に提案です。
 ガラスの額装は無くてもよいのでは?
 折角のメゾチントです。ガラスの反射でその魅力が半減して見られがちです。作品も小さいし、短期間の展示ですから保護の必要は無いとおもうのですが?



 
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     ↑:林由希菜、「かえろう」・リトグラフ。

 作家不在。無断掲載になります。一枚だけお許しを。リトグラフ作品です。



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 シルクスクリーン、メゾチント、リトグラフが今回の作家達の版画技法です。それぞれに関係した資料を簡単に陳列していました。

 静かでさっぱりした暖かい展示でした。学生にはパワーを求める栄通ですが、なぜか心穏やかに退席してきました。

by sakaidoori | 2009-08-20 22:52 | (くらふと)品品法邑 | Comments(2)
2009年 06月 18日

1012) 品品法邑 「奥村博美×下沢敏也・陶展」 終了・5月23日(土)~5月31日(日)

○ 奥村博美×下沢敏也・陶展
        
 会場:品品法邑(2階)
    (北郷13条通の北側。道路を挟んだ同じ北側に法国寺有り。)
    東区本町1条2丁目1-10
    電話(011)788-1147

 期間:2009年5月23日(土)~5月31日(日)
 休み:火曜日(定休日)
 時間:10:00~18:00 
     (最終日は、~16:00まで。)

ーーーーーーーーーーーーーーーー(5・29・金)

 初めにお断りします。
 「案内板」には奥村博美さんのことを女性と書いて紹介しました。名前から勝手に判断した早とちりで、完全な男性です。お詫びと訂正です。
 そして今回は、今後も見る機会が少ないと思われる京都在住の奥山氏の作品を中心にします。セクシャルで刺激的な作品です。

 会場風景からー。(以下、敬称は省略。)


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 下澤敏也の問題意識は「死」である。片や、今回始めて見る奥村博美は「生きる物」あるいは「生」からのアプローチと見た。
 まさに「生と死」が2人の共通テーマであり、全く逆からのアプローチだ。問題意識は共通だが、その先に果たして同じ物をみているのか?だから、2人のコラボレーション、あるいはバトルが繰り広げられたらならば、さぞかし心ワクワクするものになったであろう。
 残念なことに、並列的な2人展であった。

 おそらく今展は下澤氏が奥村氏を紹介するのが大きな目的だったと思う。
 下澤氏はコンチネンタルでも道外から陶芸家を招聘してグループ展を企画されている。焼き物に携わる素晴らしい作家達ばかりだった。非常に優秀な紹介者である事は間違いない。惜しむらくは彼等とのバトルが欠けていた。動的展示になっていなかった。その辺が氏の課題だと思う。
 今展も会場に会ったセッティングという問題はあったと思う。時間的な問題もあるだろう。だが、奥村氏の挑戦的な女性器群に、たじろぎながらも泥まみれになって下澤ワールドが展開されたならば・・・、何と刺激的なんだろう!そのことが、今後の下澤敏也の糧になると思うのだが。現在の「静かなる死」の造形が、妖しく揺さぶられるかもしれない。

 というわけで、真っ向から「生」と「誕生」の不可思議さを見つめる奥村博美の作品を載せます。作品は題して「皺襞器」。

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     (↑:上の2点は下澤・作品)


 (今回は奥村作品をメインにしますので下澤作品は少ないです。というか、少ない鑑賞時間だったので写真が撮れなかった。)

 奥村作品の「皺襞器」、具体的にその形を思い浮かべれば「女性器」、「植物の種」、「女性の下腹部や腰」、「お尻」ということになろう。妖しげな造形だがシンメトリーという美学もある。要するに生まれ出ずる部分を官能性を排して赤裸々に見つめている。

 一番上の作品は単純に凄いと思う。
 だが、それ以上に感心したのは空ろな造形だ。奥村・壺と言ってもいい。

 壺は局(つぼね)にも通じると思う。空(うつ)ろにして、物を蓄えもし、万物の創造所だと思っている。空(くう)が生(せい)の源だ。中ががらんどうだから、その闇の中から千差万別ないろんな種(生き物)がこの世に拡まった。
 そういう僕の局(つぼね)観を奥村・壺に見る思いだ。彼はそれを壺のようにも、女性の腰の造形にも見立てている。おそらく奥村博美という造形作家は観念的に物を見ないのだろう。あくまでも具合的な姿に物の本質を探っているのだろう。しかも近視眼的に接近して。襞の部分にも目に見えない虫が居るようだ。
 粘土をいつも触っているのだ。その艶めかしい具体的肌触りが氏にとっては生きる証だろう。粘土の隅々に生きる気配を感じているのだろう。

by sakaidoori | 2009-06-18 23:41 | (くらふと)品品法邑 | Comments(0)
2009年 04月 11日

965) 品品法邑 「本田滋・絵画展 『風の彩ー絵・空・間』」 終了・3月30日(月)~4月9日(木)

○ 本田滋・絵画展
    「風の彩ー絵・空・間」
        
 会場:品品法邑(2階)
    (北郷13条通の北側。道路を挟んだ同じ北側に法国寺有り。)
    東区本町1条2丁目1-10
    電話(011)788-1147
 期間:2009年3月30日(月)~4月9日(木)
 休み:火曜日(定休日)
 時間:10:00~18:00 
     (最終日は、~17:00まで。)

ーーーーーーーーーーーーーーーー(4・11)

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 「絵を愛する人・本田滋」

 本田さんとはギャラリー巡りで時々お会いする。
 スケッチする姿を眼に浮かべてしまう。葉書き大の用紙に会場やその場の雰囲気をスケッチしているのだ。ペンでささっと。描く時の目は真剣だが、傍によると顔を崩して相手をしてくれる。その日は人形展だった。

 「何かこの人形、優しくって愛情豊で、チョッと描いてみたくて、描いてあげるのも良いかなと思って描いちゃったんですよ」

 描き終えた絵を展覧会関係者にお渡ししていた。その人達とのにこやかな会話が場を飾っていた。


 またある時は学生展だった。
 「これ、君が描いたの?良いね。気持ちが伝わってくるなー・・・。君の持っている温かいものが絵に出ていると思うよ。・・・」学生への屈託の無い言葉が聞こえてくる。僕は内心、「そんなに褒めちゃダメだよ」とも思うが、恥ずかしいくらいな褒め言葉を続ける彼の心には参ってしまう。

 
 彼は画論や技術のことは語らない。そういうことは「僕は知らないから」っと言って、微笑むだろう。
 絵を見る姿勢、絵を通して語る姿勢は、彼が絵を描く時も同じだ。描かれた対象(画題)への思いやり、絵全体を包む温かい雰囲気に気を配っている。
 もっとも、表現したいことはそうであっても、絵として他人に見せれたかどうか?その気持ちは分かるが、絵としてドーンとくる、あるいはしみじみと感じ入るものになったかどうか?「絵を愛する男」の絵が、「愛される絵」になったかどうか?
 本格的に描き始めて4年とのことだ。驚くほかはない。間違いなく「語りたくなる絵」だ。にっこり笑いながら絵を見てもらいたい。微笑みながら見る、ということは絵の本質とは重ならないかもしれない。ならば、画家に笑いながら本質を語り合える絵を更に更に描き進めて欲しいと注文しよう。

 今展はモチーフや大きさにはあまり拘ってはいない。2点1対構成で本田滋の絵心が会場全体に響くことができたかを試みている。作品一つ一つは組み作品ではないが、あえて対構成にしている。会話を重んじる画家の姿勢だ。老若男女を問わず人と人とのふれ合いを大事にしたいのだろう。作品自体を擬人化して仲間達を演じているのだ。

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     ↑右、「背伸びする街」・日揮展 2006年 F40。
     ↑:左、「赤い自販機のある街」・日揮展 2008年 F20。

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     ↑:左、「風 舞 花」・アクリル美術大賞07入選 F100。
     ↑:右、「瞬 舞 花」・アクリル美術大賞08入選 F100。

 かなりイメージが強い。花のある実景から部分をクローズアップして、画家の花への強い思い込みを描いている。今展の都市の風景画は小さい。反して、作られたイメージ画は大きい。実景に縛られないで自由に伸び伸びと描きたいのだろう。装飾過多でイメージに流されがちだが、画魂(がこん)の大いなる通過点だ。僕自身は花の乱舞よりもビルの踊りのほうが好きだが、七色の絡み合いを表現するには花のほうが向いているのだろ。

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     ↑:左、「凍てる風・札内川」・F20。
      ↑:右、「碧流の札内川」・F20。

 赤が魅力的だ。実景に忠実に取り組んでいる。


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     ↑:「寄り添って」・F40。

 いろんな意味で異質な絵だ。思いはタイトルが示す通りだ。大地に生きる寄り添う二人に太陽が燦々と祝福している。
 枝のうねりは人生の皺だ。枝と枝の隙間、その隙間に乱れ込む光や風や空気、白やピンクや黄色中心の限られた色で追求している。

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     ↑:「深川発札幌行」・F10。

 とても上手な絵です。より良く描けるようになったので、その分絵から児童画的遊び心が減った感じだ。路面に写ったビルの姿などは実に驚かされる。正直、僕はこういうリアルな絵を本田さんに予想していなかったので何と言っていいかわからない。色もピカピカしていて全体を一層明るくしている。堅実で重厚な都市の風景だ。小さい絵だが小ささを感じない。
 上手さと遊び心、車の両輪のように共に大きくなっていくのだろう。愛情を隠し味にして。

by sakaidoori | 2009-04-11 09:48 | (くらふと)品品法邑 | Comments(4)
2009年 04月 05日

960) ①品品法邑 「色なき風」(2人展) 久山春美の場合」 終了・3月20日(金)~3月29日(日)

○ 北海道教育大学大学院1年2人による工芸と日本画の展覧会
    「色なき風」 (佐藤あゆみ 久山春美)     
 会場:品品法邑(2階)
    (北郷13条通の北側。道路を挟んだ同じ北側に法国寺有り。)
    東区本町1条2丁目1-10
    電話(011)788-1147
 期間:2009年3月20日(金)~3月29日(日)
 休み:火曜日(定休日)
 時間:10:00~18:00 
     (初日は、14:00~。最終日は、~16:00まで。)

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 壁面作品は久山春美、立体造形が佐藤あゆみ。

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     (↑:奥の方にある3点の白い立体造形だけは久山春美・作。)

○ 久山春美の場合

 以下、会場のチラシより

 2003年 北見北斗高校卒業
 2008年 金沢美術工芸大学美術科日本画専攻 卒業
  現在  北海道教育大学大学院西洋画所属
 
 (コメント:素材をさわっているのが好きです。素直に表現したいです。)

 概ね、今までの描き溜めていた作品のセレクト展。其の年の代表作?

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     ↑:「みのり」・2004年。

 大学2年生時の作品。初めての本格的日本画だ。はっきり言って非常に上手い。写真では目立たないが、背景の色は艶やかカラフルで画面全体が清々しさで充満している。人物描写が少し変だが、それはこれからの課題だ。かえって初々しい。ピンク、黄色、黄緑といった爽やかな色使いの始まりだ。

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     ↑:「温」・2006年。

 一応、何処かの景色がモデルだろうが、心象風景だと思う。彼女の心象風景は原風景のようなもので、古き良き楽しい思い出を描き綴っているようだ。他人から見ればそれほど盛り上がらない画題をこんなにも大きく描ききっている。何かを描くというよりも気持ちを描いているから、本人にとっては楽しいのだろう。
 大学3年生時の作品。

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     ↑:「歓喜」・2008年。

 卒業制作。
 意欲的だが、作品としては失敗作だろう。
 どこが失敗かと言うと、見る人に何を描きたいかが伝わらない。学んだことを見せるという意識が勝ちすぎて、描きたいことが中途半端になってしまった。それと、レンガの部分に現れているが、見る人を意識してサービス過多になったことだろう。

 ピンクの部分、カーテンを開けた窓の向こうの幻想風景を描きたかったのだと思う。それを具象的にではなくて、好きなピンクだけで表現したかったのだ。画家だけに見える回顧的とも思える原風景をピンクに埋め込みたかったのだ。だったら、黄色を描く鈴木悠高君のように、抽象表現に走ればいいのだが、そうはしない。
 「抽象なんて、何て味気ない!」と彼女は言うだろう。
 単純に言えば、非常に難しい絵心に無意識にチャレンジしたのだ。なまじ、ピンクが好きで得意だから恐いもの知らずでピンク中心に描き進めたのだ。だが、それに徹底するにはだんだんと弱気が差し込んできて、レンガを大きく描いてしまった。何を描きたいかが見るものにはわからなくなってしまった。

 朝、カーテンを開けて窓の向こうを見た。例えば、そこに朝日に映る雪しか見えなかったかもしれない。だが、彼女は朝の臭いと肌触りで、美しい光景を見てしまったのだ。何にも無い空間に。それは我々が言う幻想でもある。レンガの七色はその時の幸せな気分だ。

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     ↑:「green」・2008年。

 昨年の教育大学「七月展」での出品作。
 メルヘンチックな楽しい絵。雲の円、レールだか垣根に囲まれた円い部分に注目したい。画家は何にも無い所に、言い知れぬ愛着を抱くようだ。どういう風に絵画化されていくのだろう?

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     ↑:「記憶」・2009年。

 少し変だと思って画家に確認したら、制作途上の作品とのこと。他にも作品は一杯持っているはずなのに、どうしても近作を出したかったのだろう。その年の力作中心の展示にしたいのだ。
 勢いで描くところもある人だが、こうして計算もちゃんとしている。「勢い」と「計算」が作品に良い結果を残すにはまだのようだ。
 メルヘン的画風に拘らずに見ると魅力がいくつも顔を出している。

 

by sakaidoori | 2009-04-05 20:58 | (くらふと)品品法邑 | Comments(0)