栄通記

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カテゴリ:市民ギャラリー( 179 )


2016年 05月 04日

2510) 「第29回 札輝展」 市民ギャラリー 終了/4月26日(火)~5月1日(日) 

第29回 札輝展 


 主催:日輝会美術協会札幌支部 

 会場:札幌市民ギャラリー 2F展示ホール
     中央区南2東6(北西角地)
     電話(011)271-5471

 会期:2016年4月26日(火)~5月1日(日)
 時間:10:00~17:00
   (初日は13:00~15:30、最終日は~16:00まで。) 


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー(4.30)


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 札輝展、全国公募団体日輝会の札幌支部展。
 
 本体の日輝会展を見たことはない。おそらく強烈な個性集団ではないでしょう。支部展を見ての判断だが、アマチュアイズムの健全な育成と交流を目的にしているのでは。

 「健全なアマチュアイズム」展、適当に自分好みと出会えるのがいい。大仰に文章を書くのには面はゆいが、見ることに関してはそれなりに結構楽しんでいる。


 次の写真、まさに自分好みのコーナーだ。



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   ↑:當摩文子


 何を表現したいのかはよくわからいが、楽しそう。

 札輝展メンバーは、ついつい年配者と早とちり、でも、この方は何歳だろう?形といい、色といい、ムードといいたゆたゆしい若さだ。



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   ↑:當摩文子、「Leivniz 私の手紙 002」。


 三角の部屋だ。細胞でもいい。一人一部屋だ。中で心がうごめいている。エネルギーをこざっぱりと発散!音楽だ、ジャズ、クラッシック、アフリカン・・・要はリズムだ。心が揺れている。一部屋一部屋が揺れて、隣の部屋を伺っている。一人なんだけど一人じゃない。結ばれそうだけど、結ばれない。共鳴しあっている?三角試験管の中で心が揺らめいている。



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   ↑:石尾隆。

 タフガイなザリガニ、後光発散の観音様、目力ヤブ睨みの高倉健、ド派手爛熟の装飾ワールドと賑やかだ。
 石尾隆-元気と力と遊び心だ。そして、何でも取り組むど根性が良い。



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   ↑:石尾隆、「E氏の幻想曲」。


 ショッキング・ピンクに、イエローに、レッドに、バイオレットに・・・壁画に挑戦したらいいだろう。500m美術館のケースを三つぐらい描いたらいい。上手いとか、下手だとか、そんなことにお構いなく、バンバンとチャレンジだ。石尾隆の爆発曲だ。



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   ↑:本田滋


 精力的に街並みを描き続ける本田滋だ。
 最近は極端な誇張美を描かない。今展もそうだ。一歩引き気味に落ち着いて、淡々と街の楽しみを表現している。



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   ↑:本田滋、「アーケ-ドが見える街」。


 上の作品、白い車が画面中央で威張っている!「この白い車を見ろ!こいつのために道路が、街がある」と、言っているみたい。
 周りの風景とのバランスを考えて、車の位置を変えるとか、小さくした方が画面が落ち着いていると思う。やはり、「落ち着き一本」で絵心を進むには、本田滋はまだまだ五月蠅い人だ。
 絵が上手くなると、画面をスッキリと構成しがちである。それはある程度仕方がないことだが、「スッキリ構成」も「スッキリしない構成」も同じ価値観。市民権としては「落ち着き」の方が優勢だが、社会が落ち着いているだけに、絵だけでも非「落ち着き」にスポットライトを当てて欲しいものだ。





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   ↑:佐々木良子、「秋のめぐみ」。








 

by sakaidoori | 2016-05-04 20:37 | 市民ギャラリー | Comments(0)
2016年 04月 29日

2503) 「第四三回 北海道抽象派作家協会展」 市民ギャラリー 終了/4月119日(火)~4月24日(日)  

 

 
第四三回
北海道抽象派作家協会展
 


 会場:札幌市民ギャラリー A室
     中央区南2東6(北西角地)
     電話(011)271-5471

 会期:2016年4月119日(火)~4月24日(日)
 時間:10:00~17:00
      (初日は13:00~、最終日は~16:00まで。) 


 【出品作家】
 同人:今庄義男(岩見沢) 小川豊(小樽) 丸藤真智子(札幌) 後藤和司(札幌) 佐々木美枝子(得陳) 鈴木悠高(札幌) 田村純也(苫小牧) 名畑美由紀(札幌) 林教司(岩見沢) 三浦恭三(小樽) 宮部美紀(石狩)・・・以上、12名。

 推薦:伊藤貴美子 木内弘子 田中季里(岩見沢)
 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー(4.24)

 会場風景と、作品をまとめて載せます。
 参加者は13名です。部分紹介になると思います。


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 大作絵画はここではよく似合う。天井は高い、広々している、黒タイルの反射もよろしい。そして、何となく冷ややかな空気感、大きな作品を近くに遠くにながめまわす。
 そういう気分ではあるが、小品がやけに多くて作品全体を小さくしているみたい。やっぱり、ここは大きな作品の迫力で突き進んで欲しいものだ。何点かの小品は展示リズムとしては良いと思うが、いささか多すぎると思った。

 (以下、敬称は省略させていただきます。)


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   ↑:(左側は名畑美由紀、右側は田村純也。手前の針金円球は田村純也、「操 -SOU- 」・立体 600×250×150.)


 良いツーショットだ。この流れで、立体作家の田村純也から始めます。


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 何年前であったか、田村純也は石作家として、元気よく抽象派作家協会展にデビューした。石は重い、その石を並べるのが彼の基本だ。作品の良し悪しを離れて、「石を並べる」という元気さ、意欲に感心している。
 石といっても、墓石風の展示の仕方で、シンメトリーを好んで展示している。見ていて残念なのは、石という素材の存在感に比して、作品群が小さく見えることだ。作風からは、「生真面目、律儀さ」が強すぎて、石自体の主張に欠ける気がしていた。
 
 田村純也は中高年だと思っていた。今回初めてお会いした。「おっ、若い!」、「石のように実直そうな作家だ」と思った。そして、今回は石ではない。針金の網を丸めての団子連なりだ。何とも軽い!石の重さにコリゴリしたのか、持ち運びもらく。気楽らくらく「田村青虫」の誕生だ。もちろん、律儀さは健在だから、綺麗に並んでとりたててヘンチクリンな作品ではない。ウエーブ状にしたのは動きが欲しかったのだろう。それに、触ってみたくなる。鑑賞者との交流もネライだろう。それよりも、「オレは何でも出来るんだ!石作家などと、型枠をはめないでくれっ!」ということだ。

 (「操」、手先でやりくりする。現代中国語の「操・cao(つっあお・1声)」、しっかりと持つ。)




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   ↑:名畑美由紀、全て「ROSE」、中央はF100、他はF50。)



 悩ましきかな名畑美由紀、だ。
 もし、今作のマチエール(色味や色質)絵画評価の基準にしたならば不合格だろう。ところが、この抽象派協会展作品は画質の高い作品が多い!あんまり上手だから、ついつい色に見とれてしまい、抽象自体の楽しみが何処かに行きそうだ。特にベテラン同人はそうだ。
 絵画の原点は「色」だから、色に拘るのは当然だ。では、どんな色味を名畑美由紀は追求しているのだろう?そこが悩ましい。
 もちろん、狭く色味だけを追求してはいないだろう。構図だとか・・・(こういう作品に構図をどうのこうのというのは、僕の能力を超えている)、画面全体が醸し出すリズムだとか、そういうのを一切合切包み込んだある種の感覚・感性を主張したいのだろう。余りに画質に捕らわれすぎたら、絵画が狭くなると思っているのかもしれない。
 それではどんな感性を紡ごうとしているのか?おそらく、本人も明確に自覚するには至っていないと思う。「喉のここまで出かかってはいるのだが・・・出てこない」という境地だと思っている。そういう名畑美由紀の「生まれいずる悩み」を楽しんでいる。




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   ↑:伊藤貴美子(推薦作家)、「MOKU」。アクリル F4×20枚 F8×10枚。
 



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 タイトルは「MOKU」。「もくもくもく」ということかな?「雲がもくもく」、「気分がもくもく」、「宇宙がもくもく」、そんなふうに理解しよう。
 こういう作品は小部屋でも中部屋でも大部屋でも成り立つ。だから、同じ作品であっても、場との絡み合いが大事だろう。一枚の作品がどうのこうのではなく、その繋ぎ、関わり、動き、リズムが勝負だ。美学的には余白としての壁が手強いところだ。しかも、今展はグループ展だから、他の世界との関わりも考えないといけない。
 日記のような一枚一枚の作品、お日様は東から昇り西に沈む日々の繰り返し。添い寝するように画家もくり返す、絵を描いて・・・その連続と非連続を「MOKU」として表現する。もっと「もくもく」すればと思った。天まで届くぐらいに、モザイク状に作品が膨らめばもっと楽しかっただろう。





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   ↑:田中季里(推薦作家)、「doors」・180×210 紙 鉛筆。



 こちらも小品の合体作品。でも、「もくもく」気分ではない。しんみりしたブルーの世界での、沢山のドア。ドアドアドア。それは未知への道標?世界を閉ざす塀?まるで坊主が「壁の前に3年」という修行気分も漂う。修行ではなくて一人遊びというべきか。




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   ↑:鈴木悠高(同人)、「drawing 01~04」・ミクストメディア。



 以前は色一色で勝負していた。最後は黄色に拘っていた。本当に修行のような絵画だった。それに疲れたのか、変貌・深化のためか、今ではその面影はない。確かに、今展の大作は以前多用していた黄色中心だが、その意味合いが全く違う。模様の風景、あるいは空間処理的な扱いだ。そして模様はどこかしらユーモラスだ。
 気になるのは、小品に露わだが、伝統的東洋画(日本画)の気分が旺盛で、余白美に拘っているようだ。その探索の過程に位置しているのかもしれない。



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   ↑:小川豊(同人)、「心のひだ 2016-4-16」・油彩 182×92(5枚)。


 「心のひだ」をずーっと表現している。初期の作品は青春の悶えのようなものも感じて共感度も高かった。最近は様式も固定化し、悩みや憂いの影は薄れ、抜群の安定感で絵画行為に励んでいる。
 僕は作品に動きや変化、あるいは意外性を好む。そして情緒不安定な人間だから、ハラハラ気分を最も楽しんでいる。しかし、思えば、画家というものは若い時とか、描き始めの頃は描きたい心象も定かではないから、あれこれと変な世界も飛び出てくる。描き進めば、自分のしたいことを自覚して、それを追求するものだ。たとえ他者からはマンネリ風に見えても、他人の為に描いているのではないからしかたがないことだろう。
 ましてや小川豊は器用な人ではなさそうだ。一本勝負の人?それはわからないが、真一文字に我が道を歩む人なのだろう。



 随分とあれこれ書きすぎました。以下、展示順番に可能な範囲で掲載します。



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   ↑:宮部美紀(同人)、「流れる Ⅰ Ⅱ」・油彩 F100×2。




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   ↑:丸藤真智子(同人)。大作は、「風邪の向こうに Ⅰ Ⅱ Ⅲ』・(3点とも)ミクストメディア F130、小品は「星の夜 Ⅰ Ⅱ」・(2点とも)ミクストメディア SM。


 以前も質感は重たかったが、より軽やかで明るかった。重たい画家になったみたいだ。「絵画の精神性」ということを追求しているのか?




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   ↑:後藤和司(同人)、「river 2016」・アクリルなど M100×3。


 今回のテーマは「川」、流れるということか。常に流れている人だ。落ち葉であったり、星屑であったり、気分であったり・・・後藤流れに身をまかそう。




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   ↑:今庄義男、「古里 Ⅰ Ⅱ」・(2点とも)油彩 90×120。



 以前のタイトルは「コリ」だった。とうぜん「古里」を含意している。今回は素直に「古里」。





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   ↑:木内弘子(推薦作家)、「奏 その1 その2 その3」・(3点とも)油彩 F100。



 「奏(かなで)」にしては、色がくすんでいる感じだ。色の発色に研究の余地がありそうだ。





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   ↑:林教司(同人)、「赫景 Ⅰ Ⅱ」・油彩 F100×2。



 気力充実の作品だ。





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   ↑:佐々木美枝子(同人)、「作品 Ⅰ Ⅱ」・(大作2点)S60。


 「美枝子ピンク」というのだろう。ピンクの持つ可愛さ可憐さには無縁だ。「怨念」では言い過ぎだが・・・。




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   ↑:三浦恭三(同人)、「関係律 16ー1 16-2 16-3」・油彩 P100 F60 F60。



 いつもと同じ仕事だが、タイトルが変わったようなきがする。「関係律」だ。数学的用語風だが、音楽的響きも共有している。
 上の全体写真は少しぴんぼくになりました。個別作品を載せます。じっくりと「関係律」を楽しんで下さい。



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   ↑:「関係律」・油彩 P100 。



 次は小品です。こういう三浦ワールドは初めてです。線描の好きな僕にはたまりませんです。



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by sakaidoori | 2016-04-29 20:43 | 市民ギャラリー | Comments(0)
2014年 07月 29日

2432)②「第59回 新道展」 市民ギャラリー 7月23日(土)~8月3日(日)

 



第59回 新道展 



 会場:札幌市民ギャラリー・全階
     中央区南2条東6丁目
     (北西角地)
     電話(011)271-5471

 会期:2014年7月23日(土)~8月3日(日)
 休み:無し
 時間:10:00~18:00
    (最終日は、~16:30まで。)
 料金:一般・?00円 高大生・?00円 中学生以下・無料

 主催:新北海道美術協会 

ーーーーーーーーーーーーーー(7.25 7.28)


 2427)①の続き。



 やはり入口の第一室は華でしょう。個別作品の代わりに、幾つか毎に沢山載せます。




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 この部屋から、一般の作品を3作載せて今回の②は終わります。


 今展の最高賞からです。


 (以下、敬称は省略させていただきます。)




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   ↑:協会賞&新会友・丸藤真智子(札幌市)、「硝子の月」・ミクストメディア S100 。




 「丸藤真智子」、いぜん「マグ・マチコ」というペンネームで発表をされていた。昨年も当展に出品していたような気がするが、手元に図録がないのではっきりとはわからない。

 還ってきたマグ・マチコだが、作風が一変した。ベトッとした画質感や変な図柄に以前の名残を見るが、作品の発散する方向が全く逆向きになった。以前は「アフリカン・ダンス」とでも言いたくなるような大胆な色使いであり、図柄だった。外を闊歩する「マチコ・オーラ」だった。

 今作、精神性とでも言いたくなるような沈にして清なる世界だ。「祈り」的要素があるのだろう。


 丸藤真智子は今回のような路線を進のだろうか?
 個人的には断然以前の作風が好きだ。色や柄で、しかも濃厚な画質感でボロンボロンとステップを踏む世界!強く、「私はここにいる」と主張していた。今回、「私の存在の強さ」ではなく、「誰かに取り囲まれて私はある」だ。天上天下唯我独尊的行き方を反省しているみたいだ。
 確かに、以前の作品にも赤茶けた土色があって、土着指向ではあった。足下を見つめる視点が昇華されたのかもしれない。






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   ↑:新人賞 一般・宮本英貴(初出品 小樽市)、「¿En qué piensas?(何を考えてるんだい?)」・アクリル 148×91.5㎝。



 中央の横ライン、おそらく水平線だろう。その上の連続する円環は何だろう?日の光を象徴的というか具象的に表現しているのだろう?

 この円環と、船を真上から見下ろしての風景の取り合わせに関心がいった。何処かを目指しているのだろう。それも、平々凡々とした普段着で、真夏のある暑い日の出来事。

 筆致というか絵肌も、砂を噛むような感じ。見る人に粘着さで嫌われないような出来映えだが、それでいて粘着的に」振る舞っている。何より完結性が作家の体質のようだ。完璧に枠に収まる構図だが、意外にもはみ出る動きが生まれていている。

 漫画のようなコミカルな世界だが、絵という夢の一時を味わった。






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   ↑:会友推挙 一般・赤石操(札幌市)、「SeedⅠ」・アクリル 183×184㎝。


 あっさりした青さ、ゴムのような線のワッコに目が止まった。線を生き物のように表現したいのだろう。ねじれることもなく、おとなしくリズムをとりながら周りに絡んでいく。




 ③に続く。 

by sakaidoori | 2014-07-29 18:15 | 市民ギャラリー | Comments(0)
2014年 07月 25日

2427)①「第59回 新道展」 市民ギャラリー 7月23日(土)~8月3日(日)

  



第59回 新道展 



 会場:札幌市民ギャラリー・全階
     中央区南2条東6丁目
     (北西角地)
     電話(011)271-5471

 会期:2014年7月23日(土)~8月3日(日)
 休み:無し
 時間:10:00~18:00
    (最終日は、~16:30まで。)
 料金:一般・?00円 高大生・?00円 中学生以下・無料

 主催:新北海道美術協会 

ーーーーーーーーーーーーーー(7.25)



 ポスター及び招待券を頂きました。ありがとうございました。
 
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   ↑:一般・宮里幸宏(帯広市)、「補陀落渡海かあの使者」。



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   ↑:同上。



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   ↑:同上。





 これは面白い。こけおどし風に迫り具合だが、やけに力んで絶好調だ。「補陀落渡海の使者」、海という冥界からの使者だ。そして、気ぜわしそうで「そこ、のかんかい!のかんかい!」と空騒ぎをしながら、鳥居を潜って現世に駆け込もうとしている。

 3月11日の震災がイメージしているのだろう。新道展に面白い作家がいたものだ。





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   ↑:一般。宇流奈未(札幌市)、「対話」。



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   ↑:(上掲の部分図。)




 ただ今成長期の宇流奈未だ。白い空間を大きくとる画家だ。画家の意に反して、白味の大きさが作品の大きさなり強度になっていれば良いのだが、そこの所はこれからの画業でグイグイと埋まっていくのだろう。現にこの作品、丸い惑星のような物体が「対話」の相手をしている。白味に対して変化を付けようとしている。





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 いよいよ本番の第一室・・・と言いたいのですが、玄関ホールしか見ていません。まだ部屋の作品を見ていないのです。ですから、今回は「新道展の予告」です。次回を楽しみにして下さい。





 ②に続く

by sakaidoori | 2014-07-25 23:22 | 市民ギャラリー | Comments(0)
2014年 07月 10日

2405)③「七月展(北海道教育大学岩見沢校・美術コース学生自主作品展)」市民g. 終了/6月25日(水)~29日(日)



  
  

七月展 

北海道教育大学岩見沢校 
美術文化専攻の学生による自主作品展
 



 会場:札幌市民ギャラリー・1階全室
     中央区南2条東6丁目
     (北西角地)
     電話(011)271-5471

 会期:2014年6月25日(水)~6月29日(日)
 休み:
 時間:10:00~18:00
    (最終日は、~17:00まで。)

 【参加学生】
  とても沢山。私は

ーーーーーーーーーーーーーー(6.27)


 2385)①、2391)②の続き。


 個別作品を何点か掲載します。今回はこれで「7月展」は終了です。
 (以下、敬称は省略させていただきます。)




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   ↑:デジタル絵画研究室4年・佐藤菜摘、「~6.24.」・キャンバス 油彩。





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   ↑:(上掲の部分図。)



 フワフワ気分と色々気分、それは夢気分かもしれないが、どこかに押し殺しムードも漂っていて、200%明るく爽快良い気分ではない。
 いつもそうなんだ、色もふんだんに使っているし、線描も肉声を伝えているし、形もふっくらとしているし、いかにも当世女の子絵画なのだが、すとーんと突き抜けていかない。どこかに地味な心があって、そいつが自由な精神を統御しているみたい。より自由になるほうがいいのか?どこかに覗き目精神を残したほうがいいのか?悩ましき22歳の佐藤菜摘だ。






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   ↑:空間造形研究室3年・泉菜月、「声のない」・写真等。



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 こうして作品を写真で見ると「うさぎ」の形をしている。でも、ほとんどの人が「うさぎ」に気付かなかったと思う。多分、「うさぎ」の発見にテーマはないと思う。何に見えてもいっこうに差し支えないと思う。何かを表現したい取っかかりとしての「うさぎ」と思う。
 だったら、貼られた写真の「気取った女の子」が大事なの?「うさぎ」よりは大事な存在と思うが、これも「女の子」を貼りたいことが中心ではなさそう。では何をしたいのか?

 そのことよりも、四角な粒々の模様が壁のシミやゴミに見えて仕方がなかった。そのシミが壁という存在を意識させる。「あ~、壁なんだ、カベなんだ、これは壁なんだ。剥がれそうな壁なんだ」と、力強く納得してしまう。「どうしてそんな壁を利用して展示会というものを開くのだろう?」と新たな疑問も起こる。僕の心は美術展という場の精神を忘れてしまいそう。

 近づいて見る。女の子の写真はかなり挑発的だ。「こっちへ来い」と手招きしている。
 シミに見えたのはマスティング・テープだった。写真は演劇的ピンクが目立つが、テープは地味な色で存在臭がない。

 空間造形室に籍をおく学生作品だ。空間そのものに興味があるのか?表現したいことが先にあって、そのことを空間造形の中で模索しているのか?面白い学生だ。




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   ↑:(上掲の部分図。)






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   ↑:映像研究室3年・櫻田竜介、「無題」・インスタレーション。



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 「初めてあう二人にA君のことを話してもらう・・」そういうシチュエーションの映像だ。

 A君のことを語り合う「映像」なのだが、二人芝居だ。右の女性がA君の魅力を女の子っぽい仕草を交えながら、お喋りが続いていく。ただそれだけのことだ。左の女性が黒子の聞き役で出しゃばらない。お喋りをする女性の魅力を引き出す役目になっている。中心になっておしゃべりする人は、学生で素人の演技者だと思う。まったく普段着の話し方をしているのではと感じる。少なくても「普段着」を演じる役目だ。

 何をお喋りしているかというと、「ある男」のことだ。その内容はどうでもいいのだ。「女の子が男の子のことを語る」口調、表情、仕草が見ていて初々しい。

 では、この映像はそういう「女の子」の魅力を見せる作品かというと全く違うと思う。「普段着」が「映像」になり、「見られる存在」として目の前に現れている。それは間違いなく「人間」なのだが、見る私も「人間」なのだが、「リアルな表現」の女の子なんだが、「虚(きょ・うそ)」、が幾重にも包み込んでいる。結局「実在感」が遠のいていく。私が生き生きと演じている「女の子」に魅入られて、「可愛いしぐさだな、恋を語る女は生き生きだな」と感じれば感じるほど、何かがするーっと滑り落ちていく。

 「普段着」と「素人っぽさ」と「男と女」という道具立てが、全く違った世界を成り立たせていた。





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   ↑:美術・デザインコース/1年・鈴木恵梨奈、「かさなるイヌとワタシ」・キャンバス 油彩。



 見事な二重画像絵画だ。この二重の意味はどの辺にあるのだろう?私も犬も大好き?逆に、私も犬も大嫌い?私は犬?犬は私?単に二重画像を楽しんでいるだけかもしれない。気になる作品だ。






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   ↑:美術・デザインコース/1年・森遙奈、「鏡外の片鱗」・油彩。




 前出の二重画像絵画は自虐的なのか願望なのか遊びなのかはわかりにくかった。こちらはかなり戦闘的だ。「顔」、「壊れた鏡」、「目」・・・これだけ舞台装置がそろえばメッセージは明快だ。1年生らしくて実に良い。さて、今後はこの絵画衝動はどう進むのだろう?こんな傷つくような作品から遠のくのか、更に近づくのか?





 線描とか細密画とかは大好きだから、そういう作品を載せます




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   ↑:美術・デザインコース/1年・佐藤水紀、「海の起源に関する一章(寺山修司 詩より)」・ペン画 画用紙 ボ-ルペン 透明水彩。



 涙するワンシーンだ。細密描写の髪が涙の波のようにうねっている。でも、涙に反して生き生きしている。まさしく髪は生命の象徴だ。より美しくありたい、髪はそんな作家の願望そのものだ。   





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   ↑:映像研究室2年・笠原優奈、「MINTO」・点描 コラージュ。



 愛くるしさと強さだ。点描でも強く表現できるんだ。







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   ↑:油彩研究室4年・佐藤真奈実。左側、「眼帯」・ペン 紙。右側、「指輪」・同。



 ちょっとニヒルで影のある女。
 こういう描き手は何でも描けるんだろうな。眼帯とか小道具を見つけては物語が膨らむのだろう。






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   ↑:版画研究室3年・八谷聡大、「再生の唄 復活の聲」・ミクストメディア。



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   ↑:(上掲の部分図。)



 昨年も八谷聡大の作品をこの場で見た。同じ画題だ。それにしてもたいしたものだ。壮大なドラマが作家の頭の中に詰まっていて、飽きることなくそれを丹念に拾い上げ、赤裸々にしては更に物語を膨らませていく。膨らんでは細大漏らさず拾い上げる。エンドレスの世界だ。





 あと10人位載せたいのですが止めます。
 最後は会場でお話をした学生の作品です。




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   ↑:木材工芸研究室2年・高嶋千晴、「0」・油彩 アクリル キャンバス。


 力強くて素直な絵だ。「もっと薄塗りにしたほうがいいのかな~」、そんなことを言っていた。僕は油らしいから好きだ。主張も明快だ。ただ、枠に収めているのが面白くない。光も影も共に大きく場を占めているのも面白くない。
 高嶋千晴は小柄な学生だが、この絵の手のように「もっと大きくなりたい」と背伸びをしたらいいのに。「強さ」には「平均」は似合わない。もっと大きく闇を描くとか、極端を取り入れて一点を強く見る目を鍛えたらと思った。

by sakaidoori | 2014-07-10 23:10 | 市民ギャラリー | Comments(0)
2014年 07月 06日

2397)②「第四一回 北海道抽象派作家協会展」 市民ギャラリー 終了/4月15日(火)~4月20日(日)

 

 
第四一回
北海道抽象派作家協会展
 


 会場:札幌市民ギャラリー A室
     中央区南2東6(北西角地)
     電話(011)271-5471

 会期:2014年4月15日(火)~4月20日(日)
 時間:10:00~17:00
      (初日は13:00~、最終日は~16:00まで。) 


 【出品作家】
 同人:今庄義男(岩見沢) 宇流奈未(札幌) 後藤和司(札幌) 佐々木美枝子(得陳) 鈴木悠高(札幌) 田村純也(苫小牧) 名畑美由紀(札幌) 能登智子(札幌) 林教司(岩見沢) 三浦恭三(小樽) 宮部美紀(石狩)・・・以上、11名。

 推薦:小川豊(小樽) 田中季里(札幌) 柿崎秀樹(江別)・・・以上、3名


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー(4.20)


 2396)①の続き。


 推薦作家、新同人作家を載せていきます。
 ベテランの同人作家作品は①の全体作品群で確認して下さい。


 (以下、敬称は省略させていただきます。)




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   ↑:(中央の立体作品群)同人・田村純也、「縷伝(ルイ)」・300×300㎝。



 中央でしっかり立体をしている。大仰に主張するでもなく、控えるでもなく、立ち並んでいる。作家は石の重たさを知っているから、無用な存在理由を誇示しない。それは作家の性格でもあろう。
 作品の出来映えに関係なく、この場にこれほど石を持ってくるかとに、いつも感心している。

 「縷伝(ルイ)」、どういう主張だろう。いつものように墓石の一環か。
 「縷」は「縷々」で細々と連なるということを連想する。それよりも、「アテルイ」を連想してしまった。アテルイの意志が今でも現在に連なる・・・。







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   ↑:推薦・田中季里、「long long abo」・182×210㎝。



 田村純也の墓石群に似た雰囲気だ。棺桶、そして回想を思う。

 しかし、作家は限りなく若い。亡き人を悼んでの追悼作品かもしれないが、過去の彼女の流れからすると唐突だ。恐らく、林教司の影響だろう。林教司の拘りに憧れて、自分の問題として作品化したのだろう。

 この作品の良さは中身ではなく、大きく見せたことにある。ともすれば、海辺にたたずんで小さな物語に閉じこもるかもしれない作家だ。それはそれでいいのだが、「大きく見せる、主張することも大事なのだ」と自覚したのだろう。その導きの糸が林教司だろう。氏の良いところを全部盗んで、暗さを取り払って、田中季里流の伸びやかさを大きく発揮したらと思う。林教司自身が、今展では良き軽さだ。もしかしたら、この若い作家の影響かもしれない。相互影響か?意外な展開だ。








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   ↑:同人・名畑美由紀



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   ↑:名畑美由紀、「若菜」・F100。




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   ↑:名畑美由紀、「綠青」・F100。




 今展の名畑美由紀は、清々しいリズムを構成やマチエールで追求している。そんな風に見える。そうかもしれない。これが、近年あがいていた訳のわからない表現探求道の居場所なのかもしれない。

 瑞々しくてリズミカルな絵を描く人、そんな風に画家を認識していた。
 「素直な心は良いのだが、絵画がそれではもの足りない」と画家は思っていたのかもしれない。「より人の心に訴えるもの、いや、自分自身が満足できるものを吐き出していかねば、それでは私にとって素直な心を越える絵画とは何か?」、そんな自己探求心旺盛な人であった。努力しもだえていたと思う。

 要するに、画家は自己の制御できぬ非常識な感覚を絵画に反映させたいのだ。しかし、その視覚化は難しい。何より絵画行為はとても素直なものだから、なかなか非常識で美しくないものをキャンバス化しにくい。
 美しくならざるをえない絵画、それだけでは満足できない名畑美由紀、さて、今後は今展の延長なのか?







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   ↑:同人・宇流奈未、(無題)。



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   ↑:(2点とも上掲の部分図。)



 イメージ画だろう。「宇流」、宇宙の流れを表現しているのだろう。

 とにかく描きたくて描きたくて仕方がないのだろう。その気持を当会は受け止めた。画家にとっては良き自己発散の場を与えられた。しかし、この会だけでは彼女の上昇根性は納まらないみたいだ。名畑美由紀と違って、描くことに悩んではいない。とにかく描く、燃えている宇流奈未だ。







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   ↑:推薦小川豊



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   ↑:推薦・小川豊、「心のひだ 14-1」・F130。



 名畑美由紀が「立ち止まり期」、宇流奈未が「ジャンプ期」だとすれば小川豊は「安定期」だろう。

 「心のひだ」を小川豊的造形と色合い、画質感で表現している。「安定期」だから「心のひだ」にそれほど震えがない。

 実は、「安定期」ほど画家にとって難しい時期はない。
 いや、作品にとってと言い直そう。情念や破綻よりも安心感が作品を覆う。それは年数を重ねれば画品とか、人生の反映とかにもなる。が、一方では変化に乏しいともいえる。作品表情の微差が味わいになればいいのだが、「型」にもなりかねない。
 いや、安定した作風は間違いなく「型」がある。「型」をいかに自己反芻するか、安定期とは安心して今一度自分を見つめ直す時期かもしれない。そして、「型」としての安心感ではなく、いろんな姿の安心感をみたいものだ。「あ~、こんな安心感もあるのか・・・」とつぶやきたい。

 私自身は「安心・安定」からは遠い存在だ。だからこそ、絵としてそれにふれたい。






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   ↑:同人・能登智子。中央、「響」・S100。左右の小品は「タイムラグ」。



 グレー調の色味はいつもの通りだが、絵が丸くなった感じ。
 いつもは感情線、刃線が画面で強い存在感を出していた。公募展作家だから、「強く、目立つ」を鍛えた証かもしれない。絵としての勢いとか、構図の問題が先にありきで、心象性の強さではないだろう。

 今展の丸さは、画風の変化なのか?心象性を強めているのか?





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   ↑:同人・宮部美紀。(全て)「流れる」・F60。



 川の流れというよりも、石の行進のよう。地味で力強い。





 同人作家の作品は①で確認して下さい。

 

by sakaidoori | 2014-07-06 14:07 | 市民ギャラリー | Comments(0)
2014年 07月 05日

2396)①「第四一回 北海道抽象派作家協会展」 市民ギャラリー 終了/4月15日(火)~4月20日(日)

  

 
第四一回
北海道抽象派作家協会展
 


 会場:札幌市民ギャラリー A室
     中央区南2東6(北西角地)
     電話(011)271-5471

 会期:2014年4月15日(火)~4月20日(日)
 時間:10:00~17:00
      (初日は13:00~、最終日は~16:00まで。) 


 【出品作家】
 同人:今庄義男(岩見沢) 宇流奈未(札幌) 後藤和司(札幌) 佐々木美枝子(得陳) 鈴木悠高(札幌) 田村純也(苫小牧) 名畑美由紀(札幌) 能登智子(札幌) 林教司(岩見沢) 三浦恭三(小樽) 宮部美紀(石狩)・・・以上、11名。

 推薦:小川豊(小樽) 田中季里(札幌) 柿崎秀樹(江別)・・・以上、3名


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー(4.20)


 2ヶ月前の展覧会。
 2014年4月20日、その日はどんな天気だろう・・・豊平川の風景から入りましましょう。雪が溶けて春気分かな?



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   ↑:(欄干から豊平川を見下ろして撮る。太陽がホワイト・ホールのようだ。)




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     ~~~~~~~~~~





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 左回りで、全絵画風景を載せていきます。




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 以上で、だいたいのムードがわかると思う。

 昨年までは二部屋を使っていたが、今年は大広間の第一室のみ。
 同人11名、推薦3名で14名の展覧会。昨年の推薦作家から4名が新たに同人に迎えられた。


 さて、順不同で7名程度の感想を記していきます。
 全体の印象としてはコンパクトにすっきりした感じ。奇を衒った作品とか、破格の大作などはない。気持ちよく絵画を楽しめた。



 (以下、敬称は省略させていただきます。)



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   ↑:柿崎秀樹。左側、「葬送」・91.5×182.5㎝。右側、「埋める」・同。



 モノトーンで押さえに押さえて、エネルギーを内側に蓄えている。
 左側の作品は紙を切り刻んで貼り合わせている。爆発風にもインスタレーションにも応用できる作風だが、畳一枚の枠に収めた。右側の細密描写との関係で対に仕上げたのだろう。それと、この協会展の中で遠慮したと思う。もっと激しいほうが柿崎的だが、静かに勝負した。グループ展の中で、自分の領域を限ることによって、他者との関係を計っているのだろう。

 左側は「葬送」だが、右側は「埋める」だ。まるで言葉だけを捉えたら「埋葬」になるが、さて作家の意図は?
 それはともかくとして、「埋める」の細密描写に強い関心を持った。




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   ↑:「埋める」。




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 このエネルギーは凄い。丸い模様がミジンコのメンタマみたいで、小さな生き物が他を犯すことなく綺麗にびっしりと埋まっている。「埋める」と言うより、エネルギーを「閉じ込める」みたいだ。自己の過剰なエネルギーを日課のような作業の中に閉じ込めていく。アール・ブリュット風の何も考えない一心不乱な世界に似ている・・・が、少し違うようだ。何も描かない◯模様を配して、絵画上の抜ける空間を意図的に作っている。何より、自身の過剰なエネルギーを自覚していて、そのエネルギーと自覚的に向きあっている。震えないで、あまりに淡々としている。その意志が、凄いエネルギー作品だが、目立たないように内に内にしているのだろう。

 溜め込んでばかりいるとシンドイ。だから、左側のエネルギー直接型で発散したいところだ。しかし、今作は共に枠にはめてしまった。抜けるところのない作品群だ。きっとどこかに発散したがっているかもしれない。しかし、この徹底した自己制御力、充実期の柿崎秀樹かもしれない。





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   ↑:「埋葬」。







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   ↑:同人・鈴木悠高、「'14-4-15」・156×1000㎜。





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 「柿崎秀樹さんがエネルギーを内に埋め込むのなら、僕は自由精神で遊びまくろう」・・・ではないだろう。

 「黄色の人・鈴木悠高」は最近は黄色から離脱したようだ。封印ではないのだろうが、一色だけにかまけるのがシンドクなったのだろう。黄色を描かざるをえない無意識の必然性があったはずだ。しかし、黄色を徹底的に描く作業は無意識のカオス探求には至らず、一端離れる戦略を選んだ。それでも画家は何かを描かねばならない。その苦し紛れの選択が今回の作品だろう。
 この作品にあそこが良い、ここが悪いと言っても始まらない。余白がどうの、もっと緻密にとか、色加減はどうのこうのとかは枝葉末端のことがらだ。肝心の線に情熱がない愛がない感情がない。「感情がない」からといって機能美構築にもならない。

 とにかくそれなりに目立つ作品を出す、そのことに尽きる。恥を忍んで、それでも「俺は画家なんだ」と叫ぶ鈴木悠高がいる。





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   ↑:同人・林教司。(中央)「種子と道標」・180×180㎝。




 肩の力を抜いて、すっきりした作品だ。

 以前の林教司ならば、「道標、右に行くべきか、左にすべきか?それが問題だ」と、悲劇的に逡巡し、その重さが作品を覆っていたはずだ。
 今作、道標自体を楽しんでいる。生き生き感が漂っている。そうだ、素直なのだ、若いのだ。何と悩みなき数字だろう。この若さはどこからきたのか?

 素直さは良い作品の保証にはならない。が、「鉄の人・林教司」にとっては、新境地への滋養になるかもしれない。

 とは言っても画家は「道標」を選んだ。素直な意欲の先、我々鑑賞者は静かにその行程を見つめよう。





 ②に続く

by sakaidoori | 2014-07-05 00:08 | 市民ギャラリー | Comments(0)
2014年 07月 01日

2391)②「七月展(北海道教育大学岩見沢校・美術コース学生自主作品展)」市民g. 終了/6月25日(水)~29日(日)

   

  

七月展 

北海道教育大学岩見沢校 
美術文化専攻の学生による自主作品展
 



 会場:札幌市民ギャラリー・1階全室
     中央区南2条東6丁目
     (北西角地)
     電話(011)271-5471

 会期:2014年6月25日(水)~6月29日(日)
 休み:
 時間:10:00~18:00
    (最終日は、~17:00まで。)

 【参加学生】
  とても沢山。私は

ーーーーーーーーーーーーーー(6.27)

 2385)①の続き。

 (以下、敬称は省略させていただきます。)



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 ①では第一室を掲載しました。もう少し載せたいのですが先に行きます。
 会場風景を何とはなしに載せていきます。




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 いよいよ最後です。上掲の写真、奥の方に暗い部屋が二つあって、手前が映像研究室。



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 次がいよいよ最後の部屋だ。

 この部屋は面白かった。映像などでいろいろと試みている。

 ということで、今回はここをメインに記します。




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   ↑:4年・花田麻里(版画研究室)、「LAUDRY」・ミクストメディア。



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   ↑:(以上、上掲の部分図。)



 これは面白い。何が面白いかというと、映像が壁に流れるわけだが、手前の白い遮断物にさえぎられて全く自然な流れになっていない。しかし、舞台装置は普通の白い洗濯物で、映像自体も普通に鮮明で、何も不思議ではない。何もかもが普通なのだが、いたって不自然極まりない。
 タイトルは「LAUDRY」で洗濯物だ。僕はタイトルを全く見なかった。(作品に驚いたのと、老眼だから見れない。)下がり物は綺麗なふんどし風に見えて、本当は女性の白い下着を置くとなまめかしくて妄想が働くのだろうが、それではいけないのだ。洗濯物に何ら価値を置いてはいない。妄想ではなくて明快な虚構を主張しているのだから。下がり物に意識がいってはいけない。異様な白さが大事なのだ。大きくて映像が映り、しかも壁に写る映像を邪魔する。もっとも、壁と洗濯物、どっちが本当のスクリーンなのかは不明だ。下方から映像を流したり、壁のコーナーを使い、下着の半透明を利用したりと小憎たらしい知性と感性と工夫だ。

 結果、途切れ途切れの映像が壁と白い洗濯物に二重写しになる。見る焦点が定まらない。定まらないがボケてはいないし綺麗な舞台衣装だから朦朧とはしない。しないが、全ては意味不明だ。「これは何だ!」と意識が反芻する。

 おそらくここは記憶の回路なのだろう。「さりげない思いで」ではなくて、「アナタにとって大事な記憶があるでしょう。隠さないでしっかり見つめて」という掘り起こしをしているのだろう。


 それにしても異様な清潔感だ。洗濯物が好きな学生かもしれない。陽にあたった乾いた洗濯物、暖かくってなぜだか幸せな気分になる。だが、ここは暗い。病院で亡くなった方の後始末みたいだ。

 映像を見ているのか、白を見ているのか、物を見ているのか・・・。








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   ↑:院1・鎌上純(情報デザイン研究室)、「箱男」・プロジェクター、 Kinect、 Processing、 Man in the box,and you。




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 「箱男」。この長方形の箱の中に人がいて、その人が窓(スクリーン)を通して見る人に何かを訴えている。そんな映像だ。いわゆる、「出口無し」の状況的人間・社会表現か?

 そういう見たまんまの視点と同時に、「見る―見られる」を反転させてもいる。見る側のこの暗室という空間がある種の「箱」状況で、誰かを窓の外で眺めている。「箱的状況(危機的状況)」は、あちら側かこちら側か?


f0126829_113368.jpg  それにしても気になるのは左に見える穴と赤光りだ。赤光りは箱の中の映像機械からの発信だろう。穴を開ける物理的理由はないと思う。作品のために必要なのだろう。ヘソの緒のような外界との出入り口?存在証明としてのシグナル?作品への色づけ?













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   ↑:4年・西條琴未(情報デザイン研究室)、「始終」。




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 シルエットを小さくして、「心臓を突き刺しちゃおう」と、青年諸君を標本にしてしまった。

 なかなかのシルエットの数だ。相当なものだが、こうして見ると「油彩 100号」程度の感覚か。素晴らしい美術行為だが、他人をうならせるにはまだまだ足りないようだ。800個!嘘800位は欲しい。しかしアッパレだ。

 もっとも、その800個という数字が作家の表現したいことに重なるならばいいのだが?
 ところで、今作の意図はイマイチわからない。「人間に拘っているんだ」、「人間確認」とかは理解できるが、その先は暗中模索のようだ。目的ありき、よりも、まずは無我夢中に冷静に「人」に取り組む、ということだろう。

 ここから何が生まれるか?期待しよう。いろいろと大きく粘着的にやってもらいたい。





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   ↑:(?)。(記録ミス。誰か教えて。)



 他の作品がエネルギー外向きなのだが、この作品は求心的だ地味だった。しかも、一個一個を見つめて時間を止めたい感覚。他と同列の展示は、部屋のリズムには良いが、この作品にとっては損をした感じだ。
 





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   ↑:(4年生4人の合作。)青坂さつき(情報デザイン研究室) 佐藤麻里奈(同) 山角咲季(映像) 門馬暢子(デザイン)、「charm」・写真。



 素晴らしい。もっと大きめにして、もう少し増やして、小部屋であっても独立した空間でみたいものだ。

 4人の合作だが、演技者、撮影者、飾り付けなどの役割分担だろう。

 「作る写真」、僕の好きなジャンルだ。性であろうと、遊びであろうと、心象世界よ飛んでいけ!!

 「charm」だ。女の子の魅力、魔法の魔法の女の子だ。賑々しい空間、花華で性の遊び。ちょっと危険に手を繋ぎ、肩をすぼめて手招き、夢は夜・・・。なかなかの振り付けに演技力だ。






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   ↑:3年・八谷説大(空間造形研究室)、「自由にお持ち下さい」・ペーパクラフト コピー用紙。



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 ある人の説明---

 「八谷説大君は大日本クラフト大協会岩見沢本部長であります。
 最近、3Dによる違法拳銃制作事件が世の中を楽しませています。こんなことでは大日本の将来は危ういと悟ったのです。そこで健全健康、明朗快活なクラフトによる拳銃大普及活動の旗揚げをしたのです。作って楽しい、見ても可愛い、触ってウキウキの人畜無害クラフト拳銃です。一人でも多くの賛同者確保のために、この神聖な七月展に微笑ましく参加したのです」

 以上、文章はふざけ気味ですが、八谷説大の心根はこのユーモアと反逆精神に尽きるであろう。彼は僕と違って優しいから、いたって平穏無事な文章と態度で淡々としている。



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 ③に続くかな

by sakaidoori | 2014-07-01 15:00 | 市民ギャラリー | Comments(2)
2014年 06月 28日

2385)①「七月展 (北海道教育大学岩見沢校・美術コース学生自主作品展)」市民g. 6月25日(水)~6月29日(日)

  


  

七月展 

北海道教育大学岩見沢校 
美術文化専攻の学生による自主作品展




 会場:札幌市民ギャラリー・1階全室
     中央区南2条東6丁目
     (北西角地)
     電話(011)271-5471

 会期:2014年6月25日(水)~6月29日(日)
 休み:
 時間:10:00~18:00
    (最終日は、~17:00まで。)

 【参加学生】
  とても沢山。

ーーーーーーーーーーーーーー(6.27)


 
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 「七月展」ですが今年は札幌国際芸術祭の関係で六月開催です。

 例年の通り沢山の学生作品だ。当然ながら詳細な報告はできません。会場風景をなるべく沢山載せて、後は私好みの作品感想記です。


 入口付近の第一室からです。決してこの部屋が「上手な人たち」というのではありません。が、広い空間だから気持ちが良いので、此処の雰囲気で全体の出来映えを判断したくなる。そんな早とちりをせずに、ゆったりと今年の教育大気分に触れよう。幸い、この日は真夏の雰囲気たっぷりの太陽だった。北海道らしいすっきり気分の空気具合で気分は上々だった。



 (以下、敬称は省略させていただきます。)




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   ↑:3年・高橋一矢(デジタル絵画研究室)、「Ultra marine」・キャンバス 油彩。


 色を追求する姿勢が良い、拘りが良い。この「青」、描き手は満足したのか?重厚にならず、軽くもならず。ほどほどの深みと軽快感。
 今回は青色だが、青を追求するのか?いろんな色を研究しているのか?






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   ↑:3年・三村紗瑛子(油彩研究室)、「いつもそこにあった」・キャンバス 油彩。



 いいつものようにフワフワ気分の三村紗瑛子だ。そして、いつものように上手くはない。上手くはないのだが、これが「三村流・不思議の国のアリス」ワールドだ。バリバリリアルでは彼女らしい異次元感覚が生きない。この下手な味を残しつつ、弱そうで強い不思議空間を表現できたら。

 かつてある黒人ジャズ・ピアニストが練習をしていた。いつもそれを聞いていた親友が、「アッ、また音程が狂った。そんなに難しいのかな?」と、不思議がっていた。ところが、この変調がいまやジャズの王道になった。先を行く音楽家は我が道を信じて研鑽していたのだ。それを親友は「ミス」と判断していた。
 彼女の下手さ加減が美の先端を行くとは思えない。が、上手く描けない世界にこだわって欲しいものだ。







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   ↑:4年・小林明日見(油彩研究室)、「山づみタウン」・キャンバス 油彩。



 バベルの塔みたいだ。しかし、小林明日見バベルは壊れないのだ。がっちりと色と線と小人で分厚く身構えているから。







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 ここに見える作品はどれも面白い。床のインスタレーション、壁の絵画、二人芝居のような映像、どれも学生が背伸びして頑張っている。個性的だと思う。

 みんな掲載していると終わらない。今は床の作品だけを載せます。





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   ↑:2年・内藤万貴(空間造形研究室)、「不透明な偶然の出逢いによるパラレルな時の蓄積、そのだだ中」・アボガドの種 写真 紙 土 ひも 他。




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 実は何を表現しているのかわかりません。

 砂遊びかな?迷路作りのようなことをしていたら、何が何だかわからなくなって、そこで終わったらもったいない。大人っぽく小難しくタイトルを付けちゃった・・・そんな感じで見てしまった。
 タイトルが長くて哲学的だ!これは要するに意味のないタイトルなのだろう。
 それで私流に難しく作品解説をするならば、「うずまく大地との語らい、コスモスとカオスからの芽吹き」。







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   ↑:4年・杉下由里子(空間造形研究室)、「smug kisses」・インスタレーション 口紅 木材 テキスト。



 さすがは空間造形研究室の学徒だ。口紅と唇、これぞ女の武器だ。しかし、実に上手く唇を剥ぎ取った。このピンクの向こうに作り手は何を見ているのだろう。
 綺麗に丹念に並んだ増殖の行進。おぞましさや汚さは排除され、壁紙のように並んだ唇という皮膚。美しく、かつ美しいばかりが女ではない。






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   ↑:2年・箱山春奈(彫塑研究室)、「泳」・針金 布。



  赤が強烈だった。




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   ↑:3年・林満奈美(空間造形研究室)、「羊群」・毛糸 布 枕。



 タイトルを見て感心した。「羊群」だ。作品は毛糸があるばかり・・・羊たちのなれの果てだ。







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   ↑:2年・角道梨那(彫塑研究室)、「ヤギが」・ダンボール 布。




 ダンボールが骨格だ。上手いものだ。
 布で覆わなくて、そのままダンボール姿だったら?どんな量隗か?より存在感が露わだといいのだが。




 ②に続く









 

by sakaidoori | 2014-06-28 07:26 | 市民ギャラリー | Comments(0)
2014年 06月 25日

2379)①「全道展 第69回 2014」 市民ギャラリー 終了・6月14日(土)~6月22日(日)

   

第69回 2014
全道展
 



 会場:札幌市民ギャラリー・全階
     中央区南2条東6丁目
     (北西角地)
     電話(011)271-5471

 会期:2014年6月14日(土)~6月22日(日)
 休み:無し 
 時間:10:00~18:00
    (最終日は、~16:30まで。)
 料金:一般・?00円 高大生・?00円 中学生以下・無料

 主催:全道美術協会 北海道新聞社

ーーーーーーーーーーーーーー(6.19)


 ポスター及び招待券を頂きました。ありがとうございました。
 


 会期は終了しましたが、その様子を報告します。


 始まりは入口ホールです。ここは誰でもが真っ先に目にするところで、「今年の全道展のインパクト、全道展らしさここにあり」といった場でしょう。

 (以下、敬称は省略させていただきます。)



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 「う~ん、ちょっともの足りない、かなりもの足りない、まっイイカ」、そんな印象だ。それなりの個性はあるのだが、ワイルド感不足だ。もっとも、これはこれだ。



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   ↑:一般・加藤三枝子(釧路市)、「親潮」。


 親潮にのってくる魚かな?釧路近海にいるのかな?何だろう?可愛い魚だ。
 暗い背景が印象的で、三連対も興味をそそられる。不思議な魚の姿だが、あまりに愛を込めすぎたようだ。「愛」、「絵画における愛情表現」・・・生き物を描くということは、それだけで愛情表現なのだろう。だから人は生き物を描く。だが、見る人は「愛」中心に見てはいないだろう。画家の愛と見る人の非愛がうまい具合に絵の上で重なるといいのだが。

 それはともかく、可愛く面白い魚だ。大きい作品なのだが、なぜかしら小振りに見えた。縄の色が三対三色別々だ。画家の遊び心か?ということは画家のメッセージが遊びにあるのか?全体の雰囲気はとても「遊び」とは思えないが。しかし、画家の主張は「愛と遊びとリズム」、なのだろう。それに何かを加えたいのだろう。





 さて、メインの第一室(当展1番の部屋)です。なるべく沢山全体風景を載せます。



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 (以下、なるべく順番に載せますが間違いがあるかもしれません。)



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 今展の全体印象を先に記します。ズバリ面白い作品が少なかった。全体の表現の幅が狭くて、意外性のある作品が著しく乏しかった。

 今展を見始めて11回目ぐらいか?実は4、5年前から刺激の薄さに戸惑っている。こちらが公募展を見慣れたのかもしれない。公募展というものに多大な期待をしなくなったのかもしれない。だが、自分の見る目を信じて、原因を思いつくまま記しておこう。

 全道展は独立展と少なからず連動している。独立展は人間追求型の激しさ、オドロオドロさが大きな特徴だ。全道展もそういう雰囲気を持っていた。が、この「人間追求指向」が時代に合わなくなったのではないか。否、古典的な「人間追求型絵画」が行き詰まって、それに代わる「まさに今」を提示できていないのだろう。少なくとも試みる努力不足を思う。具象中心作品は道展に行けばいいのだし、道展はそのマイペースさでレパートリーの幅を持たせている。
 明るく軽く、時にはデザイン的なのも絵画ではありと思うのだが、それには全道展作家は関心が薄いようだ。生き方が多様化しているのに画家は過去のスタイルから脱皮しようとはしない。ベテラン作家は今までの道を極めるのは仕方がないが、「止まっている」感じだ。生命力が落ちた分パワー不足になっているようだ。やはり若手なり新鋭・中堅が今までとは違った雰囲気を出すものなのだが、どうも変化に乏しい。公募展は師弟関係で盛り上げている面があるが、弟子は冒険を欲していないようだ。



 さて第一室だが、以前はベテラン作家が多くいた。彼等の作品が目に飛び込んで楽しませてくれた。今回、多くの著名作家はこの場にいない。そのベテラン作家の多くは次室にまとまってあるのだが、やはり刺激に欠けた。地名度の高い作家が「俺の作品を見れ!」と意気込んではいない。年に一度の一作提示なのに余りに普段着の姿に唖然とした。「普段着」、それは良いことかもしれない。画家は見る人に刺激を与えるために描いてはいないのだから。描くことを生活のように反復して、ジワジワと心の高ぶりを待っているのだろう。




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   ↑:全道美術協会賞・岡野修己(釧路市)、「眠れない宙Ⅱ」。



 今年の最高賞
 一所懸命に満遍なく描き込んでいて好感が持てる。
 確かに他の一般作家とは若干雰囲気が違う。ただ、華やかさというか拡がりが薄い。強さや動きや華やかさを訴えてはいるのだが、なぜかしら収縮的で納まりよくなってしまった。小さな宙が大きな宇宙になるのを待っているのかもしれない。




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   ↑:会員・川上勉、「Sleeping BeautyⅡ」。



 棺桶?の中に麗しき乙女が眠っている。今風の可愛い顔、リアルな手や佇まい、清々しい眠り姿、基本は清楚なのだがどこか挑発的で、ミスマッチのようなグッドマッチのような雰囲気だ。確かに普通にある表現なのだが、普通なのに普通でない心地良い違和感を感じた。

 作家は美しい女性を作っていた。その美しさが余りに普通で面白さに欠けた感じだった、ロマンの領域にいた。が、今作はこの美少女顔が良い。美術的美顔は嘘が露わで、そこが良い。
 男は麗しく女性を表現せねばならないのだろう。ロマンを求めつつ、ロマン以上の存在にしなければならないのだろう。作家の課題は尽きない。見果てぬ夢か。






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   ↑:会員・川上加菜、「ドーナツたべた」。



 ドーナツという「穴」を食べた少女は「穴」を体にも心にも植え付けてしまった。「穴」は心の空虚?見果てぬ世界への入口?川上加菜流の「不思議の国のアリス」だ。





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   ↑:一般・山形牧子(札幌市)、「君たちの声をきく」。
 


 さわやか抽象、心象画だ。青い模様が水そのものに見える。気分は楽しく漂う水心か。恋は水色という。絵画に恋しているみたい。






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   ↑:会員・富田知子、「乾いた伝言(方舟)」。



 以前は「×」を描き込んでいた。そういう象徴性は富田絵画の特徴なのだが、今作は「町の風景」を描き込んで物語り性を強めている。
 横臥するふっくらとした人物?それは富田絵画のキャッチフレーズだ。浮遊感、生と死、宗教性・・・そういうことがテーマなのだろう。僕は宗教心が薄いから富田テーマからは遠い。ただ、このふっくらとした風船のような在りよう、それは絵画の至る所に満ちているのだが、この白さと造形空間が気に入っている。どこかしらユーモラスなのも好きだ。




 ②に続く

by sakaidoori | 2014-06-25 16:51 | 市民ギャラリー | Comments(0)