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栄通記

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2008年 01月 11日

369)「栄通の案内板」・アバウト欄の写真についてー1

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○「虹の橋

 道内の橋を載せていきたいと思います。「栄通記」同様、不定期的に変更していきます。


 初回は「虹の橋」。
 白石サイクリング・ロードの厚別川に架かる橋。
 厚別川、市内を流れる川ですから、大きさを求めるわけにはいきません。それでも護岸の広がりをみると、札幌市の市街化が進む前の大きさがしのばれます。厚別区側は大谷地で、名前でも分かるように水はけの悪い、生活条件の厳しいところです。この辺りから流れに沿って北郷、川下と字名が続き豊平川に注ぐのですが、条件は一層悪くなっていくようです。春の雪解け時などは濁流が川の流れに関係なくあたりを襲ったことでしょう。
 滝野すずらん丘陵公園の高所に水源地があるようで、その公園から真栄に向かう道路に沿って流れています。僕にとってはこちらの川の方が親しんでいると思います。支笏湖に行く時はいつも通る道で、左右の丘陵の四季折々の風情とともに深くは無い川の流れを楽しんでいます。

 この川が概ね白石区と厚別区の堺をなしています。山本地区までは川の東側、右岸が境界線です。途中、東側を流れる支流の三里川の右岸が境界線になっています。そのあたりは広域非難地域に指定されたりして、生活圏ではありません。山本地域の厚別川は地図でみると直線ですから、治水のために人工的に流れを作ったのでしょう。ですから、厚別区は本来の厚別川を全然管理していないということになります。

 「厚別川」のアイヌ語考、以下いつもの山田秀三「北海道の地名」に基づいて。
 「ベツ・別」は川の意ですから、「アツ・厚」が考察の対象。あまりにも簡単な発音ですから、道内にも沢山ある地名とのこと。幸いここは早くから和人も入植し、地名解も多く残されていて後学の者にとっては類推を可能にしている。
 山田氏の類推。もともとはハシュシペッ(hash-ush-pet、柴木・群生する・川)で、「h」が抜けてアシペッと呼ばれるようになった。更に氏の推測は進む。昔の移住民は東北人が多いので、東北訛になり、アシベツ→アチベツ→アツベツとなり、厚別の字が当てられたとしている。
 アイヌ発音が「h」を簡単におとすものなのか、東北人の移住民をもっと具体的に知りたい、など知らないことを知るということは、未知なことがふえることでもある。

 厚別は柴木・雑樹の多いところ。確かに現在でも大谷地には雑樹が多い。もっともアイヌにとっては川の呼称は河口や支流が本流に入るところの土地の特徴を呼ぶのが普通だ。往時の厚別川が豊平川に注ぐ地点は定かではない。米里以北としてそんなに間違いはないだろう。そこは水はけの悪い低湿地帯、中低木の雑樹の繁茂していたところなのだろう。

 (妻からの質問。右岸左岸は何を基準にするのか?
 --川の流れに沿って、右側が右岸、左側が左岸。似た言葉に川の右股、左股という言葉があります。これは流れとは反対に上流に向かって、川が分かれていた時に、右側が右股、左側が左股になります。アイヌにとって川は道と同じで、川を遡上することによって生活圏を広げていった。ですから、川は上るもので下るものではないのでしょう。近代人にとって、登山というものが山は登る対象であって降るのを目的にしていないのと同義でしょう。最後は川を下るし、山を降りるのですが、そうしないと家に帰られない。)

by sakaidoori | 2008-01-11 22:47 | ★「案内版」アバウトの写真


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