短歌 菱川善夫選「物のある歌」
(北海道新聞2007年11月25日朝刊、日曜文芸・P27より)
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孵らない卵ならばと叩き割れば百花繚乱とび出すシネマ(冒頭歌)
・待つことも来ないことにも慣れている冬の花火は苛烈に咲けよ
・へルメットわが内にあり手負いのままで決起せよ決起せよと檄とばす
・木枯らしよお前とともに耐える余はいのちのきしむ音聞こえたり
小柴節子
「にゅうろんの茎(2007年、楡印刷株式会社)」。1950(昭和25)年倶知安町生まれ。札幌市在住。
情熱的であり、くっきりとした清々しさを思う。「叩き割れば」「苛烈」「決起せよ」、激しい言葉だ。
冒頭歌は絵画的な歌だ。
「孵らない卵」、歌人自身のことだろうか?60歳近い女性だ。孵る卵は持ってはいないだろう。あるいはそういう体であったか?卵のような形の頭か心臓か自分自身を叩き割ったら、シネマをみるように万華鏡の花の世界に替ってしまった。「百花繚乱」は常套句だし、「シネマ」は大正ロマンの匂いがして古臭いが、全体の印象は清々しい。「卵が生めなくても、私は女よ」と、叫んでいるようだ。
女は「待つことにも来ないことにも」慣れるものだろうか?いやいや、幾つになっても求めるものがあれば、心が焦がれるものだ。それが人か歌心かはわからない。島倉千代子が歌っているではないか、「人生色々・・・女だって咲き乱れる」と。
彼女は団塊の世代であったのだ。「ヘルメット」「決起」「檄」、学生運動の三種の神器のような言葉だ。「ワレワレは日本帝国主義と天皇制を・・・」彼・彼女等は休むことを知らない。休めば負けてしまう。同時に誰かと伴に歩みたい。「木枯らし」であっても、同志が必要な世代であろう。
等身大の弱さと強さが色になって現れた良い歌だと思う。