栄通記

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2017年 01月 29日

2561)②「群青 ~ぐんせい~」 アートスペース201 前期⇒2017年1月26日(木)~1月31日(火)

第4回 丸島均(栄通記)企画

群青 ぐんせい


2週間10部屋の展覧会
  (写真、絵画、立体、布、ドローイング、現代美術、陶芸、他)

 寒い札幌の1月2月、少しでも元気になれれば

  老若男女の青い人達のジャンルを問わない展覧会


 会場:アートスペース201 5階6階(全館全室)   
      中央区南2条西1丁目7
       山口中央ビル  
      (東西に走る道路の南側。)
     電話(011)251-1418

 会期:前期⇒2017年1月26日(木)~1月31日(火)
    後期⇒2017年2月2日(木)~2月7日(火)        
 休み:水曜日(定休日)
 時間:10:00~19:00
    (各会期最終日は、~18:00まで。) 

ーーーーーーーーーーーーー(1.28)


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 小雪ちらほら・・・良い感じ、そんな昨日の朝模様です。

 丸島均は日々の繰り返し、会社への出勤のために・・・ではなくて、札幌から文化を発信するために・・・ではなくて、展覧会企画者としてのお勤めを果たすために会場への朝がよいです。


 工藤エリコはこの日も頑張っていた。日々、黙々とはさみとカッターを酷使して、まるで切り裂き女将の形相で壁と闘っていた。


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 工藤エリコの造形は、裸の女を中心にして切り絵が発展していく。だからどうしても、その裸婦を見ざるをえない。
 裸婦だから、どうしてもエロスと言うことを考えざるをえない。そこで、久藤切り絵裸婦にエロスや官能美が蓄えられていて、「う~ん、感じる感じる男と女の絡み合い」になれば問題は無い。しかし、久藤切り絵にエロスやセクシャルを感じたことがない。安定した様式美以上のものではない。だから「エロスを感じない」と、僕は言う。
 言われた方は面白くない。だから、僕はより突っ込んで、「女が表現した絵画に、僕はエロスをほとんど感じない。それで分かったことがある。そもそも、女性はエロスを求めて、あるいはエロスを無意識にでも発散しながら美術行為をしていないということを。だから、エロスというものが『美術結果(作品)』に反映されないということを。それでは何が表現を支えているか?『美しさ』なんだ。
 それでは男はどうか?男はいつもいつも女のことが頭に占めている。だから、何を描いてもエロス的なものが作品ににじみ出いていないと、作品としては失格なんだ」そんなことを久藤エリコ女史に語った。

 その真偽やいかに?
 それはともかくとして、工藤エリコの切り絵魅力を語らねばならない。そうしないと、「エロスがないから面白くない作品」と、言ったも同じだから。
 そのうちに語ろう。今は会場の風景なり作品を時間まで載せます。


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 とんがりコーン、ではなくて、ロード・コ-ンに拘る北一樹

 今回の作品群、していることはいつもと同じなんだが、何だか優しくなった感じ。
 どうしてそう見えるんだろう?一面の壁を横拡がりで表現したからかな?写真に白味が多いからかな?会場中央にも「イス」という作品があるからかな?
 何だか分かりませんが、優しい感じのするロード・こーんでした。


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 酒井彩の着色木彫り。
 色が可愛い、形が可愛い・・・というか、蕾のような生命力です。若さの瑞々しさがなんともいえないです。

 古いタイプの彫刻愛好者だったら、「着色はいらない!木の魅力を、彫りの味わいを見せるべきだ!」と言うにつがいない。それはそのとおりだ。しかし、酒井彩はそんなことには構いはしない。手のひらに納まるように、慈しんで愛でるようにして色添えていく。

 そんなことよりも、この作品は見ようによってはかなりスケベな作品だ。「子宮」なり「下腹部」なり「性器」なりの影がうろついている。それは、作品そのものが「種」だからだろう。性的対象の「メス」ではなくて、最後は母体に繋がる社会的「母性」が作品に埋め込まれているのだろう。女が作る「女」はどこまでも美しくさわやかだ。



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   ↑:阿部雄、「ほんのすこし、歩みをとめて」。



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 阿部雄はバカでかい写真の持参だ。1.2m×1mだ。

 無名の写真家が大作を4点も披露している!丸島均が、「大きいのを沢山だそうよ」といつもいつも叫んでいる。だから、こういう作品が生まれた!
 阿部雄は万感の思いでこの大作を見つめているだろう。
 人は言うかもしれない。成功したや否や?この大きさは作品に似合っているか?そもそもこんな大作が必要なの?
 そんな言葉に耳を傾ける必要はないだろう!撮影者が大きな作品を出さざるを得ない心情を理解できないのだ。人間の止むに止めない情動、ギャラリー空間とはそういうエネルギーの交錯する場だ。作品という結果は厳粛な事実ではある。だが、その事実という静的な中に若者の直向きな愚かさを見て欲しい。



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   ↑:
山本和来(わこ)。12ヶ月の猫シリーズから。



by sakaidoori | 2017-01-29 09:16 | アートスペース201 | Comments(0)


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