栄通記

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2012年 12月 06日

1904)「藤井正治 展 -ここにいる-」 茶廊法邑 終了9月8日(土)~9月16日(日)

  

藤井正治 展 

          -ここにいる
   

        
 会場:茶廊法邑
      東区本町1条1丁目8-27
      電話(011)785-3607

 期間:2012年9月8日(土)~9月16日(日)
 休み:火曜日(定休日)
 時間:10:00~18:00
      (最終日は、~17:00まで)
     
 企画:当館(法邑芸術文化振興会) 

ーーーーーーーーーーーーーーーー(9.16)

 9月の個展紹介です。ちょっと前の個展なので、少し多めの写真掲載です。


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 重複しますが、左回りに数点ずつの作品紹介です。



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     ↑:(会場正面の作品。)


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     ↑:「あなのひと」。


 最近は「あなのひと・藤井正治」というイメージだ。
 2007年のコンチネンタル・ギャラリー個展で、初めて氏の世界に触れた。その時は確か「将軍」シリーズだった。「将軍」とは画中の人物のことなのだが、おそらく自画像だろう。その「将軍」が上の写真作品では「あなの人」になったわけだ。つまり、基本的には自画像作家と言ってもいいだろう。この場合の自画は、ゴッホ的な内面追究というより、他者との関係としての自分自身がテーマだ。「他者との関係」だが、他者とは「社会」であったり、「他人」であったり、「絵画的空間」であったり「自分自身」であったりと、その時々によって移り変わりはする。そして、濃密な関係というより、他者とは一歩距離をおいた「ゴーイング・マイ・ウエイ」を貫こうとしている。それを突き進めば、「あなのひと」のように、自己と他者が無関係のような世界になるのだろう。

 今回、大量のワーク・ブックがあったので、過去の絵画変遷を知ることができた。自己の存在証明のような作品が、形を変えながらも繰り返していた。頑固なまでの一貫した絵画姿勢だ。今では、「あなのひと」のどこか間の抜けた剽軽な自画ではあるが、それは他者への強い眼差しを隠そうとする作家特有の衒いや遊び精神かもしれない。当然、今のいうやさしい時代は「強い眼差し」を避けるから、「藤井・自画像」も時代に合わせているのかもしれない。


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          ↑:「私の外の物語」



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          ↑:「自問」。





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     ↑:ここから」。


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          ↑:「ここにいる」。




 今展、制作年次が不明なので、変遷として紹介はできなかった。色爛漫の世界もあり、それはかつての姿なのか、あるいは若い頃の色好みが、今甦っていうのか?いずれにせよ、意外にカラー・マンなのには驚いた。
 構図や道具立てなど、道内のベテラン作家との近さも伺える。それは似ているというマイナス要因よりも、道内画家集団が意図的に共同作業などはしなくても、良き仲間、良きライバルとして身近にいた証左でもあろう。互いに研鑽しあっていたのだ。「藤井正治」の中に、道内絵画世界のエネルギーも同時に感じることができた。

by sakaidoori | 2012-12-06 23:52 | (茶廊)法邑 | Comments(3)
Commented by 根保孝栄・石塚邦男 at 2013-01-19 20:02 x
藤井正治さんの不思議な雰囲気いいですね。
時代を表現している不安感みたいものあり、ただごとでない静けさがあって・・

藤井さん、どんな人物かと興味持ちました。



けさ
、ただこ
Commented by 根保孝栄・石塚邦男 at 2013-01-25 10:55 x
ここの絵面でしか分かりませんが、良いセンスですね藤井正治さん。
つくずく感じとりました。
Commented by 根保孝栄・石塚邦男 at 2013-03-19 03:35 x
確かに言われてみれば「哲学的」かもしれませんが、一口に哲学と言葉に出せば、説明的になるわけで、やや説明的な点気になる画風です。

しかし、文章の説明と絵画における説明は、性格も次元も違うもので、一般に言う「哲学」的雰囲気とはまた異なる空間の説明、色の説明、形の説明というような押し付けがましいものもかんじないわけではありません。

なぜ、この作品化・・という絶対価値のような主張にはまだ距離があるようにも思えますが、「説明」を意識せず、やはり説明している世界・・・という印象ですが・・・


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