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栄通記

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2010年 07月 28日

1317) ⑧ロシア旅行(4日目) 「⑧ハバロフスク(4日目ー其の一)・6月19日(土) 極東ロシア軍歴史博物館」

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 (8:24)
 バイキングの朝食。
 味は淡泊で、油も少なく、どの料理も苦労せず食べれた。パンも菓子パンあり、デザート、ジュース、コーヒー、お茶と品数豊富で大満足のホテルだ。
 問題は、料理を追加して取りに行っている間に、容赦なく食べ残しを片づけることだ。ウエイトレスが気ぜわしく立ち振る舞い、ひっきりなしに皿を片づける。座っていても、皿を直ぐに片づける。笑顔無し。事務的機械的な労働者である。その女性たちは大学生みたいで、若くていろんな民族の顔をしていて、おすまし顔が素敵だから、朝から目を楽しませてもくれる。


 さて、残りの公共施設観光を済ませにいく。ホテルのそばにある「極東ロシア軍歴史博物館」だ。美術館、考古博物館、音楽堂なども近くにある。
 20世紀初頭に建てられたもので、当時としては最大級の銀行ということだ。だから、内部は執務室的な部屋が連なっていて、その一つ一つをくまなく歩き回ることになる。写真撮影は100ルーブル(約300円)払えばOK。沢山撮ったのだが、面倒なので内部の紹介は省略。
 内容は17世紀初頭の探検家ハバロフの頃の様子。
 1958年のアムールスキー極東総統の活躍。その時に結ばれた北京条約でロシア領土ハバロフスクが誕生した。
 1905年当時の事件紹介。
 1918年~22年の日本のシベリア出兵と国内戦争。ソビエト誕生でもあり、ここから本格的な展示。
 そして大2次世界大戦と、写真、地図、資料、武器と沢山の戦争関連文物が続く。もっとも、英語無しだから、年号のみで解釈するばかりでこまかいことは分からない。後日、写真紹介したいが・・・。

 そして中庭に出ると、そこには第2次世界大戦(独ソ戦争)時代の戦車などが、ドドーンと並んでいる。輝く空の明りが兵器を一層たくましくしていた。


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     ↑:(後ろの赤い建物が戦争博物館。旧銀行。この中にびっしりと戦争資料が並んでいた。)


 やはり圧巻は戦車だ。

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          ↑:「T-34」。

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          ↑:「T-50」。

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          ↑:「T-54」。

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     ↑:右側、「T-80」。



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 (ネーミングは暫時書いていきます。)


 なかなか日本では見れない軍事遺物だ。戦勝国なるが故の誇示なのだろう。息子によると、鉄の武器類はどの町にもあるという。処理に困ったからだとも言えるが、これらによって国民統合の役目も果たしているのだろう。
 これらの武器はソビエト時代のものだ。そのソビエトは合衆国と「冷戦」を続けた。だからこの国には英語の国民教育は無い。そして負けた。もし、「熱戦」としての「敗戦」だったら、国内を他国が数年占領したならば、これらの誇らしげな戦争施設は残っただろうか?少なくとも日本には本格的戦争武器記念館は無い。100年前にロシアと戦った一艘の戦艦が横須賀市にある。1905年の日露戦争の生き残り、東郷平八郎を英雄にした連合艦隊旗艦・「三笠」だけが完全な形で残っている。


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 赤煉瓦博物館を後にして、東側の低地帯へと降りていく。降りきると、そこは札幌大通公園以上の拡がりのある憩いの場だ。昔は小川が流れていて、小川跡地は長々と公園になっている。そこを横断し、それから今度は登っていく。ホテルのあるメイン・ストリートの向かい側の教会に到着だ。間近に見えた立派な建築物だが、光燦々な日にはこたえる散歩こーすだった。


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          ↑:(歩んで来た道。)


 (続く)

by sakaidoori | 2010-07-28 16:55 | (旅)2010年 ロシア旅行


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