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栄通記

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2010年 01月 04日

1149) ②市民ギャラリー 「岸本裕躬・絵画自選展 1955~2009」 終了・12月16日(水)~12月20日(日)

○ ・・・・生への限りなき哀歌 1955~2009
    岸本裕躬・絵画自選展


会場:札幌市民ギャラリー 1階全室(第1・2・3室)
     南2条東6丁目
      (北西角地)
     電話(011)271-5471

 会期:2009年12月16日(水)~12月20日(日)
 時間:10:00~18:00
     (18日・金、19日・土は ~19:00まで。)

 主催:岸本裕躬 同絵画自選展実行有志会

ーーーーーーーーーーーー(12・19)

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     (↑:「藪地粘菌茸類」・2004年(67歳頃) 150P。)

 ①で会場風景を紹介しました。
 年代順に7、8枚並べていきます。カッコ内の年齢は目安です。


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     ↑:① 「賎民(だだっこ)」・1962年(25歳頃) 184×170cm。

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     ↑:② 「曾孫」・1966年(29歳頃) 120F。


 展示は現在の絵から始まり、だんだんと過去にひるがえる。最後はデッサンなどの小品で終わる。

 だから、最後の方に上掲の初期の作品群が並んでいる。
 見て分かるように、厚塗りの激情型の作品だ。人物を大きく表現主義的に画く。
 この「人物」にこだわる姿勢は擬人化されてはいるが現在進行形であり、画家の終生のテーマだ。大きく人物を画くが、岸本裕躬氏は決して自画像画家ではないようだ。上の二枚の絵も、「人と人との関係性」で人物に迫っている。「人間(自己)とは何ぞや?」という哲学(思惟)する人間ではない。社会・グループ・家族・朋友などとの関係性としての人間、「社会ー内ー存在」という実存主義的人間が氏の終生の愛すべきテーマとして、会場に人物が溢れていた。



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     ↑:③ 「フエの住民「・1968年(31歳頃) 100F。

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     ↑:④ 「さよなら・・・母さん」・1970年(33歳頃) 150F。


 ①・②のチューブから押し出されたような激しく暗い絵の向かいに、赤と紫が鮮やかで、人型も丸みを帯びた物語絵画が並んでいる。
 とにかく綺麗だ。④はタイトルがなくても挽歌とすぐにわかる。悲しみを色が被っている。第4回北海道秀作美術展で道立美術館賞受賞作、素晴らしい作品だと思う。
 暗さの反動としての多色の世界のようだが、むしろここに画かれた絵心が近年は「森の中の生き物社会」として再生しているようだ。そして、「物語画家」というロマンチシズムが鮮明に見える。その「物語」のテーマは「死」。

 ①・②は日本美術史では抽象表現が一大ブームの頃と聞く。氏の人物はデフォルメ・誇張はあるが基本的には具象性が高い。
 ③・④はベトナム戦争、70年安保闘争と政治の時代であった。貧困な時代とまでは言えないが、社会的均一性が高く、職は選ばなければいくらでもあった。「生きること」には悩んだが、「生きる手段」には悩むことは全然無かった。
 そして、70年代。二度のオイル・ショックと円高、「経済」が大きくなり始めたが、静かで波乱少なき時代でもあった。
 氏は1972年(35歳頃)にパリ留学をされた。時代を反映して、静かに日常性を確認する人物画が続いていた。

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     (↑:⑥ 1972年のパリ留学時代の小品。)

 小品ということもあり、留学したした喜びを素直な形と明るい色彩でまとめている。
 一方で、氏は1年間のパリ留学時代に「孤独体験」をしたのではないだろうか。
 それは見知らぬ土地での「一人で暮らす孤独」。更に想像すれば、絵が好きでがむしゃらに画いてきたが、異人の中で「絵を、人を画くことの意味」を問い始めたのではないか。
 この年以後の5年間は出品作品が極めて少ない。 ’73年ーゼロ、’74年ーゼロ、’75年ー120F・「老人と孫」の1品のみ、’76年ーゼロ、’77年ー小品が1品。
 その後の作品の流れも小市民的作品が多い。スランプ?エネルギーの蓄積期?
 以下、その流れをー。


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     ↑:⑦ 「老人と孫」・1975年(42歳頃) 120F。

 ひとの顔がどこかよそよそしい。血を分けた二人を、二つの心として画いている。この「よそよそしさ、寂しさ」が、これからのテーマのようだ。
 背景処理もキュビニズムか何かの習作のようで、全体に画家らしさが乏しい。
 この「老人と孫」のテーマは氏の愛した形のようだ。随所に見受けられる。氏が何かを見つめる時に選ぶ画題のようだ。

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     ↑:⑧ 「面会 (1)」・1978年(41歳頃) 100F。

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     ↑:⑨ 「乗客 (3)」・1980年(43歳頃) 50F。

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 ↑:左、⑩ 「休憩室」・1981年(44歳頃) 100F。右、⑪ 「理容室」・1983年(46歳頃) 120F。

 上の2作は、「娯楽室」(1981年 120F)と会わせて、この頃の代表作だろう。人や色の関係性の「よそよそしさ」を、「ー室」という区切られた部屋で確かめようとしているみたいだ。
 岸本裕躬氏は人やその仲間達への燃えるような眼差しが基本であったはずだ。画業の蓄積と時代の閉塞感が、「自己と他者」を呼べども届かぬ断絶としてではなく、まるでそこには「他者」など無いように、色も相手を犯すこと無く並列にしてしまった。


・ 1991年の記念すべき2作

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     ↑:⑫ 「森の中の樹」・1981年(44歳頃) 40F。

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     ↑:⑬ 「放浪家族」・1981年(44歳頃) 130F。


 ⑫の風景画?は最後の小品の中にこそっと並べられている。あたかもデッサンの延長画のように。
 だが、まちがいなくこの絵は現在の岸本ワールドにダイレクトにつながるものだと思う。今までの袋小路から、光を見出した絵だと思う。
 氏は人と、その関係性ばかりに目を向けていた。だが、氏を魅了する「人」も「関係」も、実社会からは遠くなってしまった。だが「人」を画かねばならぬ。その時に、「森と樹の関係」、「樹と、その根元の関係」、「森の主人である生き物達」、そういうものと出合ったと思う。そのことは確かに「人を画く岸本」からすれば後退ではある。だが、具象としての「人物像」を超現実的にシュールに嘘に画けれない資質の画家にとって、自由な生き物のあり様を「森の中」に見れたのだ。
 おそらく、樹の根元辺りに色を置き始めた時に、色が生き物になったのだろう。そこに動植物を画こうとしてではなく、色を置いたら、色が踊りだしたのだろう。

 ⑬は自己中心の家族を画家として正直に見つめたのだろう。
 ⑫は新たな画題の確保、⑬はしっかり「人の心」を画くという宣言に見える。


 (本当に長くなってしまいました。一端切手、③に続けて書きます。)

 

by sakaidoori | 2010-01-04 17:52 | 市民ギャラリー


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