2016年 05月 24日

2533)⑨「群青②後期『対展Ⅱ』」 アートスペース201 終了/2月4日(木)~2月9日(火)

      「群青」(ぐんせい)展

 ぐんじょうと読まないで下さい。
  ぐんせいと読んで下さい。「群れる青い人達」です



後期・6階C室

「対展 Ⅱ」
佐々木仁美 高橋徹 竹中春奈 
杉下由里子 村田主馬 宍戸浩起 
高橋ヤヒロ(高橋智乃) 酒井詞音 
石澤美翔 阿部雄&千葉貴文
吉田切羽

・・・(以上10名+一組)


●第3回 丸島均(栄通記)企画

   群青(グンセイ)
     八つの展覧会
       〔写真、絵画、書、ドローイング、テキスタイル、立体〕

  「群れる青い人達」による自己表現展です。

    雪固まる1月、2月・・・
    寒い・・・
    少しでも元気になれれば・・・ 

●会場:アートスペース201
    札幌市中央区南2条西1丁目山口ビル5&6階
     電話:011―251―1418
   
●会期:前期⇒2016年1月28日(木)~2月2日(火) 
   後期⇒     2月4日(木)~2月9日(火)
     (前期は6階3室のみ。後期は全館5室の展覧会。)
●時間:10:00~19:00 
    (各会期最終日は、~18:00まで)
      


後期・6階A室
◯「女の空間」(女性写真展)
外崎うらん 高澤恵 平間理彩 杉下由里子 高橋ヤヒロ(高橋智乃) 石澤美翔

後期・6階B室
◯神成邦夫 写真展 
HORIZON-北海道-  
 ~内界と外界の境界線~



後期・5階D室
◯「元気展 ~色・物語の部屋~」(多ジャンル美術展)
  碓井玲子(テキスタイル) 小西まさゆき(絵画) 佐々木幸(現代美術) 杉崎英利(絵画)   
 
後期・5階E室
◯「元気展 ~線の部屋~」
  久藤エリコ(切り絵) 佐藤愛子(クロッキー) ドローイングマン(ドローイング) 樋口雅山房(書)

●催し:2月5日(金)17:00~20:00 
    17:00~  ドローイングライブ(ドローイングマン)
    18:00~   出品者紹介
    18:45頃~20:00  パーティー

●企画者:丸島均(ブログ「栄通記」主宰)
 連絡先:090―2873―2250 marushima.h@softbank.ne.jp
 住所 :札幌市北区屯田3条2丁目2番33号

ーーーーーーーーーー(2.8 9)


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宍戸浩起の場合
 (北海学園大学Ⅱ部写真部 1年)


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   ↑:「来るべ!新幹線。廃れちゃうべ、ローカル線」


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 実は、僕はこの場で宍戸君に謝らなければならい。
 作品は正直言って目立たない。その目立ちにくさを捕まえて、「若いんだから、もっと力んだ姿勢を示すべきでは」と、批判した。これはピントはずれな指摘だった。
 「対展」は競争展ではない。しかし、たった2点の作品しかないし、参加者も多いから、どこかが強くないとどうしても印象度が低い。そういう低さが「対展」では欠点に見えがちだ。僕はそう見てしまった。しかし、低いからといって、見た目が地味だからといって、そのことで作品が悪いわけがない。「対」という形式が宍戸ワールドにはマイナスになってしまった。

 彼の思いはタイトルが物語っている。新幹線開通の功罪だ。彼は鉄道が好きなのだ。テツ撮りだ。それを北海道弁で示し、「郷土に対する愛情」も示している。タイトルはとても大事だが、タイトルを読ませる前に、作品の前に立ち止まらせる「何か」がないといけない。その「何か」という魅力は、宍戸作品の場合は、ふわ~っとした軽さ、優しさ、愛情だと思う。目立たずに大事に関わる姿勢だと思う。それらは現在の若者一般の気質でもある。その気質をちゃんと表現しているのだが・・・、いかにも優しすぎて、目立たなかった。

 できることならば、その優しさがもっと大きく表現できればと思う。それは相当に難しい。写真技術の修練と、発表経験と、何より続けることでいろんな表現を身につけてくれるだろう。





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石澤美翔の場合
 (北海学園大学Ⅱ部写真部)




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   ↑:「本音と建前」。



 七色の花に包まれて明るい~、と思いきや。セルフポ-トレイトで美しく自分を見せている~、と思いきや・・・。作品は七色でとても綺麗、でも寂しい。おそらく、女の子(撮影者自身=石澤美翔)の表情がいじらしく、哀しげだから。顔を撮ってはいるが、何を撮っているか分かりにくいから(左側の作品)。

 石澤美翔はセルフポ-トレートで勝負する。華やかに着飾り、見た目の美しさ明るさが表舞台だ。そして、仕草や表情で、明るさに連れ添う女の子心を表現している。今展もその範疇だが、ちょっと普段とは違う。
 いつもの発散する姿勢が、「対」というテ-マに触れて、「心の裏表を追求しちゃおう」。



村田主馬の場合
 (北星学園大学写真部2年)




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   ↑:「前へ」。



 女の子のスカートがチラリだ。膝だ、ふくらはぎだ、かかとだ、足首だ。

 村田主馬君は女の子のスカート以下にチャレンジした!撮った!
 誉めるべきはここまで!その先がダメだった。何とももったいない、ただ撮るだけに満足してしまった!たじろいでしまった。こっから先を見たいのよ!どう君が突っ込むか!しかし君は足だけを普通に撮って満足してしまった。
 男はスケベなのよ。わかるだろう。スケベだからこそ「永遠なる乙女」とか理想化したり、「女直前の少女」という存在に不思議さを抱き、「女性のまろやかさ」に妄想が膨らみ・・・あれやこれやと楽しいのか狂おしいのか、脳の中をグチャグチャしてしまう。

 初(うぶ)なるかな村田主馬君!気持ちはウブでも構わない。ついついカメラがふくらはぎに引っ付いてしまった。そんな撮影者にならなければいけない。それが写真家というものよ、それが自己表現の第一歩よ!





高橋ヤヒロの場合
 (フリーデザイナー)



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   ↑:copy,reflection,copy」・水彩画。


 (今作は、その後より描き込まれて違う展覧会で発表された。そう意味では未完性です。今展では、やや薄塗りに感じたのはその為でしょう。)


 この「対展」は、「写真の要素がある作品」という出品規定がある。今作は完璧な水彩で、多分、廃墟現場の写真を参考にしているだろう。どこが、「写真の要素」かというと、「写真らしい絵画(水彩画)」がテーマだ。企画者としてはそれで構わない。もともと写真らしい絵画を求めていたから。初対面の女性に、それも作風を全然知らない作家から、意図せず提案されて驚きはあったが問題はない。
 問題があるとすれば、「『写真のように見えない』という反応なり批判が出るだろうが、その辺は覚悟して下さい」と言っておいた。

 さて、「写真のような・・」、試みのほどは・・・丸島均の目には、水彩以外の何者でもない。とても肉感がある。鑑賞者の何人かは「写真のよう」と言っていた。そういう意味では作家のネライはまずまず成功だろう。

 僕の問題意識は、「写真らしく」に拘る作家の制作姿勢だ。
 作家にとっては、「自由度の高い写真展だから『写真のような』絵画に遊び心で取り組もう」ではないと思う。大学で肉筆を学んだ人だ。もともと、肉筆で「無機質」な世界に取り組んでいた(ようだ)。だからこそ、画題の現場取材として廃墟を写真で収めるのだが、その写真そのものが気になって仕方がなかっただろう。「人為的構築物が廃墟として無機質に還元していく姿」をカメラという機械が機械的に記録として定着させる。そこに言いしれぬ「何か」が髙橋ヤヒロにはあるのだろう。

 僕は、彼女自身の問題意識よりも、廃墟を徹底的に無機質に出来ない画家の生理と、無機質にしたい願望との分離が一番の関心だ。したいことと、その結果が分離している。彼女の作品は画家自身の生理がプンプンしている。「女展」にも出品したが、そこは写真作品で、その写真は男勝り的な力強さがあり、まさしく絵画的だった。

 「無機質」と「生理」、「カメラの機械性」と「絵画の肉筆性」、その関係をいろいろと考えさせてくれた髙橋ヤヒロであった。






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髙橋轍の場合
 (北星学園大学写真部OB)



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   ↑:「私と父」。



 「父と息子」がテーマだ。その両者を見つめる仲立ちを「カメラ」がしている。

 撮影者自身の「親子」だ。そのことが素晴らしい。親子が見つめ合っている、そして「何か」を訴えている。それだけで充分だった。
 しかし、残念ながら、カメラが二人の表情を覆っている。あたかもカメラが宝物のようだ。「この親子にとってカメラは特別なんだ」と、主張しているみたいだ。そうかもしれない。そうかもしれないが、ここはストレートに親子の表情を、仕草を写真で見せて欲しかった。親子が見つめ合う関係を、写真という空間で披露して欲しかった。

 撮影者自身と父親が向き合う。それを第三者の関与する展覧会という檜舞台で見せる。それは、作品を見る者にとっては「自分と親」を見つめるキッカケにもなる。私的な髙橋親子という関係がそれぞれの「親子関係」という、目には見えないし、その場で語り合うこともない内省にも繋がっていく。その場合、「カメラ」という仲介は不要だ。この展覧会場という公的な場と、「写真」の持つ力だけで充分だ。残念なことに、髙橋轍は親子の間に「カメラ」を置き、それを主役にしてしまった。「親子」を提示した以上、タイトルにした以上、親子を離れた地点に鑑賞者を誘う必要はなかった。それほど「親子」というテーマは重い。

 仮に、タイトルが「カメラ」だったら面白いかもしれない。明らかに「カメラ」を見せつつ、そのカメラの背後が真の主役と人は気が付く。間接的な「親子」表現だ。

 だがこの場合、そんな間接技を酷使する必要はないだろう。素直に親子を撮りあって、二人の相互信頼の場にすればいい。あまりにヒューマンな姿かもしれない。時にはヒューマン一本勝負も良いものだ。



阿部雄千葉貴文の場合
 (ともに札幌大学写真部OB)
 

 
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   ↑:左側、千葉貴文、「鉄の花 -Set UP-」。
   ↑:右側、阿部雄・「鉄の華 -Re:set- 」。



 群青前期の写真2人展「鉄の灰」出品作からの賛助出品。

 阿部雄は丸島企画展第1回からの参加者だ。僕の不手際もあり、続けて参加しているのは彼一人だ。
 第1回の対展に参加したのだが、彼は随分と「対」に悩み、考えに考えを重ねて作品化した。その体験がプラスになった。だから、「企画者としては心許ないが、まだまだ丸島についていこう。それが写真向上に繋がる」と、思いを定めたみたいだ。

 「対」でいろいろ悩んだから、「対」が頭を離れない。「対」が写真風景の一つに埋め込まれたようだ。だから、」この賛助出展は「自分の再確認」にもなっているだろう。


 千葉貴文は大学の先輩・阿部雄を全面的に信頼しての参加だろう。「丸島均」が何者かは問わない。こうして作品を作れた、見せれた、参加したことを素直に喜んでいる。
 その喜びが素直に伝わる「鉄塔」作品だ。
 「この鉄塔のように凛々しくありたい。美しくも。でも・・僕に出来るかな・・」



◯吉田切羽の場合
 (Midonight Lamp 写真研究所)
 




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   ↑:「あの夏のGOGO」。



 実は、僕の我が儘からの出品だ。本当にギリギリでの参加で、本人としては不満足な出品だったと思います。無理強いしてすいませんでした。でも、やっぱりここに吉田切羽作品があって大正解だった。展覧会が引き締まった。

 吉田切羽は表情の撮り方が素晴らしい。生き生きしている。特に女が良い。・普通の表情なんだけど、その普通さが、やけに男のロマンス心を波立たせる。ひな壇に飾る美や、理想化されたものとは違う。おそらく、被写体の生活感なり生きる息吹に感応してパチリといくのだろう。当然、吉田切羽自身が抱く女性への憧れがシャッターを押す力を後押しするのだろう。



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# by sakaidoori | 2016-05-24 20:31 | 群青(2016) | Comments(2)
2016年 05月 23日

2532)⑧「群青①後期『対展Ⅱ』」 アートスペース201 終了/2月4日(木)~2月9日(火)

      「群青」(ぐんせい)展

 ぐんじょうと読まないで下さい。
  ぐんせいと読んで下さい。「群れる青い人達」です



後期・6階C室

「対展 Ⅱ」
佐々木仁美 高橋徹 竹中春奈 
杉下由里子 村田主馬 宍戸浩起 
高橋ヤヒロ(高橋智乃) 酒井詞音 
石澤美翔 阿部雄&千葉貴文
吉田切羽

・・・(以上10名+一組)


●第3回 丸島均(栄通記)企画

   群青(グンセイ)
     八つの展覧会
       〔写真、絵画、書、ドローイング、テキスタイル、立体〕

  「群れる青い人達」による自己表現展です。

    雪固まる1月、2月・・・
    寒い・・・
    少しでも元気になれれば・・・ 

●会場:アートスペース201
    札幌市中央区南2条西1丁目山口ビル5&6階
     電話:011―251―1418
   
●会期:前期⇒2016年1月28日(木)~2月2日(火) 
   後期⇒     2月4日(木)~2月9日(火)
     (前期は6階3室のみ。後期は全館5室の展覧会。)
●時間:10:00~19:00 
    (各会期最終日は、~18:00まで)
      


後期・6階A室
◯「女の空間」(女性写真展)
外崎うらん 高澤恵 平間理彩 杉下由里子 高橋ヤヒロ(高橋智乃) 石澤美翔

後期・6階B室
◯神成邦夫 写真展 
HORIZON-北海道-  
 ~内界と外界の境界線~



後期・5階D室
◯「元気展 ~色・物語の部屋~」(多ジャンル美術展)
  碓井玲子(テキスタイル) 小西まさゆき(絵画) 佐々木幸(現代美術) 杉崎英利(絵画)   
 
後期・5階E室
◯「元気展 ~線の部屋~」
  久藤エリコ(切り絵) 佐藤愛子(クロッキー) ドローイングマン(ドローイング) 樋口雅山房(書)

●催し:2月5日(金)17:00~20:00 
    17:00~  ドローイングライブ(ドローイングマン)
    18:00~   出品者紹介
    18:45頃~20:00  パーティー

●企画者:丸島均(ブログ「栄通記」主宰)
 連絡先:090―2873―2250 marushima.h@softbank.ne.jp
 住所 :札幌市北区屯田3条2丁目2番33号

ーーーーーーーーーー(2.8 9)


 群青展の掲載が8回目です。今月中には全作品を掲載します。どうかお付き合い下さい。
 今年の記録であり、来年の展覧会のための資料としてとても大事なのです。



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 (以下、敬称は省略させていただきます。)

 半分ほど載せます。


佐々木仁美の場合


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   ↑:佐々木仁美(金属造形作家)、「創造と破壊」。




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 この「対展」は「写真の要素のある作品」という出品規定だ。だから、金属造形が専門の作家にとっては「写真の提出」に相当悩んだ事と思う。ですから、写真作品そのものを「良いの、悪いの」と言っても始まりません。「なるほどな」という気持ちで見て下さい。


 佐々木仁美のモチーフは、「人」、「住み家」、「生命(誕生)」というものだ。だから、ついつい双葉なども挿入して、生命賛歌になってしまう。双葉なくして造形という「形」、「ボリューム感」、「質感」という純粋芸術要素だけで生命観を表現できたらと思っている。若い女性だから、ついついやさしくそれらしい物をくっつけてしまう。その気持ちは分かる。
 「純粋芸術?」、「何いってんのよ」。「双葉で物語が膨らんで・・・あ~、し・あ・わ・せ、なのよ。どこが悪いの」と、言っているかもしれない。

 しかし、佐々木仁美は修行をしている。最近は絶好調だ。やはり長く続けなければいけない。ようやく、説明小道具がなくても、堂々と生き生きと「造形」をなしてきた。

 僕は毎日会場に来て、入口に座っている。そこから彼女の作品を横睨みで毎日見ていた。日々、愛おしさが増していった。



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 作家自身が以前住んでた家や、その跡地などを重ね合わせた作品。写真にメリハリがないから魅力が薄れてはいるが、「機械的無機質な世界」、「暴力に近づくような力強さ」がある。大きくしてもっと加工したら良い作品が誕生すると思う。双葉を提出する柔な人だと思っていたが、骨太な精神も持ち合わせているようだ。



杉下由里子の場合



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   ↑:「アダハナ」。



 抜群の出来映えだ。

 2点の作品とも、チョット暗めでしかも強いし、女はあえてブスに見せているし、突っぱね顔に飛び出し鼻、「嫌な女」に見えるし、植物の作品も変な物がブヨブヨしているみたいだし、気持ち悪!
 そしてタイトルを読む・・・「アダハナ、、花、鼻、華、、、あだ花か、、、」。
 左側の作品、花は枯れてはいるのか?しかし、よく見ると水の上で綺麗に再生している!
 右側の作品、「私の人生あだ花よ」、と女が自虐的に「あだ鼻」を晒している、突っぱねている。「綺麗だけが女じゃないよ、あんた、わかってんの!」、と見ている人にモンクが言いたそうだ、あだ鼻の持ち主の女は。ミソッカスだらけのあばた顔が、まるで「逮捕された女顔」だ。無気力と、傲慢しか残っていないみたい。「あだ花」でも咲きたかった、と厚い唇が言っている。

 2枚の写真とタイトルで、見事にドスンと心の綾を表現している、力強く。


竹中春奈の場合(藤女子大学写真部OG)



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   ↑:「『どこかにいきたい』 『どこにもいけない』」



 「あ~、『対』に悩んだな~」

 悩んでいい。2点というギリギリの量で、しかもタイトル(言葉)を絡ませて「表現をする」という経験がなかったのだから。「対展」は考えたことを作品化する道場みたいなものだ。あるいは、たまたま撮った作品を「2枚」で知的に構成する実験場なのだから。そういう意味では、対展の多くの作品は累々とした失敗作の屍かもしれない。そういう姿を見せる場になっているかもしれない。それでいい。質は問はない。質は自ずと現在の実力としてにじみ出ているものだ。


 今回の発表作は10枚ほどの連作ならば、しみじみとした味わいを提供したことだろう。「余韻」という性格の強い作品だから。
 その余韻の強き作品が、余韻のみで終わっているから、他方との関係性がしっくりこないから、2点だけでは間が持たない感じだ。余韻に漂う内実が伝わりにくい。

 竹中春奈は、少し寂しがっているのだろうか?彼女は居合抜きのような強さで、草花と一本勝負で向かい合うのが得意だ。今作で何より残念なのは、その強さが全く見られなかったことだ。
 今は関西に住んでいる。「孤独」をかみしめているのかもしれない。



酒井詞音の場合
 (高校3年生。今春、日本大学藝術学部写真学科入学予定)



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   ↑:「『Upside』→『down』」。


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 酒井詞音はまだ高校生だ。だから、作品に対してあれこれ言うつもりはなかった。
 日大の写真学科に進学すると聞いた。そのとたんにこちらのスイッチがONになってしまった。

 とても素直で健康的作風だ。被写体へもちょっと迫る感じで、世界がちじこもってなくて悪くはない。悪くはないが、オーソドックスな優しさは伝わるが、優しさを踏み越えた領域へのチャレンジ精神が不足しているみたいだ。充足感が支配しすぎて、個性・・・オレはここを見ているんだ、という強いアイカメラ・目力(めぢから)・若者の気迫がドーンと伝わらない。

 酒井詞音は藝術としての写真を学びに日大に進む。マンモス大学だから、学校に興味を感じない学生がいれば、私大だが、とんでもない感覚の学生も集まる。そういう中で、彼はもまれるだろう。
 「お前は何故写真を撮るんだ?お前にとって写真とは何なんだ?写真を藝術と本当に思うのか?そもそも藝術とは何なんだ?」
 「こんな優しい作風で藝術という荒野をさまよえるのか?」
 その一つ一つに正解などありはしない。だが、地方育ちの青年にとって、ふって湧いたような試練が待ち構えているだろう。しっかりもまれてくれ給え。



 ②に続く。

# by sakaidoori | 2016-05-23 21:12 | 群青(2016) | Comments(0)
2016年 05月 23日

2531)「第21回 山崎亮個展」 時計台 終了/5月9日(月)~5月14日(土)

第21回 山崎亮個展 


 会場:時計台ギャラリー 2階A室
      中央区北1西3 
       札幌時計台文化会館
      (中通り南向き)
     電話(011)241-1831

 会期:2016年5月9日(月)~5月14日(土)
 時間: 10:00~18:00 
      (最終日は~17:00まで。)
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーー(5.14)


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 今回で21回目の個展だ。大学卒業後、2年毎に当館で続けて発表している。

 ご存じと思いますが、時計台ギャラリーは今年で閉廊とのことだ。


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   ↑:「残雪の旭岳を往く」・130号。




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   ↑:「白鳥大橋の羨望」・130号。





 画家は空が好きなんだ。飛行機も好きなんだ。いつから空を、飛行機を、天空からの眺めを描き始めたのだろう・・・。



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   ↑:「オスプレイ(沖縄)」・S100。




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   ↑:「30×30構成」・S100。



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   ↑:「30×30構成」・S100。



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 飛行機は、普通の旅客機があれば、戦闘機もある。沖縄と戦闘機を組み合わせて、画面を赤く染めた作品もある。その画意ははっきりしている。「現在の沖縄を考えよ!」という画家からのメッセージだ。もちろん、沖縄の現状を肯定的に主張してはいないだろ。反戦気分を濃厚に保ちながらも、画家はそれ以上を絵に託さない。良く言えば、「画家は問題をイメージで提起するのが仕事で、後は見る人に判断を委ねる」ということだ。悪く言えば、「もっと主張しても良いのでは!ちょっと中途半端なのではないか」という意見もあるだろう。

 それでは丸島はどう思っているか?僕も空が好きだ。飛行機が好きだ。空からの景色は最高だと思っている。そして、沖縄の米軍基地の有り様には反対である。画家同様に、今はそれ以上をブログで書く気はない。「闘う人」あるいは「実践派」ではない。

 発表歴などから画家の年齢を推測すると、62歳強ではなかろうか。僕は63歳だから同世代かもしれない。以下、同世代として書きます。
 僕たちの一世代上が「団塊の世代」だ。彼等こそ「闘う世代」で、安保闘争などの学生運動の主役だった。燃える政治の中で育った人達だ。彼等は組織を作るのが達者で、その中での上昇志向も強い。もっとも、ナンバーワンを目指す人達は能力はあるが、しょせん一人しか勝者として残れない。敗者は組織を去っていく。そして、意外にも組織を成り立たせている心の有り様は、周りの様子を見ていて、出しゃばらないのが生きる知恵だと理解した人達の気質だ。永遠にナンバーツーの存在に満足できる根性の持ち主だ。つまり、「団塊の世代」とは闘う人と闘わない人がうまい具合に同居して、「より良くなる社会」を築く人達だ。

 さて、山崎氏や丸島はどうか。「燃える政治を目の当たりに見たい、参加したい」と思っても、学生運動は既にディ・エンドなのだ。焼け跡派ではないが、熱き息吹の余韻を味わうだけだ。主張したくても、それを後押しする組織はない。社会的ムードはない。強いて頑張るならば、個人的にあれこれするだけだ。そして、当然ながら、それほど個を前面に出したりはしない。「何かがしたい」という情念をブスブスと抱いているだけだ。
 
 どうですか!山崎絵画・「戦闘機と沖縄」に戦えなかった男の思いを感じませんか!「沖縄、確かに問題だらけだ」とつぶやいて、見ることに集中して立ち留まっている!
 それは実践派からすれば立ち止まっているだけだ。だが、真面目に見つめて、ただただ見つめて報告している姿に愛着を覚える。「沖縄」・・・決して他人事ではないが、決して自分事でもない。その溝を絵画が繋ぐ。






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   ↑:「離陸」・F20。

# by sakaidoori | 2016-05-23 15:07 | 時計台 | Comments(0)
2016年 05月 22日

2530)「(徳丸晋写真展)『minamo Shin Tokumaru Exhibition』」 時計台 終了/5月9日(月)~5月14日(土)

(徳丸晋写真展)
 
minamo
Shin Tokumaru Exhibition



 会場:時計台ギャラリー 3階EF室
      中央区北1西3 
       札幌時計台文化会館
      (中通り南向き)
     電話(011)241-1831

 会期:2016年5月9日(月)~5月14日(土)
 時間: 10:00~18:00 
      (最終日は~17:00まで。)
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーー(5.14)


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   ↑:(入口付近の風景。)



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   ↑:(入口からの会場風景。)



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   ↑:(上掲風景の続き。)




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 さて、今展一の大作、代表作を載せます。



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   ↑:「minamo 20131017_141854」。(数字は撮影記録と思います。つまり、2013年10月17日14時18分54秒。)


 写真なんだけど、極楽絵画と見間違えてしまった。金色に輝く涅槃図です。上掲の大作だけでなく、全ての作品が極楽図になってしまった。

 徳丸晋は羊蹄山の麓の半月湖(三日月湖だったか?)の水面(minamo)を撮り続けている。年々歳々の記録のためではない。水面に映る万華鏡に魅せられてしまったのだ。おそらく、春夏秋冬と親しんではいるが、メインは秋だ、紅葉の時期だ。上の大作、10月17日撮影とあるように、紅葉の時期だ。湖の周りが赤く染まる、その紅葉色が湖面に映る。わずかな風に水面は揺れる、そして紅葉色は極楽模様となって湖面を飾る。まるで拝むようにして、恍惚状態で撮り続ける・・・、そう思いたくなる写真作品だ。

 実は、徳丸晋はその湖の姿を個展の度に披露している。だから、「馴染みの徳丸ミナモ」なんだ。当然、同じ時期の同じ被写体ではあっても、模様とか、色合いとかがそれなりに毎回違っている。それが面白いから、同じような個展であっても新鮮な気分で楽しんでいる。

 しかし、今回は激変だ。「絵画みたいだね」、を通り越してしまって、僕には「金色に輝く極楽図」という仏教絵画に」なってしまった。禅寺のような「静かな涅槃図」ではない。光と色が統一的に乱舞する極楽世界だ。

 昔、戯れ歌で「酒は旨いし、ね~ちゃんは綺麗・・」と天国を夢見ていた。しかし、これほど綺麗だと、酒も女もいらない、と錯覚を起こしそうだ。



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   ↑:「minamo 20151016_134716」・A3 420×297㎝。



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   ↑:「minamo 20151016_132710tr」・450×1200㎝。




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   ↑:「minamo 20151016_144133tr」・450×1200㎝。



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   ↑:「minamo 20110927_143353」・M25 803×530㎜。




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   ↑:「minamo 20151019_142122」・900×600㎜。




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   ↑:「minamo 20110908_155843bw」・450×1200㎜。




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# by sakaidoori | 2016-05-22 23:44 | 時計台 | Comments(0)
2016年 05月 22日

2529)「徳丸滋個展 『All Kinds of Insects』」 時計台 終了/5月9日(月)~5月14日(土)   

徳丸滋個展
 
All Kinds of Insects
SHIGELU TOKUMARU
          


 会場:時計台ギャラリー 3階G室
      中央区北1西3 
       札幌時計台文化会館
      (中通り南向き)
     電話(011)241-1831

 会期:2016年5月9日(月)~5月14日(土)
 時間: 10:00~18:00 
      (最終日は~17:00まで。)
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーー(5.14)

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 部屋は虫だらけだ。見慣れた虫ばかりだ。画家の好きな羊蹄山や、得意とする風景作品は一つもない。「虫だらけ」といっても、虫の標本展示とは全く別物で、まさしく「徳丸・虫」だ。
 それでは、「徳丸・虫」とはどんな特徴か。虫の形がかわいい、ググッと迫る細密描写、そして、「この虫は生きているんだ」という生命観だ。この三拍子、可愛くて、細かくて、生きている、を堪能していただきたい。








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 今展は、かなりの過去作(20年ほど以前)と最新作で構成されている。

 上掲の作品群は最新作だ。氏はそれなりの高齢だ。しかし、衰えることない緊張感がある。




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   ↑:「コガネムシ」・46×121㎝。



 どこか「かわいい」。2匹のコガネムシが大きなメンタマに見えてしまった。それは徳丸滋・眼球だ。
 リアルなんだけど、リアリズムではない。虫たちは「かわいい」。
 真善美を追求する徳丸ワールドにあって、こういう「かわいい」という人畜無害な日本女の子言葉は失礼かもしれない。

 氏の絵画追求は見えるものをトコトンまでリアルに追求して・・だからどうしても細密描写になる・・・見えない彼岸に迫るというものだ。だが、そればかりでは精神が「生真面目」という鎖に縛られる。そこで「虫」という良き画題の発見だ。虫はかわいくて、細かく見たくなるし、だからこそ生きている。そこに「徳丸・かわいさ」を注いで再生させよう。





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   ↑:「ヨツモンカメムシ」・44×88㎝。



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   ↑:(上掲の部分図。)





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 上掲のシリーズは20年前ぐらいに発表したもので構成されている。




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   ↑:「ヘラオオバコ」・30×70㎝。



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   ↑:(上掲の部分図。)



 虫の世界とは言え、いや、虫の世界ゆえに微に入り細に入り生きている場を見つめている。
 そして、このピンク!日本の画家はなかなかピンクを使おうとはしない。ピンクがあまりに狭いイメージしかあたえないからだ。いわく、「女の子っぽい」。「それでは本格絵画にはなじまない」と、生真面目な日本男子絵画作家は決めつけがちだ。昔は「貧乏」というのが身近だったから、「ピンク」では気合いが入らなかったのだろう。
 徳丸ワールドも徹底真面目ワールドなんだが、「遊び心」も旺盛だ。自由に取り組んでいる。色に対しては「ブルー」への禁欲的拘りと、それ故に百花繚乱のパラダイスを自由に往き来している。
 (今展では、本格的大作絵画のブルーへの徹底作は見ることができない。近美に闇夜の中で樹の這い回る根っこを描いた作品があります。いつの日にかご覧になって下さい。)



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   ↑:「アサツキ」・31×21㎝。



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 以下、適当に個別作品を載せます。


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   ↑:左側、「ハエ」・20×14㎝。
   ↑:右側、「ゾウムシ」。




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   ↑:「クジクチョウ」。




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   ↑:「トンボ」・18×11㎝。




[#IMAGE|f0126829_11281549.jpg|201605/22/29/|right|   →:「ハンノアオ」・31×21㎝。

# by sakaidoori | 2016-05-22 11:29 | 時計台 | Comments(0)